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D26072010〇銅版画 日本合戦図 横田河原合戦 日本外史 明治初年 、治承・寿永の乱の中の戦いの一つ 信濃で挙兵した源義仲〇和本古書古文書
D26072010〇銅版画 日本合戦図 横田河原合戦 日本外史 明治初年 、治承・寿永の乱の中の戦いの一つ 信濃で挙兵した源義仲〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 横田河原合戦 日本外史 明治初年 、治承・寿永の乱の中の戦いの一つ 信濃で挙兵した源義仲〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
横田河原の戦い(よこたがわらのたたかい)は、治承・寿永の乱の中の戦いの一つ。
信濃で挙兵した源義仲らの諸源氏に対して平氏方の越後の城助職が攻め込んで発生した戦い。
治承4年(1180年)9月頃には源(木曾)義仲、源(岡田)親義、井上光盛などの信濃の源氏が以仁王の令旨を報じて挙兵した。
これを受けて市原(現長野市若里市村)の渡し付近で平氏方の笠原氏と源氏方の村山氏や栗田氏との間で前哨戦があったが決着が付かなかった(市原合戦)。
それに対して、平氏は信濃に隣接する越後の実力者城助職をもって対抗させようとした。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072010〇銅版画 日本合戦図 横田河原合戦 日本外史 明治初年 、治承・寿永の乱の中の戦いの一つ 信濃で挙兵した源義仲〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 横田河原合戦 日本外史 明治初年 、治承・寿永の乱の中の戦いの一つ 信濃で挙兵した源義仲〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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横田河原の戦い(よこたがわらのたたかい)は、治承・寿永の乱の中の戦いの一つ。
信濃で挙兵した源義仲らの諸源氏に対して平氏方の越後の城助職が攻め込んで発生した戦い。
治承4年(1180年)9月頃には源(木曾)義仲、源(岡田)親義、井上光盛などの信濃の源氏が以仁王の令旨を報じて挙兵した。
これを受けて市原(現長野市若里市村)の渡し付近で平氏方の笠原氏と源氏方の村山氏や栗田氏との間で前哨戦があったが決着が付かなかった(市原合戦)。
それに対して、平氏は信濃に隣接する越後の実力者城助職をもって対抗させようとした。
D26072009〇銅版画 日本合戦図 三草山一ノ谷戦場の図 日本外史 明治初年 摂津国福原および須磨で行われた戦い 治承・寿永の乱(源平合戦〇和本古書古文書
D26072009〇銅版画 日本合戦図 三草山一ノ谷戦場の図 日本外史 明治初年 摂津国福原および須磨で行われた戦い 治承・寿永の乱(源平合戦〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 三草山一ノ谷戦場の図 日本外史 明治初年 摂津国福原および須磨で行われた戦い 治承・寿永の乱(源平合戦〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦い。
治承・寿永の乱(源平合戦)における戦いの一つ。
寿永2年(1183年)5月の倶利伽羅峠の戦いと6月の篠原の戦いで源義仲に敗れた平氏は兵力の大半を失い、同年7月に安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ち、
九州大宰府まで逃れた。京を制圧した義仲だが、統治に失敗して後白河法皇とも対立するようになった。
義仲は後白河法皇の命で平氏追討のために出兵するが備中国で大敗を喫してしまう(水島の戦い)。
後白河法皇は義仲を見限り、鎌倉の源頼朝を頼ろうとするが、これが義仲を激怒させ、後白河法皇は幽閉されてしまう(法住寺合戦)。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072009〇銅版画 日本合戦図 三草山一ノ谷戦場の図 日本外史 明治初年 摂津国福原および須磨で行われた戦い 治承・寿永の乱(源平合戦〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 三草山一ノ谷戦場の図 日本外史 明治初年 摂津国福原および須磨で行われた戦い 治承・寿永の乱(源平合戦〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦い。
治承・寿永の乱(源平合戦)における戦いの一つ。
寿永2年(1183年)5月の倶利伽羅峠の戦いと6月の篠原の戦いで源義仲に敗れた平氏は兵力の大半を失い、同年7月に安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ち、
九州大宰府まで逃れた。京を制圧した義仲だが、統治に失敗して後白河法皇とも対立するようになった。
義仲は後白河法皇の命で平氏追討のために出兵するが備中国で大敗を喫してしまう(水島の戦い)。
後白河法皇は義仲を見限り、鎌倉の源頼朝を頼ろうとするが、これが義仲を激怒させ、後白河法皇は幽閉されてしまう(法住寺合戦)。
D26072008〇銅版画 日本合戦図 石橋山合戦の図 日本外史 明治初年 源頼朝と平氏政権勢力(大庭景親ら)との間で行われた戦い〇和本古書古文書
D26072008〇銅版画 日本合戦図 石橋山合戦の図 日本外史 明治初年 源頼朝と平氏政権勢力(大庭景親ら)との間で行われた戦い〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 石橋山合戦の図 日本外史 明治初年 源頼朝と平氏政権勢力(大庭景親ら)との間で行われた戦い〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)は、平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と平氏政権勢力(大庭景親ら)との間で行われた戦いである。
源氏軍は300騎が石橋山に陣を構え、対する平氏軍は3000騎が谷を一つ隔てて布陣して戦い、源頼朝は大敗し箱根山中へ敗走した。
治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役のひとつ。『義経記』では小早川の合戦と表記されている。
源頼朝は以仁王の令旨を奉じて挙兵。伊豆国目代山木兼隆を襲撃して殺害するが、続く石橋山の戦いの敗走後は、船で安房国へ落ち延び再挙した。
¥2,000
