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D26072025〇銅版画 日本合戦図 明徳役の図 明徳の乱 日本外史 明治初年 山名氏清 山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱〇和本古書古文書
D26072025〇銅版画 日本合戦図 明徳役の図 明徳の乱 日本外史 明治初年 山名氏清 山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 明徳役の図 明徳の乱 日本外史 明治初年 山名氏清 山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱〇和本古書古文書
220x150mm
1枚
虫損 汚れが有ります
明徳の乱(めいとくのらん)は、南北朝時代(室町時代)の元中8年/明徳2年(1391年)に山名氏清、
山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱である。内野合戦とも呼ばれる。
山名氏は新田氏の一族であったが、山名時氏の時に鎌倉幕府に対する足利尊氏の挙兵に従い、南北朝時代の争乱でも足利氏に味方して功があった。
観応の擾乱では尊氏の弟足利直義に加担して戦い、直義の死後は幕府に帰参するが、再び叛いて南朝に降って一時は京都を占領する勢いを示した。
その後は直義の養子直冬を助けて戦い山陰地方に大きな勢力を張り、2代将軍足利義詮の時代に切り取った領国の安堵を条件に室町幕府に帰順。
時氏は因幡・伯耆・丹波・丹後・美作の5か国の守護となった。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072025〇銅版画 日本合戦図 明徳役の図 明徳の乱 日本外史 明治初年 山名氏清 山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 明徳役の図 明徳の乱 日本外史 明治初年 山名氏清 山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱〇和本古書古文書
220x150mm
1枚
虫損 汚れが有ります
明徳の乱(めいとくのらん)は、南北朝時代(室町時代)の元中8年/明徳2年(1391年)に山名氏清、
山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱である。内野合戦とも呼ばれる。
山名氏は新田氏の一族であったが、山名時氏の時に鎌倉幕府に対する足利尊氏の挙兵に従い、南北朝時代の争乱でも足利氏に味方して功があった。
観応の擾乱では尊氏の弟足利直義に加担して戦い、直義の死後は幕府に帰参するが、再び叛いて南朝に降って一時は京都を占領する勢いを示した。
その後は直義の養子直冬を助けて戦い山陰地方に大きな勢力を張り、2代将軍足利義詮の時代に切り取った領国の安堵を条件に室町幕府に帰順。
時氏は因幡・伯耆・丹波・丹後・美作の5か国の守護となった。
D26072024〇銅版画 日本合戦図 武蔵野役の図 足利尊氏 日本外史 明治初年 足利尊氏ら北朝方と新田義貞ら南朝方〇和本古書古文書
D26072024〇銅版画 日本合戦図 武蔵野役の図 足利尊氏 日本外史 明治初年 足利尊氏ら北朝方と新田義貞ら南朝方〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 武蔵野役の図 足利尊氏 日本外史 明治初年 足利尊氏ら北朝方と新田義貞ら南朝方〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。室町幕府初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。鎌倉幕府の御家人。
足利貞氏の次男。足利将軍家の祖。姓名は源 尊氏(みなもと の たかうじ)。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072024〇銅版画 日本合戦図 武蔵野役の図 足利尊氏 日本外史 明治初年 足利尊氏ら北朝方と新田義貞ら南朝方〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 武蔵野役の図 足利尊氏 日本外史 明治初年 足利尊氏ら北朝方と新田義貞ら南朝方〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。室町幕府初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。鎌倉幕府の御家人。
足利貞氏の次男。足利将軍家の祖。姓名は源 尊氏(みなもと の たかうじ)。
D26072023〇銅版画 日本合戦図 越前近傍の図 新田義貞戦死の地 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
D26072023〇銅版画 日本合戦図 越前近傍の図 新田義貞戦死の地 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 越前近傍の図 新田義貞戦死の地 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
新田 義貞(にった よしさだ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。
姓名は源 義貞(みなもと の よしさだ)。河内源氏義国流新田氏本宗家の8代目棟梁。
父は新田朝氏、母は不詳(諸説あり、朝氏の項を参照)。官位は正四位下、左近衛中将。
明治15年(1882年)8月7日贈正一位。建武の元勲の1人。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072023〇銅版画 日本合戦図 越前近傍の図 新田義貞戦死の地 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 越前近傍の図 新田義貞戦死の地 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
