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日本古書通信掲載記事 渋谷繁華街で再生・フライングブックス

渋谷繁華街で再生・フライングブックス

渋谷・古書サンエー 山路 茂

http://www.kosho.ne.jp/~sanei/

 戦後昭和22年に渋谷で創業、昭和47年渋谷古書センターを創立、平成15年には、長男(三代目)がフライングブックス(ブック・カフェ&イベントスペース)を仲間の協力を得て、手づくりで改装開店した。以上が当店の60年間の簡単なながれである。
 フライングブックス誕生は店の売り上げ低迷や人材の老齢化等の理由に加え、数年前から長男の計画を聞かされていた。折りしもセンター最後のテナント古書店ふづき書店さんが退店を申し入れてきたので、スムーズに実現に到った。不景気が思い切らせたとも言える。
 渋谷東急プラザの裏手にある当店の立地は、駅にも近いし、良い場所とされてきた。確かに悪い場所ではない。しかし、なかなか難しい場所とも言われ続けてきた。何人も居た同級生の家(店舗)もほとんどなくなってしまった。わずかにテナントビルとして一、二軒残るだけだ。店売りは地域と店主の主張なり、こだわりがマッチすることで成り立つのかもしれない。しかしマッチするのではなく、店主の方からアピールして、お客様にそれを喜んでいただく、それで商売を成り立たせる方法もある。継続した品揃等工夫も必要である。
 一応軌道に乗って3周年を向かえたフライングブックス。ディスプレイと店長の個人的な様々なこだわりを紹介する。
 渋谷の雑然としたエリアにある老舗の古書店ビル「渋谷古書センター」、その2階にある。階段には写真集や画集が綺麗なガラスケースにディスプレイされ、ふんわりと珈琲の香りが漂ってくる。
 古書店&カフェ、イベント開催が売りでスタートした。ポエトリー・リーディングを中心としたイベントやスプラシュ・ワーズという名前でインディペンデトな詩集の出版。「フライン・スピン・レコーズ」というブランド名でCDをリリースする。この店は3つのコンセプトで成り立っている。まず「今もこれからも新鮮な驚きや喜びを与えてくれるような〈未来のための古本〉」が集まるブックショップ。そして「旅先でもコーヒーと本があればそこは〈自分の居場所〉だ」という理由からカフェとしての機能。「渋谷の本屋という環境の中で新しいかたちでイヴントをやるというスペース。」この3つのエッセンスが「フライング・ブックス」に凝縮されている。
 洋雑誌を中心としたヴィジュアル・ブックに加え、周囲の棚には、ビートジェネレーション、精神世界、ネイティヴ・アメリカン、民俗学、音楽関係、そして詩集のコーナー等テーマ別にセレクトされている。四谷シモンの人形や建築家ライトのドローイングといったものも飾られている。イベント開催を想定して中央の2列の棚は可動式にして、定期的にポエトリー・リーディングも開いている。
 今までの主なイベントを少し紹介すると、ホワイトマンショー古本ラジオ、ジプシーナイト(スズキコージ絵本作家)、「ビートゴーズ・オン」ナナオサカキ(詩人)80才、「エグザイルス、ブックス、ナイト№1」ロバート・ハリス(作家D・J)ムロケン(室矢憲治)ドクター、セブン(詩人)他、「つまづく地球」出版記念、長沢哲夫(山尾三省等と活動した諏訪・瀬島の詩人)(ピューリッツァ賞詩人ゲーリー・スナイダー)等、ラップスポークンワーズ、小林大吾(詩人)タカツキ(WOODベース・ラップ)ビートゴーズオン火と竹の島から長沢哲夫、宮内勝典(小説家)デ・モー言葉たちとの夜猫沢エミ(歌・パーカション)沼田元気等、立体文学セッション紙芝居「ここだけ雨が降っている」第一・二話、新元良一(作家・翻訳家)山崎杉夫(イラストレイター)その他、ねじめ正一リーディング、関西出身MICの一人芝居等々、これからもこのディープなエリアで文化を発信し続け、お客様にとって新しい価値観が見つけられる様な古本屋でありたいと思っています。

日本古書通信社:http://www.kosho.co.jp/kotsu/

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日本古書通信掲載記事 ターゲットは古本屋を知らない本好き

