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第六軍管区看護士兵養成處第一期生卒業紀念集 康徳四年十一月二十七日 <B5判和紙綴13丁 墨書>

第六軍管区看護士兵養成處第一期生卒業紀念集 康徳四年十一月二十七日 <B5判和紙綴13丁 墨書>


  • 著者 陸軍軍医上尉・鈴木恒三郎
  • 刊行年 康徳4
  • 冊数 1冊
  • 解説 B5判和紙綴13丁 墨書 中国人学生24名(助教・訳官含む)による鈴木教官への謝意寄書帖。それぞれ漢文の成語や詩文を墨書、署名・落款を添えている。
  • 在庫 在庫切れ(港や書店)


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「代々木徳川邸新築平面図」 

港や書店
 東京都文京区大塚
77,000
(東京市神田区旭町)富樫組、大13頃か、青焼図面3枚 富樫組封筒入、1組
代々木上原の紀州徳川侯爵邸「静和園」新築設計図と思われる。上記タイトルが墨書された富樫組茶封筒(A4判・経年疵大)収納の青焼図面3枚。

関東大震災により麻布区飯倉町の紀州徳川家本邸は大きな被害を受け、第15代当主賴倫侯の代で豊多摩郡代々幡町代々木上原へ移転、本図にある代々木上原邸(通称・静和園)が建築された。その後の徳川家は財政難による家財処分を繰り返し、昭和13年に静和園も五島慶太を通じて売却分譲されたという。
なお上述の通り建物の竣功は大正末年と推測されるが、富樫組封筒の日付欄は年号が昭和となっている。

以下、青焼図面3枚。
何れも折畳保存。折目や縁に経年僅疵有り。なお各図面のクレジットは下記のタイトルのみで、「富樫組」を始め製図者や設計施工者のクレジットは無い。

●『代々木徳川侯爵御本邸新築平面圖・縮尺壹万分之壹尺』(78×108cm)/本邸全体の平面図。敷地中央部に母屋と思われる一棟が置かれ、渡り廊下を経て左翼に事務所棟、右翼に客間棟(?)と思われる建物が計画されている。敷地内にはその他「木骨タイル張り三階建・倉庫」「鉄筋コンクリート三階建・第壹重宝庫」有り。
●『代々木徳川家御本邸新築平面圖・縮尺百分之壱』(54×79cm)/本邸のうち母屋棟の各階平面図と思われる。一階・二階と思しき平面間取図に加えて「地下室」も所載。但し母屋の間取は上の全体図と若干異なる。
●『徳川家第壹重宝庫新築設計図・縮尺貳拾分之壱』(78×55cm)/上の全体図にある「鉄筋コンクリート三階建・第壹重宝庫」の矩計図。
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77,000
(東京市神田区旭町)富樫組 、大13頃か 、青焼図面3枚 富樫組封筒入 、1組
代々木上原の紀州徳川侯爵邸「静和園」新築設計図と思われる。上記タイトルが墨書された富樫組茶封筒(A4判・経年疵大)収納の青焼図面3枚。 関東大震災により麻布区飯倉町の紀州徳川家本邸は大きな被害を受け、第15代当主賴倫侯の代で豊多摩郡代々幡町代々木上原へ移転、本図にある代々木上原邸(通称・静和園)が建築された。その後の徳川家は財政難による家財処分を繰り返し、昭和13年に静和園も五島慶太を通じて売却分譲されたという。 なお上述の通り建物の竣功は大正末年と推測されるが、富樫組封筒の日付欄は年号が昭和となっている。 以下、青焼図面3枚。 何れも折畳保存。折目や縁に経年僅疵有り。なお各図面のクレジットは下記のタイトルのみで、「富樫組」を始め製図者や設計施工者のクレジットは無い。 ●『代々木徳川侯爵御本邸新築平面圖・縮尺壹万分之壹尺』(78×108cm)/本邸全体の平面図。敷地中央部に母屋と思われる一棟が置かれ、渡り廊下を経て左翼に事務所棟、右翼に客間棟(?)と思われる建物が計画されている。敷地内にはその他「木骨タイル張り三階建・倉庫」「鉄筋コンクリート三階建・第壹重宝庫」有り。 ●『代々木徳川家御本邸新築平面圖・縮尺百分之壱』(54×79cm)/本邸のうち母屋棟の各階平面図と思われる。一階・二階と思しき平面間取図に加えて「地下室」も所載。但し母屋の間取は上の全体図と若干異なる。 ●『徳川家第壹重宝庫新築設計図・縮尺貳拾分之壱』(78×55cm)/上の全体図にある「鉄筋コンクリート三階建・第壹重宝庫」の矩計図。

