海軍水路部印行、明治20年刋(無刋記)
【書名】 日食写真之図
【巻冊】 一舗
【著者】 海軍水路部印行
【成立】 明治20年刋(無刋記)
★ 石版印刷/厚紙 37×60.5㎝
★ 題簽は毛筆書
★ 識語に「此圖ハ明治二十年八月十九日日蝕ノ圖ニシテ同日海軍水路部觀象臺ニ於テ冩眞鏡ニ映シタル日影ヲ傍ヨリ測冩シ以テ印行スル所ニ係ル」記す。
★ 本圖は吾國初の明治政府の國家事業たる科學的日蝕観測の記録。
★ 明治20年8月19日午後3時過ぎ、新潟縣から茨城縣にかけて本州を横断して時間3分餘にわたる皆既日蝕が起こった。
★ 皆既帶内の地域では官庁・學校は午後1時以降を休業の措置をとり、東京は部分日蝕であったが上野の博物館・動物園とも午後1時より来館差し止めとなり日本銀行をはじめ市中各銀行は営業は12時限りとした。明治天皇は青山御所で日蝕天覧あらせられ、福島縣白河・栃木縣黒磯へは上野から臨時日歸り列車が特發され、日蝕觀望船名古屋丸は政府高官・同令夫人らを乘せて銚子犬吠岬沖に待機した。米國からは日蝕觀測の大家D.P.トッド博士夫妻一行が來日する程だった。
★ 觀測は一般人を含めて各地で行われ、専門家による観測は新潟縣三条市・福島縣白河・栃木縣黒磯・宇都宮・千葉縣銚子の五箇所で行われた。
★ 結局、眞夏特有の天候の變化により、撮影に成功したのは初代中央気象臺長となった元幕臣の荒井郁之助が中心となって観測した三条市だけだったと云う。荒井郁之助は開拓使版『英和對譯辭書』を序した人物でもある。
★ 荒井は皆既中にコロナ冩眞3葉と部分蝕冩眞17葉を撮影した。本圖はその17葉が印刷されている。冩眞器は早取冩眞の元祖と云われた淺草の冩眞師江崎禮二から借りたものだった。
★ 江崎も宇都宮で日蝕を待ち受けていたが雷雨にあって部分日蝕2葉を撮影するのみだった。
★ 荒井はこの業績を直ちにイギリス天文協會に送って世界に廣く知らされた。その後歐洲で日蝕が起こったが、天候に恵まれず荒井の冩眞に対抗できる優秀な冩眞は得られなかったと云う。
★ はるばる海を渡って來たトッド一行はおびただしい數の望遠鏡類を携えて白河で日蝕を待ち受けていたが曇天により全く成果は得られなかった。
★ 17葉の冩眞は2時41分59秒から4時51分25秒まで2時間以上に及ぶ。荒井の20葉の冩眞製版の印刷は明治29年3月20日號『太陽』が初出
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