ターゲットは古本屋を知らない本好き

八重洲・金井書店 花井敏夫

http://www.kosho.co.jp/

 新刊書店を利用する読者の内、古書店を利用する読者はどの位いるのでしょうか? 調査資料がないので誰も予想しかできないと思いますが、私は一割、無理矢理大きく見積もっても三割でしょうか。新古書店の利用者はもう少し上回ることでしょう。逆に、古書店しか利用しない読者はまずいらっしゃらないと想像します。つまり、開拓の余地は充分にあると思います。
 金井書店が八重洲地下街に出店した動機は、「人の集まるところでは商いが成立する」事でした。今から二十年以上前の詣ですが、スーパーマーケットのイベントでよく売れたのです。だから、人出の多い東京駅八重洲地下街に出店したのです。七坪程の店舗が二店舗六十坪の店舗に成長したと言うことは、狙いに間違いはなかったのです。しかし、経済状況の変化、古書価の下落、娯楽・趣味の多様化、情報収集・教養・研究に便利なインターネットの急速な普及など、書物にかかわる環境が大きく変わり過渡期を迎えております。
 東京駅周辺は大きく変身しています。「東京駅ルネッサンス」「東京ステーションシティ」と言う文字が躍る再開発が進行中です。八重洲地下街も同時に変身してゆきます。金井書店もこの機会に、知らぬうちに「古書の世界」に吸い込まれるているような店づくりを目指して変身しようとしています。
 ショッピングセンター(SC)に位置する古書店はそのSCの方針に従い、他業種と同様に一体感を持って運営していかなければなりません。接客、品揃え、ディスプレーなど研鑽しなければならぬ事がたくさんあります。決して強制されているもではありませんが、人気店と並んで商いするのですから、良い刺激となります。五年前に開店したR・S・Booksはこのような環境の中から生まれたといっても良いでしょう。
 初めから本を求めてくる方には従前の古書店スタイルを大きく変更する必要はないと思います。古書ファン、読者が増えてほしいと思えば、新規開拓の努力が必要になります。その方怯もいろいろあることでしょうが、八重洲地下街に立地していればリアルな展開となります。店頭で足を止めて、本を手にして、店内に誘導……。お買上に繋がる商材とディスプレー。
 八重洲地下街ではクリスマスをテーマに「ディスプレーコンテスト」を実施しました。八重洲古書館は店の構えと商品構成から対応が難しいのですが、R・S・Booksは日頃からビジュアル面には特段の配慮をしており、表現力は向上してきました。単に本を面出しするのではなく、中を見せたり、グッズを置いたり、クラシックなタイプライターを置いたり、花を配置してみたり、様々な工夫をしています。先のコンテストでは、スタッフ自身が欲しくなるジャンルをメインに、店頭はクリスマスイメージをソフトに展開し、店内に自分の部屋で愉しめる飾り付けに心がけた一角を設けました。栞にもクリスマスカラーのリボンを結びご提供しました。結果は見事トップクラス。
 審査には専門家の方は勿論、周囲の店長さんたちも加わり採点されます。一般論からすると馴染みの薄い古書店がディスプレーコンテストで認められることに意義があり、新規顧客獲得の一手段が身につきはじめたことと喜んでおります。CS(顧客満足=Customer satisfaction)セミナーも必ず参加して、お客さまの立場に立った接客、ファンづくりなどについて研鑽しております。スタッフの感性を大切にしながら、立地条件などの改善を図りお客さまとの新たな出逢いを飛躍的に増やすことを目標に「金井書店再開発」を進行させます。二〇〇七年秋をお楽しみに。

