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日本古書通信掲載記事 目録とネット販売は水と油か

目録とネット販売は水と油か

福岡・葦書房 田宮 徹男

http://www.ashishobo.com/

 「見開きに値札の糊跡が付いているので返品します」「送って来た本を見たら小口が焼けているので返品します」。このように従来の古本販売を行ってきた常識からすると考えられない事が、次々と飛び出して来るのがネット販売では常態と言える。さて、ここで「古本を買うのにそんな小さなことを言う人は買う資格が無い」、と言ってネット販売と決別するか、多勢に無勢とおとなしく従うかの岐路である。
 私の店では平成十一年の九月に三千点程でネット販売を開始、初めの売り上げは月に三十万前後、六年半を経過した現在五万五千点をアップしてその五倍前後である。月に四百人前後の注文で、単価平均すると三千七百円位かと思う。この数字は十万円以上の商品が常に何点か含まれている数字ではある。
 現在までのネット販売を振り返って見ると、ネットは古本屋である私の商売にとって、最適の媒体であると思っている。紙の「目録」では千七百部程の発送で固定客からの注文を待つが、ネットでは日本中はもとより外国からの注文も入り、アップさえしておけば倉庫で十年以上寝ていた本だって、飛び立って行ってくれる。このように書くとネット様々のようであるが、実は、結構経費と手間の掛かるのが実情である。
 前述のように、クレームとも思えないようなことから、メールの受信・返信と、売れた本の削除などの在庫管理と、結構な時間が取られる。今私のところでは発送と入力業務で完全に二人は取られ、給料コストもバカにならない。
 もう一つネットで上手いくか否かの条件は仕入れである。要はいかに店への持ち込みと、宅買いがあるかにかかっていると言っても過言ではないだろう。特に地方では、市場の仕入れはおのづと限界がある。したがって仕入れの豊富さも重要な要素の一つだと思う。ネット販売を通して感じることは、自分の先入観を持たずに、すべてのジャンル、時代も江戸から現在までを載せることが肝要かと思う。何がヒットするか判らないのがネットの面白さでもある。
 そこでネットという新しい媒体を使った販売形態が、今後の古本屋に与える影響を考えて見ると、もはや、我々の古本業はネットを無視しては営業はなりたたない、と私は思う。市場に出品される本の量一つを取って見ても、稀覯本や資料性の高いものは別として、一般的な本の数は確実に減少している。これは今まで自分の店で不向きなものは市場へ出していたものでも、取り敢えずネットに載せて見ようという傾向からであろうか。次にネットでの価格競争の結果、市場での値崩れを起こし、皆出品せずにネットで更に安く値付けをして売るという悪循環のためであろう。また私の専門分野で言うと、今まで市町村誌などは豊富な在庫を武器に独壇場であったものが、たちまち値崩れを起こし、値下げを余儀なくされている現状を考えても明らかである。したがってネットで販売をしている、していないに係わらず、我々古本屋は媒体としてネットを無視出来なくなってしまったと思う。
 さて、このように書いて行くと、私の柱でもある本来の「文献目録」は、おろそかにしているように見えようが、ネットの売り上げは全体の二割位である。今、店頭売りは期待出来ず、その大部分を年に三回発行する「九州の郷土誌を中心とした西日本文献目録」が稼いでいることになる。
 本誌昨年一月号に書かせて頂いたが、これからは従来の活字を羅列したのみの目録では、ネット販売と比較して、お客に届くスピードの違いやコストの面を考えても太刀打ち出来ないから、確実に消滅していくであろう。私の場合で言えばオリジナリティのあるものとか、資料性の高いものは、ネット販売には不向きであると思われ、要は、差別化を図り、写真を載せ、解説をじっくりと読み込んで頂けるような目録であれば、生き残れるはずである。したがって今後は目録とネット販売は、おのずと棲み分けが進むものと思う。

