10年前とは全然ちがう
東京大田区・古書西村文生堂 西村康樹
http://home.a07.itscom.net/bunseido/
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僕はキャリア13年、古本屋をやっているが、どの様な品物を集めるかという事には常に悩んでいる。ちょっと売り上げが落ちてくるとまず考えるのが、品物のセンスが悪いのでは……という事だ。当然これは言えていて、10年前と今では売れ筋が全然違う。毎年毎年、一日一日、世の中の求めるモノは少しずつだが変わっている。しかし僕らの頭の中の古本知識や商売スタイルは、そんなに小回りがきいていない。だからしばらく同じ事を繰り返していると、最初は売れた商品ややり方もだんだんとダメになっていって、結果、売り上げも落ちていくのだろう。
そんなスランプ状態になると、売れている店が、何を売っているのかが気になりだす。ついつい他の店で売れているという品筋に、手を出したくなるのだ。しかし、僕の経験では、これが一番良くなく、ますます自分の店の品筋を混乱させていくのだ。あたり前だが、立地が違えば客筋も違うからだ。やはり地域には色があり、そこに住んでいる人にも色がある。僕はスランプになった時は、この色に素直に従う様にしてきた。常に、近所の人の店への持ち込みの本が、自分の店の新しい展開のヒントをくれてきた。まったく知らなかった、又はやらなかった世界の本が、意外と売れて、驚き、味をしめてしまうわけだ。そして、その新しい感覚の本を、市場でガンガン買って集めていくうちに店の売り上げも復活していくという事を何度も僕は繰り返してきた。もう5回くらい、店の品揃えの雰囲気はフルモデルチェンジしているんじゃないかな。
ここまで書いてきたのは店売りの品揃えの話で、目録販売や「日本の古本屋」でのインターネットを使った古書販売の品集めは、また少々違う。店売りに関しては時代や世の中に柔軟に対応していくべきだと思っているのだが、目録の世界については、そうコロコロ変わるわけにはいかない。うちの目録を楽しみにしてくれているお客さんは、当然あるジャンルのお客さんなわけであって、突然次号の目録からジャンルが変わってしまったら困惑してしまうだろう。かといって、まったく同じ事をやり続けていても飽きられてしまうので、基本は大事にしながらも新しいテイストを取り入れていこうと心掛けている。こっちはマイナーチェンジを繰り返すという感じ。
あと僕の店は「日本の古本屋」での販売もしているのだが、このサイトで売る品揃えが一番難しい。店で売れる様な本は他社も持っているケースが多く、かなり安くしないと動かないという値段競争だ。だから逆に他社の持っていない本で売れるものを集める努力をしないといけない。店に並べておいたら100年たっても買ってくれるお客さんと巡り合えない本でも、ネットの世界では探している人と出会える可能性があるからだ。これはお互いに大変ありがたい事だ。
現在の古本屋は売り方、売る品物ともに、多様化してきた。今までだったら、商品としてありえなかったような本も売る事ができるようになった。本というアナログな商品を売る古本屋は、意外とデジタル時代に向いていたと最近、考える。 |
日本古書通信社:http://www.kosho.co.jp/kotsu/
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『街の古本屋』のスタイル
東京西荻・古書 音羽館 広瀬洋一
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「古書一般」特に専門分野を持たない古本屋は古書店地図にこう書いてあるものだ。当店も紛れもなくこのタイプである。15坪に満たない店内にもかかわらず、漫画、文庫から硬めの人文書までひと通りある。地元で仕入れ地元で販売するサイクルをかろうじて維持している以上、地域のニーズを反映した店づくりは欠かせない訳で、よろず屋的な品揃えは街の古本屋のスタンダードだと思う。
