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日本古書通信掲載記事 動かなくなったお客様

動かなくなったお客様

名古屋市・三松堂書店 松本公生

 私は大学を卒業してから2年間神保町の大雲堂書店で修業して、昭和48年に父が営業していた店を手伝うようになりました。
 修業した店が店売り主体だった所為もあるのでしょうが、私も店頭販売に力を入れました。その頃は店売りが大変活発な時代で、入ったものはすべて店頭で売っておりました。そのせいか東京・大阪など地方からも随分お客様に来ていただき、お茶を飲みながら古本談義をしたりして、時間に余裕もあり楽しい時代でした。すべてがうまく回っていたように思います。
 そんな時に即売会に誘われても、店売りが楽しくて、「うちは毎日が即売会だから」と断っていた覚えがあります。
 そのうちに名古屋古書会館での即売会が始まり、誘われて参加することになりました。15年ほど前の話です。初めて参加したときは品物もうぶかったのでしょうか、目録販売はこんなに売れるのかとびっくりしました。それを皮切りに即売会を始め、最盛期には年に10回以上の即売会に参加しておりました。その頃はお客様も目録で注文された品を会場に取りにこられ、そのついでに他のものも買っていただくという活発な時代でした。
 暫くはそんな商いを続けておりましたが、そのうちに「日本の古本屋」が始まり、弊店も平成11年より参加させていただきました。今ではネット上にさまざまな古書のサイトがありますし、有力な古書店は立派なホームページを持っておられ、ネット販売が主流になりつつあります。時間と空間に煩わされずに買い物ができるためこんな便利なものはありません。実際、お客様が注文してくださる時間を見ると夜中に買い物をしておられる方が大勢いらっしゃいます。地域も全国にまたがり、時々外国からもご注文をいただきます。
 当然の事のように目録でご注文をいただいていたお客様もネットでご注文をいただくようになりました。ネットの時代になってつくづく感じるのはお客様が動かれなくなったことです。即売会の目録で注文してくださる近所のお客様でさえも即売会の会場・店に取りにこられなくなりました。随分変わったものです。お客様の顔が見えなくなり、楽しい古本談義もできない味気ない商売になりましたが、これも昔気質の古本屋の言い草でしかないのかもしれません。
 こんな風ですから、弊店は即売会を減らし始め、今では年に2回になっております。来年は一度もないかもしれません。
 古本屋になった頃、業界の大先輩が「自家目録をだして一人前の古本屋だ」と言っておられたのが今でも頭の隅に残っております。販売形態が以前とは変わりましたので、紙の目録が今ではホームページに変わったのかもしれません。目録であれ、ホームページであれ、自分で編集した頁をつくり、お客様に楽しみながら本をお買い上げいただき、たまには店にも遊びに来ていただく、そういう古本屋にまたなれたらと思います。
 デジタルに疲れた方たちがアナログを懐かしむという傾向があるように聞いたことがあります。そういえば最近なんとなく店頭にお客様が戻ってこられたような気がしないでもありません。またお茶を飲みながら、お客様と楽しい古本談義ができるようになるかもしれません。

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日本古書通信掲載記事 がんばれ!古書業界!

がんばれ!古書業界!

