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自著を語る(114) 『戦争俳句と俳人たち』について

『戦争俳句と俳人たち』について

日本古書通信 編集長 樽見 博

 ようやく『戦争俳句と俳人たち』が刊行になった。「戦争俳句私論」を松本八郎さん主宰の書物誌『サンパン』に連載を始めたのが2008年6月で、3回書いた。その後、前橋の古書店山猫館書房の水野真由美さんと当時は土屋文明記念文学館にいた林桂さんを中心とする俳句同人誌『鬣(たてがみ)』に参加し、2009年5月から11回連載させて頂いた。それを元に1昨年3月に最初の原稿をまとめ、出版をすすめてくれていたトランスビューの中嶋廣さんにお渡しした。以後2年間かけて俳句とは無縁の方にも理解できるよう、また新たに判明したことなどを加筆するなど、都合8年間かけて何とか完成にこぎつけた。職場が神保町古書店街という絶好の環境と、良き人たちに恵まれた結果だと感謝している。

 私が編集している『日本古書通信』は古書趣味の雑誌で、効率のみが重視される時代になれば不要不急のものとして存続は難しくなる。古書の世界で遊んでいられるのは平和である証拠なのだ。そんなことで以前から戦時中から終戦直後にかけての表現者たちの言動の推移を示す資料を集めるようになった。自分が戦時中のような状況におかれたらどうなるのかという懸念があるからだ。その中でも、戦争中の俳句界を詳しく考証したものが少ないことに気づき注意することになった。もとより俳句は好きであった。

 本書第Ⅰ部は、戦時中に師から独立して自らの俳句観を確立していった山口誓子、日野草城、中村草田男、加藤楸邨の戦争とのかかわりを時代の推移にそって追い、第Ⅱ部では、戦前戦中の俳句入門書や理論書の中で戦争俳句がどのように扱われているかを紹介、第Ⅰ部でとりあげた4人以外の俳人の戦争とのかかわりを解説した。集めた資料はいつの間にか六畳間一杯になってしまった。

 『鬣』の同人たちは、30代から50代と比較的若いが、高校時代からの句歴を持つベテランが多い。その点私はまったくの素人で、そんな私が一時代の俳句界を検証するというのは蛮勇に等しい。それでも、俳句理論上の問題だけでなく、出版や言論にまつわる全体的な視点から探るには、俳句以外の資料も必要であり、その点、私は収集に有利な環境にあり、集めた以上、整理しておくことが、『日本古書通信』の編集にかかわる者としての義務とも感じたのである。現在の古書業界で俳句資料は軽視されている。古書価が低ければほとんどがやがてゴミとして処分されてしまうのだ。

 書き上げて今改めて思うことは、小説などと違って俳句は、芸術としての俳句を追求する俳人と、生活の潤いとして日々の感動を気軽に十七文字に表すことを喜びとする庶民によって成り立っている。物質的にも言論上でも制約の多かった戦時中にあって、最も困難であったことは、個人的な芸術的追求と天秤にかけてどちらが重いと判断されるようなものではないが、人々が作品を発表する場所である俳句雑誌の継続であり、そのために払われた懸命な努力は真に敬意に値するだろうということである。それは、少々気恥ずかしいもの言いだが、3・11という未曽有の試練に直面している我々が、常に今回の惨事で傷ついた人たちと共にあるという意識を持って生きていくことが大切であるということと通底しているようにも思うのである。
haiku
 『戦争俳句と俳人たち』樽見 博 著 トランスビュー刊 好評発売中
  定価3360円(税込み)
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7987-0146-2.html

日本古書通信
http://www.kanaishoten.jp/kotsu/

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自著を語る(113) 詩集 古本屋人生史

詩集 古本屋人生史

青木正美

 二十歳で始めた業歴も私的蒐集(コレクション)を息子に託し古書市場で売っている、この二、三年を含め六十年にもなる。 私は終始文学書主体に商売をし、結局は自筆物を得意とした。若き日は詩らしいものを書いていたが「現代詩」が苦手で同時代の詩人では唯一、素直に頭に入ってくる大木実が好きで、ひそかに私淑し『場末の子』から『駅の夕日』までを初版で集めた。大木は少年時の万引を最後の詩集に入れており、私も少年時の体験を「幻の古本屋」という序詩に告白した。

