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「武者小路実陰」の検索結果
14件

武者小路実陰短冊 2枚

永楽屋
 愛知県尾張旭市吉岡町
15,000
武者小路実陰、2枚
1枚しみ
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武者小路実陰短冊 2枚

15,000
武者小路実陰 、2枚
1枚しみ

武者小路実蔭短冊 青雲美短冊  「里梼衣」 「実蔭」

飯島書店
 愛知県名古屋市中区千代田
9,000
武者小路実蔭、1
寛文1(1661)-元文3(1738) 江戸時代前期から中期にかけての公卿、歌人。号は超嶽院。従一位准大臣
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武者小路実蔭短冊 青雲美短冊  「里梼衣」 「実蔭」

9,000
武者小路実蔭 、1
寛文1(1661)-元文3(1738) 江戸時代前期から中期にかけての公卿、歌人。号は超嶽院。従一位准大臣

院御当座始御会和歌 享保14年正月

永楽屋
 愛知県尾張旭市吉岡町
10,000
武者小路実陰他、1冊
墨付9枚
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院御当座始御会和歌 享保14年正月

10,000
武者小路実陰他 、1冊
墨付9枚

芳雲和歌集類題 四季

永楽屋
 愛知県尾張旭市吉岡町
20,000
武者小路実陰詠、江戸中期頃刊、1冊
題簽なし布表紙薄葉刷
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芳雲和歌集類題 四季

20,000
武者小路実陰詠 、江戸中期頃刊 、1冊
題簽なし布表紙薄葉刷

院御着到和歌 霊元院御製

永楽屋
 愛知県尾張旭市吉岡町
60,000
宝暦十四年伊達正敬写墨付56枚 武者小路実陰、鳥丸光栄他詠、1冊
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院御着到和歌 霊元院御製

60,000
宝暦十四年伊達正敬写墨付56枚 武者小路実陰、鳥丸光栄他詠 、1冊

 和 歌 式

筑波書店
 東京都稲城市百村
253,000
美濃本37丁 江戸末期写 1冊
富士谷成章著。内題「有栖川宮御伝授」 歌学作法書。文政7年福田美楯序。武者小路実陰卿御伝授他。江戸時代写本。
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253,000
、美濃本37丁 江戸末期写 1冊
富士谷成章著。内題「有栖川宮御伝授」 歌学作法書。文政7年福田美楯序。武者小路実陰卿御伝授他。江戸時代写本。

明応八年後土御門院御製磯の玉藻(01の011)

臥遊堂
 東京都千代田区神田小川町3-7-16
120,000
貞享二年武者小路実陰による飛鳥井本の写しの転写本 井上宗雄蔵印・紅梅文庫印
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120,000
貞享二年武者小路実陰による飛鳥井本の写しの転写本 井上宗雄蔵印・紅梅文庫印

霊元院法皇御点写(05の122)

臥遊堂
 東京都千代田区神田小川町3-7-16
40,000
中型 延宝八(1680)年御百首 烏丸光雄・庭田重条・清水谷実業・武者小路実陰 江戸中期写 朱入
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40,000
中型 延宝八(1680)年御百首 烏丸光雄・庭田重条・清水谷実業・武者小路実陰 江戸中期写 朱入

 貞 享 千 首  

筑波書店
 東京都稲城市百村
88,000
美濃本95丁 江戸後期写 装傷み 染み汚れ 1冊
内題「内侍所御法楽貞享三年五月」。霊元天皇、近衛基煕、野宮定基、武者小路実陰他詠。
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送不可
88,000
、美濃本95丁 江戸後期写 装傷み 染み汚れ 1冊
内題「内侍所御法楽貞享三年五月」。霊元天皇、近衛基煕、野宮定基、武者小路実陰他詠。

武者小路実陰書幅軸装 

水平書館
 東京都千代田区神田神保町
33,000
江戸期の公卿、歌人
39×20㎝裏打ヤケ天痛有
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武者小路実陰書幅軸装 