[仮題] 一橋大学基督教青年会「一橋寮」新築設計図  <設備仕様書2冊共>

港や書店
 東京都文京区大塚
220,000
昭9-10頃、青焼図面18枚・肉筆図面1枚・設備仕様書2冊、1組
昭和10年に中野から国立に移転したYMCA一橋寮(尾崎久助設計)新築設計図。
大半に昭和9-10年中の日付が入った設計図19枚(青焼18枚・肉筆1枚)。図面中に所在地を示す記述は無いが、後述する2冊の設備仕様書では「国立町一橋寮」とされている。

因みに翌11年には国立の一橋大学予科構内にも学生寮「一橋寮」が開寮している。本図面では2階にステンドクラス付きの礼拝室が計画されており、『一橋基督教青年会130年史』(同会・2019年)に於ける建物内の描写と照らしてもYMCA一橋寮と同定出来る。

●図面番号が振られた『一橋寮新築設計圖』が以下12枚。ほぼ全てに「9.9.16」の日付と「尾崎」の三文判が入った青焼設計図。そのうち経年疵・切目及び破れ疵・加筆書込み等含む。/『第壹號(南・西側立面図、壱・貳階平面図)』『第壹號(上記図面に電気設備を加筆)』『第貳號(背面図、横・縦断面図、東側立面図)』『第参號(二階床梁及下家小屋伏図、二階小屋伏図、南側軸組図、地形配置図、一階床伏図他)』『第四號(矩計図)』『第五號(浴室及非常階段詳細図、内玄関廻り詳細図)』『第六號(建具図、家具配置図他)』『第六號(上記図面に加筆)』『第七號(建具図、家具配置図)』『第八號(門及び外灯設計図、建物配置図他)』『第十七號(庭門設計図、敷石庭門物置物干配置図)』『第十七號(上記図面に加筆)』
●その他、青焼図面が6枚/『一橋寮新築工事工程表』(11月から明けて3月までの各工事工程表)『一橋寮家具設計図其一・二』(2枚・何れも昭和10.3の日付入)『(無題)ステンドグラス・回転窓・彫刻取付図』(尾崎名義の指示書記入有り)『一橋寮電灯配線図』(9年12月10日・建築照明新興社・配線等記入有り)『(無題)照明器具設計図』(礼拝堂シャンデリアから裏門灯まで18種所載)
●鉛筆書きのオーナメント設計図が1枚。/「P」と「X」をあしらったエンブレムオーナメントで、上記図面中にも建物数ヵ所に描かれている。恐らく原寸図。
●『一橋寮給排水設備工事仕様書』(罫紙綴にカーボンコピー・5p)『一橋寮電気設備工事仕様書』(罫紙綴にカーボンコピー・8p)の2冊を附す。何れも巻頭に「国立町一橋寮」の記述がある。「尾崎」印有り。
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220,000
、昭9-10頃 、青焼図面18枚・肉筆図面1枚・設備仕様書2冊 、1組
昭和10年に中野から国立に移転したYMCA一橋寮(尾崎久助設計)新築設計図。 大半に昭和9-10年中の日付が入った設計図19枚(青焼18枚・肉筆1枚)。図面中に所在地を示す記述は無いが、後述する2冊の設備仕様書では「国立町一橋寮」とされている。 因みに翌11年には国立の一橋大学予科構内にも学生寮「一橋寮」が開寮している。本図面では2階にステンドクラス付きの礼拝室が計画されており、『一橋基督教青年会130年史』(同会・2019年)に於ける建物内の描写と照らしてもYMCA一橋寮と同定出来る。 ●図面番号が振られた『一橋寮新築設計圖』が以下12枚。ほぼ全てに「9.9.16」の日付と「尾崎」の三文判が入った青焼設計図。そのうち経年疵・切目及び破れ疵・加筆書込み等含む。/『第壹號(南・西側立面図、壱・貳階平面図)』『第壹號(上記図面に電気設備を加筆)』『第貳號(背面図、横・縦断面図、東側立面図)』『第参號(二階床梁及下家小屋伏図、二階小屋伏図、南側軸組図、地形配置図、一階床伏図他)』『第四號(矩計図)』『第五號(浴室及非常階段詳細図、内玄関廻り詳細図)』『第六號(建具図、家具配置図他)』『第六號(上記図面に加筆)』『第七號(建具図、家具配置図)』『第八號(門及び外灯設計図、建物配置図他)』『第十七號(庭門設計図、敷石庭門物置物干配置図)』『第十七號(上記図面に加筆)』 ●その他、青焼図面が6枚/『一橋寮新築工事工程表』(11月から明けて3月までの各工事工程表)『一橋寮家具設計図其一・二』(2枚・何れも昭和10.3の日付入)『(無題)ステンドグラス・回転窓・彫刻取付図』(尾崎名義の指示書記入有り)『一橋寮電灯配線図』(9年12月10日・建築照明新興社・配線等記入有り)『(無題)照明器具設計図』(礼拝堂シャンデリアから裏門灯まで18種所載) ●鉛筆書きのオーナメント設計図が1枚。/「P」と「X」をあしらったエンブレムオーナメントで、上記図面中にも建物数ヵ所に描かれている。恐らく原寸図。 ●『一橋寮給排水設備工事仕様書』(罫紙綴にカーボンコピー・5p)『一橋寮電気設備工事仕様書』(罫紙綴にカーボンコピー・8p)の2冊を附す。何れも巻頭に「国立町一橋寮」の記述がある。「尾崎」印有り。