 私は三年前に咽頭癌に倒れ、治療は筆談から始め、以来街歩きと予後の通院くらいしか出来ないでいる。よく昔の日記を読むがその端々には詩らしいものが見つかり、移りゆく心情や光景やらが甦った。それらをノートに写し始めて一年、一年一詩を原則に、年代順に八十歳の老いまでを採集してみた。例えばこんな詩。

俺が東部古書会館の開くのを待っていると/ここ山谷の空から/どこかの煙突から出た煤が舞い降りて/風に吹かれてあっちこっち

南千住駅へ向かう通勤の娘の足もとに/まとわりついたりはなれたり/はたまた気まぐれに舞い上がったり/そしていずこかへ消えうせた

煤の命は俺の命/大した違いはありはしない

 私は明治古典会の日以外、建場廻りに励み、下町の古本市場にこうして早朝から出品のため車で待っていたのだ。「山谷の朝」(一九六八・七・一五=35歳)と題し、詩集に入れたものだ。やがて克苦勉励、追いつけ追い越せが過ぎると、凡愚はおきまりの男の煩悩にも襲われるようになる。日記は正直にが信条の私はその日々までも詩にしていた。・・・・・・果ては「因果報応」の言葉を胸の内で繰り返さなくてはならない病にさいなまれるととなる。
 
 ただしこの詩集は「現代詩」にはほど遠く古臭いものだ。上林暁、川崎長太郎などの「私小説」、荒木経惟(アラーキー)の「私写真」流の「私詩集」とでも言うべきか。これは私の三十八冊めの本だが、最初の三冊目までと同じ自刊本である。願わくば、販売数一〇〇部が一日も早くよき読者に求められることを・・・・・
<青木書店刊・定価1000円+税>

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*購入ご希望の方は
tel/fax 03-3604-7808(青木正美)へ直接お申し込みください。

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kasama

編集長登場シリーズ(12) 『書物学』の射程

『書物学』の射程

勉誠出版『書物学』編集部 吉田祐輔

書物は、モノとしての形や大きさ、紙などといった物質と、そこに記されている内容(テクスト)という文字情報からなる(堀川貴司『書誌学入門』)。文学研究の場では、どちらかというとテクスト研究に重きの置かれていることが多い。しかし、すでに書誌学の成果が語っているように、書物に残された痕跡により、その本が何故ここに存在しているのかということや、そこに関わる人的ネットワークや知の来歴、背景にある政事やカネの動きをリアルに感じることが出来る。書物という物体そのものが、人々の営みを伝えるメディアなのである。

また、書物やそこに記されたテクストの背景には、様々な「知」の基盤が存在している。既存の学問分野の枠組みはすでに窮屈なものとなっていて、例えば文学研究のためには所謂「文学」ジャンルの書物を繙くのみではなく、その書物をとりまく文化圏の「知」の状況を把握するために様々なジャンル・様々なメディアへ目を向ける、という動きが盛んになっている。書物が織りなし、描き出す世界は限りなく広いのである。

この情報の宝庫である書物、そしてそれらをとりまく文化を総合的に捉えることで、人類と「知」のあり方を考えていくこと、それが『書物学』創刊の企図である。すでに本メールマガジンの読者諸氏はその(マゾヒスティックな)愉悦を堪能していることと思うが、この書物の世界を歩くのは一筋縄ではいかない。そこで、書物を愛し、書物に淫してきた諸先生方に水先案内人として書物文化を考えるための様々なヒントをご教示いただく場を設定したという次第。豪華メンバーによる月に一度の書物講義を存分に愉しんでいただければ幸いである。

なお、当然のことながら、デジタル化によって様変わりしつつある状況に対応する新たな「書物学」も模索していく必要があろう。この点については、第二巻に長尾真先生よりご寄稿いただき、刺激的なご提案を示していただいている。今後、この点についても情報発信源として機能していければと考えている。 ところで、当社では『書物学』と同時に、『DHjp』という定期刊行物(月刊)も創刊している
( http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100300 )。

