昇斎一景、万孫、明治3年から7年の間、1、大判錦絵一枚もの
浮世絵 明治錦絵 東京名所三十一載撰 昇斎一景筆
萬孫 元通り
東京の名所のうち花見の図です。まさに花。
桜。
世に花のなかりせば
こんなに心が乱れずに済むものを、
と古今和歌集の時代から歌われた桜。花見の宴の
滑稽な
百景図。
お巡りさんが
木に登った男を取り締まろうとしているのに気を取られる
町屋の女房がいて、
その隙に
花見のお弁当をちゃっかり盗み食いするのら犬がいて。
浮かれすぎて狼藉により
痛めつけられる町人がいて。
どれもちょっぴりゆきすぎて
それゆえに
笑いを誘います。
大っぴらにお酒を飲む口実の花見の
宴のこんな景色
あんな景色をとらえて秀逸。
早生したと言われる絵師の貴重な特徴をよく表した佳品といえる
作品です。
サイズcm
たて 34.5
よこ 23.8
昇斎一景
歌川広重の門人といわれる。
姓名不詳。初めは景昇斎、後に昇斎と号す。
江戸の人。一景について述べた唯一の文献は、「東京名所四十八景」の目次。それによると一時、円山応挙を慕い京都へ遊歴し四条派を学び、後に画業を廃し世を避ける生活をしていた。
明治になって書房からの求めで戯画錦絵を描くようになったという。作画期は明治3年(1870年)から明治7年(1874年)までと短く、早世したと見られる。
明治時代初期の風俗、風景。作品総数は不明であるが、3枚続物34点、1枚物98点、冊子・折本類6点が確認されているとのことです。代表作は明治4年(1871年)の「東都名所四十八景」、明治5-6年(1872-73年)の「東京名所三十六戯撰」、明治6年(1873年)の違式詿違条例を絵解きした「画解(えとき)五十余箇条」。他に、滑稽味ある風俗画、風景画、東京名所の3枚続や鉄道錦絵などがあり、特に鉄道を描いた作品が散見される。画風は3代歌川広重に似ているが、人物を描くと同時に時代の風俗や空気を的確に写し出している。また、一景の作画期が明治初期に限られるとのことです。
紙のはじやぶれございます。
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