だが、ただ「古書一般」ではつまらない。だから苦しまぎれによく「芸能の周辺」と答えるようにしている。これは映画や音楽はもちろん美術や思想や文学も含んだ、広く表現行為一般を扱っていますというくらいの意味である。都合の良い言葉で気に入っているが、とても専門分野ですとは言えない。
専門分野も模索し、それを深めることの重要性に異論はないが、同時によろず屋にとってジャンルの垣根を越える感覚も磨きたいとも思う。たとえば「モダニズム」という括りで本を選んでゆく。そうすれば絵画、建築、写真などの美術書にこだわらず、洋の東西も問わず思想、科学、文学などジャンルを横断してまとめられる。テーマは豊富にあるはずだ。いつもと違う目線で棚を見直す。少しでも手持ちの在庫を活かす意味もある。たとえば現在ドイツでサッカーのワールドカップが開かれている。「日本におけるドイツ年」という記念の年でもあるから、ドイツにちなんだ本を集めるのはどうか。作曲家の伝記の隣に、メッサーシュッミットに関する戦闘機の本、ビールの本も並べられる。自分が面白がっている棚ならきっと喜んでくれる人もいるはずだ。「実は以前、ドイツじゃないがウィーンで声楽の勉強をしていた」と常連さんから打明けられるかもしれない。買取りのチャンスが生まれることもあるだろう。そういえば今年は「モーツァルト・イヤー」でもある。こんな地道な取り組みこそ、これからの人気商品の発見につながってゆく気がする。
横尾忠則や寺山修司は10年前も人気があった。けれどあの時今の「絵本」ブームが来るとは全然わからなかった。しかし当時から売れ筋の70年代のイラストやサブカルチャーの流行を注意深く眺めていたら、おのずと宇野亜喜良や和田誠たちが深くかかわってきた「絵本」の豊かで多様性のある魅力により早く気付くことが出来たかもしれない。まあこれは現在から見てはじめて言えることなのかもしれないが… まさか「ゴジラ」が世界中で戦後日本の生み出した最も魅力的な映像キャラクターと認められているとは、当時誰が予測できただろうか?
いささか話が思いがけない方向に向かってしまった。編集部の「人気商品の先取りは可能か?」という設問だったのだ。最後に「人気商品の流れに乗るべきか避けるべきか」という設問。これも「街の古本屋」の視点から考えると、乗るべき時は乗り、避けるべき(乗れない)時は避ける(無理しない)と答えておこう。まことにはっきりしない態度に違いないが、このいい加減さこそ「街の古本屋」のしたたかさ。人と時代に寄り添いながらなんとか切り抜けてゆくしかないだろう。 |
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豆本の魅力
神田・呂古書房 西尾浩子
http://locoshobou.jimbou.net/catalog/index.php
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神保町に開業して13年目になりましたが、開店当初は主に限定本を中心とし、豆本、美術書、文学書、版画、子供絵本等々と何でもありのまとまりのない状態でやっていました。店内が狭いため、どのジャンルも中途半端で何ひとつコレといったものもなく、正直この先どうしたものかと試行錯誤しながら2、3年が経ちました。
そんな時自分が好きなジャンルをするのが、長続きするものと伝授され、かわいくて綺麗な装幀本を多く蒐集し、それが豆本でした。スペース的にもピッタリ、そしてそれを中心に展開出来るよう、お店の棚も改装しました。豆本の魅力は、小さいからこそ出来る、凝った装幀の美しさです。また気軽に読めるサイズもあり、内容も版画挿画本、文学書、郷土の史料、伝記、聖書、般若心経と様々の分野があります。内容が一緒でも装幀が違うのも興味をそそられるところです。
そして豆本を主として限定版画挿画本、蔵書票、玩具関係書、伝統こけし等の分野にかたまってきたのです。
人気商品の先取り予想及び流れに乗るか避けるかについては、あまり考えていません。しかし本にも流行はあると感じています。
昔の価格にこだわらず、その時代に合った柔軟な感覚で、対応していきたいと思います。 |
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注文を創り出す
神田・羊頭書房 河野 広