神田駿河台 文化学院 瀬川 茜

 総てのものがその組み立てを根元から見直さねばならぬこの時代に、私達は何をその「柱」としたら良いのか。
 古来日本独自の文化として学問のみならず人々の生活に貢献してきた古書の世界が、その伝統をくずされ、本来の働きが変質しようとしています。今こそ「本」というものはいかなるものか、あらゆる淘汰を生きのびてきた古書のもつ価値とはなんであるのか問いなおさねばなりません。
 絵画きの家に育った私にとって古本や目録は常に身の回りにある馴染み深いものでありましたが、つい最近古書業界の方々と仕事をするようになるまで、その本当の意味に気がつきませんでした。ではその意味とは何か。
 本は人です。古本は亡くなった人の魂そのものと言えます。短い寿命しか与えられていない人間は、その人生で得たもの学んだものを後世に伝える為いろいろな手段を用います。ひとつは人から人へのナマの伝達。親から子へ、師匠から弟子へ、上司から部下へ、日々の生活の中、生きる姿勢や知恵が口伝を持って、または無言の後姿で伝えられていきます。これが最も広く全人類を貫通して行われてきた本来の継承であろうと思われます。もうひとつはカタチを残すことです。子孫を残すこともそのひとつでありましょう。芸術家は作品を残し、文字を書く人は書類や手紙や本を残します。なぜモノのカタチとして残すのか。口伝や体得したものだけではだめなのか。それは人間が「忘れる」からです。日々忙しい脳ミソの働きの中で古人の伝えようとした心を「忘れる」のです。そしてそれを思い起こさせる起爆剤となってくれるのが残されたモノのカタチなのです。
 鬼と言われた法隆寺の宮大工、西岡常一氏は、「建物を残しておけば、後でそれをこわせばわかる。」と語っておられました。千年たって薬師寺の西塔を分解すれば、西岡さんの求めたもの、伝えようとしたものがわかるはずです。
 学問における遺産はまさに「本」であります。テープレコーダーの無い時代に「本」はまさに古人の言葉を記録した、その人本人に他なりません。ずっと昔、人間が文字でことばを記録するようになって以来積みあげられてきた本の数々。各時代の淘汰を経て生きのびてきた本達。そのお宮を守り続けてきたのが古書業界の人々です。
 英詩の授業でジョン・キーツの「ギリシアの甕に寄す」をとりあげようと思った時、父の蔵書に村田數之亮先生の「ギリシヤの瓶繪」というアルス文化叢書の古本を見つけました。ネットで調べれば美術史のデータとしてあらゆる情報が手に入るのでしょうが、私は会ったこともない村田先生の瓶を見る見方にとても魅かれました。図書室の人が何気なく机にのせてくれた英詩の古いアンソロジーをあけた時、その序文に脈打つ山宮允先生の詩歌に対する思いに感応したこともあります。職員室で埃をかぶっていた巨大なWorld Atlasの献辞には「世界の男、女そして子供達へ。地球とその人々に関する知識をふやすことによって、お互いの問題を理解することにつとめ、そしてこの理解を通して、民族のコミュニティが平和に生活する為尽力する。そういった人々に、エンサイクロピィディア・ブリタニカはこの巻を献げる。」とありました。迫りくる大戦前夜一九四二年にシカゴ大学で刻明な地図を残して世界に貢献しようとしていた人々を思うと涙がこぼれます。
 こういったものがなぜ私の目にふれるのか。それは、それを拾ってくれた人、残して守ってきた人々がいるからです。古書業界の皆さん。経済的に自立できなければ仕事にならぬのは、少子化による経営難に苦しむ学校も同じです。ビジネスとして成り立たせながら、どうやって魂のバトンを子供達に渡していくか。スピードを重視する世の中で、手間のかかる学問の芽を育てるにはどうしたらいいか。しかし、私達は誇りを持って古人の心を後世に伝えねばなりません。そして私共自身、迷った時、困った時、行く先を見失ってしまった時、いにしえにかんがみ、先祖の足音に耳をすませて、そのむかおうとした先を見きわめねばならぬのです。

