21歳★大杉栄、明治39年7月22日、13.5×17.5cm、2枚
明治の新聞記者として著名な堀紫山(1863~1940)が、参加者の名前を毛筆で裏書している。
●紫山は、尾崎紅葉の友で、「『読売新聞』を牙城とした紅葉は堀紫山を幕僚と頼んで三面及び文芸欄は思うままに主宰した」(内田魯庵著『思い出す人々』)と。紫山は、明治23年(1890)、尾崎紅葉と本郷区森川町で同居したことがある。
●写真撮影者は、浮世絵師・筒井年峯(1863~1934)。芝公園・浄運院の前庭で撮影された。筒井は、堀紫山の大阪朝日新聞時代(1893~1896)の文学仲間である。
●無政府主義者の巨魁・大杉栄(1885~1923)は、21歳の若者である。
●堀紫山の口利きで入社し、『読売新聞』で大いに健筆をふるうことになる上司小剣(1874~1947)も、まだ31歳である。大杉栄や幸徳秋水が登場する『U新聞年代記』(上司小剣著/中央公論社/1934年発行)は、明治大正文壇回想記の名著である。
●堀今子は、堀紫山の妻。1912年逝去、31歳。
●加藤眠柳は、新聞記者。1919年、『新小樽新聞』を興し主筆。1921年3月、『函館毎日新聞』主筆となるも、8ヶ月後の11月25日急逝。
●尾崎紅葉の幼馴染みの江沢春霞もいる。江沢春霞には、『日本ジゴマ』(三芳書店/1912年発行)という著作がある。
●初期社会主義者の深尾韶(1880~1963)が大杉栄と並んでうつっているのが感慨深い。深尾韶は、堀保子を静岡の両親に「婚約者」として紹介するほどの仲だったが、大杉栄が保子に熱烈に求婚をせまり結婚することとなった。「陶友会」集合写真撮影1ヶ月後の8月24日のこと。深尾韶は、翌年肺結核にかかり帰郷、社会主義運動から離れるが、後年日本ボーイスカウト運動の草分けの一人となった。
●同じ日に撮影されたもう1枚の写真は、「陶友会」主催者で、篆刻家の山田寒山(1856~1918)が楽焼を実演しているショット。堀紫山や大杉栄たちが遠巻きに見つめている。大杉栄と山田寒山という取り合わせが、興味深い。
●写真旧蔵者の堀紫山には、二人の妹がいて、一人は美知(1904早逝)といい堺利彦(1870~1933)と1896年結婚、もう一人の保子は、上記の通り大杉栄と結婚。堀保子は、大杉栄が殺された翌年1924年3月15日、芝区二本榎の堀紫山宅で病没。41歳。
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