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橋川時雄葉書 廣瀬榮一宛

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
5,500
昭和44年5月11日
■商品詳細

【書名】 橋川時雄葉書 廣瀬榮一宛
【巻冊】 一枚
【著者】 
【成立】 昭和44年5月11日

★ 橋川 時雄(はしかわ ときお、1894年(明治27年)3月22日 - 1982年(昭和57年)10月19日)は、日本の中国文学者である。号に「酔軒」「子雍」がある。

★ 1894年、福井県足羽郡酒生村(現・福井県福井市酒生町)生まれ。1913年、福井師範学校(現在の福井大学)本科第一部課程を修了し、同年4月より福井県内で小学教諭となった。1914年12月、福井師範学校校長の本多忠綱の推薦を受け、漢学者の勝屋馬三男(字は子駿、号は明賓)が主宰する簸水精舎に入った。1918年3月に中華民国に渡った1918年(大正7年)に中華民国に転勤し北京大学で聴講生となる。

★ 卒業後はジャーナリストとして活動し、1922年から1927年までは「順天時報」で学芸を担当。1927年(昭和2年)に「文字同盟社」を主宰し、4年間にわたって中国語とその日本語の作品を併載した『文字同盟』の編纂及び発行を行った。

★ 1928年から1945年まで日中両国共同の東方文化事業総委員会に勤務。17年間、委員として活動し、北京人文科学研究所では総務委員署理として運営にあたり、『続修四庫全書提要』の編纂を統括した。1942年3月、橋川一家は熊本に移住。しかし自身は中国に残り、終戦を迎えると1945年10月5日、中国教育部の特派員沈兼士に東方文化事業総委員会の移管を行った。
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、昭和44年5月11日
■商品詳細 【書名】 橋川時雄葉書 廣瀬榮一宛 【巻冊】 一枚 【著者】  【成立】 昭和44年5月11日 ★ 橋川 時雄(はしかわ ときお、1894年(明治27年)3月22日 - 1982年(昭和57年)10月19日)は、日本の中国文学者である。号に「酔軒」「子雍」がある。 ★ 1894年、福井県足羽郡酒生村(現・福井県福井市酒生町)生まれ。1913年、福井師範学校(現在の福井大学)本科第一部課程を修了し、同年4月より福井県内で小学教諭となった。1914年12月、福井師範学校校長の本多忠綱の推薦を受け、漢学者の勝屋馬三男(字は子駿、号は明賓)が主宰する簸水精舎に入った。1918年3月に中華民国に渡った1918年(大正7年)に中華民国に転勤し北京大学で聴講生となる。 ★ 卒業後はジャーナリストとして活動し、1922年から1927年までは「順天時報」で学芸を担当。1927年(昭和2年)に「文字同盟社」を主宰し、4年間にわたって中国語とその日本語の作品を併載した『文字同盟』の編纂及び発行を行った。 ★ 1928年から1945年まで日中両国共同の東方文化事業総委員会に勤務。17年間、委員として活動し、北京人文科学研究所では総務委員署理として運営にあたり、『続修四庫全書提要』の編纂を統括した。1942年3月、橋川一家は熊本に移住。しかし自身は中国に残り、終戦を迎えると1945年10月5日、中国教育部の特派員沈兼士に東方文化事業総委員会の移管を行った。

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