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従一位 中山慶子様書簡 孝明天皇の典侍・明治天皇の生母

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
55,000
■商品詳細

【書名】 従一位 中山慶子様書簡
【巻冊】 三通・袋入
【著者】 
【成立】 明治期

★ 中山慶子
  (なかやま よしこ、1836年1月16日〈天保6年11月28日〉 - 1907年〈明治40年〉10月5日[1])は、孝明天皇の典侍。明治天皇の生母、大正天皇の祖母、昭和天皇の曽祖母、上皇の高祖母にあたる。
号は中山一位局など。権大納言・中山忠能の次女で、母は平戸藩主・松浦清(靜山)の十一女・愛子。侯爵を授けられた中山忠愛は長兄。天誅組の主将・中山忠光は同母弟。従一位勲一等。
★ 天保6年11月28日(1836年1月16日)、京都石薬師に生まれ、八瀬(現京都市左京区八瀬)に里子に出されて育つ。17歳で典侍御雇となって宮中に出仕し、名を安栄(あえ)と賜る。孝明天皇の意を得て懐妊し、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)、実家中山邸において皇子・祐宮(さちのみや、のちの明治天皇)を産む。家禄わずか二百石の中山家では産屋建築の費用を賄えず、その大半を借金したという。
祐宮はそのまま中山邸で育てられ、5歳の時に宮中に帰還し慶子の局に住んだ。その後、孝明天皇にほかの男子が生まれなかったため、万延元年7月10日(1860年8月26日)、勅令により祐宮は准后女御・九条夙子の「実子」とされ、同年9月28日、親王宣下を受け名を「睦仁」と付けられた。
慶応3年(1867年)1月9日、睦仁親王が践祚。同年4月、慶子は病のため辞していた典侍に再任される。慶応4年(1868年)8月4日、従三位及び食禄五百石と屋敷地を賜わり、翌々年9月7日、さらに従二位に叙せられた。明治3年(1870年)9月、遷都に伴い東京に移住。
明治12年(1879年)に生まれた嘉仁親王(のちの大正天皇)の養育掛となり、同22年(1889年)まで親王の養育を任せられた。同年正二位。
明治維新による女院号廃止のため院号宣下は無かったが、国母として相応に厚遇された。明治33年(1900年)1月15日、大患により従一位に昇叙。同17日、人臣で初めて勲一等宝冠章を授けられた。明治40年(1907年)10月5日、東京青山南町の邸にて薨去。享年73。豊島岡墓地に埋葬される。
★ 備中岡山、倉橋家舊藏(安倍氏土御門庶流の堂上家。家格は半家)
★ 一通破れ
 
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■商品詳細 【書名】 従一位 中山慶子様書簡 【巻冊】 三通・袋入 【著者】  【成立】 明治期 ★ 中山慶子   (なかやま よしこ、1836年1月16日〈天保6年11月28日〉 - 1907年〈明治40年〉10月5日[1])は、孝明天皇の典侍。明治天皇の生母、大正天皇の祖母、昭和天皇の曽祖母、上皇の高祖母にあたる。 号は中山一位局など。権大納言・中山忠能の次女で、母は平戸藩主・松浦清(靜山)の十一女・愛子。侯爵を授けられた中山忠愛は長兄。天誅組の主将・中山忠光は同母弟。従一位勲一等。 ★ 天保6年11月28日(1836年1月16日)、京都石薬師に生まれ、八瀬(現京都市左京区八瀬)に里子に出されて育つ。17歳で典侍御雇となって宮中に出仕し、名を安栄(あえ)と賜る。孝明天皇の意を得て懐妊し、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)、実家中山邸において皇子・祐宮(さちのみや、のちの明治天皇)を産む。家禄わずか二百石の中山家では産屋建築の費用を賄えず、その大半を借金したという。 祐宮はそのまま中山邸で育てられ、5歳の時に宮中に帰還し慶子の局に住んだ。その後、孝明天皇にほかの男子が生まれなかったため、万延元年7月10日(1860年8月26日)、勅令により祐宮は准后女御・九条夙子の「実子」とされ、同年9月28日、親王宣下を受け名を「睦仁」と付けられた。 慶応3年(1867年)1月9日、睦仁親王が践祚。同年4月、慶子は病のため辞していた典侍に再任される。慶応4年(1868年)8月4日、従三位及び食禄五百石と屋敷地を賜わり、翌々年9月7日、さらに従二位に叙せられた。明治3年(1870年)9月、遷都に伴い東京に移住。 明治12年(1879年)に生まれた嘉仁親王(のちの大正天皇)の養育掛となり、同22年(1889年)まで親王の養育を任せられた。同年正二位。 明治維新による女院号廃止のため院号宣下は無かったが、国母として相応に厚遇された。明治33年(1900年)1月15日、大患により従一位に昇叙。同17日、人臣で初めて勲一等宝冠章を授けられた。明治40年(1907年)10月5日、東京青山南町の邸にて薨去。享年73。豊島岡墓地に埋葬される。 ★ 備中岡山、倉橋家舊藏(安倍氏土御門庶流の堂上家。家格は半家) ★ 一通破れ  

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