http://homepage1.nifty.com/youtou/
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古本という商品を考えた時、仕入れと販売の面から次のように分けられると思っています。つまり、
仕入れやすく、売りやすい本
仕入れやすく、売りにくい本
仕入れにくく、売りやすい本
仕入れにくく、売りにくい本
の四つです。
もちろん、現実はこのように単純に図式的には収まりません。無条件で「仕入れやすく、売りやすい」物が仕入れられることはめったにあることではなく、それも、比較的仕入れやすく、比較的売りやすいといった程度だったりします。また、いわゆる売れ筋の本で、業者市で割合見かける本であっても、人気が集中し高額の入札を余儀なくされる場合は「仕入れやすい」とは言い難いところもあります。
また、「仕入れやすく、売りにくい」物は余剰在庫の筆頭候補のようなものですが、販路を変えて売れる場合もありますし、しばらく倉庫に置いて出してみたら思っていたより高く売れたということもあります。いつのまにか、仕入れやすかった本が仕入れにくくなったり、売りにくかった本が売りやすくなっていたり、ということもあります。
結局、古本屋はそれぞれの考え方や志向に従って、四つに分けられる商品についてどこかの範囲に極端に偏ることなく(多少の偏りはあるとは思いますが)まんべんなく目配りしています。そうせざるを得ない側面もあります。
古本屋全体を決め付けるような書き方で恐縮ですが、私が見る限り、私も含めて皆さんそのようにやってらっしゃるように思います。
さて、今回頂いたテーマの「人気商品」です。古本屋それぞれの取り扱い分野ごとに人気商品というのはあると思いますが、ここでは、「(一時的に)人気が集中しているあの特定の分野の商品」という意味だと考えて書くことにします。
人気商品の流れに乗るべきか避けるべきかということについては、結論から言ってしまえば、その古本屋の考え次第ということになると思います。
人気商品というレッテルが貼られた時点で、それは売りやすいかもしれないが少なくとも仕入れにくい商品になっています。業者市でも値が吊り上がっているでしょうし、長い目で見れば価格の暴落ということも考えられます。自分の販路など他の要素とも合わせて考えて、トータルでリスクヘッジ可能な範囲で手を出せば良いのでは、と思います。自分の専門と合わないから一切手は出さない、というのもあると思いますし、即売会を控えて、自分の棚のにぎやかしにちょっと仕入れてみようか、などという考えもあると思います。売り抜ける自信があるのなら、積極的に買いまわる手もありでしょう。
ただ、人気商品が自分の取り扱い分野と重なる場合は好むと好まざるとにかかわらず逃げられない面はあります。
私の場合、取り扱い分野がSF、ミステリー、海外文学、ギャンブルなど特殊な趣味系ですが、このうち一部ミステリーなどは「人気商品」のようです。幸いというか残念なことにというか、分野全体の価格が底上げになっているということはありませんので、あれこれ仕入れながらなんとかやっておりますが、やはり人気が集中しているものにあえて向かわなければならないこともあります。まあ、業者市では、本人は向かったつもりで落札を見てみるとお話にもならない、ということのほうが多いのですが。
「人気商品の先取り予測は可能か」という点については、可能かといわれれば可能なのでしょうが、個人的にはそういうことを予測してもあまり益はないと思っています。
無論、アンテナをはって怠りなく情報収集し人気の動向を考えること自体は古本屋として大事なことだとは思いますが、インターネットの発達した昨今そのような情報が伝わるのは早く、おいしい思いができる期間は短いような気がします。まして、そうした予測が簡単なものではないことを合わせて考えると、まだ株式投資でもやっている方が実があるような気がします。むしろ、近年既に一部の古本屋さんが行っていらっしゃるような、お客様に対して店側から何らかの形でアピールして注文を創り出す、というような動きを考える方が重要だと思っています。 |