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日本古書通信掲載記事 即売会は観察される場である

即売会は観察される場である

群馬前橋・山猫館書房 水野真由美

http://members3.jcom.home.ne.jp/yamaneko-kan/

 開店から二五年間、参加している即売会は、ほぼ群馬県内に限られる。
 会場は市街地の百貨店、スーパー、郊外の大型店、新刊書店などだ。それぞれ売れ筋が違うため在庫の負担は大きいが、お声が掛かれば何でもやる。
 店も文学書や美術書が多い程度の普通の町の古本屋である。
その範囲で感じる即売会の変化はどんなことがあるだろう?
 ここでは参加店で合同目録を発行している百貨店催事について考えてみたい。
 まず同一会場での開催が不安定になった。
 前橋市では市街地の大型店で二十数年間、正月に「吉例大古本市」を続けていたが同店の撤退により二〇〇三年に終了した。地方では市街地という場が成立しなくなったのだ。
 その後、同じ地域で別の季節に開催していた新刊書店ギャラリーでの古書展が県内における中心的な催事となり、開始から五年ほどで、お客様から「夏の古本市」と呼ばれるようになった。だが、それも営業方針の変更でギャラリーが閉鎖となり、終了した。高崎市の百貨店での催事もあるが定着するまでに至っていない。
 同じ県内でも開催する地域、会場によってお客様の傾向は違う。高額な趣味書は売れるが、じっくり読む本が売れない会場もある。その逆もある。会場の変化で手探りが続いている。
 昨年からは前橋市の市街地に唯一、残った百貨店で即売会を開催している。「前橋に古本市が帰ってきた」と喜んで下さるお客様の声は嬉しいが来場者数はあまり多くない。だが百貨店側からは「普段、来店しないお客様が多いですね」と言われた。元・文学少女も含め、デパ地下では呼び込めない本好きの中高年のことだ。
 かつて古本市は、その魅力の一つとして子供からお年寄りまで、どんなお客さんが来ても、それなりに楽しめる催事だと言われたが客層は変わった。たしかに若い人が少ない。アニメや宝塚などのファンもいない。
 そして高齢化は会話を増やした。探求書だけでなく、「お宝を持っているけど、いくらになる?」などの質問、さらに本や家族の思い出話にもなる。「こんな私で良かったら!」とお話しを伺う。
 また地方では多くの人を集めることが、どんどん難しくなっている。即売会の記事が地方紙に掲載された場合、かつては会場が狭く見えるほど来場者が増えた。現在では効果はあっても二、三割増しぐらいだ。一つのメディアに反応する人数が減り、複数のメディアでの広報が必要になった。
 商品の変化で言えば店売りの傾向と同じで、一般的なコミック、文庫、児童書を持ってくる店はほとんどない。また見事に売れないのは重くて嵩張る全集物だ。
 抱え込んだ本をレジに積み上げるお客様も殆どいなくなった。目録と同じで珍しい物のピンポイント攻撃だ。但しそれが流行り物ならサイクルは短い。
 客数は少ない、売れ筋も少ない。ならば高額の商品でそれをカバーするという考え方もできるだろう。だが、ここまで来たらそんな仕入れは、しない、出来ない、やりたくない。
 自分が読みたい作家や持っていたい写真集、画集にしかお金を出せないっ。
 今更ながらだが、最近、お客様に教えられたことがある。
 私好みの文学書を一週間位の間に何度も売りに来てくれた方とその本について話していたら「やっぱり山猫さんで良かった」と言われた。
 「どこかでお会いしましたか?」とお聞きしたが違った。
 会ったのではなく見たのだと言う。古本市で猫の絵のラベルが付いている本を買い、会場にいた私を「太っているけど、きっとあれが山猫だ」と一目で分かったそうだ。そして、もし本を売るならあそこだと思ったらしい。即売会は本を売るだけではなく、店が観察されている場でもあるのだ。
 そういえば二五年前、初めての即売会で稲垣足穂を買ってくれた最初のお客様は、その後、飲み友だちとなり、今では一緒に雑誌を出している。
 というわけで即売会、恐るべし!

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日本古書通信掲載記事 古書即売会の様々な展開―ブックバザールの試みを中心に―