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日本古書通信掲載記事 ペーパーとペーパーレス

ペーパーとペーパーレス

青森・林語堂 木村 宏

http://www.mmjp.or.jp/omiya/

 紙の目録は十七年前からやっています。その当時からのおつきあいのお客様もいらっしゃいます。一時は売上げが激減して止めようかと思いましたが、なんとか部数を減らしても、いまでは毎月発行しています。それまでは、目録を印刷するためだけに、ワープロでデータを作成していましたが、いまは、ネットにアップするデータをそのまま紙の目録の印刷版下にするだけで、そう手間はかかりません。
 ネットをやるようになったのが八年前で、「日本の古本屋」には、初期の頃に入ってやっていました。その頃はデータをフロッピーディスクに入れて、郵送していました。二ヶ月経ってもデータを更新してくれないので、催促の電話をした記憶があります。いまでは考えられないのんびりした時でした。
 ネットをやるようになってから、帳場で本を読んだりすることができなくなるほど、忙しくなりました。毎日九時間はパソコンに向い、飯を喰う暇もありません。古本屋はこんなはずではありませんでした。
 うちでは、本とお客を五段階に分けて考えています。古典籍というのはなかなか入りませんが、和本だとか専門書などは、「日本の古本屋」にデータを入れております。値段も高いものばかりです。次に価格の手ごろな趣味本や絶版文庫などは「スーパー源氏」に入れております。そこまでの本を紙に印刷したものを毎月の自家製目録にしまして、どちらかというと、パソコンのない方、年齢的にも高い方にお送りしております。また、その目録はホームページからダウンロードできるようにも公開しております。
 仕入れで入ってきた本で、バーコードのついた本、ISBNコードの付いた一般的な本は、それまで均一価格で店頭売りでしたが、それはそれで、「アマゾン」のサイトに出しております。比較的若い客層で、十代、二十代が中心かと思われます。
 箸にも棒にもかからない本は処分の前に店内で安く販売しております。
 ネットだけでもどこでもそうでしょうが、掛け持ちで忙しく、本を読む暇もありません。毎日バタバタとデータ入力に追われています。
 検索ができるということで、いままで何十年も探してきた本が即時見つかったと、メールでお客様に喜ばれ、「古本屋さんって偉大ですね」と、誉められると、何か嬉しく、それもネットの力なんだなと、検索機能が古本業界に与えた力の大きさを思います。
 これからも、この五段階でずっとやってゆくと思います。ただ、時代の流れで力の配分は変わってくると思います。ネットは便利だけれど、どこの店も他店の価値を見ながら、値下げしてゆき、セリでは上がった価格が、ネットでは逆にセリ下がるという弊害もあります。
 いままでは、他店の古書目録を眺めながら相場の勉強をしていたのが、ブックオフなんかに行きますと、シロウトの若者たちが、携帯電話でネットの価格を読み取りながら、セドリしているのが目立ちます。いまや、古書価は誰でも即座に判る時代です。年季のいる仕事ではなくなるのが怖いような感じがします。

