竹栄堂、1959、26cm
こんど須田国太郎自選展覧会が催されることになったのは私
ども愛好者にとって非常に嬉しいことです。
一見してすぐそれとわかる須田さんの墨絵のような幽暗な画
調は, 決してそう取っつきのいいものではなく、 明朗甘美とい
ったものでもなく, ちょっと見ただけでは何かよごれた感じさ
えする仕事であります。 しかし, すこし見なれると, これほど
美しさがすぐわかるこなれた油絵は日本には数すくないことに
気がつくでしょう。 あの黒褐色の彩調は簡単なもののようだけ
れど,実はきわめて微妙であり, 複雑であり, 快的な調子をも
っています。 平凡な幽暗調の絵とちがって, 形体は正しく明晰
であり,デッサンは堂々として壮重健康な力づよさをもってい
ます。 何よりも大切なことは,一つ一つの作品が作者がいだく
感動の焦点をしっかりと示していることで,何か深い底から湧
きでてくるような静かな情熱と相まって、 見る人はやがて無限
の情感のなかにさそわれてしまいます。
私は, こうした須田芸術を、東西文明の交錯の中におかれた
近代日本芸術の一つの典例として見るものです。 ここでは西洋
美術がわれわれに示唆した組織的な実在把握の方法と, 東洋古
来の内観的な世界認識の方法とが, 高い立場でむすびつけられ
ようとしているのです。 誠実な芸術家であり、同時に博い学識
の人である須田さんは, 日本における世紀の課題に正面から正
攻法で立ち向ってきた一人ともいえましょう。 画壇には多くの
作家がいますが, 東西にわたるそのオーソドックスな知性と感
性の均衡において,またそのスケールの点において,私は須田
さんほどの存在を知りません。
河北倫明
経年ヤケ