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D26072008〇銅版画 日本合戦図 石橋山合戦の図 日本外史 明治初年 源頼朝と平氏政権勢力(大庭景親ら)との間で行われた戦い〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 石橋山合戦の図 日本外史 明治初年 源頼朝と平氏政権勢力(大庭景親ら)との間で行われた戦い〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)は、平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と平氏政権勢力(大庭景親ら)との間で行われた戦いである。
源氏軍は300騎が石橋山に陣を構え、対する平氏軍は3000騎が谷を一つ隔てて布陣して戦い、源頼朝は大敗し箱根山中へ敗走した。
治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役のひとつ。『義経記』では小早川の合戦と表記されている。
源頼朝は以仁王の令旨を奉じて挙兵。伊豆国目代山木兼隆を襲撃して殺害するが、続く石橋山の戦いの敗走後は、船で安房国へ落ち延び再挙した。
D26072007〇銅版画 日本合戦図 平治の乱 日本外史 明治初年1枚 院近臣らの対立により発生した政変〇和本古書古文書
D26072007〇銅版画 日本合戦図 平治の乱 日本外史 明治初年1枚 院近臣らの対立により発生した政変〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 平治の乱 日本外史 明治初年1枚 院近臣らの対立により発生した政変〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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平治の乱(へいじのらん)は、平安時代末期の平治元年12月9日(1160年1月19日)、院近臣らの対立により発生した政変である。
保元元年(1156年)の保元の乱に勝利した後白河天皇は、同年閏9月に『保元新制』と呼ばれる代替わり新制を発令した。
「九州の地は一人の有なり。王命の外、何ぞ私威を施さん」と王土思想を強く宣言したこの新制は、荘園整理令を主たる内容としていた。
鳥羽院政期は全国に多くの荘園が形成され、各地で国務の遂行をめぐって紛争が起きていた。
この荘園整理令はその混乱を収拾して、全国の荘園・国衙領、公領を天皇の統治下に置くことを意図したものであり、
荘園公領制の成立への大きな契機となった新制と評価されている。その国政改革を立案・推進したのが、後白河の側近である信西であった。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072007〇銅版画 日本合戦図 平治の乱 日本外史 明治初年1枚 院近臣らの対立により発生した政変〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 平治の乱 日本外史 明治初年1枚 院近臣らの対立により発生した政変〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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平治の乱(へいじのらん)は、平安時代末期の平治元年12月9日(1160年1月19日)、院近臣らの対立により発生した政変である。
保元元年(1156年)の保元の乱に勝利した後白河天皇は、同年閏9月に『保元新制』と呼ばれる代替わり新制を発令した。
「九州の地は一人の有なり。王命の外、何ぞ私威を施さん」と王土思想を強く宣言したこの新制は、荘園整理令を主たる内容としていた。
鳥羽院政期は全国に多くの荘園が形成され、各地で国務の遂行をめぐって紛争が起きていた。
この荘園整理令はその混乱を収拾して、全国の荘園・国衙領、公領を天皇の統治下に置くことを意図したものであり、
荘園公領制の成立への大きな契機となった新制と評価されている。その国政改革を立案・推進したのが、後白河の側近である信西であった。
D26072006〇銅版画 日本合戦図 保元の乱 日本外史 明治初年 1枚 皇位継承問題や摂関家の内紛〇和本古書古文書
D26072006〇銅版画 日本合戦図 保元の乱 日本外史 明治初年 1枚 皇位継承問題や摂関家の内紛〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 保元の乱 日本外史 明治初年 1枚 皇位継承問題や摂関家の内紛〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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保元の乱(ほうげんのらん)は、保元元年(1156年)7月に皇位継承問題や摂関家の内紛により、
朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれ、双方の衝突に至った政変である。崇徳上皇方が敗北し、
上皇は讃岐に配流された。この朝廷の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、
後の約700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072006〇銅版画 日本合戦図 保元の乱 日本外史 明治初年 1枚 皇位継承問題や摂関家の内紛〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 保元の乱 日本外史 明治初年 1枚 皇位継承問題や摂関家の内紛〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
保元の乱(ほうげんのらん)は、保元元年(1156年)7月に皇位継承問題や摂関家の内紛により、
朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれ、双方の衝突に至った政変である。崇徳上皇方が敗北し、
上皇は讃岐に配流された。この朝廷の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、
後の約700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。
D26072005〇銅版画 日本合戦図 前九年後三年両役の図 日本外史 明治初年 1枚 平安時代後期の陸奥国で起こった戦い〇和本古書古文書