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日本古書通信掲載記事 自らのHPを作る大切さ

自らのHPを作る大切さ

郡山・古書ふみくら 佐藤周一

http://www.humikura.com/

 当店がネット販売を始めてから今年で七年目に入った。二〇〇〇年の売上四三八万から二〇〇五年は一三三七万の売上と取り敢えずは少しずつであれ、売上は伸びているが、その伸びは現在の所鈍化している。今後ネット販売が果たして、古本業界の主流の販売形態になるかと言うと、個人的にはいささか疑問を感じている。コスト的には安価にはみえる。しかし、当店のような零細店でも、月々の経費は五万円程かかるし、PCの切替等の費用を考えると決して安価では無い。確かに家賃等と較べると安いとは思うが、その分人的負担は大きいものがある。24時間営業のしんどさ、休んではいけないという恐怖感のようなもの、始めて良かったのかと思う時もある。そして便利ではあるが、今後記録として長期の保存に果たして耐えうるのか、或日突然入力した全部のデータが消えてしまったという悪夢を時折見ることもある。
 お店に来てもらって、会話しながらの販売が少なくなっている現在、顔の見えないお客様を相手にするということが、これからの古本屋に多大な影響を与えていくことは、現実であるし、それが、古本屋にとってどうなのか、何年後か何十年後かに結果が出てからでは遅すぎるような気がする。本音を言えば本を手にとって、触って見て、買われなくともよいから店を楽しんで欲しい。ネットの世界の中で古本屋とお客様が共に切磋琢磨して、育っていけるのかと考えるといささか暗澹とした気持ちになる。お客様の顔を見ない、或いは知らない古本屋で良いのか。とは言え現実問題としては、当店も売り上げの少なくない部分をネットに依存している。週に数回のHPの更新と「日本の古本屋」等へのデータアップに絶えず追われている。その作業を休まずにしなければ、あっという間に売上に影響がでる。それを如実に知ったのは一昨年の父の死の前後であった。一ヶ月程データの入力をしなかったら、二ヶ月間、通常売上の30%減であった。これからのネット販売は「日本の古本屋」等の検索サイトに頼るだけでなく、自らのHPで新たな店を作ることを考えていかなければならないと思う(因に当店では売上比率HP65%検索サイト35%である)。検索では複数注文が少ないが、HPでは複数注文が多いこと、すなわちお客様の購入単価がより高いと云うことである。HPの目録を店の棚のように見せる工夫と印刷物より安いというネットの特性を活かして、画像を沢山使うこと。それはまた、安易な安値競争に巻き込まれない為にも必要なことである。朝であれ、夜中であれ注文は入るし、即応性が要求される。それに対応が出来ないと、お客様から選別される憂き目にあう。そういう意味ではコストはかかるが紙の目録はこちらのペースで出来るという大きな利点がある。本・資料をお客様の顔を思い出しながら、じっくりと集めて、在庫の負担が一寸厳しいけど、それでも作製している時の楽しさ、ついでに雑文などを書いて、自分を慰めながらと……良い事だらけと言いたいのだが。こちらが歳をとるようにお客様も歳をとってゆく。新しいお客様の開拓が少し難しいのが紙の目録の欠点である。
 当店の小目録は年4回程だが、既にネットの売上には追い越された。それでも、記録として残り、後で検証出来るというプラス面。そして長持ちしてくれると言うこと。読める目録、楽しめる目録それが当店の目録でもある。出来うれば後世の資料にもと思う。忘れた頃に来る注文の嬉しさは何物にもかえ難い。
 ネットは不特定多数、紙の目録は特定少数のお客様相手と言われるが、共通して言えることは常連のお客様を作らないと、今後は売上の安定増加も望めないと思うし、専門分野を持つ事も必要不可欠である。
 数年後ネットがどのような状況になっているのか予測が難しいが、ネットをしている書店としない書店との格差が広がっていくのだけは確実である。しかし、ネットであろうが目録であろうが、店であろうが、古本屋の基本は変わらない。その事がこれからの出発点でもある。

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日本古書通信掲載記事 小さな古書店と大きな古書店

小さな古書店と大きな古書店

郡山市・古書てんとうふ 熊谷鶴三

 このようなお題を頂戴してから、冷静沈着に過去二十一年間の当店の歩を振り返る事が出来ました。当初、この忙しさでは文章など書ける暇が無いのではないかと思っておりました。現に昭和59年にオープン致しました駅前店の移転がこの3月3日に終了・開店とめまぐるしい日々を送っていました。年の割には体のリバウンドも無くお蔭様で「これからの古書店」の布石になってくれるのではないかと自画自賛しております。
 「これからの古書店」を論ずるにはまたとない機会に恵まれた形となりました。「これから」を論ずるには「これまで」の分析は不可欠であります。これまでの経緯も業績も「これから」を保証してくれるものは無いといっても過言では無いほど情勢は厳しいのです。
 少し具体的に店舗立地の分析をして見ますと、当店の場合二店舗をひとつの共同体と考えております。といいますのも書籍の種類は際限無く広大ですので分別して本店(40坪)と新駅前店(15坪)に分散陳列してあります。それぞれに駐車スペース3~4台分を確保しています。地方都市では駐車場が不可欠要因です。旧駅前店はここ数年駐車スペースが無く、売買に影響が出始め、店舗移転を決意いたしました。新店舗はこの問題を解消、来客数も5割増しになり一応の成果を見ております。立地を考えての移転(旧店舗との距離約百m・本店との距離を考慮)でしたので、駅前地区には他都市からのフリーの来客があり、新店舗は点として確保しておきたい重要な店舗であり、本店は全てをリカバリーできる体制でこの難局を乗り越えねばと思っております。
 ディスプレイに関して昨今一番影響が出ている分野は漫画だろうと認識しております。当店でも漫画全般は一主力商品であり続けておりましたので戸惑っているのが現状です。
 この漫画市場の分析はそれぞれの経営者が対処しなければならない状況でしょうが、当店では全体の棚の占拠率は確実に減少の一途を辿っています。本店ではその代わりになる戦力商品を活字に拘った本に変換いたしました。今までの在庫・新入荷は全てネット商品になるだろうと思われます。
 私なりに「これからの古書店」の立地・ディスプレイを一元的に表現するとすれば「小さな古書店」と「大きな古書店」に集約できると思います。
 「小さな古書店」の定義は各地域の文化・環境にマッチした商品にオンリー・ワンの商品を加えた品揃いでしょう。オンリー・ワン商品とはその店舗の責任者(いつでもいる人で経営者でなくても良い)が拘りと専門知識を兼ね備えた商品を取り扱う分野です。他の商品とかけ離れた商品でも十二分に対応できるのであればそれは良しと考えられます。
 「大きな古書店」とは日本全国はもとより海外の需要にまで対応できる商品を取り扱う企業・企業体です。
 「小さな古書店」は立地を吟味する必要があり、「大きな古書店」は文字通り資金を含めた巨大なメガ古書店になり、立地条件はさほど問題ではなく「大きさ」に集約されます。
 「小さな古書店」が各地で生き生きとしてそれぞれのポリシーを生かした経営をし、「大きな古書店」は「小さな古書店」と業務提携をして商品の充実に当てる。こんな未来像(近い将来)があれば「小さな古書店」を増やしていきたい気分にもなれるでしょう。
 今後の十年がまた楽しく営業できますように祈念して。