33,000
江戸期の公卿、歌人 39×20㎝裏打ヤケ天痛有

新類題和歌集

玉英堂書店
 東京都千代田区神田神保町
104,500
烏丸光栄・西三条公福・水無瀬氏成・高松重季・武者小路実陰編、江戸後期写、13巻11冊
原表紙 書題簽 23×16.7糎 拵帙入 雜部上に乱丁有 少虫損・少水シミ有 一 春部上85枚/二 春部下113枚表三共/三四 夏部上92枚・下69枚表三共/五 秋部上111枚/六 秋部下175枚/七 冬部上68枚・下59枚/八 雜部上154枚/九 雜部下98枚/十 恋部上98枚/拾一 恋部下63枚/拾二 公事・仮字・尾118枚
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104,500
烏丸光栄・西三条公福・水無瀬氏成・高松重季・武者小路実陰編 、江戸後期写 、13巻11冊
原表紙 書題簽 23×16.7糎 拵帙入 雜部上に乱丁有 少虫損・少水シミ有 一 春部上85枚/二 春部下113枚表三共/三四 夏部上92枚・下69枚表三共/五 秋部上111枚/六 秋部下175枚/七 冬部上68枚・下59枚/八 雜部上154枚/九 雜部下98枚/十 恋部上98枚/拾一 恋部下63枚/拾二 公事・仮字・尾118枚

正二位藤原實陰和歌 春日同詠青柳風静和歌

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
38,500
武者小路實陰
■商品詳細

【書名】 正二位藤原實陰和歌 春日同詠青柳風静和歌
【巻冊】 一枚
【著者】 武者小路實陰
【成立】 享保頃

★ 42×57㎝
★ 生誕 寛文元年11月1日 死没 元文三年11月11日
★ 武者小路 実陰は、江戸時代前期から中期にかけての公卿・歌人。官位は従一位・准大臣。武者小路家2代当主。
★ 西郊家に生まれ、実父は正親町三条家庶流の院参の公家西郊実信であったが、大伯父で堂上家の武者小路公種の養子となり武者小路家を継ぐ。実陰が養子に出る事により西郊家は一度絶えたが、実陰の次男・重季により再興された。
和歌の師である霊元上皇から古今伝授を受け、また三条西実教にも師事した。清水谷実業、中院通躬らと共に霊元院歌壇における代表的な歌人であった。弟子に似雲がいる。
非参議・参議として長らく朝廷に仕え、宝永4年(1703年)には勅使として関東に下向した。正徳5年(1715年)55歳の時に中納言に任じられた。 また享保9年(1724年)、64歳の時にはさらに大納言に昇進し、先任の大納言である滋野井公澄の祝いの和歌に対し「老いて又 かかる恵みの位山 のぼらん道も おもいがけしや」と詠んだ。
竜華院
享保年間には甲府藩2代藩主・柳沢吉里は中御門天皇の勅命を得て、中院通躬ら7人の公家に甲斐国の名所を詠んだ和歌を作らせ、これらの歌を「甲斐八景」と定めた。実陰ら甲斐八景の和歌を詠んだ公家はいずれも甲斐を訪れていないため実景のイメージと異なる点もあるが、実陰は「竜華秋月」と題して、現在の山梨県甲府市上曽根町に所在する曹洞宗寺院・龍華院から見た秋月を詠んだ「名にしおはゝ峰なる秋の月やしるその暁の花のひかりも」の歌を残している。
さらに元文3年(1738年)には死の直前にあたり、新家の羽林家としては破格の従一位に叙され、准大臣に任じられた。これは長年にわたる朝廷への出仕と、中御門・桜町両天皇の歌道師範となる等、歌道への多大な貢献が評価された結果とされる。同年9月30日、薨去。
霊元上皇の皇子である一乗院宮尊賞法親王とは、同じ歌人仲間として非常に深い親交があった。
歌論書に『初学考鑑』、『詞林拾集』(似雲編纂)、『高松重季卿聞書』、家集に『芳雲集』(武者小路実岳編纂)がある。子孫には高松公祐(たかまつきんさち)等の有名な歌人がいる。
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38,500
武者小路實陰
■商品詳細 【書名】 正二位藤原實陰和歌 春日同詠青柳風静和歌 【巻冊】 一枚 【著者】 武者小路實陰 【成立】 享保頃 ★ 42×57㎝ ★ 生誕 寛文元年11月1日 死没 元文三年11月11日 ★ 武者小路 実陰は、江戸時代前期から中期にかけての公卿・歌人。官位は従一位・准大臣。武者小路家2代当主。 ★ 西郊家に生まれ、実父は正親町三条家庶流の院参の公家西郊実信であったが、大伯父で堂上家の武者小路公種の養子となり武者小路家を継ぐ。実陰が養子に出る事により西郊家は一度絶えたが、実陰の次男・重季により再興された。 和歌の師である霊元上皇から古今伝授を受け、また三条西実教にも師事した。清水谷実業、中院通躬らと共に霊元院歌壇における代表的な歌人であった。弟子に似雲がいる。 非参議・参議として長らく朝廷に仕え、宝永4年(1703年)には勅使として関東に下向した。正徳5年(1715年)55歳の時に中納言に任じられた。 また享保9年(1724年)、64歳の時にはさらに大納言に昇進し、先任の大納言である滋野井公澄の祝いの和歌に対し「老いて又 かかる恵みの位山 のぼらん道も おもいがけしや」と詠んだ。 竜華院 享保年間には甲府藩2代藩主・柳沢吉里は中御門天皇の勅命を得て、中院通躬ら7人の公家に甲斐国の名所を詠んだ和歌を作らせ、これらの歌を「甲斐八景」と定めた。実陰ら甲斐八景の和歌を詠んだ公家はいずれも甲斐を訪れていないため実景のイメージと異なる点もあるが、実陰は「竜華秋月」と題して、現在の山梨県甲府市上曽根町に所在する曹洞宗寺院・龍華院から見た秋月を詠んだ「名にしおはゝ峰なる秋の月やしるその暁の花のひかりも」の歌を残している。 さらに元文3年(1738年)には死の直前にあたり、新家の羽林家としては破格の従一位に叙され、准大臣に任じられた。これは長年にわたる朝廷への出仕と、中御門・桜町両天皇の歌道師範となる等、歌道への多大な貢献が評価された結果とされる。同年9月30日、薨去。 霊元上皇の皇子である一乗院宮尊賞法親王とは、同じ歌人仲間として非常に深い親交があった。 歌論書に『初学考鑑』、『詞林拾集』(似雲編纂)、『高松重季卿聞書』、家集に『芳雲集』(武者小路実岳編纂)がある。子孫には高松公祐(たかまつきんさち)等の有名な歌人がいる。