「DH」とは耳慣れない向きも多いかもしれないが、「Digital Humanities(デジタル人文学)」の頭文字をとったもの。これを冠した国際学会連合も立ち上がっており、新たな学問の潮流として既に等閑視できないものとなっている。一見『書物学』と相反するような内容・テーマと受け取られるかも知れないが、モノとしての書物を考える上で、現在において最も重要な参照軸でもあり、表裏一体の問題系を有している。双方の連環をもって、「知」と「学(楽)」の総体を捉えるものになればと考えている。
kasama
 『書物学』創刊号(第一巻) 書物学こと始め
勉誠出版 定価1575円(税込)好評発売中(毎月刊行)
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=9_29&products_id=100313

※デジタル版(販売価格1000円)
 http://e-bookguide.jp/item/bs5852070100/

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自著を語る(115) クロイやつら

クロイやつら

永井一彰

いまテレビでは刑事ものがおおはやりである。リビングを通るたびに立見程度に見ていると、シロだのクロだのといった言葉が飛び交う。番組のレベルはさまざまで、2時間枠を採りながら始めの20分ほどでクロの見当がついてしまうような浅薄なものもあれば、シロ・クロに関わらず人の心の奥に潜むクロイものを描き出そうとする重厚なシリーズもあったりする。言うまでもなく、クロとは容疑者である可能性が高い人物、言い換えれば事件、つまり過去にあったことがらについて最も良く知っているに違いない人物をさす。

ところで、近世期の本屋は摺刷後に板木を洗うということをしなかったため、板木の殆どはまっクロなままで残っているのが普通である。しかもそれらは保存という感じではなく、何十年も埃に埋もれたまま、ひどいものは半雨ざらし状態で跳ねた泥をかぶり、辛うじて残されて来たというのが実状であった。1100枚ほどの板木の山をはじめて目にした時、「こいつらはクロだ!何か知っているに違いない」というのが筆者の印象であった。たたけば埃が出そうだし、泥も吐くかもしれない。

かくして筆者はたった一人で捜査本部を立ち上げて勝手にその本部長となり、「クロイやつら」を任意ではなく強制同行し、捜査に当たることになった。身柄留保も聞き込みも裏付けも調書作成も一人で行うのはなかなかつらいものがあった。しかも「クロイやつら」の数が半端ではない。が、刑事さんの苦労に較べればそれもたいしたことではなかったような気もする。生きているクロは、嘘をつく。事実を語らせるためには杉下右京さんのように「あなたはそれが許されると思っているのですか!」と人の道を説きながら厳しく問い詰めて行かねばならない。

そうしてやっと立件に持込んでも公判の過程で平気で自白調書を否定したりもする。しかし、人ではない「クロイやつら」に人倫を説いてもはじまらないし、そもそもやつらには嘘のつきようがない。つまり、あった事実しか語れないのだ。かくして本部長はひたすらにやつらを見つめ、その語りに静かに耳を傾けるということを根気よく続けるのである。お白洲に引き据えられた「クロイやつら」は概して神妙で、決してドラマチックとは言えないかつての日常を淡々とそして楽しげに語ってくれたのであった。

このようにして成った口書きの集成にいささかの事件らしいストーリー性を持たせて綴ってみたのが『板木は語る』である。かく題しながら、筆者には「クロイやつら」の語るところを本当に正確に聴き取れたのだろうか、もしや冤罪を生んでしまったのではないだろうかという一抹の不安も無いわけではない。口書きの取れていない少なからぬ「クロイやつら」はまだ何かを語りたげである。語りたげな「クロイやつら」にもう暫く付き合ってやることがその不安を拭い、迷宮入りを避ける唯一の手立てなのだと思っている。
hangi
『板木は語る』永井一彰著
笠間書院 定価12600円(税込)
http://kasamashoin.jp/2014/02/pdf_14.html

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自著を語る番外編 「黒岩比佐子さんの『忘れえぬ声を聴く』について」

「黒岩比佐子さんの『忘れえぬ声を聴く』について」

幻戯書房 編集部 名嘉真春紀

 この本は、2010年に52歳で逝去された作家・黒岩比佐子さんの、単行本未収録のエッセイを集成したものです。

 私は生前の黒岩さんにお目にかかったことはなく、本や新聞・雑誌で文章を読む一読者でした。ある時、公式ブログ「古書の森日記」http://blog.livedoor.jp/hisako9618/を、ご本人が亡くなられて以降、関係者の方が更新されていることを知りました。

