明石市教育委員会, 同志社大学考古学研究室 [編]、明石市教育委員会、1986-3、124p, 図版・・・
序
明石原人で知られる明石市には、私たちの祖先の生活の跡がたくさん残
されております。
今回,発掘調査を致しました鴨谷池遺跡もその中の一つで、以前から池
の周辺では遺物が散布することが報告されていました。 鴨谷池は,江戸時
代に三本の谷をせきとめて一つの池を作ったもので,それ以前の古墳時代
には谷の斜面を利用して窖窯を築き須恵器を生産していたようです。場
鴨谷池遺跡は,昭和54年に発掘調査された魚住古窯跡群の北西1キロメー
トルのところにあり、この附近一帯が焼物の産地として古くから栄えてい
たことがわかります。
実時代になっ
このたび, 区画整理事業が実施され鴨谷池の半分が埋めたてられること
となったので,教育委員会によって昭和58年9月より発掘調査を実施し,
窯跡1基と住居址1棟の検出をみました。 このほど、ようやくその成果が
まとめられ報告書発刊の運びとなりました。
この報告書によって, ふるさとの先人の生活の一端でも知っていただく
ことができ, そのことによって埋蔵文化財に対する認識をさらに深めてい
ただけるならば、私どもの大きな喜びでございます。
最後になりましたが, 調査ならびに報告書の発刊にあたり、 多大ので
力をいただきました森 浩一教授をはじめとする同志社大学考古学研究
の方々, 区画整理事業関係者のみなさま, ならびに関係各位に対し深く
礼申しあげます。
昭和61年3月
明石市教育長