古書即売会の様々な展開―ブックバザールの試みを中心に―

東京吉祥寺・古書りぶる・りべろ 川口秀彦

 現在私が定期的に参加している古書即売会は、目録を発行するものでは、東京古書会館のぐろりや会(年六回)、南部古書会館の本の散歩展(年二回)、銀座松坂屋で開かれることになったブックバザール(年一~二回)、目録を発行しないもので新宿西口古本まつり(年二回)と平安堂長野店古書まつり(年二~三回)の五種類ある。それぞれが他の即売展にない特徴を持って展開している。
 ぐろりや会の目録は従来の左開きタテ組に右開きのヨコ組を加えた会館展目録としては厚目のもので、会のホームページにも目録をアップしている。本の散歩展は著書を持つ古本屋が四人もいて、この春の二十回記念展では岡崎武志さんをメインに五人での大サイン会を開いた。新宿西口古本まつりは首都圏最多の参加店数が売りものである。平安堂のものは、あのリブロ今泉棚の今泉正光氏が店長に迎えられた関係で、リブロ店員から古本屋になった三人に元新刊書店員の私が加わって、昔のリブロのような品揃えを特徴としている。最後に残ったブックバザール、これが私の参加している中で最も実験的なことをしている即売会である。
 ブックバザールは、本や紙類だけでなく、消しゴム版画の蔵書印や手書きのしおり、手作りブックカバーなどの関連小物から玩具、雑貨類など、見てたのしくなるような商品も同一会場で扱っている。絵本の読みきかせや、絵本原画の展示もしたりする。ここまではアンダーグランドブックカフェの試みと似たようなものだが、目録にも一工夫してある。前身の府中伊勢丹での即売会で目録を担当していた私に、会長のポラン書房石田さんが要求したのは、読んで面白い、親しみやすい目録を作ってくれということだった。まず参加店に自己PRのエッセイか自店広告を半頁で出すように求めたが全店が応じたわけではなかった。そこで巻末の参加店一覧に店主か店の一行紹介をすることにした。石神井書林さんのエッセイ風目録という成功例が出て、エッセイを書く人が増えた。現在のバザールの目録は、古書の商品リスト以外に、エッセイ(古本屋でない書き手もいる)、イベント案内、参加店とその仲間たちの広告など、様々な要素が入っていて、古書目録としては特異なものとなっている。
 なぜこういう目録を作るのかといえば、旧来の古書即売会のお客様以外に客層を拡げたいという思いがあるからだ。バザールやアンダーグランドBCの会場での雑貨販売やイベントも同じ目的だろう。古書リストだけの目録、ジャンルや並べ方、編集に工夫を加えたものだけでは客層の深化はあっても拡大はないのではないか、顧客の世代交替が成り行きまかせでは先細りの現在、とりあえず古本に親しみ、古本屋を利用する人をいくらかでも増やしたいという気持ちが、ポランさんや私には共通してあった。産直野菜に生産者の顔写真がついているのにならって、古本という商品のリストだけでなく、店や店主を知ってもらうことが利用への手がかりになるのではないかと思って始めたことが、参加店やそれ以外からの寄稿もあって現在の形になってきた。発行部数も六千五百部という、かなり大きなものである。
 ブックバザールのような新しい客層を獲得するための試みは、これから増えてくるだろう。ジリ貧の店売のみならず、総体で古本を買う客層を拡大しないことには、私達古本屋の将来はないからだ。ささやかながら私も微力を尽したいと思っている。

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日本古書通信掲載記事 開拓の余地あり

開拓の余地あり

東京神田・西秋書店 西秋 学

http://nishiaki.jimbou.net/catalog/

 「アンダーグラウンド・ブック・カフェ 地下室の古書展」(以下UBC)は二〇〇三年十月から始まった新しい古書展である。同年七月に東京古書会館がリニューアルオープンした。「箱」が新しくなったのなら、「中身」もと、既存とは違う古書展を目指した。地下の会場は多目的ホールとして、音響、照明、スクリーン、額展示用のレールなどの設備が設けられた。これらの立派な設備をフルに使えば、おのずと新しいスタイルになるはず。会場のレイアウトも工夫した。壁面の額用スペースを生かしながら、本棚は会場の周りに配置して、中央はガラスケースやテーブルのみとして、ゆったりとスペースをとる。中央に本棚を置かないので、このスペースを利用してイベントが出来る。ロビーはお客様に開放し、カフェ・コーナーとして利用できるようにした。ロビー壁面にもレールがあるので、画や写真を展示している。音響設備があるので会場には常にBGMを流し、夜はトークショー、映画上映なども行う。二階情報コーナーも新しいスペースで、地下と連動した展示を誘致して併催している。
 新しい「カタチ」と「中身」には新しい「お客」をと、広報も色々と試している。金・土曜の古書展に来る従来の客層へは、古書会館と神保町及び各地域の古書店でのポスター掲示、チラシ配布などで概ねカバーできる。しかしながら、それら常連さん以外の未知の層へはどうだろう。古書会館はその立地と外観から、ブラリと入りやすいとは言えない建物である。日・月・火曜という日程のハンデもある。それらを克服するには、単純であるがチラシを撒いて告知するしかないだろうと考えた。新刊書店、ギャラリー、喫茶店、美術館・文学館など、「本」と直接・間接に関係しているような場所に置かせてもらった。当初はこの置かせてもらうことが大変だった。そもそも「古書展」という言葉が通じない。「古書会館」もほとんど知られていない。神保町の新刊書店でも「聞いたことあるけど、行ったことは無い」という返事がほとんどで、これはかなりショックだった。こちらが勝手にシンパシーを感じていた上記のような場所も概ね同じだった。それでも「古書会館というのは古本の『築地』のような場所で、古書展はその『場外市場』です。」と説明し、セッセと配布場所を求めて各所を廻った。単にお願いするだけでなく、相手の広報物を交換で預かるようにしている。本好きは紙好きでもあり、会場に置くチラシの類は異常に捌けが良い。そんなに短期間に大量に捌けるUBCって何?と興味と好意を持ってもらえ、結果としてそうした交流から生まれた企画も多い。
 展示と企画、広報の甲斐あって、来場者は増えている。来場者の特徴は女性と若者が多いことだ。通常の古書展では大部分が中高年の男性だから、来場した同業の多くからも驚かれた。考えてみれば、新刊書店や美術館で特に男女や年齢の偏りを感じることはあまりないから、これが普通なのかもしれない。
 若い層が増えた一因には、ちょうどその頃から普及し始めたブログというインターネット媒体の影響がある。個人の公開日記のようなものだが、発信性や情報の繋がりが強いのが特徴だ。そこに「UBCに行った云々」といった記事が載るようになった。購入した本のこと、トーク・展示の感想もあれば、何も買わなくても、会場の様子、そこで得たチラシ、コーヒーが美味しいなど、何かしら書いてくれている。どの感想も「また来たい」「面白かった」というもので、それらの記事自体が立派な広報になっているので、大変ありがたい。従来の客層に新しい層を加え、来場者、売上とも今のところ順調に伸びている。始めた当初を思えば安定感すらある。しかしまだ「古書展」「古書会館」を知らない本好き、古書好きな人は山ほどいるはず。開拓の余地は大いにあり、今後も様々な人が来られる間口の広い「古書展」を目指したい。