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日本古書通信掲載記事 「立地条件」と言うよりも

「立地条件」と言うよりも

神田・@ワンダー 鈴木 宏

http://www.atwonder.co.jp/

 すでに「立地条件」は古本屋にとってさほど重要ではなくなったと考えています。無論、人の濃いエリアに立地すべき事は言うまでもありません。また神田神保町や中野ブロードウェイなどの特長あるエリアも重要な立地ではあると思います。しかし「ネット販売」がここまで行き渡った今、「仕入れと基本売り上げ」の確保ができるならば「店舗」の立地は決定的な意味を持たなくなったのではないでしょうか。
 では、重要な事は何かと言えば、ネット上であれ店頭であれ、お客様にダイレクトに訴求する商品を確保し続ける事だと思います。更に言えば、お店の魅力をどのような工夫で伝えて行くかという事も重要かと思われます。
 さて、そうは言え、個々の組合員の創意工夫には限界があります。より確かな未来を拓くためには、今までと違う意味での「立地」を求める事も必要かと思います。そこで「組合」の出番です。ネット上の立地で言えば「日本の古本屋とアマゾンの合併」などが考えられます。現実の立地ならば「安定した売り上げの期待できる大きな催事場の確保」又は「多くの組合員が参加できる実験店舗の運営」などでしょうか。社会全体の「物の流れ」が変わって行く中で、古本屋の英知を集め力を合わせて対応していく事が重要なのではないかと思います。
 ここまで来て、ちょっと詰ります。協同組合の良さである「相互扶助」、「自助独立」の精神からすれば、組合自体は大きな一つの方向に進むべきではないでしょう。またこの業界の自由闊達(又は自分本位)な人間関係も捨て難い。そういった事の良さを生かしてなお「商売」から「事業」へと転換する事ができるのか、又は組合員がそんな事を求めているのか。本当に重要なのはこの事なのではないでしょうか。

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日本古書通信掲載記事 明るく開放的で清潔に

明るく開放的で清潔に

神田・かげろう文庫 佐藤 龍

http://www.kageroubunko.com/

1 店舗の立地について
 私が独立開業を計画していた際、営業形態を店舗中心で行うと決定して後、都内の相当数の店舗物件を探しました。事務所での目録販売等ではなく店舗での売上を頼りにする訳ですから、当然その立地条件が最重要と考えて物件を探しました。
 私の店舗探しの条件は以下の通りでした。
 1階である事。交通機関の利便性が良く、人通りが多くてかつそれほど喧噪では無く、周辺の雰囲気共に良好である事。店頭での買取が少しでも見込める所。出来る限り賃貸料が安い事。
 相当虫の良い条件ですが、この条件が今でも私としては古本屋の理想的立地条件であります。でもこの条件というのは他の人やまた他の業種であってもほぼ一緒ではないでしょうか。
 上記の条件を出来うる限り満たして決定した現在の店舗ですが、開業して3年目を迎えて、店舗での売上を頼りにして生活してゆくには程遠い状況です。現実はネット販売や公共機関からの注文の取り付け、即売展などを組み合わせてなんとか続けている次第です。
 ただし将来的に見ても店舗を中心とした営業には楽観的ではないのですが、店舗を持つ事によって事務所形態での営業より様々なお客様とのコミュニケーションがとれる点等で、売上にしても買取でも大きなアドバンテージを持てると考えています。
 資金内で出来うる限りの良い立地条件といくつかの販売方法を組み合わせる事により、店舗中心の営業で充分成功できると信じています。