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日本古書通信掲載記事 ゆっくり時が流れる店

ゆっくり時が流れる店

目黒・流浪堂 二見 彰

 店探しをしている時、僕の頭にあったのは、「多数ある立地条件をあれこれ考えるより、その場所を自分は好きか、その場所に自分は愛着が持てるか。」と言うことであった。計算や計画をすることが苦手で合理的に物事を考えられない僕は、観念的に物事を進めるしかなく、「たとえその場所が好条件の立地であっても、そこに愛情がなければどんな商売をやってもダメだ。一度惚れたらその場所と心中するぐらいの覚悟がなきゃな。」と考えていた。その思いは今でも変わらない。僕にとってこの店でやっていることは、商売と言うより「生きかた」なんだなと思う。だから一儲けしたいとか、商売を大きくして実業家になりたいとか思っている人は僕の考えには反対だろう。でも僕は僕だからしかたがない。
 自分で言うのもおかしいが、こんな僕に与えられた唯一の武器が〈直感〉または〈感覚〉であった。いま流浪堂をやっているこの場所も直感で決めた。なぜか一目見たとたん、ここならやれそうな気がした。ちなみに僕の目指している店は、ゆっくりと時間が流れる(時の経つのを忘れる)独特の雰囲気を持つ店、一歩入ったとたんにそこから全く違う世界が広がっているような空間を感じられる場所である。そして、見つけた店舗は駅からそう遠くはないが路地をちょっと入った静かな立地にあり、ここならお客さんがゆっくり時間を過ごしてくれそうな気がした。けっして従来の好立地条件とは言えないが、僕はその所謂好条件と言われている駅近の繁華街や人通りの多い商店街と言う立地は望んでいなかった。たぶん、そのような場所では流浪堂は続かなかっただろうと思う。
 だから店舗立地などはこれが最良と言えるものはなく、各々がやりたい店のカタチや商品コンセプトなどによって条件は変わってくるものだと思う。ネット売りを主とするか店売りを主とするかでも大きく変わってくるだろう。ただ僕個人が思うに、店を出す時には「売る場所」よりも「買う場所」ということを意識したほうがいいと思う。これだけインターネットが普及しオークションなどで個人売買が盛んになると市場仕入れも店買いも減少していくだろう。その時に立地条件として、仕入れが望める場所か、仕入れる為の努力が出来る場所かが重要になってくると思う。自分が愛せる場所、惚れ込んだ場所で頑張れればお客さんはきっと信用してくれると思うし、お客さんも一緒になって棚を作っていってくれると思う。
 独断と偏見でいろいろと書いたが、結局良くも悪くも自分に返ってくる訳だから自分がココだと思う場所で勝負するのが一番だ。人の意見に左右されたり、マニュアル本などを頼って場所を選び失敗しても誰も責任を取ってはくれない。
 店舗ディスプレイに関してだが、「真にお客さんに喜ばれるディスプレイ」は解らない。お客さんは多様化しているし、それぞれに合わせた棚作りなんか出来ないし、それに僕は八方美人な棚を作る気はない。棚を気に入ってくれるお客さんもいれば気に入らないお客さんもいて当然だと思っている。
 僕の棚作りは、これも〈直感〉と〈感覚〉のみである。既成概念に捕われるのはつまらない。だから理路整然とは並んではいないし、本の並べ方も平面ではなくデコボコに並べてある。背が揃っているのが好きではないし、平面だと見逃すところをデコボコにして、本一冊一冊にお客さんの目を止めたかった。宝探しを楽しんでもらいたいのだ。そして、本をどう並べるかではなく、どう飾るかを考えた。本のカバーや背表紙が語るモノは多大だと思うし、いつもそれをどう生かし、どう見せるかを考えている。買取の際にも僕は、お客さんの本で店を飾ってもらうと言う意識が強い。
 もっと言えば僕のディスプレイは、〈空間〉をどう作るかだ。一歩入ったら別世界を感じる事の出来る〈空間〉。棚作りをどうこう言うよりも、雑貨だったり、楽器だったり、音楽だったりを本とどのように絡めていくかを考える。僕はいつか、そう言う〈空間〉の中で、視覚・聴覚・触覚を刺激しうる想像力豊かな古本屋が作れたらすごく楽しいだろうなと思う。
 つまり、本をただ売るだけならチェーン店となんら変わらないし、僕の考えるお店とは、ただ商品を売るだけでなく、そこで過ごしている時間もお客さんに買って貰っている訳で、その無駄には出来ない大切な時間をこの店で過ごせてよかったと言われるような〈空間〉を持っている場所である。
 最後になるが、店舗立地もディスプレイも一番重要な事は、〈直感〉と〈感覚〉を信じる勇気と、実行する決断があるかどうかだと思う。

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日本古書通信掲載記事 店売り主体を選んだ側から

店売り主体を選んだ側から

川崎・近代書房 山本豊彦

 二月某日の市場の日、同業4人での昼食の折に、ネット販売も古書展等の外売もせずに、店売りだけで生計を立てている店の割合という話題になった時、ネット、外売も併用している麒麟堂さんとなぎさ書房さんが口を揃えて「1割あるかないかでしょう」というご意見でした。私(52才)と同年の長倉屋書店さんは共にネット、外売はせず、支店1軒を持ちそれぞれ4人の従業員に助けられて夫婦で働き家族5人の生計を立てている似た者同志。しかし、風俗物を置かずにという条件を加えると私達もはずれ、神奈川では皆無かも知れない。長倉さんはその比率がやや高いので深夜営業を余儀なくされている。この20年程の間の変容には驚くばかりだ。
 二〇〇一年、ほとんどの古書店と同じく売上げ低下の続く中、打開策としてネット販売を半年程かけて検討したのだが、結論として店売り主体でいく事を決め、その年の12月、隣接ビルに店舗を借りて支店を開設した。離れた町の支店なら似た品揃えでもよいが、20歩ほどの距離では違える必要がある。道行く人を眺めていると半数位は女性なのでレディース店とした。
 ネット販売は言う迄もなく最大の市場で、専門店にとってはほとんど必須条件、そこで思う存分力を発揮している同業者を見ていると魅力だが、自分は店売りが性分にあっているし、やはりこの町の古書店としてあり続けたい。
 立地条件は幸にも駅前の大通りに面していて人通りもあり様々なお客さんが来店する。近くに大学がないので極端な専門書は置けないが、取扱い分野はなるべく幅広くと心懸けている。値付に関しては元々ディスカウントの商売なのだから普通の商品はできるだけ安くしているつもりだ。買取りについてブックオフ等のチェーン店と違うのはマニュアルが無いという事。市場での仕入れ、特価本、店での買取りは全て自分1人でするのでマニュアルは必要ない。お客様から買値の基準を聞かれる事もあるが「相場もありますが、主に当店の売り値と売れゆきからです」と答えている。均一本や売り値の安い本はともかくとしてなるべく売り値の5割前後で買うようにしている。(もちろんダブついた本や市場出品となるものは例外だったりこの辺の事を書き出すと長くなる)
 店買いは年間5000件位あるので市場の日以外は店にいて余程のものを除き宅買いには行かない。家族には申し訳なく思うがこの四半世紀、日曜日に出掛けた記憶がほとんど無い。そういった事情でブックオフのように「一冊からでも」という買取りは高価なものを除いてできない。件数が倍に増えれば食事をするひまも無くなってしまう。それよりも買取りに関しては近隣の方々の蔵書の整理という建前でしているので読書量、蔵書量に応じてある程度の期間ごとにまとめてお持ちいただくようにお願いしている。(持込みの場合宅買いよりも高く買える)新刊書は余り古くならぬ内に、蔵書家の方は1年ごとの見直しで蔵書のレベルアップをおすすめするという具合である。古書の日や誕生日に本を売ってお食事をというキャンペーンはどうだろうか。
 売り値の価格破壊を謳う店は当然買い値も同様であるに違いない。そうならぬように努力したい。好きでしている商売であるから、地域に役立ち、この町にこの店があってよかったと思われるのが理想だ。
 店舗のディスプレイのノウハウについては個々の店の努力やセンスによるので述べる必要はないと思う。
 読者の方々には、良心的な店はもとより、特に全古書連に加盟して市場で修練を積み全国の各町で頑張っている店のご利用と応援を心よりお願いしたい。