 そこで紹介されていた「歴史と人間を描く」という遺稿を目にしたことが、今回の本が生まれるきっかけです。デビュー作『音のない記憶 ろうあの天才写真家井上孝治の生涯』から、当時の最新作『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』までの著作をふり返りつつ、“歴史”と向き合うことの面白味を全50回の構想で綴られる予定だったこの連載は、病室にパソコンを持ちこんでまで執筆されながらも、11回目の途中で、やむなく中断されました(翌2011年、西日本新聞に掲載)。

 しかし当初の構想は未完となったものの、近い内容を記されたものは、断片的ながら既にある。しかもそれらのほとんどは、新聞・雑誌などの媒体に発表されたままとなっている。ご遺族の協力をいただき、デビュー以来の文章をコンセプトのもとに編成した本書は、既刊とも一味違うエッセイ集となりました。

 黒岩さんは明治・大正期の歴史家・山路愛山の「隔離的精神」に倣い、本文中で、「時を隔てて初めて明確に見えてくる」ものがある、と書かれています。しかし、ある出来事から長い時間が経てば、記憶が薄れ、資料が散逸してしまうことも多いでしょう。そうした困難に対し膨大な調査を経て、その時代の空気・空間を再構築のうえ現代を照射するようにして書かれたのが、『パンとペン』にいたる数々の作品だと、編集中にあらためて感じました。

 写真家から伝書鳩、食、小説家と多彩なテーマを手がけた著者が、作品中ではあまり語ることのなかった発想や方法、エピソード、著作を貫く想いが、本書の端々に記されています。残念ながら現在では長らく品切れとなっている既刊もありますが、展示会などのイベントはいまも度々開かれ、先述のとおり公式ブログも続けられています。

 この本が黒岩比佐子さんについての、またそれだけではなく、読者の皆様のさまざまな記憶を新たに呼び覚ます“声”になれば、と願います。
wasure
『忘れえぬ声を聴く』 黒岩比佐子著
幻戯書房 定価2520円(税込) 好評発売中
http://www.genki-shobou.co.jp/

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編集長登場シリーズ(13) 小さな雑誌だから何でもできる

小さな雑誌だから何でもできる

北尾トロ

ぼくが編集人となって2010年の秋に創刊したノンフィクション専門誌『季刊レポ』は、ジャーナリズム系の堅い雑誌ではなく、体験ベースで肩の凝らない原稿を毎号80ページ満載している雑誌です。雑誌が売れ行き不振の今、自分が好んで書いてきた「読んでも役に立たないけどおもしろい」ノンフィクション記事を掲載する媒体はめっきり少なくなりました。ただでさえ経費持ちだしがあたり前なのに、発表の場までなくなったらノンフィクションライターをやろうなんて人間はいなくなる。だったら自分で雑誌を作り、「読んでも役に立たないけどおもしろい」原稿を集めて載せよう。創刊の動機は単純なものでした。

 インディーズ雑誌の壁は流通です。ぼくが考えたのは、書店は置きたい店だけに扱っていただき、通販メインで年間購読者を募るというものでした。読者の手元に直接届く、手紙のような雑誌にしたかったのです。年4回の発行なので、年間購読者の特典として、雑誌が発行されない月には「ちびレポ」という手書きコピーの手紙を実際に送っています。直販で売ってくれる書店や単号販売を合わせ、発行部数は1000~1200部。もう存在そのものがレアな雑誌なんです。

 でも、やってみたらおもしろいことが起きました。書く場を求める若手ライターだけではなく、えのきどいちろう、本橋信宏、平松洋子など、第一線の書き手が参加してくれる。月に一度の発送作業を手伝ってくれる執筆者がたくさんきて、プロアマ問わず勝手に交流。まるで部室にように編集部が使われ始めたんです雑誌の宣伝のために始めた週一のユーストリーム番組「レポTV」は全員ノーギャラなのに4年目に突入しました。番組放送中に突如話題になり、それがきっかけで雑誌で組んだ特集が河出書房新社の目にとまり、「愛の山田うどん」「みんなの山田うどん」という本まで誕生。特集や連載の書籍化計画も進んでいます。、そうこうしているうちにスポンサーまでつき、赤字だった財政面にも目処がつきました。