「浅草公園仲見世改築設計図 四枚ノ内貳 縮尺百分一・廿分一」 

港や書店
 東京都文京区大塚
33,000
大14頃、青焼 68×102cm、1枚
上記タイトル以外のクレジットは無いが、大正14年9月に竣工した浅草仲見世商店街の震災復興建築(東京市営繕課設計)設計図と思われる。

全4枚中第2図の本図には、連鎖商店の正面図・雷門側々図・背面図・横断路線側々図・平面図と、うち一店舗の矩計図・通路横断図・平面図・詳細図を所載する。

折畳保存。経年薄ヤケ及び少皺有り。
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33,000
、大14頃 、青焼 68×102cm 、1枚
上記タイトル以外のクレジットは無いが、大正14年9月に竣工した浅草仲見世商店街の震災復興建築(東京市営繕課設計)設計図と思われる。 全4枚中第2図の本図には、連鎖商店の正面図・雷門側々図・背面図・横断路線側々図・平面図と、うち一店舗の矩計図・通路横断図・平面図・詳細図を所載する。 折畳保存。経年薄ヤケ及び少皺有り。

[仮題] 葛西萬司設計 目白・竹内邸新築設計図 

港や書店
 東京都文京区大塚
220,000
(東京市神田区旭町)富樫組、大15以前か、青焼図面10枚・肉筆図面2枚 富樫組封筒入、1組
辰野葛西事務所名義で葛西萬司が設計した「目白竹内邸」新築設計図。
「目白竹内邸工事用図面在中 現場用」と墨書された富樫組茶封筒(A4判・経年疵大)収納の設計図12枚(青焼10枚・肉筆2枚)。大半の図面に「辰野葛西事務所・工学博士葛西萬司設計之印」が押印されている。