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日本古書通信掲載記事 現代古本屋考

現代古本屋考

吉祥寺・よみた屋 澄田喜広

http://www.yomitaya.co.jp/

 1 古本屋はなぜ潰れないのか
 商店街のはずれ、ほとんど住宅地に半分入り込むようにして営業している古本屋がよくある。こんなところで経営が成り立つのだろうかと思ったことはないだろうか。
 古本屋も物販の一種、他の小売店と同じで、人通りの多いところで、営業するに越したことはない。しかし、どんな商売でも可能なところは家賃も高い。高い家賃を支払えるほどの売れ筋品をコンスタントに仕入れるのは大変むずかしいし、古本屋の品物は一点限りだから、売れた分だけ同じものを仕入れられる商売と同じような意味で回転率を上げることもできない。家賃もそこそこ売上もそこそこの裏通りに立地することになる。
 住宅街で営業する積極的な理由もある。古本屋は販売だけではなく買取もする。多くの人は地元で蔵書を処分するから、都心よりも郊外の方が買取があるのだ。本がたくさん入った重い袋を下げて、商店街の真ん中まで歩くのはつらいから、車も止めやすい周辺地域での買取が有利となる。
 仕入さえしっかりしていれば、販売方法はかなり工夫の余地がある。デパートやイベント会場などで行われる古書即売会への出店、古書目録の発行、インターネット、古書組合が主催する業者の市場への出品。店売り以外にも方法はいくらでもある。
 多くの古書店でお店以外の収入が大半を占めているのではないだろうか。収入が頼りにならないのなら、コストがかからないことが最も重要になる。自宅のガレージを改造して家賃ゼロなら、あえて好立地を求めてリスクを冒すより確実だ。
 そういうわけで、いかにも売れてなさそうな古本屋であっても心配ない。いや、心配はあるかもしれないけれど、何とかなっているからやっているのだと思う。
 お客さんの側から見ても、目立ちすぎる古本屋より、表通りから一度曲がった裏通りで発見できる古書店の方が、掘り出し物がありそうで、魅力を感じるのではないだろうか。

2 本は見た目が9割
 最近はきれいな古本屋が増えた。本が山のように積まれていて、半分ぐらい進入不能になっている店もまだまだある。
 しかし、全体的に見れば、ここ十年で古書店の面積当たりの在庫数はずいぶん減ったように思う。かつては未整理の本が店の味だったが、今はどうも違うらしい。最近のトレンドは本のセレクトショップだ。店主のセンスに合うものを選択して、お勧め品として提示する。
 書店では本を「探せる」ことも重要である。しかし、実際には普通の古本屋では探している本が見つかるということはほとんどないだろう。だから、あいうえお順などの探すための配列はあまり意味がない。
 それよりも、テーマごとに本を見せて、「発見」してもらうようにする方がいい。こんな本もあったのか、という楽しみは、日本の古本屋の検索では味わえないものである。
 近年、学術書もカラフルな装丁のものが多くなった。書店の店頭で売れるのはやはり見た目のかっこいい本だ。そういうものをお店独自の視点で、雑誌を編集するように構成すれば、古本屋は、本と人とのさまざまな出会いを演出できる小世界となるだろう。

