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白秋全集 第7巻 歌集2 雲母集/雀の卵 <月報付>
白秋全集 10 歌集5
白秋全集<5>
白秋全集 19 詩文評論5 フレップ・トリップ ※月報付
白秋全集 19 詩文評論5
白秋全集(全39巻、別巻/5巻欠)
白秋全集 全40冊+白秋全童謡集 全5冊
白秋全集10 歌集5 白南風、夢殿
白秋全集10 歌集5 白南集 夢殿
白秋全集 10 歌集 5 白南風 夢殿
白秋全集 第5巻 歌集1
「白秋全集」 第12巻 [詩文集 第1] 函付き
白秋全集 第一期全24冊揃
白秋全集 月報(全18巻のうち14冊あり)第1号(昭和4年10月)第2号(昭和4年11月 トンボの眼玉、兎の電報、祭の笛、花咲か爺さん)第3号(昭和4年12月)第5号(昭和5年2月)第6号(昭和5年3月)第7号(昭和5年4月)第8号(昭和5年5月)第10号(昭和5年7月)第10号(昭和5年7月 異なる印刷物が各1部あり)第11号(昭和5年8月)第13号(昭和5年10月 岡本一平、恩地孝四郎、大手拓次ほか)第14号(昭和5年12月 與田準一、巽聖歌ほか)第15号(昭和6年1月)第17号(昭和8年3月)
芸林閒歩
五十一番めのザボン 昭和27年第5版 与田準一 著 帯付き 出版社 光文社 ページ数 237p 校舎を建てるために、片がわの枝を切られた「むくやん屋敷」のザボンの木――ザボンは51個の実を結び、実には生徒の発案で「手紙」がつけられて市場から北へ南へと送られ、いくつかの返事がきた……。詩人らしい感性と斬新な手法とで、大人と子供たちとの暖かい心の交流を描いた、戦後児童文学の代表作。与田 凖一(1905年6月25日(戸籍上は8月2日生まれ)- 1997年2月3日)は、日本の児童文学者・詩人。昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。作詞家を担当、巽聖歌らと親交を結びその後も本格的な執筆活動を開始し、1929年に初の童謡集「旗・蜂・雲」を出版した。作詞家橋本淳の父。ドイツ文学翻訳の与田静(1942- )は長女。與田凖一[1]、与田準一[2]の表記もある。日本ペンクラブ会員。1905年、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)に浅山与太郎、スエの次男として生まれた。翌年、親戚の与田家の養子となり、以降は与田姓を名乗った。養父母を相次いで亡くしたため、実家である浅山家で育つ。1924年に筑後市で小学校代用教員に採用され、翌年から下妻尋常小学校訓導となる。ドルトン・プランの影響を受け、児童の作品とともに自作を『赤い鳥』などに投稿する。1926年教職を辞し、1928年北原白秋を頼って上京。『白秋全集』の校正を手伝うも体調を崩して一時帰郷する。翌年再び上京し、『乳樹』を創刊しつつ、赤い鳥社に入社する。1933年、同社を退社。1940年日本文化協会から第1回児童文化賞を受賞する。終戦後は周郷博の斡旋により、1950年から1960年まで日本女子大学で講師として児童文学を講じた。門下には、まど・みちおをはじめ、岩崎京子、生源寺美子、あまんきみこ、神沢利子らがいる。1962年より日本児童文学者協会の第6代会長を務めた。1967年『与田凖一全集』でサンケイ児童出版文化賞、1973年『野ゆき山ゆき』で野間児童文芸賞を受賞した。
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