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蒐集の虜に
東京町田・二の橋書店 田中 貢
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明治生れの父は鼈甲加工の居職人で、仕事をやりながら俳句を捻っていた。臼田亜浪氏に師事していた。ある句会で父の句が碧梧桐さんに天として抜かれ奉書紙に書いて頂いた。唯一の自慢話。句集も蒐集していた。鼈甲がセルロイドに代り不況も手伝い、仕事がなくなり昭和五年古本屋になった。戦後浅草で疎開して焼けなかった本を基に再開した。
俳書室という狭いコーナーを設けて俳句関係書を展示した。孔版の俳書目録を作った処、前例がないというので結構好評を頂いた。
句集の再評価にもなった。有名俳人の方々とのお付き合いも出来、たのしい時期があった。
趣味と実益を兼ねた一例でしょうか。
× × × × × × ×
父が他界して自分が店を継いだが、はたして如何なる分野のものを集めたら良いのか迷っていた。古書展の目録では出品の本の傾向で店の趣味が、又意外の面が反映されていたりして興味深い。特に意識していなくとも、自然に分野が定まって行くのではないでしょうか。『好きこそ物の上手』の例ですか…。
そう自分では思いつゝもなかなか道がつかめなかった。
山中恒さんから御愛顧頂くようになったのは浅草から町田に移って直後の事です。
近くの珈琲屋で貴重な又参考になるお話を伺った。お宅にお伺いして蔵書にビックリ。更に膨大な極秘、軍事機密等の印がある書類、報告書、調査書を拝見して仰天。その瞬間この分野のものが取扱えられたらと思うと何だか目の前が開かれて行く気がして来た。今頃から始めても遅いのかも知れない不安もあったが遣り甲斐がある。探す愉しみ、お役に立つ可能性、我が店の方向が定まった。
それから暫く過ぎたある日市場で入手した資料。それは例の七三一部隊が中央の指令で活動していた事実を示した證拠でした。やがて朝日新聞の第一面トップで報じられた時、思わずヤッターと思った。その時こそ資料蒐集の虜になった時でした。それを機会にして目録発行を奨められ名前を『戦塵冊』と付けて頂いて昭和史中心の戦時資料の蒐集が始まりました。
井上ひさし先生の舞台脚本は資料を重視して数分の台詞に半日もかゝる事があるそうです。東京裁判の記録(尋問記録)などから数々の名場面も生れています。
仕入れた資料を詳細に読むたのしみ、お蔭さまでボケ防止の特効薬になっています。
神田秦川堂書店先代永森慶二氏からお伺いした『古本屋は研究者になっても良いが、学者になってはいけない…提供した資料が役に立てばそれでよい』とのお話肝に銘じている。
目録の表紙には苦労しています。昭和20年8月15日の天気図を、気象庁へ行って当時のものコピーして頂き表紙にしたり、復元された特攻機『秋水』の写真を名古屋三菱重工業の工場へ写しに行ったり、アッツ玉砕山崎部隊長の悠然とした伊藤彦造画伯の迫力ある屏風絵の表紙(実物を見た時思わず涙が出ました)。最近の空襲警報(少年クラブの附録表紙)は、横浜のお年寄りの方から懐しかったと涙声でお電話頂いて嬉しかった。
昨年十二月、胃の手術で入院中に市場に出品された資料に入札出来ずベットで悔し涙。
次の目録に向って準備の毎日です。 |
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“探偵趣味”一筋
東京杉並・芳林文庫 島田克己
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手元にある当店目録『芳林文庫古書目録』第一号・二号(共に’89)の後段に当店の“主要取扱い書物”として
1・大衆文芸書(a.探偵小説・b.SF小説……e.児童書……)
2・勝負事関係書(a.将棋……)
3・その他古書一般
が挙げられている。開業二年目に発行した20頁程の目録ではあるが、記録によると全体の六割程が売れた。しかしその内訳は圧倒的に“探偵小説”と“児童書”であった。