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日本古書通信掲載記事 原点に帰る懐しい古本屋

原点に帰る懐しい古本屋

浜松・時代舎 田村和典

 この15年で地方の古本屋の風景は変わった。「まだこんな店が残っていたのですね」
 客からこんな声をかけられる事がふえた。先日、地元のミニコミ誌「浜松百撰」から懐しい店の特集で取材を受けた。刷り上がってきた雑誌を見ると、特集は・消えゆく職業・となっていた。
 店売りにこだわって30年、昔ながらの古本屋が、珍しがられる時代になった。それでも、客から一日中いたいとか、ここに来るとホッとすると言われると、嬉しい。
 浜松は地方都市で、県庁所在地でもない。駅前・繁華街の没落は目を覆いたくなる。大学も文系が弱く、店舗立地は都会とは異なる。こうした地域で、昔ながらの古本屋がやれる場所は、路面店(一階)で、家賃が安い(消却の済んでいる建物)事が絶対だと思っている(最近では、家賃が払えないのではなく、売り上げが家賃にも届かなくて廃業する話すら耳にする)。人口も集積がまばらなので、広域の方に来店してもらわねば成り立たない。最寄りの交通拠点から一キロ圏内外で、数年に一度は遠隔地の人が通る可能性のある場所でないといけない。
 因みに、弊店は、駅から一キロちょっと、市役所と美術館にはさまれて、真後ろに浜松城の天守閣。公園の入り口である。年と共に認知度があがり、地元では60キロ圏くらい(遠江・三河)の方が固定客として支えて下さる。年に一・二度、数年に一度の県外の方も寄って頂けている。
 ディスプレイについては、照明が明る過ぎない様に気をつけている。近頃は照度の多い店がふえている。本が背焼けして見苦しい所も多い。あるブログに「時代舎についてみると、さびれきった外見。ところが中に入ってみると思いもしなかった充実ぶり~」と書かれた事もあった。古本屋のディスプレイは、並べている本の背に尽きると思っている。店頭在庫を、特徴を出すための常備在庫と、頻繁に来店下さる方のための入れ替え在庫に分けて管理している。大体四ヶ月に一度は三割の本を入れ替え陳列している。一年経てば常備在庫以外はすっかり替わっている計算だ。足繁く通って来られる方には、最新の入荷品を提供し、一定の間隔を置く客には、前に来た時と一緒だという落胆を与えない。又、来ようと思ってもらえる棚造りを目指している。
 地方都市のハンディ・キャップも、見方を変えると武器になる。経費のかからぬ倉庫を確保し、在庫を三分割して養生する。バックヤードを活用して、在庫管理を徹底する事がまるで倉庫そのままの大型店と闘う道だと思う。どの店を見ても金太郎飴では面白くない。
 あと一つ。品質管理。古本はコンディションが異なるのは当り前だ。検品・補修を品出し前にキチンと行なう。痛みや線引きといった難点も分かり易く表示している。店に対する信頼、看板にブランドを獲ち取る上でも、これは重要なディスプレイかも知れない。
 ブックオフの登場で従来の古本屋が変化を余儀なくされているのではない。戦後の出版・流通・読者の量的・質的変化がブックオフを派生させ既存の古書業界をも洗っている。ウルトラCを持たない身にしては、何をしたいのかよく考え、愚直に丁寧にコツコツと仕事するのが一番だと思う。迷った時は原点に帰る。目を閉じて、昔寄った懐しい古本屋の光景を思い浮かべる。その憧れの雰囲気に少しでも近づける様、目を開けて、また仕事する。

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日本の古本屋メールマガジン 『ダンセイニ、その魅力』(後編)

『ダンセイニ、その魅力』(後編)

小野塚 力

つぎにダンセイニ作品の流れから考えてみたい。処女作品集である「ぺガーナの神々」は、ダンセイニの幼少期に見た無垢なる記憶が 〈神話〉という形で形象化されている。ダンセイニ好きで知られる作家、稲垣足穂「一千一秒物語」にもいえることだが、両者とも〈世界解釈〉(=〈神話〉)の物語という側面がある。その視点から切り込むのであれば、風土的な差異と作家としての嗜好の差異とがそれぞれの作品の違いになっていることに気付かされる。「一千一秒物語」には、足穂の人工物への傾斜があり、そしてなにより月も星も人間と等価に存在する世界である。そこには絶対的な存在が前提として存在しない。すべての事物はオブジェとなり、永遠の運動をくりかえす。宇野邦一氏のいう「和製の未来派、星菫派」の装いにつつまれたモダンな〈神話〉なのだ。一方、「ぺガーナの神々」は、絶対者が夢みる多神教的世界という構造に絶対者という意識が ある時点で一神教的な価値観の投影を感じさせる。結局のところ、根本的なところには「ぺガーナの神々」にも西洋的な根が存在している。両者に共通するのは、世界そのものも突き放す創作者としての自我の強靭さである。これは、ある種の強みといってよいかもしれない。創作者としての強靭さが二人の作家としての長い歩みを耐えさせたようにも感じられる。「ぺガーナの神々」における暫定的な脆い多神教の世界には、儚さゆえの美しさというものも計算されていたようにも思う。原初性、つまり、自分の言葉で世界を把握することのできた黄金時代、そうしたものは当たり前だが一回性を前提とする。しかし、こうして形象化されたダンセイニの幸福な記憶は、読書という行為を経ることでなんどでも復活する、ある種の永 遠性、不死性を獲得することになったのではないだろうか。