浅学にして目白の竹内邸については特定出来ず、図面作成や竣功の年度も不明。
葛西は明治36年に辰野金吾と共に辰野葛西建築事務所を設立し、大正8年に辰野が逝去し独立事務所を立ち上げた後も、大正末頃までは辰野葛西建築事務所名義で設計活動を行なっていたという。因みに富樫組封筒の日付欄は年号が昭和となっている。

●図面番号が振られた『目白竹内邸建築圖』が以下11枚(青焼10枚・肉筆1枚)。そのうち経年疵・切目及び破れ疵・加筆書込み・富樫記名等含む。
『第貳號(東西南北の建図)』
『第参號(ABCD断面図・一二階天井伏図)』
『第四號変更図(洋風居間詳細図)』
『第五號(矩形図・露台詳細図他)』
『第六號(応接室詳細図・台所廻り詳細図・便所詳細図他)』
『第七號(玄関廻り詳細図・応接室出入口詳細図・玄関廊下境戸襖詳細図・女中室掃出窓詳細図)』
『第八號(階段詳細図・化粧棟詳細図・小屋組詳細図・屋根妻詳細図・納戸詳細図他)』
『第拾貳號(肉筆図面・門塀排水工事之図)』
『変第貳號(湯殿洗面脱衣室廻り詳細図)』
『変第参號(便所詳細図)』
『変第六號(台所詳細図)』

●その他、肉筆の『竹内邸塀基礎変更圖』(「辰野葛西事務所印」有り)1枚を附す。
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220,000
(東京市神田区旭町)富樫組 、大15以前か 、青焼図面10枚・肉筆図面2枚 富樫組封筒入 、1組
辰野葛西事務所名義で葛西萬司が設計した「目白竹内邸」新築設計図。 「目白竹内邸工事用図面在中 現場用」と墨書された富樫組茶封筒(A4判・経年疵大)収納の設計図12枚(青焼10枚・肉筆2枚)。大半の図面に「辰野葛西事務所・工学博士葛西萬司設計之印」が押印されている。 浅学にして目白の竹内邸については特定出来ず、図面作成や竣功の年度も不明。 葛西は明治36年に辰野金吾と共に辰野葛西建築事務所を設立し、大正8年に辰野が逝去し独立事務所を立ち上げた後も、大正末頃までは辰野葛西建築事務所名義で設計活動を行なっていたという。因みに富樫組封筒の日付欄は年号が昭和となっている。 ●図面番号が振られた『目白竹内邸建築圖』が以下11枚(青焼10枚・肉筆1枚)。そのうち経年疵・切目及び破れ疵・加筆書込み・富樫記名等含む。 『第貳號(東西南北の建図)』 『第参號(ABCD断面図・一二階天井伏図)』 『第四號変更図(洋風居間詳細図)』 『第五號(矩形図・露台詳細図他)』 『第六號(応接室詳細図・台所廻り詳細図・便所詳細図他)』 『第七號(玄関廻り詳細図・応接室出入口詳細図・玄関廊下境戸襖詳細図・女中室掃出窓詳細図)』 『第八號(階段詳細図・化粧棟詳細図・小屋組詳細図・屋根妻詳細図・納戸詳細図他)』 『第拾貳號(肉筆図面・門塀排水工事之図)』 『変第貳號(湯殿洗面脱衣室廻り詳細図)』 『変第参號(便所詳細図)』 『変第六號(台所詳細図)』 ●その他、肉筆の『竹内邸塀基礎変更圖』(「辰野葛西事務所印」有り)1枚を附す。

「岩手病院建築圖 第七號 縮尺弐拾分之壱」 

港や書店
 東京都文京区大塚
16,500
辰野葛西事務所・葛西萬司設計、大15頃、青焼 103×78cm、1枚
辰野葛西事務所名義で葛西萬司が設計した「岩手病院」(大正15年竣工、現・岩手医科大学)新築設計図の1枚。

