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大正14年7月号 科学画報 來福丸の最後 麦酒の科学 流跡型自動車の出現 裏表紙に落書
週刊娯楽よみうり 昭和33年2月21日号 表紙モデル・中川弘子〈浮世絵のお色気選手 大森ひな子 モノクロ3頁〉〈作品を語る「二人だけの橋」(東宝)をめぐって 水野久美、久保明、丸山誠治 2頁〉〈対談 大宅壮一VS三橋達也 4頁〉〈史横綱若乃花 モノクロ3頁〉、榎本健一、南部正太郎、檀一雄、村松梢風 出版社 読売新聞社 刊行年 昭和33年B5判、丸背、74頁、並本
昭和59年 東京読売巨人軍 創立50周年記念入場券 未使用 水道橋駅 9点
説教論 加藤常昭 著 出版社 日本基督教団出版局 刊行年 1993.5 ページ数 517p 函にしみ加藤 常昭(1929年4月15日 - )は、日本の神学者・説教家。ハルピン出身。東京大学文学部哲学科卒業、1956年に東京神学大学修了。1986年まで東京神学大学教授(実践神学)。日本基督教団若草教会、牛込払方町教会、日本基督教団鎌倉雪ノ下教会牧師を経て、1997年から日本基督教団隠退教師。現在は説教塾を全国に展開し、後進の説教者を育てている。日本プロテスタント宣教150周年記念大会の基調講演は「神の言葉に生かされるキリストのからだ・教会」。2011年にキリスト教功労者を受賞
唯識論講話 井上玄真著 高島米峰編輯 出版社 丙午出版 刊行年 昭和2年和装 井上玄真植民地朝鮮の日本人宗教者 浄土宗布教管理者文久二年(一八六二)一一月一六日—大正元年(一九一二)一二月二五日。幽蓮社捜誉照阿。字は慧眼。長門国阿武郡萩堀内村(山口県萩市堀内)に佐藤湖三の長男として生まれる。明治一六年(一八八三)大福寺の住職となり、同二〇年浄土宗学本校本科唯識部に入り法相を、同二二年には天台部をそれぞれ修めた。その後、東京で多くの唯識学の講師を歴任し、同三九年に朝鮮開教使長に任じられ、晩年は開教事業に尽力した。 山口県下関市西南部町一二九㉞0301 翻刻1906年7月17日現況報告書提出⑭00501907年2月22日韓国開教使長(京城明治町一丁目浄土宗開教院)認可⑭0259~02601907年2月26日浄土宗開教院(京城明治町一丁目)設立届㉞0317 翻刻1907年2月26日布教届(京城明治町一丁目浄土宗開教院)㊹0689 翻刻1907年3月20日元興寺借用請願⑭0060~0065浄土宗開教院(京城明治町一丁目)⑭02641908年1月27日見山任達に変更⑭02641911年5月3日浄土宗教会所(全羅南道木浦府務安通五丁目一六号地)設置届け⑬210-10、㊼05241911年5月13日淨土宗敎會所(京城府中部黄土峴)設置届け⑬219-81911年9月26日黄州説教所(黄海道黄州郡邑)→黄州教会所(斎安面外西里)へと移転改称認可⑬345-81911年11月14日浄土宗開教院、京城府明治町一丁目→大和町一丁目へ移転認可⑬379-81911年11月25日浄土宗出張布教所(平壌府平壌大和町二十三番地)設立認可⑬380-61913年7月1日死亡届け、久家慈光に変更⑬279-5
学問ノススメ 二編五編七編十編 明治六〜七刊 福澤諭吉 和本 題箋有
民間經濟録 全 【巻冊】 半紙判一冊 【著者】 福澤諭吉 【成立】 明治12年刋初学のための経済原論ともいうべきもの。西洋学説丸抜きの経済論の行われていたその当時にあって、日本経済の実状に即した経済論を展開している点に注目すべき著書である。初編と二編とある。初編は明治十年十二月初版。木版半紙判〔二二・五× 一五cm) 一冊本。網目模様地紋の濃藍色表紙。左肩に「福沢諭吉著/民間経済録 全」の文字を子持罫で囲んだ題箋を貼り、見返しは黄和紙に「福沢諭吉著/民間経済録 全/ 明治十年十二月新刻 福沢氏版」と三行に記し、左下隅に「福沢氏蔵版印」の朱印が押してある。序二丁、本文四十九丁。巻末に「明治十年十二月五日版権免許 著述出版人 東京三田二丁目十三番地 福沢諭吉」と記され、売捌書林として、東京三田二丁目慶応義塾出版社、同日本橋通三丁目丸屋善七、同芝三島町山中市兵衛、同桜田本郷町松口栄造の書林名が掲げてある。この初編の初版本と見られるものに二種類の版本がある。内容には少しも差異はないが版の書体に微妙な違いがある。多分初版の版木が磨滅したので改刻したのであろうが、再刻の旨はどこにも断ってない。明治十三年に二編が出版されたとき、これと併せて売るために初編の第三刻が出た。これ亦内容に変りはなく、ただ刊行年月が、表紙見返しでは「明治十三年八月第三刻」、巻末には「慶応義塾出版職証の八字を透かしに漉き込み、その上に「明治十二年十二月ヨリ以後ノ製本ハ此文字漉入ノ紙ヲ以テ本書真版ノ証トスル者也」と印刷した一枚の紙が挿入されてある。夥しい偽版を防止するための手段である。福沢は最初はこの書をこの一編だけで済ませるつもりであったのであろう。「民間経済録全」として、どこにも第二編を予定しているような字句は見当らない。然るに初学者のための通俗経済学の書物が殆んど無かったので、この書は非常な歓迎を受け、更にやや上級の続編を要求するの声が高かったのである。
緒方洪庵視学升堂考 森紀久男著 森紀久男署名入 和綴 謄写版印刷 発行地 岡山 非売品出版・発行1940ページ数 10丁大きさ 25cm