「ぺガーナの神々」における唯一神の夢見る多神教的世界、「ヤン河の舟歌」における、アイルランドから来た「私」が見聞する多神教の世界という構図に、ダンセイニの内的な緊張関係の投影を認めるとするのならば、そこにはダンセイニ自身の〈汎神論的感受性〉と〈一神教的価値観〉の〈対立〉をみいだすことができるのではないだろうか。初期ダンセイニの創作衝動は、すべてこの内面における異なる価値観の衝突から起因しているように感じられるのだ。そうした文脈で考えるのならば「サクノスを除いては破ることあたわぬ堅砦」などは、ダンセイニ自身の未知の領域である内世界における汎神論的なものを一神教的なもので照らし出そうとした軌跡を冒険譚としてのこしたのではないかと思うのだ。龍殺しを経ることで敵である魔術師と対等の地平にたつ英雄レオスリックは、結果として人間世界への回帰を許されない。それゆえにラストの強制的な距離感を設定する、有名なあの一文が登場することになるのだろう。レオスリックの内的な探索行もやはり一回性のものであったのだろう。「ヤン河の舟歌」においても以降の二部作で「私」が二度と川鳥号に乗船することができなかったように。こうした初期作品から認識される作家としてのダンセイニの気質に、風景先行型、閃き重視、短編型という側面を認めることができよう。

さて、初期ダンセイニにおいて総決算的な色彩をもつ長編がある。傑作「エルフランドの王女」である。初期短編に好んで用いられた主題がすべて投影され、妖精の王女と人間の王子との恋愛をめぐるファンタジーであるが、この作品のラストには、ダンセイニの作家としての変化が投影されている。これまでの作品世界を支えた〈対立〉という要素が〈融和〉に変化しているのだ。「エルフランドの王女」の最後は、妖精の国と人間の世界とが一体化した形で終わる。ここにダンセイニ自身の感受性の問題の投影を認めるのならば、どのようなことがいえるだろうか。ひとことでいえば、妖精の国に〈汎神論的気質〉を、人間の国に〈一神教的価値観〉が仮託されているとするのならば、それは二つの異なる価値観の〈融和〉でしかないだろう。そして、この「エルフランドの王女」以降に登場した「ジョークンズもの」つまり、ホラ話という形態で、幻想を現実世界に〈融和〉させるという作品群が登場し、ダンセイニは、ハイ・ファンタジーの世界から離れ、現実と夢想の交錯した作品世界を増加させてゆく。つまり、ダンセイニは「エルフランドの王女」の発表以前と以降とで作家としての相貌を変化させるのだ。いわゆるファンタジーの祖としての役目をダンセイニは「エルフランドの王女」を執筆することで終えたようにも感じられるのだ。

私が「エルフランドの王女」のラストシーンに感じた異世界の輝き。しかし、けっして届くことのない、たどりつけない場としての距離感の生み出す美しさ。こうした距離感によって保証される幻想美は、やはり儚さを基調とした夢想そのものに近いのだろう。ただ、そうした幻想性をメインとした形での作家像の把握に私は違和感を感じる。より端的にいうのならば、荒俣宏の論考にあるような作家を神秘化、絶対化するような志向には一切賛同することができない。荒俣宏の恣意的なダンセイニ紹介はすでにあきらかだが、この荒俣史観ともいうべき前提からダンセイニをとらえる限り、新しいダンセイニへのアプローチは決して生まれることはない。作家の神格化からはなにも生まれないからだ。時代は常に動き、人の価値観もまた 流動的である。そして、時代時代によって作家像も変貌する。その時代にそぐった新しいダンセイニ像を読み手ひとりひとりが確立すればよいのだろう。逆にいえばそれだけ柔軟かつ豊かなものをダンセイニの遺した作品世界には内包されていると私は確信している。

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日本の古本屋メールマガジン 『ダンセイニ、その魅力』(前編)

『ダンセイニ、その魅力』(前編)

小野塚 力

 幻想作家、ロード・ダンセイニ。ある人にとっては「エルフランドの王女」「ぺガーナの神々」に代表されるような幻視者としての側面が重要視され、ラヴクラフトを魅了し、トールキンやル=グインらへの影響が顕著なファンタジーの祖の一人として意識されている。また、翻訳家であり歌人でもあった片山広子に積極的に紹介され、菊池寛らに大きな影響を与えた戯曲作家としてもしられている。いずれにしても、作家ダンセイニをめぐる評価軸は多岐にわたっている。
 
 日本におけるダンセイニ受容をふりかえると大きく分けて二期にわけることができよう。ひとつは、大正から昭和初期にかけてのケルト文藝復興運動と関連した形での戯曲作家としての受容、そして戦後のファンタジーおよびミステリーの書き手としての受容である。戯曲作家としてのダンセイニ受容を語るうえではずせないのが、前述した、翻訳家松村みね子こと片山広子である。歌人としての評価も高い片山広子であるが、芥川龍之介ファンならば、彼女が晩年の芥川から「越し人」とよばれプラトニックな恋愛関係にあったことを知る人は多いだろう。芥川からもその才媛ぶりを認められた片山広子であるが、大正から昭和のはじめにかけて、松村みね子の筆名で、シング、ショオ、イエイツ、ダンセイニらのアイルランド文学作品を翻訳し紹介している。(なお、ダンセイニ戯曲については現在、沖積社から「ダンセイニ戯曲全集」が刊行され、比較的容易に手にとることができる。)片山の訳は平易かつ格調が高い理想的な文章で貫かれている。他方、「かなしき女王」の訳では雅文体に近い韻律の美しさを優先させた文体で翻訳をおこなっている。このあたり、片山広子という女性の非凡さを如実に感じさせる部分である。 