そもそも故あって“将棋本”の蒐集からノメリ込んだ古本の世界。(説明すると長くなるので端折るが)開業時は現在とは異なり、店舗が無いと古書組合に入れない規則が有り、一応店の体裁を整え“将棋書”を筆頭に囲碁・麻雀・競馬・相撲等の“勝負事関係書”と副次的に集めた“大衆文芸書”及びその他の本を寄せ集めて棚を埋めた。しかし店売りは惨憺たるもので、初に書いたように目録販売に活路を見い出さざるを得なかった。その目録販売にしても二枚看板で力を入れようと考えていた“勝負事関係書”が全く無視され、序に集めた“探偵小説”と“児童書”に人気が集中したのには驚かされた。
商売のある程度の方向性が見えて来たので、名簿の充実のためにデパート展を筆頭に積極的に催事に参加した。そのお蔭で徐々にではあるが上質のお客様を確保することが出来、又仕入れにも大きく役立った。
当時は“探偵小説”を専門に扱うような古書店は無く、催事の都度少しづつではあるが評判を呼び(毀誉褒貶は相半ばしたが)お客様は勿論のこと、同業者の間にも屋号が滲透していった。方向が決まればガムシャラに突っ走るだけ。“探偵小説”と“児童書”をメインに据え、本腰を入れて集書に努め、平成八年に六年振りの自家目録第三号を発行することが出来た。その時から目録のタイトルに『芳林文庫古書目録 探偵趣味』を謳い、“探偵小説”中心の目録であると宣言した。当初は単に売ることのみを目的とした目録であったが、いつの間にか“探偵小説”の奥行きの深さに嵌まり、巻頭に“特集”頁を設けて私自身が楽しんで目録を作り今日に到っている。(尚、現在作製中の18号の特集は「探偵小説のヘンな本」です)
開店休業みたいな状態にある店は事務所兼倉庫となり、偶に来店したいというお客様があるとそのスペースを確保するのに大慌てをする。その他に倉庫を二ヶ所借りており、次に発行する目録のために“探偵小説”の在庫集めをセッセとしている。当店の目録は第三号以来基本的には作家別・賞別・全集叢書別・雑誌別等に分けられ、編集はし易いがその分在庫をシッカリと持たないと格好が付かないという弱点がある。そのため年に一回、多くて二回しか発行出来ない。楽しんで目録作りをするのには頂度良い回数かも知れない。
バブルの余韻が残っていた頃までは可成りの高額商品も良く動いたが、昨今は珍なる物、安価な物、もしくは差し換え用の極美品に注文が重なり、当方との思惑の違いがハッキリして来た。インターネットの出現により従来のまゝの商売では落着いてやって行けなくなった様だ。ネット上の書込みや変な編集本で突如脚光を浴びた作家や作品に振り廻されては堪らない。今更火中の栗を拾いプライスリーダーに成る気は無い。
約二十年間に渡って“探偵小説”を主に扱ってきて感じるのは、その奥行の深さである。未だに解明されていない点や、あやふやなまゝ見過されてきた事などが多々ある。この先その一つでも検証出来れば“探偵小説”専門店の親父としては大満足である。好きな本に囲まれ、酒でも飲みながら“探偵小説”談義に花を咲かせるのが夢である。 |
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次の時代のために
東京吉祥寺・よみた屋 澄田喜広
http://www.yomitaya.co.jp/
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よみた屋では「時代に寄り添いつつも、次の時代のために今の流れとは別の選択肢を用意する」というコンセプトを持っている。
商売なのだから、売れる商品を扱うのは当たり前だ。売れ行きを度外視して在庫する物もあるだろうが、経営戦略の中であえてそうするのであって、売れない物ばかり置いていたら、お店は成り立たない。
けれども、売れ筋品は誰とてもほしいので、古書市場などでもおいそれと買わせてはもらえない。たとえ買えたとしても、とても利益が出るような値段ではなかったりする。商売には競争があるのだ。
それに、あまり得意でない分野では、売れ筋とそうでないものの見分けも容易ではない。社会科学を専門にしていたものが、その分野が流行らなくなったからといって、では映画のパンフレットに鞍替えしましょう、というわけにはいかないだろう。売れない時代から映パンをこつこつやってきた人と戦って、急に勝てるわけがない。