史料纂集古記録編 第104回配本 通兄公記4

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
11,000
今江廣道・藤森馨・平井誠二校訂、続群書類従完成会、平8、1冊
右大臣従一位久我通兄(1709-1761)の、享保9年(1724)から歿年に至るまでの日記を宮内庁書陵部所蔵の自筆原本によって翻刻する。通兄は通誠の孫にあたり、朝廷は中御門・桜町・桃園天皇の治世、幕府の将軍は吉宗・家重の時代にあたり、朝幕関係の良好な時期であった。通兄は議奏や武家伝奏として枢機に参画しており、記事には見るべきものが多いのが特色。

【収録】④1735〔享保20〕~1737〔元文2〕
○四十未満の養子の禁
○多氏伝来の古面の由来
○内侍所の御鈴落ちれば参拝の人に賜う
○中御門上皇武者小路実陰より和歌三部抄伝授
○官庫の礼服を試着の為借用す
○和漢朗詠集の清書仰付らる
○即位礼并に由奉幣発遣日時定
○将軍家使井伊直定
○近任将軍の命により江戸に於て弾琴奏楽法を研究して成功す
○多忠敬再興の舞楽胡飲酒を覧る
○通兄脚に腫物を生ず
○桜町天皇花見の宴に関白以下を召さる
○改元勘者争論
○菅家輩伏原宣通を加えられたるに異議を申す(先例に違う)
○勘者に宣通を加うるは上皇・天皇の叡慮
○代始改元につき所存を申さず領状すべし
○石山寺観音開帳により白銀御奉納
○菅家輩内々年号字を進上
○通兄母逝去
○古来は大臣たりとも出家人は廃朝せず
○院より後撰集書写を命ぜらる
○中御門上皇古今伝授の予定の処御悩により延引
○中御門上皇崩御
○御葬送
○通兄始て諒闇装束を着し参内
○東寺弘法大師生身供破裂
○久我家の家伝

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第104回配本 通兄公記4

11,000
今江廣道・藤森馨・平井誠二校訂 、続群書類従完成会 、平8 、1冊
右大臣従一位久我通兄(1709-1761)の、享保9年(1724)から歿年に至るまでの日記を宮内庁書陵部所蔵の自筆原本によって翻刻する。通兄は通誠の孫にあたり、朝廷は中御門・桜町・桃園天皇の治世、幕府の将軍は吉宗・家重の時代にあたり、朝幕関係の良好な時期であった。通兄は議奏や武家伝奏として枢機に参画しており、記事には見るべきものが多いのが特色。 【収録】④1735〔享保20〕~1737〔元文2〕 ○四十未満の養子の禁 ○多氏伝来の古面の由来 ○内侍所の御鈴落ちれば参拝の人に賜う ○中御門上皇武者小路実陰より和歌三部抄伝授 ○官庫の礼服を試着の為借用す ○和漢朗詠集の清書仰付らる ○即位礼并に由奉幣発遣日時定 ○将軍家使井伊直定 ○近任将軍の命により江戸に於て弾琴奏楽法を研究して成功す ○多忠敬再興の舞楽胡飲酒を覧る ○通兄脚に腫物を生ず ○桜町天皇花見の宴に関白以下を召さる ○改元勘者争論 ○菅家輩伏原宣通を加えられたるに異議を申す(先例に違う) ○勘者に宣通を加うるは上皇・天皇の叡慮 ○代始改元につき所存を申さず領状すべし ○石山寺観音開帳により白銀御奉納 ○菅家輩内々年号字を進上 ○通兄母逝去 ○古来は大臣たりとも出家人は廃朝せず ○院より後撰集書写を命ぜらる ○中御門上皇古今伝授の予定の処御悩により延引 ○中御門上皇崩御 ○御葬送 ○通兄始て諒闇装束を着し参内 ○東寺弘法大師生身供破裂 ○久我家の家伝 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第96回配本 通兄公記3

