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「海国兵談 16巻 [3]」の検索結果
4件

海國兵談 1-5 【全16巻・5冊】 (写本)

相澤書店
 東京都文京区千駄木
33,000 (送料:¥300~)
林子平 [著]、年度不明、5冊(1:65丁/2:57丁/3:37丁/4:59丁/5:61丁)、23c・・・
1巻から16巻。写本。頁ヤケあり。カドスレあり。表紙紋様(貝・蛸・海老)。虫食いなし。
------------
目錄
第一卷 水戰 
第二卷 陸戰 
第三卷 軍法並物見 
第四卷 戰畧 
第五卷 夜軍 
第六卷 撰士付一騎前 
第七卷 人數組付人數扱
第八卷 押前、陣取、備立、宿陣、野陣
第九卷 器械並小荷駄付粮米
第十卷 地形城割
第十一卷 城攻付攻具 
第十二卷 籠城付守具 
第十三卷 操練 
第十四卷 武士之本躰並知行割 人數積付制度法令之大畧 
第十五卷 馬之飼立仕込樣付騎射之事
第十六卷 畧書

初巻より第十五巻迄ハ水陸戦闘の事を述たり。畧書ハ文武相兼て國家を經濟し、食を足、
兵を足の義を言て、大将の心得して兵の心印とす。読もの身に取て工夫を有べし。

目録終
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33,000 (送料:¥300~)
林子平 [著] 、年度不明 、5冊(1:65丁/2:57丁/3:37丁/4:59丁/5:61丁) 、23cm
1巻から16巻。写本。頁ヤケあり。カドスレあり。表紙紋様(貝・蛸・海老)。虫食いなし。 ------------ 目錄 第一卷 水戰  第二卷 陸戰  第三卷 軍法並物見  第四卷 戰畧  第五卷 夜軍  第六卷 撰士付一騎前  第七卷 人數組付人數扱 第八卷 押前、陣取、備立、宿陣、野陣 第九卷 器械並小荷駄付粮米 第十卷 地形城割 第十一卷 城攻付攻具  第十二卷 籠城付守具  第十三卷 操練  第十四卷 武士之本躰並知行割 人數積付制度法令之大畧  第十五卷 馬之飼立仕込樣付騎射之事 第十六卷 畧書 初巻より第十五巻迄ハ水陸戦闘の事を述たり。畧書ハ文武相兼て國家を經濟し、食を足、 兵を足の義を言て、大将の心得して兵の心印とす。読もの身に取て工夫を有べし。 目録終
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海國兵談  天地人(全16巻)元合本 發禁初板刋本寫

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
165,000
林子平著
■商品詳細

【書名】 海國兵談  天地人(全16巻)元合本
【巻冊】 大本三册
【著者】 林子平著
【成立】 嘉永三年仲夏書寫

★ 筆者/鷲津茂手木知方・木下定一郎光寛・熊谷杏葊恕
★ 本寫本は寛政三年四月板刻成の發禁初版本の精寫本である。なぜなら第16巻所収の最初一枚摺で板行された「文武兼備大學校之圖」は寛政三年四月板刻成の發禁初版本と同圖であるためそれを裏付ける。
★ 喉に少虫
★ 迅速丁寧な発送を心懸けております。 ★ 海外発送も迅速に対応いたします。 ★ ご注文はインターネットからではなくても、電話・ファックス・ハガキ等でも承ります。ご遠慮なくお申しつけください。 ★ クレジット決済のお客様は別途クレジット決済が行えるメールをお送りいたします。 ★ お振り込みをご希望のお客様は大変お手数ですが必ずお振り込み方法をご連絡くださいませ。 ★ 仕方なくインボイスに対応しています。
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165,000
林子平著
■商品詳細 【書名】 海國兵談  天地人(全16巻)元合本 【巻冊】 大本三册 【著者】 林子平著 【成立】 嘉永三年仲夏書寫 ★ 筆者/鷲津茂手木知方・木下定一郎光寛・熊谷杏葊恕 ★ 本寫本は寛政三年四月板刻成の發禁初版本の精寫本である。なぜなら第16巻所収の最初一枚摺で板行された「文武兼備大學校之圖」は寛政三年四月板刻成の發禁初版本と同圖であるためそれを裏付ける。 ★ 喉に少虫

林子平私家板 文武兼備大學校之圖

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
330,000
■商品詳細

【書名】 林子平私家板 文武兼備大學校之圖
【巻冊】 一枚
【著者】 林子平
【成立】 天明六年

★ 天明六年/林子平按図

★ 寛政の改革により發禁となり板木没収處分ともなった寛政三年四月板刻成の『海國兵談』16巻合本3册の第16巻に収録される「文武兼備大學校之圖」の一枚摺。

★ 一説に『海國兵談』は天明七年に子平自ら板木を作成して第一巻を刋行したとされ、寛政三年に全巻刋行に至ったと云う。

★ 本圖は「天明六年/林子平按図」と刻してあるため巻一の刋行直前に子平が私家板として板行したとものと考えられる。勿論板本に収録される圖よりも大分大形で、板本は見開きで一圖を示すため當然ながら板木は左右二枚となるが本圖は一枚板木である。更に板本の圖は横圖としてあるため題名等の文字が横組となっているが本圖は縦圖であるため縦組である。また板本圖には「天明六年/林子平按図」と刻されてなく所々に改訂が加えられて文字の位置が微妙に異なる。