だから、なるべく売れ筋のものを用意しようとするけれども、実際には仕入れられたものを提供するよりない。
そこで、あまり商品を絞り込まずに、できるだけ何でも置くというのが我われの戦略だ。こちらでは、なるべく選択しないようにしているつもりでも、人間のすることだから自ずと偏りが出てしまう。それが、自然にお店の個性になっているのではないかと思う。
古本屋には問屋がないので、品揃えの選択は店主ひとりの知恵にまかされがちだ。けれども、こちらが本の選択をやめればお客さんが店づくりをしてくれるようになる。どうにも気に入らないものとか、よさに全く気が付きもしないものもあるだろうから、少しは淘汰される部分もある。
こういう品揃えにしようというプラスの選択ではなく、これは置けないというマイナスの選択だ。しかもどちらかというと無意識的な過程である。
時代の縦の流れを横にして見る、と我われでは言っているが、古本屋の棚にはさまざまな時代の本が同時に並ぶ。たとえば一九六〇年代末には和田心臓移植が賞賛されて、地球は寒冷化すると騒がれていた。こういうのを見ると、メディアストラテジーというか、本の読み方もずいぶん変わってくるのではないだろうか。
未来はいつも過去の中に潜んで、発見されるのを待っている。歴史は繰り返す、というのが本当かどうか知らないが、現在だけを見ていたのでは気づかないことが、古い本の中にあることは間違いない。
古本屋はクリエーターではないから、これはどうですか、と提案するのは不得意だ。けれども、できるだけいろいろな時代のいろいろな本を置けば、お客さん自身がそこから、新しいものを発見していってくれる。
次の時代のために今の流れとは別の選択肢を用意する、とはつまりそういうことだ。だから、よみた屋では、こちらがあらかじめ予測しなくても新たに流行りつつあるものが手に入ることになっている。ただし、お店の方で流行に気が付いて値上げしようと思ったときには、すでにあらかた売れてしまって、在庫がなくなっているのが悩みではある。 |
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ブームの光景
東京青山・日月堂 佐藤真砂
http://www.nichigetu-do.com/
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昨今、古本屋がブームであるという。実に喜ばしいことであり、これは面白いことになるに違いないと、つい最近までそう思っていた。堂々として築かれてきた古本屋の王道という大樹の幹に、他所からの価値観という枝葉が加われば、古本屋は多様化し、売れ筋も多様化し、従って市場にはこれまで出てこなかったようなモノまでもが出てくるようになり、しかもそれぞれにちゃんと札が入って、売り手も買い手も、そしてお客様もみんなバラ色!…などと思い巡らせていたからなのだが、しかしこれは大いなる誤算だったようだ。
古本屋がブームになって起こったことというのは、古本に関する情報と古本屋というもののイメージ――ごく最近まで、どんな時代にもほとんどブレることのなかったそれ―が、ここ数年で急激に「消費されるもの」へと変わってしまったということである。その結果、最近の市場では、「売れ筋」と目される品物に札が集中し、またその変化のスピードもますます早まり、急騰の度合いと下落までの時間の様子をグラフに描けば、軒並み鋭角をもって示されることになるだろう。
古本屋がブームとなり始めたのと丁度同じ頃から、活字離れがいわれる一方で新刊書のベストセラーの部数がどこか尋常ではないと思えるような規模になってきた。広告に踊る文句は「たちまち重版!」「品切れ続出!」「100万部突破!」といった威勢のいいものばかり。おそらくはいま、本は売れれば売れるほどますます売れ、みんなが読んでいるからさらにみんなが読む、流行のアイテムのひとつなのだろう(もっとも戦前の本にしろ重版=宣伝と企画してクレジットしたのではないかといわれる本もあるから、何もいまに始まったことではないのかも知れないけれど)。例えば古書の世界でも、ネット販売をしている同業者は「動機が何であれ、探しているそのものズバリの本しか売れない」と口を揃えるし、例えば影響力の高いブログで話題になった一冊の本を、ブログを見た人たちが一斉に探し出す、といった話も伝え聞く。
