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戦後保守政治の軌跡 吉田内閣から鈴木内閣まで 座談会
戦後保守政治の軌跡 吉田内閣から鈴木内閣まで
仏心 昭和8年1月号
戦後保守政治の軌跡 : 吉田内閣から鈴木内閣まで 座談会
戦後保守政治の軌跡 --吉田内閣から鈴木内閣まで 座談会--
日本古代の祭祀と仏教
コミックボックス 30号 昭和61年7月号 表紙画・勝川克志
絵葉書 久保田藩(秋田藩)ゆかりの書画 (仮題)
伊那 第24巻第1号(572号) 柳田国男特集号
政治記者後藤基夫 後藤基夫さんを偲ぶ文集刊行会 1985年 全 314ページ後藤基夫(1918年10月20日 - 1983年4月5日)日本のジャーナリスト、朝日新聞社常務取締役。大分県佐賀関町生まれ。第三高等学校を経て1941年12月東京帝国大学法学部政治学科卒業、1942年1月朝日新聞社入社、翌2月陸軍東部第62部隊入営。主計少尉として中国湖北省で終戦を迎える(ポツダム宣言受諾後に主計中尉)。1946年2月に朝日新聞社に復職。同年6月東京本社政経部員、1950年1月政治部員、1956年10月アメリカ総局員、1958年2月政治部に復帰、1960年1月政治部次長、1963年2月ロンドン支局長、1966年6月論説委員、1967年1月論説副主幹、1969年12月東京本社編集局長、1973年9月取締役・大阪本社代表、1974年6月常務取締役、1978年12月総合企画室担当(東京本社)、1981年4月東京本社代表となり、在職中に脳出血のため死去。享年66(満64歳)。東大在学中に昭和研究会の教育機関「昭和塾」に入り、三木清の影響を受けた。「室町将軍」と呼ばれた同郷の右翼の大物三浦義一(父親が元大分市長、衆議院議員)と親しく、政界の裏情報にも通じて「書かざる大記者」と呼ばれた。宮沢喜一は後藤を「一番親しい友人」と呼んでいる。「書かざる大記者」ゆえに敵対する政治家の双方から相談を持ち込まれることも多く、政治記者として読売新聞社の渡邉恒雄も一目置く存在だった。中ソ対立が社内の派閥抗争に波及していた当時の朝日においては、親中派の重鎮の一人で、東京本社編集局長時代の1971年秋に特派員団長として北朝鮮と中国を訪問し、金日成首相、周恩来首相と会見。総合企画室担当時代の1980年にも北朝鮮を訪れている。「書かざる大記者」のため、書いたものは少ないが、晩年、雑誌『世界』に連載された石川真澄、内田健三との鼎談で、戦後政治についての見聞の一部を語っている。
電波科学 1983-1 特集=オペアンプのいろいろとその使い方 (605)
みやぎの文学碑
カオスとロゴス 社会主義と生議論・石井伸男、マルクスの唯物論は何だったか・田上孝一、など No.5
カオスとロゴス 社会戦後左翼運動の体験的総括・安東仁兵衛・高沢寅男・宮嶋信夫、「四・八声明」と「総結集」の挫折・鈴木市蔵、など No.6
高梨村郷土沿革紀(秋田県仙北郡)
日本介護福祉士養成施設協会創立20周年記念論文集
江戸時代 人づくり風土記5 秋田
季報唯物論研究 特集・自由民主主義を超える民主主義 19(63)
季刊 ジャズ批評 47
季刊ジャズ批評 55号 特集:ジャズはお祭りだ
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