「辰野葛西事務所・工学博士葛西萬司設計之印」の押印がある青焼図面で、図面番号第7号の本図は「A-B断面図」「二階平面図」「一階平面図」を所載している。
葛西は明治36年に辰野金吾と共に辰野葛西建築事務所を設立し、大正8年に辰野が逝去し独立事務所を立ち上げた後も、大正末頃までは辰野葛西建築事務所名義で設計活動を行なっていたという。

折畳保存。経年薄ヤケ有り。
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
16,500
辰野葛西事務所・葛西萬司設計 、大15頃 、青焼 103×78cm 、1枚
辰野葛西事務所名義で葛西萬司が設計した「岩手病院」(大正15年竣工、現・岩手医科大学)新築設計図の1枚。 「辰野葛西事務所・工学博士葛西萬司設計之印」の押印がある青焼図面で、図面番号第7号の本図は「A-B断面図」「二階平面図」「一階平面図」を所載している。 葛西は明治36年に辰野金吾と共に辰野葛西建築事務所を設立し、大正8年に辰野が逝去し独立事務所を立ち上げた後も、大正末頃までは辰野葛西建築事務所名義で設計活動を行なっていたという。 折畳保存。経年薄ヤケ有り。

「第拾貳號 井上醫學博士邸スチールサッシ現寸圖 大正拾四年九月二日 曾禰中條建築事務所」

港や書店
 東京都文京区大塚
11,000
大14、トレース紙・墨、54×77.5cm、1枚
曾禰中條建築事務所による井上医学博士邸(大正15年2月竣工)新築設計図の1枚。
トレーシングペーパーに描かれた肉筆図面で、図面番号第12号の本図はスチールサッシの原寸設計図。

折畳保存。経年ヤケ及び少ツカレ疵有り。
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
11,000
、大14 、トレース紙・墨 、54×77.5cm 、1枚
曾禰中條建築事務所による井上医学博士邸(大正15年2月竣工)新築設計図の1枚。 トレーシングペーパーに描かれた肉筆図面で、図面番号第12号の本図はスチールサッシの原寸設計図。 折畳保存。経年ヤケ及び少ツカレ疵有り。

[仮題] 保生園新築工事設計資料断片  <保生本部設計図1枚共>

港や書店
 東京都文京区大塚
77,000
保生園建築事務所・富樫市太郎旧蔵、昭12‐14頃、青焼図面13枚・調書2冊 富樫宛葉書1枚 保全会封・・・
昭和14年に開院した北多摩郡東村山村の結核療養所・保生園新築設計資料断片(青焼図面12枚・調書2冊)。
その運営団体である(財)保生会の「保生本部」(神田三崎町)設計図1枚を附す。