 片山のこうした貴重な訳業から提示される戯曲作家ダンセイニの作品世界は、シンプルな構成の中から提示されるダイナミズム、一貫してながれる緩やかな虚無感、どこか神秘的なものをかんじさせる東洋的な舞台立ての多さなどがその特徴といえるだろう。ダンセイニをはじめとするアイルランド文学の影響は、芥川や菊池寛、久米正雄といった第四次新思潮派にも認めることができる。特に菊池寛においては明白だ。卒業論文がアイルランド戯曲についてであり、また、ダンセイニとの関係でいえば、片山の「ダンセイニ戯曲全集」の序文を執筆し、自身の戯曲「閻魔堂」においてもダンセイニ「山の神々」からの影響が指摘されている。久米正雄も自作「地蔵教由来」について、ダンセイニ「山の神々」を参考にしたという久米自身の証言が報告されていたのを読んだ記憶がある。こうした事象から浮かび上がる大正から昭和初期にかけてのダンセイニ観は、劇作家としてのイメージであり、現在流布しているような幻想作家としての側面は殆どない。むしろ現在ダンセイニを代表する初期短編世界の魅力について取り上げた文章はこの時代皆無といってよいだろう。ダンセイニの幻想性を称揚する見方は、戦後しばらくをまたねばならない。

 日本で戯曲作家として受容されたダンセイニであるが、戦争をはさんでしばらく忘却状態が続く。そして、戦後のダンセイニ受容を語るうえで決して外すことのできない人物が現れる。作家、荒俣宏である。自身の幅広い活動の初期において精力的に幻想小説を紹介しつづけた荒俣宏であるが、ことダンセイニへの惚れこみようは半端ではなく、「思潮」におけるダンセイニの幻想小説の紹介の記事とダンセイニ論は大変な熱気に包まれている。荒俣宏のこのダンセイニ論は、作家を「幻視者」という規定のもとに、その〈幻想美〉を称揚するものとなっている。事実、荒俣宏のダンセイニ紹介は、そうした路線を決して裏切るものではなかった。自身が精力的に構築した「幻視者ダンセイニ」のイメージをまもるかのように。このファンタジーの祖、幻視者という典型的なダンセイニ像は今も多くの鑑賞者に印象つけられているのではないだろうか。「二瓶のソース」のような軽妙なミステリーの書き手という評価もあるだろうが、ファンタジー関連の評価の方が優勢を占めているだろう。しかし、河出書房から刊行されたダンセイニの初期短編集の全訳は、これまでの幻視者ダンセイニという固定観念を崩しかねないものをはらんでいる。こうした短編集に収録された多彩な短編群から浮かび上がる作家としてのダンセイニは、わりあいに様々な作風に対応する短編小説家としての顔をみせている。

(次月 後編に続く)

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日本古書通信掲載記事 大阪モダン古書展より

大阪モダン古書展より

大阪・矢野書房 矢野 龍三

 ようやく朝晩涼しくなってきました。今年の夏は本当に暑かった。私共にとっても大阪古書組合での月いち即売会・百貨店での催事・恒例のOMM大即売会・モダン古書展・お盆の天神橋おかげ館プチ古本まつりなどなど、まさに古書即売会夏の陣といった様相を呈しておりました。その内私共の仲間みんながガンバッタ「モダン古書展」での「古本サミット」の様子をクライン文庫さん、モズブックスさんたちのレポートを参考にご報告申し上げたいと思います。又、今後も続く即売会の宣伝になればなどと考えております。
〈古本サミットⅠ・Ⅱ〉
 於・大阪古書会館/芦屋市美術館  平成20年6月7日(土)午後1時より、大阪古書会館6Fの会議室にて「古本サミット VOL.1本の買い方」が行われました。当日は、古本屋を中心に、新刊書店の方、一般のお客様を含め約30名が参加。最初に、司会のクライン文庫・フルカワさんより趣旨の説明。以下の四つのテーマに沿って活発な議論がなされました。

(一)古本屋さんは、如何にして本を買うのか。  市会が中心で、客買いは難しいとの発言が相次ぐ中、天牛堺さんからは市会よりも客買いの方がやりやすいとの御意見。一般の方は、古本屋側の利益分も含めてこの金額になると、きちんと自信を持って説明すれば納得していただけるが、市会では儲からないぐらいの高値になることもあるから、と。

(二)古本と新刊本の買い方に違いはあるのか。  新刊書店にお勤めの方からは、「やはり違う。いつも新刊書店で買っている人は、品切れ本で古本屋にならあるかもと御案内しても、古本屋まで探しにいかないのではないか。あと、今テレビで紹介してた本と言って問い合わせてくる方も多い。そういう人は古本屋には行かないだろう」との御意見。