おそらく、という留保つきではあるけれど、マーケットの側は私たちが考えているよりもずっと狭い幅なのかを、しかも猛烈なスピードで流動しているのではないだろうか。これに関してはもうひとつの留保、いまはまだ、という点をも考えてみたくなるが、彼ら彼女ら自身で何かを発見し、蛇行したり穴を掘り始めるようになるまでには、まだまだ長い道のり、即ち時間が必要ではないかと思われる。
こうした前提のもと、自分自身の行き方を考えてみると、どうにもさっぱりこれにはついて行けないのである。市場という競争原理のもとで品物を集めるとき、一体何が一番優先されるモチベーションなのかというと、私の場合は「売れるか売れないか」よりも「いいと思うか、そう思わないか」が先に立つ傾向が強いからだ。よりよいと思うものを真っ向勝負で買い、その上でまだ売れ筋までを仕入れようという資金的、というのはつまり精神的な余裕はないし、その順序を逆にしてまで古本屋を続けることもないかと、どこか諦めにも似た思いがある。そうした者からすれば、売れ筋を追いかけるということは単に「売れ筋の商品を仕入れて売る」ということではなく、消費する側に合わせて常に自己の価値観を更新していけるかどうか、ということを意味するのであり、それについてはもう全然お手上げ状態なのである。
さて。では一体どこに、私の生き延びる道があるのだろうか?…思えばこれまでも、常に売れ筋から逸れ、軸をずらして王道を踏み外し、荒野のなかに獣道を見出してはようやく歩き続けてきたというだけのことだ。荒れ野にも人の手が入り、野生のものどもの一時の棲家さえ見出しづらいこのご時世とはいえ、残されているはずのかすかな道を探し歩いていくより他に仕方ないと、やはり諦めにも似て思うのだ。徒手空拳の道行きならば、せめて胸には一点の灯を宿し――その光源の在り処こそいま、私が痛切にもとめるものなのだ。 |
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ロックしかなかったから
東京神田・ブンケン・ロック・サイド 山田玲子
http://homepage2.nifty.com/bunken/
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ロックの洗礼を受けたのは小5の春だった。
近所のレコード屋から流れていたドアーズに、ハートに火をつけられてから30年、ハートの火は消えぬままに、現在私はロック関連の雑誌、写真集、書籍を扱う古本屋を営んでいる。
生まれた家が古本屋だったが、まるで興味がなかったので、まして子供のころに、自分が古本屋を天職にしようなどとは考えていなかった。
20代最後の頃、父が突然、神保町に店を出すと言い、他店で修業をしていた元夫といっしょに店を手伝うことになった。ここまでは良かったが、しばらくして、私の離婚勃発により人生が180度転換し、私に残ったのは古本屋だけ。「これからどうすんの?」と泣き続けて一ヵ月、「自分の頭の蠅は自分で追えってことなのね」と開き直った。これからは、迷惑かけた父のためにも古本屋を続けなくては女がすたる。でも、何の修業もしたことがない私に何にができるんだろうと思ったら「ロック」の三文字が浮かんだ。
当時ロック雑誌を専門に扱う店は少なかったので、親もあきれたロック娘の私ならきっとできると拳を握った。「私はロックで生きて行きます。玲子のRはロックのR。私のロック魂を店に捧げましょう。」と甘えて生きてきた自分に決別した瞬間だった。そうして一からロック専門古本屋を育てて13年、まだたったの13年。
自分の最も得意とする分野で食べて行くなら、専門店として恥ずかしくない品揃えは大切だし、勉強も欠かせない。60年代からの定番のバンドはもちろん常識だが、毎年沢山のバンドがデビューするので、まず音を聴いてみてひっかかってきたバンドの情報を集めライヴにも行ってみる。年がら年中そうしたことをやっているので、「このバンドは絶対に当たる」とか「この子たちは女の子がほっとかないね」など、流行りそうな予測はある程度はわかるけれど、99%は直観で決まりだと思っている。