新田 義貞(にった よしさだ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。
姓名は源 義貞(みなもと の よしさだ)。河内源氏義国流新田氏本宗家の8代目棟梁。
父は新田朝氏、母は不詳(諸説あり、朝氏の項を参照)。官位は正四位下、左近衛中将。
明治15年(1882年)8月7日贈正一位。建武の元勲の1人。
D26072022〇銅版画 日本合戦図 洛中叡山戦場の図 後醍醐天皇 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
D26072022〇銅版画 日本合戦図 洛中叡山戦場の図 後醍醐天皇 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 洛中叡山戦場の図 後醍醐天皇 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
後醍醐天皇(ごだいごてんのう、1288年11月26日〈正応元年11月2日〉 - 1339年9月19日〈延元4年/暦応2年8月16日〉)は、
日本の第96代天皇および南朝初代天皇(在位:1318年3月29日〈文保2年2月26日〉 - 1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日〉、
治天:1321年12月28日〈元亨元年12月9日[1]〉 - 1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日〉)。諱は尊治(たかはる)。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072022〇銅版画 日本合戦図 洛中叡山戦場の図 後醍醐天皇 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 洛中叡山戦場の図 後醍醐天皇 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
後醍醐天皇(ごだいごてんのう、1288年11月26日〈正応元年11月2日〉 - 1339年9月19日〈延元4年/暦応2年8月16日〉)は、
日本の第96代天皇および南朝初代天皇(在位:1318年3月29日〈文保2年2月26日〉 - 1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日〉、
治天:1321年12月28日〈元亨元年12月9日[1]〉 - 1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日〉)。諱は尊治(たかはる)。
D26072021〇銅版画 日本合戦図 箱根竹下合戦の図 日本外史 明治初年 箱根・竹ノ下の戦い 足利軍と後醍醐天皇の宣旨を受けた新田義貞〇和本古書古文書
D26072021〇銅版画 日本合戦図 箱根竹下合戦の図 日本外史 明治初年 箱根・竹ノ下の戦い 足利軍と後醍醐天皇の宣旨を受けた新田義貞〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 箱根竹下合戦の図 日本外史 明治初年 箱根・竹ノ下の戦い 足利軍と後醍醐天皇の宣旨を受けた新田義貞〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
箱根・竹ノ下の戦い(はこねたけのしたのたたかい)は、建武の新政時代の1336年1月24日(ユリウス暦)(建武2年12月11日)から、
足利尊氏の呼びかけに応じた足利軍と、後醍醐天皇の宣旨を受けた新田義貞に参集した軍勢との間で行われた合戦。
『太平記』には「箱根竹下合戦」と記されている[1]。後醍醐天皇が建武政権に反旗を翻した足利尊氏を討つために新田義貞を派遣したが失敗し、
建武政権崩壊の第一幕となった。現在の静岡県小山町竹之下周辺で行なわれた。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072021〇銅版画 日本合戦図 箱根竹下合戦の図 日本外史 明治初年 箱根・竹ノ下の戦い 足利軍と後醍醐天皇の宣旨を受けた新田義貞〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 箱根竹下合戦の図 日本外史 明治初年 箱根・竹ノ下の戦い 足利軍と後醍醐天皇の宣旨を受けた新田義貞〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
箱根・竹ノ下の戦い(はこねたけのしたのたたかい)は、建武の新政時代の1336年1月24日(ユリウス暦)(建武2年12月11日)から、
足利尊氏の呼びかけに応じた足利軍と、後醍醐天皇の宣旨を受けた新田義貞に参集した軍勢との間で行われた合戦。
『太平記』には「箱根竹下合戦」と記されている[1]。後醍醐天皇が建武政権に反旗を翻した足利尊氏を討つために新田義貞を派遣したが失敗し、
建武政権崩壊の第一幕となった。現在の静岡県小山町竹之下周辺で行なわれた。
D26072020A〇銅版画 日本合戦図 四條畷の戦い 日本外史 明治初年 楠木正行・実弟正時〇和本古書古文書
D26072020A〇銅版画 日本合戦図 四條畷の戦い 日本外史 明治初年 楠木正行・実弟正時〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 四條畷の戦い 日本外史 明治初年 楠木正行・実弟正時〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
四條畷の戦い(しじょうなわてのたたかい)は、南北朝時代の正平3年/貞和4年1月5日(1348年2月4日)、河内国讃良郡野崎(大阪府大東市野崎)から北四条(同市北条)
にかけて行われた、南朝河内守で楠木氏棟梁の楠木正行・実弟正時と、北朝室町幕府執事高師直・引付方頭人佐々木導誉との間の戦い。
湊川の戦い(みなとがわのたたかい)は、南北朝時代の延元元年/建武3年5月25日(1336年7月4日)に、
摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、
これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦である。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072020A〇銅版画 日本合戦図 四條畷の戦い 日本外史 明治初年 楠木正行・実弟正時〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 四條畷の戦い 日本外史 明治初年 楠木正行・実弟正時〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
四條畷の戦い(しじょうなわてのたたかい)は、南北朝時代の正平3年/貞和4年1月5日(1348年2月4日)、河内国讃良郡野崎(大阪府大東市野崎)から北四条(同市北条)
にかけて行われた、南朝河内守で楠木氏棟梁の楠木正行・実弟正時と、北朝室町幕府執事高師直・引付方頭人佐々木導誉との間の戦い。
湊川の戦い(みなとがわのたたかい)は、南北朝時代の延元元年/建武3年5月25日(1336年7月4日)に、
摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、
これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦である。
D26072019〇銅版画 日本合戦図 延元元年京師及び坂本戦場の図 日本外史 明治初年 後醍醐天皇の建武政権と足利尊氏ら足利氏との間で行われた一連の戦い〇和本古書古文書
D26072019〇銅版画 日本合戦図 延元元年京師及び坂本戦場の図 日本外史 明治初年 後醍醐天皇の建武政権と足利尊氏ら足利氏との間で行われた一連の戦い〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 延元元年京師及び坂本戦場の図 日本外史 明治初年 後醍醐天皇の建武政権と足利尊氏ら足利氏との間で行われた一連の戦い〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
建武の乱(けんむのらん)は、建武政権期(広義の南北朝時代)、建武2年11月19日(1336年1月2日)から延元元年/建武3年10月10日(1336年11月13日)にかけて、
後醍醐天皇の建武政権と足利尊氏ら足利氏との間で行われた一連の戦いの総称。延元の乱(えんげんのらん)とも。広義には、
中先代の乱など建武政権期に発生した他の騒乱も含まれる。足利方が勝利して建武政権は崩壊し、室町幕府が成立した。一方、
後醍醐天皇も和睦の直後に吉野に逃れて新たな朝廷を創立し(南朝)、幕府が擁立した北朝との間で南北朝の内乱が開始した。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072019〇銅版画 日本合戦図 延元元年京師及び坂本戦場の図 日本外史 明治初年 後醍醐天皇の建武政権と足利尊氏ら足利氏との間で行われた一連の戦い〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 延元元年京師及び坂本戦場の図 日本外史 明治初年 後醍醐天皇の建武政権と足利尊氏ら足利氏との間で行われた一連の戦い〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
建武の乱(けんむのらん)は、建武政権期(広義の南北朝時代)、建武2年11月19日(1336年1月2日)から延元元年/建武3年10月10日(1336年11月13日)にかけて、
後醍醐天皇の建武政権と足利尊氏ら足利氏との間で行われた一連の戦いの総称。延元の乱(えんげんのらん)とも。広義には、
中先代の乱など建武政権期に発生した他の騒乱も含まれる。足利方が勝利して建武政権は崩壊し、室町幕府が成立した。一方、
後醍醐天皇も和睦の直後に吉野に逃れて新たな朝廷を創立し(南朝)、幕府が擁立した北朝との間で南北朝の内乱が開始した。
D26072018〇銅版画 日本合戦図 六波羅府没落の図 正中の変 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
D26072018〇銅版画 日本合戦図 六波羅府没落の図 正中の変 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 六波羅府没落の図 正中の変 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
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正中の変(しょうちゅうのへん)は、鎌倉時代後期の元亨4年9月19日(1324年10月7日)に、後醍醐天皇とその腹心の日野資朝・日野俊基が、
鎌倉幕府に対して討幕を計画した事件。通説では「後醍醐天皇が首謀者であることは幕府側の誰にも明らかであったが、
幕府は天皇との対立を避けてうやむやにしてしまった」とされるが、異説も存在する。
4か月に及ぶ幕府の調査の結果、後醍醐と俊基は冤罪とされ、公式に無罪判決を受けた。
しかし、資朝は有罪ともいえないが疑惑が完全には晴れないので無罪ともいえない、として曖昧な理由のまま佐渡国(新潟県佐渡市)へ遠流となった。
この事件の7年後に元弘の乱が勃発し、9年後に幕府が滅亡することになる。
¥2,000
(送料:¥300~)
D26072018〇銅版画 日本合戦図 六波羅府没落の図 正中の変 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
銅版画 日本合戦図 六波羅府没落の図 正中の変 日本外史 明治初年 1枚〇和本古書古文書
180x130mm
1枚
虫損 汚れが有ります
正中の変(しょうちゅうのへん)は、鎌倉時代後期の元亨4年9月19日(1324年10月7日)に、後醍醐天皇とその腹心の日野資朝・日野俊基が、
鎌倉幕府に対して討幕を計画した事件。通説では「後醍醐天皇が首謀者であることは幕府側の誰にも明らかであったが、
幕府は天皇との対立を避けてうやむやにしてしまった」とされるが、異説も存在する。
4か月に及ぶ幕府の調査の結果、後醍醐と俊基は冤罪とされ、公式に無罪判決を受けた。
しかし、資朝は有罪ともいえないが疑惑が完全には晴れないので無罪ともいえない、として曖昧な理由のまま佐渡国(新潟県佐渡市)へ遠流となった。
この事件の7年後に元弘の乱が勃発し、9年後に幕府が滅亡することになる。