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日本古書通信掲載記事 パソコンの中の「古本市」という物語

パソコンの中の「古本市」という物語

東京早稲田・古書現世 向井透史

 早稲田の古本市と言えば、月に一度のビッグボックス古本市と、年に一度の早稲田青空古本市である。いきなりに、しかも参加している自分が言うのもなんなのだが、早稲田系の即売会(特にビッグボックス)は新しい本が多いので、「古書通信」をお読みのような、昔ながらの古書ファン層には物足りないのではないかと思う。かつては黒っぽい本も多い即売会だったのだが、今はひたすら白い。早稲田の本屋は市場を利用する人間が少ない。かつてのチリ紙交換からの買い入れの延長で仕入れるもの、出版社や著者からの比較的新しい不要本の買い取りなどだけで仕入れる店が多いのだ(よく棚を見れば市場で買っている店の棚とは全く違うのが解るはずだ)。要は、そういうところが黒っぽい本を出さなくなったのだ。ある意味、時代を映す鏡のようなところがある。これは詳しく話すと長くなるのでこのへんでやめておく。なので、現在の早稲田系古本市は、いかに一般層を呼ぶかが勝負となっている。特に、もう一つの定番古本市である青空古本祭などは、経費もかかっているので失敗は許されない。マスコミが取り上げてくれれば良いのだが、それも確実ではない神頼みのような話だ。ところがここ数年、これはいいんじゃないかというメディアに出会った。昨年の青空古本祭では、かなり効果を実感できた。それは「ブログ」というものである。
 「ブログ」という言葉もだいぶ浸透してきたのではないだろうか。「ブログ」というのは「ウェブログ」の略称で……と書いてはみたものの、その「ブログ」をやっている筆者も詳しいことはわからなかったりする。簡単に言えば、インターネット上で簡単に公開できる日記である。以前は、ある程度のパソコンの知識がないとネットで発言はできなかった。ちょっと詳しい人は「難しくないよ」と言うのだが、正直なところ自分にはとうていできそうもない世界だった。ところが、「ブログ」の登場でそれが変わった。基本型は各会社が作ってくれていて、どの会社の型でやるかは個人の自由。銀行を選ぶようなものである。そしてお金はかからない。最低限のパソコンの知識があればできる、そんな感じなのだ。「やってみようかな」、それから三十分後には筆者のブログ「古書現世店番日記」は始まっていた。いや、本当に簡単だ。うちはホームページも無かったし、なんだか嬉しかった。
 始めようとしたきっかけ、それは即売会の宣伝についてだった。早稲田古書店街ではメールマガジン(登録してくれたお客様にメールで情報を送るシステム)「早稲田古本村通信」を発行しており、即売会の日程などを配信していた(読者数は約千五百人)。しかし、効果が無いことはなかったが、なにか爆発感がなかった。何かを伝えきれていない感じがした。それを感じたのは、テレビで回転寿司の開店ドキュメントを見た時だった。「わざとらしい」と思うところもあったが、開店までの過程を見せられると、ちょっと行ってみたい気持ちも起きたのだ。やはり「物語」は強いなと思った。即売会の準備の過程を知らせることができたら。目録の製作過程、本の準備、会議の様子、備品の用意、テントの立ち上げ、搬入作業。約5ヶ月近い準備期間を公開してみた。ブログをはじめて二年目にあたる昨年の古本祭は、遠くからもたくさんの人が足を運んでくれた。体型に特徴があるので、すぐに判るのか、やたらと声をかけられる。一週間、途切れなく続いた。「見てますよ」。来場してくれた人がブログをやっていれば、そこからまた違う「物語」がはじまっていく。ネット上で見た自分も参加できる「物語」が、次々に連鎖していくのだ。何か、お客さんと本の売買だけでない、新しい関係が始まったような気さえする。もちろん、「本の質」で勝負するのが本道だとは思うが、中小古書店にはなかなかつらい。今は、かつてあったお客さんとの「帳場での会話」の、新しい形ができていくような雰囲気がある。今年の古本祭もあと数ヶ月。孤独だった値札貼りの作業も、今は「人との会話」になりえる。今年はどんな物語が待っているのだろうか。