★ 本圖の傳存は大変稀少であり寧ろ發禁となった寛政三年版『海國兵談』より傳存が少ない。確かなところでは早稻田大學圖書館にコピーによる覆製が一圖と、國際日本文化センターに現物が一圖所藏されているが、それは弊店が1993年6月發行の『幕末明治期文献目録』第六號に發禁の『海國兵談』と並び掲載して販賣した一品である。

★ 41×30

★ 最後の圖版は寛政三年刋發禁版『海國兵談』の掲載圖。(幕末明治期文献目録 第六號)
★ 迅速丁寧な発送を心懸けております。 ★ 海外発送も迅速に対応いたします。 ★ ご注文はインターネットからではなくても、電話・ファックス・ハガキ等でも承ります。ご遠慮なくお申しつけください。 ★ クレジット決済のお客様は別途クレジット決済が行えるメールをお送りいたします。 ★ お振り込みをご希望のお客様は大変お手数ですが必ずお振り込み方法をご連絡くださいませ。 ★ 仕方なくインボイスに対応しています。
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
330,000
■商品詳細 【書名】 林子平私家板 文武兼備大學校之圖 【巻冊】 一枚 【著者】 林子平 【成立】 天明六年 ★ 天明六年/林子平按図 ★ 寛政の改革により發禁となり板木没収處分ともなった寛政三年四月板刻成の『海國兵談』16巻合本3册の第16巻に収録される「文武兼備大學校之圖」の一枚摺。 ★ 一説に『海國兵談』は天明七年に子平自ら板木を作成して第一巻を刋行したとされ、寛政三年に全巻刋行に至ったと云う。 ★ 本圖は「天明六年/林子平按図」と刻してあるため巻一の刋行直前に子平が私家板として板行したとものと考えられる。勿論板本に収録される圖よりも大分大形で、板本は見開きで一圖を示すため當然ながら板木は左右二枚となるが本圖は一枚板木である。更に板本の圖は横圖としてあるため題名等の文字が横組となっているが本圖は縦圖であるため縦組である。また板本圖には「天明六年/林子平按図」と刻されてなく所々に改訂が加えられて文字の位置が微妙に異なる。 ★ 本圖の傳存は大変稀少であり寧ろ發禁となった寛政三年版『海國兵談』より傳存が少ない。確かなところでは早稻田大學圖書館にコピーによる覆製が一圖と、國際日本文化センターに現物が一圖所藏されているが、それは弊店が1993年6月發行の『幕末明治期文献目録』第六號に發禁の『海國兵談』と並び掲載して販賣した一品である。 ★ 41×30 ★ 最後の圖版は寛政三年刋發禁版『海國兵談』の掲載圖。(幕末明治期文献目録 第六號)

林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。

暢気堂書房
 東京都東久留米市滝山
1,500
S棚58箱
『海国兵談』は海防の必要性を説く軍事書であったため、出版に協力してくれる版元を見つけることができなかった。そこで子平は、16巻・3分冊もの大著の版木を自ら彫り、自費出版で須原屋市兵衛から刊行した。『海国兵談』は寛政3年(1791年)、仙台で上梓された。しかし幕閣以外の者が幕政に容喙するのはご法度であり、両著はともに発禁処分が下され、『海国兵談』は版木没収の処分を受けることとなった。しかしその後も自ら書写本を作り、それがさらに書写本を生むなどして後に伝えられた。最終的に、仙台の兄友諒の許へと強制的に帰郷させられた上、蟄居に処される。蟄居中、その心境を「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号した。寛政5年6月21日(1793年7月28日)死去。享年56。林子平の墓は仙台市青葉区の龍雲院にあるが、その龍雲院の所在地は1967年(昭和42年)の住居表示の際にそれまでの半子町から、墓があることにちなみ子平町と改称されている。明治15年(1882年)、正五位を追贈された。
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林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。

1,500
S棚58箱 『海国兵談』は海防の必要性を説く軍事書であったため、出版に協力してくれる版元を見つけることができなかった。そこで子平は、16巻・3分冊もの大著の版木を自ら彫り、自費出版で須原屋市兵衛から刊行した。『海国兵談』は寛政3年(1791年)、仙台で上梓された。しかし幕閣以外の者が幕政に容喙するのはご法度であり、両著はともに発禁処分が下され、『海国兵談』は版木没収の処分を受けることとなった。しかしその後も自ら書写本を作り、それがさらに書写本を生むなどして後に伝えられた。最終的に、仙台の兄友諒の許へと強制的に帰郷させられた上、蟄居に処される。蟄居中、その心境を「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号した。寛政5年6月21日(1793年7月28日)死去。享年56。林子平の墓は仙台市青葉区の龍雲院にあるが、その龍雲院の所在地は1967年(昭和42年)の住居表示の際にそれまでの半子町から、墓があることにちなみ子平町と改称されている。明治15年(1882年)、正五位を追贈された。

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