原田謙太郎著、昭和18年〜昭和20年頃成稿か
【書名】 『杉田玄白の生涯とその時代の洋学』未刊原稿
【巻冊】 一綴
【成立】 昭和18年〜昭和20年頃成稿か
★ 325字詰め「原田用箋」570枚
★ 原稿には通し番号がついているが所々に原稿用紙が増補貼附されている。また出版を意識して活字の大きさが指定されている。
★ 本文巻頭に「医学博士/原田謙太郎 東京・目黒区清水町三三五」と記されている。
★ 年代は「主なる参考文献資料」として中野操著『皇國医事大年表』昭和十七年が記されている。
★ 原田謙太郎は富士川游と呉秀三らとほぼ同世代で親交があった医学史家と考えられるが現代では殆ど知られていない。しかし『東京醫事新誌』などに杉田玄白についての論文が数多く寄稿していて戦前の杉田玄白の研究者の第一人者と云っても過言ではない。
★ 本稿とほぼ同時期に『杉田玄白全集』第一巻(以下未刋)が刋行されているが内容は玄白の日記『鷧齋日録』を飜刻したもので玄白についての傳記と論考ではない。
★ 杉田玄白の傳記は昭和46年に片桐一男氏の處女出版として刋行された『杉田玄白』吉川弘文館人物叢書から出版された。その「はしがき」には「史家の手になる単独の伝記が世に送られたことはなかった。わずかに、少年向きの伝記が二〜三種あるにすぎない。」と記している。更に本書『杉田玄白』は故板澤武雄先生が執筆を予定していたものであったが病状が思わしくなく昭和37年に没してしまったため師の意思を継いで編輯刋行に至ったと記している。
★ 板澤武雄の『杉田玄白の蘭学事始』ラヂオ新書は昭和15年に刋行しているが、その後、板澤氏は本書の存在を知っていたのであろうか。少なくとも弟子の片桐氏は知り得なかったと考えられる。本書が出版されていれば片桐氏の『杉田玄白』の編輯は違っていたであろう。杉田玄白伝と日本の洋学史に大きな影響があったはずである。
★ 原田氏は原稿を完成させていたものの戦中戦後の動乱で出版を断念せざるを得ない憂き目にあったと考えられる杉田玄白伝の幻の原稿である。
★ 日本史学の伝統的な年譜形式に、広範な情報と、諸文献、古文献からの引用を纏め、蘭学諸文献の漢文序跋を丹念に読み下しており明治の古学者の実力を示している。
★ 原稿完成から約80年、片桐氏の出版から52年、この度に発見により広く現代に知られるべき史料である。
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