2 店舗のディスプレイについて
 開業して時間が経ち、最近つくづく思うのは「自分は古いタイプの古本屋である。」という事です。つまり良い本が然るべき棚に収まっていればそれで良し。良い本さえ揃えていればお客様が勝手にそれを見つけ出し(またはお問合せいただいて)、売れるであろうという風に。それでも店舗のディスプレイとして落ち着けて品の有るインテリアや、本の面出しその他の陳列方法の工夫は絶対に必要であると考えています。やはり明るく、こぎれいなインテリアのお店は女性客やあまり古書店を回らないお客様も店内に入りやすいと思いますし、自分の店では面出しをした本は棚に有る書籍よりも確実に早く売れていきます。また黒っぽい本や和本等はパラフィンをかけたり、ビニールに入れたりする事で、「汚い」と思われる事が無い様にしているつもりです。
 近年はカフェや雑貨等を複合した古書店も多少なり出来ていますし、なるべく既成概念にとらわれない形で営業してゆくべきだと考えています。その中で古書店に求められるものは「明るく、開放的で、清潔。」という他の業種でも必須の事項につきると思います。
(しかしながら実際は店を手伝ってもらっている妻や妹に店内のディスプレイを任せっきりである事を白状しておきます。)

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日本古書通信掲載記事 背水の陣の心構え

背水の陣の心構え

神田・虔十書林 多田一久

 二十七才で埼玉のかすみ書房に入り、六年ほど修業したが、その間何軒もの支店の立ち上げに関わってきた。もう二十年前の話である。立ち上げ後の売上はほぼ予想通りであった。客としての対象が小中学生や、高校生だから、立地条件はやはり学校の近辺、そして駅の近くであった。三十四才で東京板橋区の蓮根で独立開店した時、余りの条件の悪さに友人や同僚は開店に反対したものであった。
 しかし、私は本が好きでこの社会に入ったが、今新しくこの業界に入ってくる多くの人達のように特定の分野へのこだわりも知識もなかった。ただ、この職業でやっていくんだ、食っていくんだという背水の陣といってもいい強い意識だけはあったようだ。それは現在も変わらない。独立した蓮根では、その時々の人気商品、例えばヌード写真集、コミック同人誌、Jポップ、アニメムックなどを扱うことで割合と成績を上げることが出来、支店も開店出来るまでになった。それでもやがて、当店ばかりではなく、郊外の古本屋へ足を運ぶ人の数が減少してきた。立地は良くないが、プロの古本屋から見てもよい品揃えで客も入っていた店が閉店していく。私自身も池袋か巣鴨あたりに進出したいと考えていると、天から降って湧いたようにというのか、友人の古本屋たちの進めで、あれよあれよという間に、現在の東京古書会館のごく近くに店を出すことになってしまったのである。
 神保町に来てみると、本誌の三月号「神保町のニューフェイス」でも紹介頂いているが、私が好きで市場で仕入れてきた商品をガラスケースに展示すると、板橋では展示だけで終わっていた物が、客の強い反応をよぶのには本当に驚かされた。神保町には確かに、古本を探しにくる大勢の人達がいて、質も高いことは歴然であった。お前は古本屋の仕事として何が好きかと聞かれれば、間違いなく市場で入札している時であると答える。だから、店にはあまりいないのだが、妻の話によれば、遠方から月に何回かわざわざ訪ねて来てくれる方もいるようである。これは蓮根では考えられないことであった。ならば、商売は楽かといえばそんなことはないわけで、苦しい状況が続いている。ビジュアルな商品をメインにして行きたいと考えているので、やはり店舗面積が狭いことも原因しているのである。
 ネットに移行した方があるいは成績はあがるのかもしれないが、古本屋の店番から出発した者として店舗販売から離れたくないという気持ちも強いのである。
 店にいて客と話すのも大好きである。客からは様々な情報を得られるし、神保町では私の買ってきた商品への客の反応が誠に心地よい。資金的に難しいことだが、三十坪ほどの広い店舗と、客と対話出来るスペースが欲しいと思う。でも三十坪の店なら一人で管理できるが、対話スペースを造れば一人では無理だろう。
 郊外から入ってきた者の眼から見て、神保町はやはり特殊な本の街である。その中で、私はやはり、一般の人を相手に一般の古本を扱う古本屋があってもいいと思うし、そのようにしていきたいし、またそうしなければ大変だという背水の陣の心構えでいるのである。