何れも設計は松本與作と大澤源之助、施工は清水組。「財団法人保生会」茶封筒(A4判・経年疵有り)に収納されている。

●保生園設計図が11枚。以下の通り立面図や全体平面図は含まず詳細図の断片のみ。多くに「大澤」の承認印有り。/そのうち表題欄に「工事名:保生園新築設計図」「株式会社清水組」とある図面が5枚。『中庭マワリ詳細(13年10月6日)』(加筆有り)『渡廊下詳細図(14年1月)』『病棟食堂引分戸及売店引戸(14年3月5日)』『便所掃除具入及空気抜(14年3月10日)』『病棟便所内便器棚(14年3月11日)』/表題欄に工事名称として「保生園新築工事」とある図面が4枚。『渡廊下外部出入口詳細(14年1月8日)』『渡廊下スロープ詳細(同日)』『渡廊下詳細(14年1月12日)』(加筆有り)『診療棟地下室消毒室洗濯室採光間仕切詳細(14年2月21)』/その他2枚。『保生園調理室設備(14年5月3日)』『保生園防火壁之図』
●『住宅案 S:1/100』と題された青焼の住宅計画図が1枚。裏面に「拾坪住宅案」とペン書きされており、下記調書にも記載のある十坪住宅の図案と推測される。イロハ三案の住宅プランについてそれぞれ立面図と間取図を所載。上記の清水組図面にもあった「Seki」のサインが記されている。
●B5判・タイプ印刷の『保生園建物総括調書・保生園建物坪数調書』(7丁)と『保生園病舎収容人員及建物坪数調書』(7丁)の計2冊。なお入園料標準のデータには「昭和16年5月1日現在」とある。
●『保生本部設計図・縮尺二百分之一』が1枚。/枠外に「1937.1.26」の日付が入った地階~5階の各階平面図。鉛筆による加筆箇所有り。
●「東京府下北多摩郡東村山字野口・保生園建築事務所・富樫市太郎様」宛ての「マルキヤ写真店」年賀葉書(昭和14年元旦)1枚を附す。
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77,000
保生園建築事務所・富樫市太郎旧蔵 、昭12‐14頃 、青焼図面13枚・調書2冊 富樫宛葉書1枚 保全会封筒入 、1組
昭和14年に開院した北多摩郡東村山村の結核療養所・保生園新築設計資料断片(青焼図面12枚・調書2冊)。 その運営団体である(財)保生会の「保生本部」(神田三崎町)設計図1枚を附す。 何れも設計は松本與作と大澤源之助、施工は清水組。「財団法人保生会」茶封筒(A4判・経年疵有り)に収納されている。 ●保生園設計図が11枚。以下の通り立面図や全体平面図は含まず詳細図の断片のみ。多くに「大澤」の承認印有り。/そのうち表題欄に「工事名:保生園新築設計図」「株式会社清水組」とある図面が5枚。『中庭マワリ詳細(13年10月6日)』(加筆有り)『渡廊下詳細図(14年1月)』『病棟食堂引分戸及売店引戸(14年3月5日)』『便所掃除具入及空気抜(14年3月10日)』『病棟便所内便器棚(14年3月11日)』/表題欄に工事名称として「保生園新築工事」とある図面が4枚。『渡廊下外部出入口詳細(14年1月8日)』『渡廊下スロープ詳細(同日)』『渡廊下詳細(14年1月12日)』(加筆有り)『診療棟地下室消毒室洗濯室採光間仕切詳細(14年2月21)』/その他2枚。『保生園調理室設備(14年5月3日)』『保生園防火壁之図』 ●『住宅案 S:1/100』と題された青焼の住宅計画図が1枚。裏面に「拾坪住宅案」とペン書きされており、下記調書にも記載のある十坪住宅の図案と推測される。イロハ三案の住宅プランについてそれぞれ立面図と間取図を所載。上記の清水組図面にもあった「Seki」のサインが記されている。 ●B5判・タイプ印刷の『保生園建物総括調書・保生園建物坪数調書』(7丁)と『保生園病舎収容人員及建物坪数調書』(7丁)の計2冊。なお入園料標準のデータには「昭和16年5月1日現在」とある。 ●『保生本部設計図・縮尺二百分之一』が1枚。/枠外に「1937.1.26」の日付が入った地階~5階の各階平面図。鉛筆による加筆箇所有り。 ●「東京府下北多摩郡東村山字野口・保生園建築事務所・富樫市太郎様」宛ての「マルキヤ写真店」年賀葉書(昭和14年元旦)1枚を附す。

[仮題] 「大阪健康農園」計画資料 

港や書店
 東京都文京区大塚
44,000
渡邊仁建築工務所/長谷部竹腰建築事務所、昭16、青焼図面3枚・調書5冊、1組
広大な敷地に医療施設と多数の寄宿舎を擁する「大阪健康農園」建設計画資料。

「大阪健康農園」なる計画については何の情報も得られず不明。
図面と調書から診察室・検査室・手術室・レントゲン室・薬局・体力検査場等を擁する医療施設である事が分かり、更に一等から四等に至る多数の寄宿舎が計画されている事から、何らかの疾患療養所だと推測される。