 ぼくはこれ、小さなメディアだからこそ起きた現象だと思います。あいつは放っておくと何やらかすかわからないけど、おもしろいから付き合ってやろう。そんな気持ちで支えてくれる読者のおかげで、のびのびと活動できている気がします。

 最新号の15号の特集は「犯罪者たち」。犯罪者、冤罪被害者、傍聴マニに執筆依頼し、熱度のある誌面ができました。こんな雑誌は他にないし、ぼくはこういうのが作りたかったんです。皆さん、ぜひご一読ください。

(購読申込先)季刊レポ公式サイト
 http://www.repo-zine.com/
repo
『季刊レポ』15号 特集犯罪者たち
定価:1050円(税込) 好評発売中
http://www.repo-zine.com/archives/10704

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自著を語る(117) 倶楽部雑誌探求

倶楽部雑誌探求

塩澤実信

「倶楽部雑誌」という言葉は、いまや死語に近いが、明治末期から大正時代を経て、昭和三十年代までの数十年間は、倶楽部雑誌時代であった。  講談社から創刊された「雑誌倶楽部」に端を発していて、講談は低俗ながら広い愛好者がいるのに着眼し、それに新しい魂を吹き込んで、大衆文学に衣替えさせたのである。

 同社は、この誌を核に、婦人・少年・少女などの読者ターゲットに、倶楽部を結びつけた。面白くてためになる雑誌を次々に創刊。戦前に九大雑誌を擁して”雑誌王国”を豪語するまでになった。  弱小出版社は、この講談社に習い柳の下の二匹目のドジョウを狙って、倶楽部系雑誌を続々と発行し、そのトータル部数で定期刊行物の過半を占める時代を現出させた。

 しかし、量より質を建前とする出版界は、倶楽部雑誌をはじめ、赤本・立川文庫・マンガ雑誌などのマイナーな分野は、疎んじて顧みようとはしなかった。 これでは、出版界を語るには片手落ちである。この間隙を埋めるには、倶楽部雑誌をはじめ、マイナーな出版にかかわった各位の証言を集めるほかはない。  だが、その類の定期刊行物は半世紀前にあらかた消滅し、かかわりのあった老兵は消え去って久しかった。  その現実を前に、ひとり犀利な出版評論家小田光雄氏が、日本出版史の欠落した部分を埋めるべく、探査、博捜、関係者に登場願って、論創社から画期的な「出版人に聞く」シリーズを始めていた。

 小田氏は、また戦後出版界をつづった拙著を素材に、大部の『戦後出版史』を編纂していて、その因縁から私が『倶楽部雑誌探求』の語り部を務めるめぐり合わせになった。  私は、戦前・講談社で糧を食んだ面々が、敗戦直後に立ち上げ、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったロマンス社を振り出しに、中小出版社を転々とし、辿り着いたのが倶楽部雑誌を十余誌も発行していた双葉社だった。

 同社では、週刊誌編集が主で、後に編集部門を総括する立場にあったことから、倶楽部雑誌を一瞥していた。小田氏は、私のキャリアに着眼し、固辞したものの語り部に引っぱり出されたのである。そして、私の曖昧模糊した話に、整然とした裏付けと、条理だった筋道をつけ、一読できる体裁を整えてくれた。一読いただければ有難い。
kurabu
『倶楽部雑誌探究』塩澤実信著
論創社刊 定価1600円+税 好評発売中
http://www.ronso.co.jp/

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自著を語る(116) 「松村書店の松村さんの思い出」

「松村書店の松村さんの思い出」

森岡督行

「日本の古本屋」のメールマガジンを読まれる方は、古本と古本屋に関心のある方ばかりなので、いまはもうなくなった、神保町の松村書店の松村さんをご存じの方も多いのではないでしょうか。神保町交差点付近の靖国通り沿いにあった松村書店は、洋書の美術書の専門店でした。

ご主人の松村さんは、とにかく毎日笑顔で、愛犬のハナをいつもそばによせていました。社屋は3階建てだったでしょうか。一階のお店の玄関は、靖国通りよりも若干低い位置にあるため、雨の日はよく、早じまいをしていました。植草甚一さんが、本に書いてある価格を消しゴムで消して、勝手に独自の価格を記入していたという逸話も残されています。松村さんの笑顔は、いま思い出しても、そんなお店のゆるさ加減をよく表して います。