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日本古書通信掲載記事 渋谷繁華街で再生・フライングブックス

渋谷繁華街で再生・フライングブックス

渋谷・古書サンエー 山路 茂

http://www.kosho.ne.jp/~sanei/

 戦後昭和22年に渋谷で創業、昭和47年渋谷古書センターを創立、平成15年には、長男(三代目)がフライングブックス(ブック・カフェ&イベントスペース)を仲間の協力を得て、手づくりで改装開店した。以上が当店の60年間の簡単なながれである。
 フライングブックス誕生は店の売り上げ低迷や人材の老齢化等の理由に加え、数年前から長男の計画を聞かされていた。折りしもセンター最後のテナント古書店ふづき書店さんが退店を申し入れてきたので、スムーズに実現に到った。不景気が思い切らせたとも言える。
 渋谷東急プラザの裏手にある当店の立地は、駅にも近いし、良い場所とされてきた。確かに悪い場所ではない。しかし、なかなか難しい場所とも言われ続けてきた。何人も居た同級生の家(店舗)もほとんどなくなってしまった。わずかにテナントビルとして一、二軒残るだけだ。店売りは地域と店主の主張なり、こだわりがマッチすることで成り立つのかもしれない。しかしマッチするのではなく、店主の方からアピールして、お客様にそれを喜んでいただく、それで商売を成り立たせる方法もある。継続した品揃等工夫も必要である。
 一応軌道に乗って3周年を向かえたフライングブックス。ディスプレイと店長の個人的な様々なこだわりを紹介する。
 渋谷の雑然としたエリアにある老舗の古書店ビル「渋谷古書センター」、その2階にある。階段には写真集や画集が綺麗なガラスケースにディスプレイされ、ふんわりと珈琲の香りが漂ってくる。
 古書店&カフェ、イベント開催が売りでスタートした。ポエトリー・リーディングを中心としたイベントやスプラシュ・ワーズという名前でインディペンデトな詩集の出版。「フライン・スピン・レコーズ」というブランド名でCDをリリースする。この店は3つのコンセプトで成り立っている。まず「今もこれからも新鮮な驚きや喜びを与えてくれるような〈未来のための古本〉」が集まるブックショップ。そして「旅先でもコーヒーと本があればそこは〈自分の居場所〉だ」という理由からカフェとしての機能。「渋谷の本屋という環境の中で新しいかたちでイヴントをやるというスペース。」この3つのエッセンスが「フライング・ブックス」に凝縮されている。
 洋雑誌を中心としたヴィジュアル・ブックに加え、周囲の棚には、ビートジェネレーション、精神世界、ネイティヴ・アメリカン、民俗学、音楽関係、そして詩集のコーナー等テーマ別にセレクトされている。四谷シモンの人形や建築家ライトのドローイングといったものも飾られている。イベント開催を想定して中央の2列の棚は可動式にして、定期的にポエトリー・リーディングも開いている。
 今までの主なイベントを少し紹介すると、ホワイトマンショー古本ラジオ、ジプシーナイト(スズキコージ絵本作家)、「ビートゴーズ・オン」ナナオサカキ(詩人)80才、「エグザイルス、ブックス、ナイト№1」ロバート・ハリス(作家D・J)ムロケン(室矢憲治)ドクター、セブン(詩人)他、「つまづく地球」出版記念、長沢哲夫(山尾三省等と活動した諏訪・瀬島の詩人)(ピューリッツァ賞詩人ゲーリー・スナイダー)等、ラップスポークンワーズ、小林大吾(詩人)タカツキ(WOODベース・ラップ)ビートゴーズオン火と竹の島から長沢哲夫、宮内勝典(小説家)デ・モー言葉たちとの夜猫沢エミ(歌・パーカション)沼田元気等、立体文学セッション紙芝居「ここだけ雨が降っている」第一・二話、新元良一(作家・翻訳家)山崎杉夫(イラストレイター)その他、ねじめ正一リーディング、関西出身MICの一人芝居等々、これからもこのディープなエリアで文化を発信し続け、お客様にとって新しい価値観が見つけられる様な古本屋でありたいと思っています。