●『大阪健康農園本館配置図・縮尺1/600』(40×56cm青焼・1枚)/「原案」と朱書きされた敷地全体の配置計画図。アプローチから車寄、本館と附属施設、その両翼に多数の寄宿舎が計画されている。表題欄には左記タイトルに加えて「昭和16年7月16日」「渡邊仁建築工務所/長谷部竹腰建築事務所」「山根(三文判)印」とあり、更に枠外に「16-10-7訂正」「16-11-20訂正」と印字されている。
●『(仮題)大阪健康農園本館配置図・B案』(40×56cm青焼・重複2枚)/上記配置図の変更計画と思われる。表題欄が無い代わりに「B」と印字されており、更に「16-12-24」の朱書きと「山根」の朱印がある。/施設や寄宿舎の配置に変更点が見られる。図面中数ヵ所に僅かな朱書きの加筆があり、それが若干異なる2種2枚。
●『大阪健康農園建物予定坪数・本館及其他附属舎建物坪数調書』(B5判タイプ印刷・8丁)
●『建物総坪数推算調書・寄宿舎室別坪数調書・寄宿舎等級別収容人員調』(B5判タイプ印刷・3丁)
●『(一案)寄宿舎収容人員及建物坪数調書・寄宿舎建物調書』(B5判タイプ印刷・5丁)
●(三案)寄宿舎収容人員及建物坪数調書・寄宿舎建物調書』(B5判タイプ印刷・6丁)
●『各案ニ依ル収入比較・利用率90%ノ場合ニ於ケル入園料推算調書(一~三案)・利用率80%ノ場合ニ於ケル入園料推算調書(一~三案)』(B5判タイプ印刷・7丁)
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
44,000
渡邊仁建築工務所/長谷部竹腰建築事務所 、昭16 、青焼図面3枚・調書5冊 、1組
広大な敷地に医療施設と多数の寄宿舎を擁する「大阪健康農園」建設計画資料。 「大阪健康農園」なる計画については何の情報も得られず不明。 図面と調書から診察室・検査室・手術室・レントゲン室・薬局・体力検査場等を擁する医療施設である事が分かり、更に一等から四等に至る多数の寄宿舎が計画されている事から、何らかの疾患療養所だと推測される。 ●『大阪健康農園本館配置図・縮尺1/600』(40×56cm青焼・1枚)/「原案」と朱書きされた敷地全体の配置計画図。アプローチから車寄、本館と附属施設、その両翼に多数の寄宿舎が計画されている。表題欄には左記タイトルに加えて「昭和16年7月16日」「渡邊仁建築工務所/長谷部竹腰建築事務所」「山根(三文判)印」とあり、更に枠外に「16-10-7訂正」「16-11-20訂正」と印字されている。 ●『(仮題)大阪健康農園本館配置図・B案』(40×56cm青焼・重複2枚)/上記配置図の変更計画と思われる。表題欄が無い代わりに「B」と印字されており、更に「16-12-24」の朱書きと「山根」の朱印がある。/施設や寄宿舎の配置に変更点が見られる。図面中数ヵ所に僅かな朱書きの加筆があり、それが若干異なる2種2枚。 ●『大阪健康農園建物予定坪数・本館及其他附属舎建物坪数調書』(B5判タイプ印刷・8丁) ●『建物総坪数推算調書・寄宿舎室別坪数調書・寄宿舎等級別収容人員調』(B5判タイプ印刷・3丁) ●『(一案)寄宿舎収容人員及建物坪数調書・寄宿舎建物調書』(B5判タイプ印刷・5丁) ●(三案)寄宿舎収容人員及建物坪数調書・寄宿舎建物調書』(B5判タイプ印刷・6丁) ●『各案ニ依ル収入比較・利用率90%ノ場合ニ於ケル入園料推算調書(一~三案)・利用率80%ノ場合ニ於ケル入園料推算調書(一~三案)』(B5判タイプ印刷・7丁)
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