この度、晶文社から出させていただいた「荒野の古本屋」でも、松村さんのことも、ほんの少しですが書かせていただきました。本書は、「就職しないで生きるには」というシリーズの一冊ですが、決して、仕事をしないで生きていこう、というわけではありません。むしろ、生きるためにどう仕事を生み出していくか、その仕事をどう楽しむか、という観点から企画された本だと思っています。

私はいま、松村書店の松村さんこそが、「就職しないで生きるには」を体現した人物だったのではないかと考えています。何度思い出しても、あの笑顔からは、神保町の古本屋稼業を楽しむ愛くるしさが伝わってくるからです。自分も松村さんみたいに笑っていたいのですが、この文章を書いているいまも支払いに追われているのが現実です。(事実です)

本書の内容は、松村書店の隣の一誠堂書店に入社した私が、独立して森岡書店を開業し、現在に至るおよそ16年間に身のまわりで起こったことです。他愛のない自伝のようなものですが、装幀を矢萩多聞さん、装画をミロコマチコさんが担当してくださったので、古本屋に持ち込んでも、いくらかの価値がつくのではないかと考えております。願わくは、松村さんにも読んでほしかったです。「古本屋が自分のとこなど書くな、バカ」と言われそうですが。
kouya
森岡書店  http://moriokashoten.com/

 『荒野の古本屋』 森岡督行著
晶文社刊 定価:1575円(税込) 好評発売中
http://www.shobunsha.co.jp/?p=3025

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自著を語る(117) 『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』について

『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』について

大橋博之

『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』(弦書房)を上梓させて頂いた。
「日本の古本屋」を利用されている古書マニアな方々には樺島勝一(椛島勝一)の説明は不要かもしれない。まぁ一応、書いておくと、樺島は1888年(明治21年)、長崎県諫早市の生まれ。大正から昭和初期にかけて活躍した挿絵画家だ。〈少年倶楽部〉に描いた挿絵が絶大なる人気を博した。なんといっても独学で修得したというペン画が卓越しており、写真と見間違うような出来栄えに当時、誰もが舌を巻いた。特に船を描かせれば右に出る者はいないと言わしめた。船はロープ一本おろそかにせず描き込む。さらに圧巻なのは白波うめく波の描写だ。兎に角その描き込みには戦慄が走る。そんなことから〝船の樺島〟と評された。代表作に『正チャンの冒険』、山中峯太郎の『敵中横断三百里』『亜細亜の曙』、南洋一郎の『吼える密林』、海野十三の『浮かぶ飛行島』などの挿絵がある。

 樺島勝一をリアルタイムで知る人は今ではそれなりのご高齢の方だ。樺島が最も活躍した〈少年倶楽部〉を読んだという読者は70歳以上だと思う。版元の弦書房は『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』を読んでくれたという方からの、感想をしたためた手紙などをわざわざ転送してくれる。樺島のファンは、やはり今も心に樺島が残っているのだなと感じることが出来て嬉しい。

 2014年5月4日の〈朝日新聞〉「読書」蘭で、やはり樺島の熱烈的ファンである横尾忠則さんが書評を書いてくれた。その書評を読んで買ったよ、とイラストレーターの水野良太郎さん(http://ryot-mizno-web-magazine.webnode.jp/)が手紙を私に送ってくれた。

 水野さんは「スケッチやデッサンは独学だとしても、実は『スケッチ・デッサンの独学』くらい大変な作業はありません。ましてリアルなデッサンをモノにするのは売れっ子の画家でさえ厄介で面倒な作業。特別に勉強をしなくても画家になれるのは、最初から成熟した画才の持ち主だったとしか思えないです」とプロのイラストレーターの立場から感想を書いてくれている。水野さんのように絵を描く立場からの意見というのはとても興味深い。

 水野さんは1936年(昭和11年)三重県四日市生まれ。昭和20年の終戦の時は小学校三年生。最後の樺島世代にあたる。戦火を逃れた家庭には大正や昭和初期の児童書籍や雑誌が大切に残されており、そんなところで〈少年倶楽部〉などもむさぼり読むことが出来たという。そして樺島の絵にも触れ、感銘を受けた。水野さんは樺島の描く絵の「『一瞬停止状態の描写』は当時のハイスピード・カメラで撮った写真のように見えて、リアリズム表現の先端をイラストに取り込んだ感覚を新鮮に思いました」と評する。なるほどと感心。なんとも上手い表現だ。