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日本古書通信掲載記事 ターゲットは古本屋を知らない本好き

ターゲットは古本屋を知らない本好き

八重洲・金井書店 花井敏夫

http://www.kosho.co.jp/

 新刊書店を利用する読者の内、古書店を利用する読者はどの位いるのでしょうか? 調査資料がないので誰も予想しかできないと思いますが、私は一割、無理矢理大きく見積もっても三割でしょうか。新古書店の利用者はもう少し上回ることでしょう。逆に、古書店しか利用しない読者はまずいらっしゃらないと想像します。つまり、開拓の余地は充分にあると思います。
 金井書店が八重洲地下街に出店した動機は、「人の集まるところでは商いが成立する」事でした。今から二十年以上前の詣ですが、スーパーマーケットのイベントでよく売れたのです。だから、人出の多い東京駅八重洲地下街に出店したのです。七坪程の店舗が二店舗六十坪の店舗に成長したと言うことは、狙いに間違いはなかったのです。しかし、経済状況の変化、古書価の下落、娯楽・趣味の多様化、情報収集・教養・研究に便利なインターネットの急速な普及など、書物にかかわる環境が大きく変わり過渡期を迎えております。
 東京駅周辺は大きく変身しています。「東京駅ルネッサンス」「東京ステーションシティ」と言う文字が躍る再開発が進行中です。八重洲地下街も同時に変身してゆきます。金井書店もこの機会に、知らぬうちに「古書の世界」に吸い込まれるているような店づくりを目指して変身しようとしています。
 ショッピングセンター(SC)に位置する古書店はそのSCの方針に従い、他業種と同様に一体感を持って運営していかなければなりません。接客、品揃え、ディスプレーなど研鑽しなければならぬ事がたくさんあります。決して強制されているもではありませんが、人気店と並んで商いするのですから、良い刺激となります。五年前に開店したR・S・Booksはこのような環境の中から生まれたといっても良いでしょう。
 初めから本を求めてくる方には従前の古書店スタイルを大きく変更する必要はないと思います。古書ファン、読者が増えてほしいと思えば、新規開拓の努力が必要になります。その方怯もいろいろあることでしょうが、八重洲地下街に立地していればリアルな展開となります。店頭で足を止めて、本を手にして、店内に誘導……。お買上に繋がる商材とディスプレー。
 八重洲地下街ではクリスマスをテーマに「ディスプレーコンテスト」を実施しました。八重洲古書館は店の構えと商品構成から対応が難しいのですが、R・S・Booksは日頃からビジュアル面には特段の配慮をしており、表現力は向上してきました。単に本を面出しするのではなく、中を見せたり、グッズを置いたり、クラシックなタイプライターを置いたり、花を配置してみたり、様々な工夫をしています。先のコンテストでは、スタッフ自身が欲しくなるジャンルをメインに、店頭はクリスマスイメージをソフトに展開し、店内に自分の部屋で愉しめる飾り付けに心がけた一角を設けました。栞にもクリスマスカラーのリボンを結びご提供しました。結果は見事トップクラス。
 審査には専門家の方は勿論、周囲の店長さんたちも加わり採点されます。一般論からすると馴染みの薄い古書店がディスプレーコンテストで認められることに意義があり、新規顧客獲得の一手段が身につきはじめたことと喜んでおります。CS(顧客満足=Customer satisfaction)セミナーも必ず参加して、お客さまの立場に立った接客、ファンづくりなどについて研鑽しております。スタッフの感性を大切にしながら、立地条件などの改善を図りお客さまとの新たな出逢いを飛躍的に増やすことを目標に「金井書店再開発」を進行させます。二〇〇七年秋をお楽しみに。