私の心に舞い降りてくる、キラッとした何かを捕まえたときには「よくぞ私に降りて来てくれました!決して逃がしませんよ」と天を仰ぐ。そうした直観は大切な財産なのだが、どう見ても今年は流行っているけど来年はわからないモノもある。「でも何年か先にヒョコッと出て来たら?そのときに商品がなかったら」と思う見えない恐怖に負けて、つい仕入れると「ただでさえ場所がないのにまた買って」と店の者にチクチク言われ「フンッ悪かったねっ」と悪態をつく。毎日がこんな喜怒哀楽の繰り返し。ロックの世界は古いモノと新しいモノとの共存共栄で成り立っているので手が抜けない。たまに息切れしそうになるときもあるが、愛しているからやめられない。私の居場所はここしかない、前にも後にもロックしかないんだから。 |
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買えたものが商品
東京文京・港や書店 中村一也
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建築史・土木史専門の目録販売を始めて丸十年になります。開業当初はよく「いいジャンルを選んだね」とか「建築書とは考えたね」とか、何か周到なマーケティングの末に専門を選んだかのような過大評価をいただいたものですが、それは大きな誤解で、売れるものに対する目配りのようなものが当時の私にあったのかというと、全く無かったのです。
そもそも建築と土木を選んだのは、もちろん興味があったのは事実ですが、何よりも一文無しの若造でも市場で買うことができる「人気が無い」ジャンルだったからです。一般古書はもちろん、一次資料(という名の紙くず)・パンフレット類・報告書・技術者の伝記・戦前の理工書・いわゆる饅頭本など、同業者が見向きもしないがゆえに自分にも買える商材が沢山ありました。この買えたものの中から、専門と興味に多少でも引っかかるものを強引に商品としていただけで、そこには売れるものに対するリサーチも戦略もありませんでした。もちろん「不人気」ゆえというアンチな動機があったわけでもありません。買える、というだけで売れる目算もないものをただ闇雲に集めていたわけで、あまりにも無分別で思い返すと空恐ろしいものがあります。
ただ何となく(本当に何となくですが)感じていたのは、この「不人気商品」たちは本当に誰にも人気がないのだろうか、それを実証した業者はいるのだろうか、ということです。私はこれらを純粋に面白いと思ったし、もしかしたら売れるんじゃないか、という何の根拠も無い予感がありました。誰も買わないものを買っていた訳ですから、結果的には相当に個性的な世界を構築することが出来たように思います。そして実際の売り買いを通じて、こんな雑多なものの中にも売れるものとそうでないものがある事を発見出来ました。
また本当に幸運なことに、ある程度の商売になる事も判りました。その結果一部の建築書の相場が上がった事は事実ですが、ウチの「不人気商品」たちが初版本や映画パンフレットやポスターのような「人気商品」になる事はありませんでした。当たり前ですけど。
もちろん専門の中での売れ筋の推移というものはあります。また欲しい本を同業者と競り合うことも頻繁です。負けず嫌いなもので、どうしても持って帰りたい、自家目録に載せたい、と思うものに関しては相当やけっぱちです。ただうちの売れ筋が「人気」に影響することはどうやらないように思いますし、やけっぱちのモチベーションもまた「人気」とは無関係の要因から来るものだと思われます。
私にとって幸運だったのは、人気とは関係なく商売になるものに偶然めぐり合えたことだと思います。ただ余りにも思慮分別を欠いた行動で、例えばこれから古本屋になろうという人たちに対して、手放しにお勧めするには気が引けますし、そもそもこうした隙間のようなものが未だ手付かずにあるのかどうかも知りません。しかし一方で、業界で言われている「人気商品」というものに果敢に踏み込んでゆく事のリスクを考えると、どっちにしろ初めは一か八かなのかな、という気もします。 |
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