D26072005〇銅版画 日本合戦図 前九年後三年両役の図 日本外史 明治初年 1枚 平安時代後期の陸奥国で起こった戦い〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 前九年後三年両役の図 日本外史 明治初年 1枚 平安時代後期の陸奥国で起こった戦い〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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前九年の役(ぜんくねんのえき)は、平安時代後期の陸奥国(東北地方)で起こった戦いである。
この戦争は、源頼義の奥州赴任(1051年)から安倍氏滅亡(1062年)までに要した年数から、元々は「奥州十二年合戦」と呼ばれており、
『古事談』・『愚管抄』・『古今著聞集』などにはその名称で記されている。
ところが、『保元物語』・『源平盛衰記』・『太平記』などでは「前九年の役」の名称で記されており、それが一般化して現在に至る。
これは源頼義が本格介入した年を基準として戦乱を9年間と計算したという説や、「奥州十二年合戦」が「後三年の役(1083年-1087年)と合わせた名称」と誤解され、
12年から3年を引き、前段について「前九年の役」と呼ぶようになったなどの説がある。
後三年の役(ごさんねんのえき)は、平安時代後期の陸奥・出羽(東北地方)を舞台とした戦役である。
前九年の役の後、奥羽を実質支配していた清原氏が消滅し、奥州藤原氏が登場するきっかけとなった戦いである。
後三年合戦(ごさんねんかっせん)ともいう。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072005〇銅版画 日本合戦図 前九年後三年両役の図 日本外史 明治初年 1枚 平安時代後期の陸奥国で起こった戦い〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 前九年後三年両役の図 日本外史 明治初年 1枚 平安時代後期の陸奥国で起こった戦い〇和本古書古文書
180x130mm
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前九年の役(ぜんくねんのえき)は、平安時代後期の陸奥国(東北地方)で起こった戦いである。
この戦争は、源頼義の奥州赴任(1051年)から安倍氏滅亡(1062年)までに要した年数から、元々は「奥州十二年合戦」と呼ばれており、
『古事談』・『愚管抄』・『古今著聞集』などにはその名称で記されている。
ところが、『保元物語』・『源平盛衰記』・『太平記』などでは「前九年の役」の名称で記されており、それが一般化して現在に至る。
これは源頼義が本格介入した年を基準として戦乱を9年間と計算したという説や、「奥州十二年合戦」が「後三年の役(1083年-1087年)と合わせた名称」と誤解され、
12年から3年を引き、前段について「前九年の役」と呼ぶようになったなどの説がある。
後三年の役(ごさんねんのえき)は、平安時代後期の陸奥・出羽(東北地方)を舞台とした戦役である。
前九年の役の後、奥羽を実質支配していた清原氏が消滅し、奥州藤原氏が登場するきっかけとなった戦いである。
後三年合戦(ごさんねんかっせん)ともいう。
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D26072004〇銅版画 日本合戦図 福原一の谷図 治承・寿永の乱(源平合戦) 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 福原一の谷図 治承・寿永の乱(源平合戦) 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦い。
治承・寿永の乱(源平合戦)における戦いの一つ。
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D26072003〇銅版画 日本合戦図 平氏 南海山 陽転遷の図 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 平氏 南海山 陽転遷の図 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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D26072002〇銅版画 日本合戦図 砥並山及び篠原合戦の図 加賀国篠原 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
D26072002〇銅版画 日本合戦図 砥並山及び篠原合戦の図 加賀国篠原 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 砥並山及び篠原合戦の図 加賀国篠原 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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篠原の戦い(しのはらのたたかい)は、寿永2年(1183年)6月1日、加賀国篠原(現・石川県加賀市旧篠原村地区)において
源義仲軍と平氏軍との間で行われた戦闘である。平安時代末期における治承・寿永の乱の戦闘の一つである。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072002〇銅版画 日本合戦図 砥並山及び篠原合戦の図 加賀国篠原 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 砥並山及び篠原合戦の図 加賀国篠原 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
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篠原の戦い(しのはらのたたかい)は、寿永2年(1183年)6月1日、加賀国篠原(現・石川県加賀市旧篠原村地区)において
源義仲軍と平氏軍との間で行われた戦闘である。平安時代末期における治承・寿永の乱の戦闘の一つである。
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D26072001〇銅版画 日本合戦図 関東八州略図 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 関東八州略図 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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