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日本古書通信掲載記事 ゆっくり時が流れる店

ゆっくり時が流れる店

目黒・流浪堂 二見 彰

 店探しをしている時、僕の頭にあったのは、「多数ある立地条件をあれこれ考えるより、その場所を自分は好きか、その場所に自分は愛着が持てるか。」と言うことであった。計算や計画をすることが苦手で合理的に物事を考えられない僕は、観念的に物事を進めるしかなく、「たとえその場所が好条件の立地であっても、そこに愛情がなければどんな商売をやってもダメだ。一度惚れたらその場所と心中するぐらいの覚悟がなきゃな。」と考えていた。その思いは今でも変わらない。僕にとってこの店でやっていることは、商売と言うより「生きかた」なんだなと思う。だから一儲けしたいとか、商売を大きくして実業家になりたいとか思っている人は僕の考えには反対だろう。でも僕は僕だからしかたがない。
 自分で言うのもおかしいが、こんな僕に与えられた唯一の武器が〈直感〉または〈感覚〉であった。いま流浪堂をやっているこの場所も直感で決めた。なぜか一目見たとたん、ここならやれそうな気がした。ちなみに僕の目指している店は、ゆっくりと時間が流れる(時の経つのを忘れる)独特の雰囲気を持つ店、一歩入ったとたんにそこから全く違う世界が広がっているような空間を感じられる場所である。そして、見つけた店舗は駅からそう遠くはないが路地をちょっと入った静かな立地にあり、ここならお客さんがゆっくり時間を過ごしてくれそうな気がした。けっして従来の好立地条件とは言えないが、僕はその所謂好条件と言われている駅近の繁華街や人通りの多い商店街と言う立地は望んでいなかった。たぶん、そのような場所では流浪堂は続かなかっただろうと思う。
 だから店舗立地などはこれが最良と言えるものはなく、各々がやりたい店のカタチや商品コンセプトなどによって条件は変わってくるものだと思う。ネット売りを主とするか店売りを主とするかでも大きく変わってくるだろう。ただ僕個人が思うに、店を出す時には「売る場所」よりも「買う場所」ということを意識したほうがいいと思う。これだけインターネットが普及しオークションなどで個人売買が盛んになると市場仕入れも店買いも減少していくだろう。その時に立地条件として、仕入れが望める場所か、仕入れる為の努力が出来る場所かが重要になってくると思う。自分が愛せる場所、惚れ込んだ場所で頑張れればお客さんはきっと信用してくれると思うし、お客さんも一緒になって棚を作っていってくれると思う。
 独断と偏見でいろいろと書いたが、結局良くも悪くも自分に返ってくる訳だから自分がココだと思う場所で勝負するのが一番だ。人の意見に左右されたり、マニュアル本などを頼って場所を選び失敗しても誰も責任を取ってはくれない。
 店舗ディスプレイに関してだが、「真にお客さんに喜ばれるディスプレイ」は解らない。お客さんは多様化しているし、それぞれに合わせた棚作りなんか出来ないし、それに僕は八方美人な棚を作る気はない。棚を気に入ってくれるお客さんもいれば気に入らないお客さんもいて当然だと思っている。
 僕の棚作りは、これも〈直感〉と〈感覚〉のみである。既成概念に捕われるのはつまらない。だから理路整然とは並んではいないし、本の並べ方も平面ではなくデコボコに並べてある。背が揃っているのが好きではないし、平面だと見逃すところをデコボコにして、本一冊一冊にお客さんの目を止めたかった。宝探しを楽しんでもらいたいのだ。そして、本をどう並べるかではなく、どう飾るかを考えた。本のカバーや背表紙が語るモノは多大だと思うし、いつもそれをどう生かし、どう見せるかを考えている。買取の際にも僕は、お客さんの本で店を飾ってもらうと言う意識が強い。
 もっと言えば僕のディスプレイは、〈空間〉をどう作るかだ。一歩入ったら別世界を感じる事の出来る〈空間〉。棚作りをどうこう言うよりも、雑貨だったり、楽器だったり、音楽だったりを本とどのように絡めていくかを考える。僕はいつか、そう言う〈空間〉の中で、視覚・聴覚・触覚を刺激しうる想像力豊かな古本屋が作れたらすごく楽しいだろうなと思う。
 つまり、本をただ売るだけならチェーン店となんら変わらないし、僕の考えるお店とは、ただ商品を売るだけでなく、そこで過ごしている時間もお客さんに買って貰っている訳で、その無駄には出来ない大切な時間をこの店で過ごせてよかったと言われるような〈空間〉を持っている場所である。
 最後になるが、店舗立地もディスプレイも一番重要な事は、〈直感〉と〈感覚〉を信じる勇気と、実行する決断があるかどうかだと思う。

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