(三)古本の販売価格はどのように決まっていくのか。  古本屋にとっては企業秘密的なところもある話しにくいテーマだと思いますが、「相場は過去の経験から決まってくる」「仕入れ値と経費を考慮して付ける」となかなか堅実なお答え。「日本の古本屋」が出来たことで、値段の付け方が変わってきたのでは? との問いかけにも、「参考にはするけど、あまり左右はされない。そういうものが通用しない商品もあるので、そこでいくらの値段を付けられるかが、古本屋の力」と頼もしい意見が出されました。古書象々さんからは、「自分はまず生活者なので、その日のお金の要り用によって値段を決める。」とのユニークな発言もありました。

(四)古本の価格は、本当に、安い方がいいのか。  一様に「安いにこしたことはないでしょう。」とにべもない返事が返されましたが、「安く付けすぎてお客様から怒られたことがる」というお話も。一括で買った映画パンフを目録に載せた時、希少品が混ざっていて、知らずに安値を付けていた為、注文が殺到し、こんな値段では絶対ハズレてしまう!と抗議されたということです…。このあたりで時間切れ。  続いて7月19日(土)モダン古書展(芦屋)にて「古本サミット VOL.2本の売り方」が開催されました。古書店主11人とお客様およそ20人が対面形式で着席し、討議。各古書店主がそれぞれ力を入れている「売り方」を披露するなど、前半は古書店サイドに発言機会が多かったようですが、後半からはそれを踏まえてお客様のご質問に答える形に移行し、積極的な討論、意見交換が行われました。サミットは予定の2時間を大幅に超過し、休憩なしに2時間半近くも続きました。  お客様からのアンケートには「古本屋さんたちの本音・問題点が聞けて、非常に参考になった」「各店主さんのお顔と肉声にふれることができたのが収穫でした」という声をいただきました。  われわれ古書店主も、帳場の奥にじっと座っているだけでなく、こういう機会を設けて、お客様の声をじかに聞かせていただくとともに、お客様に対して古本屋のやろうとしていることを積極的に発言していく必要があるのかもしれません。そういう意味では、大阪と芦屋で行われた2度の「古本サミット」は、古本屋にとっても、いろいろと大きな収穫がありました。 〈『谷町月いちAuAu通信』について〉  AuAu通信は「谷町月いち古書即売会」会場にて配布いたしますが、遠方で会場には行けないけれど読みたい! という方は『AuAu通信希望』とお書きの上、下記「谷町古本の会」迄お申し込み下さい。無料で送付いたします。

日本古書通信社:http://www.kosho.co.jp/kotsu/

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日本古書通信掲載記事 ひとつの古書展を通じて

ひとつの古書展を通じて

神田・西秋書店 西秋 学

http://nishiaki.jimbou.net/

 私の参加していた「アンダーグラウンド・ブックカフェ 地下室の古書展」(以下、地下展)は、本年六月の第十一回をもって、ひとまず終了した。ポスターや目録に「ファイナル」と記載したためか、多くのお客様に惜しんでいただいたのは嬉しい限りであった。  そもそも地下展は、新・東京古書会館に作られた新しい設備をフルに活用すべく始まった古書展であった。とは言え、最初は我々も何をやっていいのか分からず、知人の協力を得て、どうにかこうにか映画上映と展示を併催した。イベントも古書展も初めてにしては中々良い内容であったが、いかんせん平日の初開催。来場者数の面では決して満足のいくものでなかった。

 ここで一念発起した。もっと色々やらねばならないと。ただでさえ新規参入、平日開催のハンデがあるのだから、普通ではだめだ。  地下展の諸先輩方は実に寛容で、まずダメとは言わない。「新しい設備を活用する」をまさに額面通り受け止め、トークショー、落語、映画上映、ライブ、ワークショップ、展示、フェア。思いつき、実現できるイベントはドンドンやってみた。

 日程も組合に要望して日曜初日とした。ご存知のように日曜の神保町はいささか寂しい。最初は不安だったが、驚くほど人が来た。  新しい客層を開拓せねばならないと、チラシを新刊書店、美術館、カフェ、雑貨店などに撒いた。撒いた……と簡単に書いたが、当初は苦労ばかりだった。何しろお膝元の本の街・神保町ですら、「古書会館」「古書展」という言葉が通じない。本当に愕然とした。  イベントのおかげで来場者は増えたが、かならずしもすべての方が本を購入する「お客様」にはならない。イベントに参加し、展示を見るだけで帰られる方もいる。じゃあ何のためにやるのかと言えば、話題性・広報の面が大きい。何も買わない来場者の方も、イベントや展示の様子を自身のブログで報告してくれる。これが次に繋がる立派な宣伝になっている。そして主催者である私達が「楽しい」。これが大事。

 一方で「買う」お客様が増えていったのもよくわかった。注文品の受け取りとは別に、ある程度の高額品がよく動くようになった。理由はわからないが、ゆっくり見られるような落ち着いた会場の雰囲気のせいだろうか。また客層の幅が目に見えて広がっていった。これほど女性客の多い古書展は無かったと思う。  これらの新しい動きの多くは、お客様や異業種との交流から生まれたものだ。投げかけてみれば、必ず反応があった。昨今、業種を超えた「本」のイベントが各地で盛んである。悪いニュースの方が多い「本」の業界だが、明るい話題はまだ作れるはずだ。

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