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
8,800
今江廣道・藤森馨・平井誠二校訂、続群書類従完成会、平5、1冊
右大臣従一位久我通兄(1709-1761)の、享保9年(1724)から歿年に至るまでの日記を宮内庁書陵部所蔵の自筆原本によって翻刻する。通兄は通誠の孫にあたり、朝廷は中御門・桜町・桃園天皇の治世、幕府の将軍は吉宗・家重の時代にあたり、朝幕関係の良好な時期であった。通兄は議奏や武家伝奏として枢機に参画しており、記事には見るべきものが多いのが特色。

【収録】③1732〔享保17〕~1734〔享保19〕
○霊元法皇崩御
○細川宣紀の霊前に焼香す
○禁中近侍輩は随時焼香
○敬法門院崩御
○霊元院初七日通兄泉涌寺に参仕す
○霊元院御石塔開元供養
○故院祗候の女房退散落飾
○久我惟通初て続内弁を勤む
○近衛家久の任太政大臣近きを賀す
○天皇より通兄滋野井実全等に御召古しの冠を賜わる
○道仁親王病危急により天台座主を辞す
○熱病流行す
○惟通霊元院一周聖忌法会著座仰下さる
○天皇武者小路実陰より天尓於波の伝授を受けらる
○榊社の由来元は藤波家宅
○通兄六条有起亭に於て行粧を見物す
○東山院二十五回聖忌
○同宸筆御八講
○近衛家久通兄の内弁勤仕を賀す
○二条城辺火災
○八条隆英亭にて鹿を見る
○中院家和歌会始に久我惟通通兄父子の詠を請う
○東寺に於て弘法大師九百年忌大曼荼羅供執行御斎会に准ず
○出仕の院家と住侶と座次相論あり
○通兄の笛の師岡昌倫卒去
○近江国膳所郷大風
○通兄譲位受禅伝奏仰付らる
○所司代牧野英成更迭

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第96回配本 通兄公記3

8,800
今江廣道・藤森馨・平井誠二校訂 、続群書類従完成会 、平5 、1冊
右大臣従一位久我通兄(1709-1761)の、享保9年(1724)から歿年に至るまでの日記を宮内庁書陵部所蔵の自筆原本によって翻刻する。通兄は通誠の孫にあたり、朝廷は中御門・桜町・桃園天皇の治世、幕府の将軍は吉宗・家重の時代にあたり、朝幕関係の良好な時期であった。通兄は議奏や武家伝奏として枢機に参画しており、記事には見るべきものが多いのが特色。 【収録】③1732〔享保17〕~1734〔享保19〕 ○霊元法皇崩御 ○細川宣紀の霊前に焼香す ○禁中近侍輩は随時焼香 ○敬法門院崩御 ○霊元院初七日通兄泉涌寺に参仕す ○霊元院御石塔開元供養 ○故院祗候の女房退散落飾 ○久我惟通初て続内弁を勤む ○近衛家久の任太政大臣近きを賀す ○天皇より通兄滋野井実全等に御召古しの冠を賜わる ○道仁親王病危急により天台座主を辞す ○熱病流行す ○惟通霊元院一周聖忌法会著座仰下さる ○天皇武者小路実陰より天尓於波の伝授を受けらる ○榊社の由来元は藤波家宅 ○通兄六条有起亭に於て行粧を見物す ○東山院二十五回聖忌 ○同宸筆御八講 ○近衛家久通兄の内弁勤仕を賀す ○二条城辺火災 ○八条隆英亭にて鹿を見る ○中院家和歌会始に久我惟通通兄父子の詠を請う ○東寺に於て弘法大師九百年忌大曼荼羅供執行御斎会に准ず ○出仕の院家と住侶と座次相論あり ○通兄の笛の師岡昌倫卒去 ○近江国膳所郷大風 ○通兄譲位受禅伝奏仰付らる ○所司代牧野英成更迭 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

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