 樺島のファンとなった水野さんは中学二年生の頃に講談社に樺島の所在を訊ね、教えてもらった住所にファンレターと共に自身が描いた絵を送った。すると直筆の返事が届いた。その葉書のコピーも送ってくださったのだが、それがとても貴重な資料なのだ。一通を折角なので紹介しておきたい。

「あなたの力作を拝見しました。大体あなたの研究方法で好いと思ひました。率直に申せばあなたの描かれた海の感じが少し不充分かと思ひました。今少し研究される必要があります。あなたが感じられた通り海は何画で描いてもむずかしいです。殊にペン画の場合には波を描いて山に見へる恐れが多分にありますから、実際に海を見て研究するのが最も好い方法です。波の場合には共沸と反対の側にも相当に反射の光があることを知って置かれる必要があります」

 波を描くと山に見える恐れがある、波は波らしく描く。そのためには実際に海を見て研究する必要がある。そして、波のうねりに光と影がある。〝船の樺島〟と言わしめる真髄のひと言だ。
kokoro
『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』 大橋博之 著
弦書房 定価 2200円 (+税) 好評発売中
http://genshobo.com/?p=5871

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自著を語る番外編 『日本の論壇雑誌』について

『日本の論壇雑誌』について

竹内洋

 敗戦を3歳で迎えた私のような世代には、戦後史は自分史と重なってくる。そんなことから自分史を重ねながら2011年に『革新幻想の戦後史』(中央公論新社)をまとめた。この著でも『世界』や『中央公論』『諸君!』などを取り上げたが、戦後の思潮を考えるには、論壇雑誌つまり総合雑誌の総合的研究がなくてはならないと思うようになった。

たしかに「総合雑誌の研究」(『流動』1979年7月号)のような明治以後の総合雑誌をすべて網羅した論文はある。しかし、これは総合雑誌の通史である。一方、各論的研究、つまり個別の総合雑誌についての評論、あるいは単著もあるが、これだけでは単体の綜合雑誌研究である。そこで、一冊の本にできるだけ多くの総合雑誌を取り上げ、読者が雑誌相互を横断・接続(connectivity)することで、戦後の思潮の場の攻防が俯瞰できるような本をつくってみたいとおもった。

しかし、このような本はひとりの力では生まれない。手間暇の問題もあるが、それ以上にテイストが合う雑誌と合わない雑誌、得手雑誌と不得手雑誌があり、一人では後者系の雑誌の扱いがぞんざいになってしまう懸念がある。そうおもい、京都大学の佐藤卓己さん、稲垣恭子さんに相談し、研究会を立ち上げた。メンバーには、上記3人を中心に、8名の参加を得て計11人でスタートした。こうして本書は出来上がったが、取り上げた雑誌は『中央公論』『文藝春秋』『世界』など10種類で、これに「ネット論壇」を加え、巻末には日本の「論壇雑誌年表」をつけている。

もちろん戦後の総合雑誌を網羅することはできなかったが、論壇の「中心」雑誌、「周辺」雑誌、中心への「対抗」雑誌群をカバーしたとおもう。本書によって読者が老舗総合雑誌の衰退やあらたな総合雑誌の勃興をつうじて戦後の論壇史を追体験し、それをつうじて戦後日本のインテリ界=中間文化界の輿論と空気を読み取り、戦後思潮の攻防と変遷史を考えるための一助にすることができれば、執筆者一同これに過ぎる喜びはない。ご一読、ご高配のほどよろしくお願いいたします。

執筆者を代表して 竹内 洋

以下のように、本書をめぐるシンポジュームを開催します。ご参加ください。
時間・プログラムなど詳細は、6月下旬以後の関西大学東京センターのホーム ページでご覧ください。

日時:8月22日(金)午後
会場:関西大学東京センター(東京駅日本橋駅すぐ、サピアタワー9階)
http://www.kansai-u.ac.jp/tokyo/map.html
テーマ「教養メディアの輿論と世論―『日本の論壇雑誌』から考える」(仮)
竹内洋

rondan
『日本の論壇雑誌』 竹内洋、佐藤卓己、稲垣恭子編
創元社 定価(税込):3,780円 好評発売中
http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=30048

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