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日本古書通信掲載記事 イベントの位置づけ―独断の是非

東京青山・日月堂 佐藤真砂

http://www.nichigetu-do.com/

 二〇〇一年「女性古書店主たちのつくる棚」、〇二年「旅する絵葉書」「雑誌マニア」、〇三年「ウルトラモダン」、〇四年「ムラカミ家のモノに見る昭和史」「印刷解体」、〇五年「印刷解体vol・2」、〇六年「学校用品店」。これが、あるギャラリーを会場に、これまで手掛けてきた「企画展」である。今秋には「印刷解体vol・3」の開催が既に決定している。
 会場となるギャラリーは有効面積十二坪、百貨店の即売会と比べると凡そ十分の一程度だろうか、至って小規模なスペースだ。運営はディベロッパーである会社本体の宣伝局所轄なので、企画に対しては対外的な効果(ブランディング、宣伝、集客等)が求められ、売上はテナント運営を行う営業部に入るため、一企画平均会期・二週間での売上は(目録発行はなく場売りだけで)最低でも二百万円が目標とされる。対外的な効果も売上げもというのだから、正直にいって毎回ハードルの高さに頭を抱えることになる。こうした要求に応えるには、通常の古書即売会とは全く別のアプローチが必要だ。これが「即売会」ではなく「企画展」と呼ぶ所以であり、これまでの経過―わけても「ムラカミ家」以降は、古本屋の本道からむしろ積極的に逸れてきたものとしか映らないだろう。それぞれの詳細についてはネット検索か何かでご覧いただくしかないのだが、例えば「ムラカミ家」では、蔵書はもとより戦前の着物から納戸に眠っていた家電製品まで、一軒の家に眠っていたありとあらゆるものを販売した。「印刷」では、いまは使われなくなった活字のバラ売りをし、「学校」では普段は専ら学校相手に副教材を販売する会社の倉庫に残っていた人体模型や鉱石標本、試験管などを並べ、いずれも一般に販売したものである。「印刷」についてはまだしも―内外の印刷年鑑や印刷見本集、書体に関する冊子等―古本屋として投入するに相応しいものも集められたのだが、「ムラカミ家」は同家の旧蔵書が頼りだったし、「学校」に至っては全商材に占める古本率はおそらく五%にも満たなかっただろう。
 狭いスペースで印象の強い企画を立ち上げるには、どうしてもワンテーマに絞らざるを得ない。様々なお客さまのニーズに応えようという百貨店の総花的な方向とは逆向きだ。そしてまた、ここで必要なのは、やはり百貨店的な圧倒的な物量・多彩な価格の相対化によって売ることではなく、むしろどうやって商品を絞り込み、企図した世界や物語を鮮明に立ち上げ販売に結びつけるか、なのである。設定したテーマからはみ出すものは禁じ手として、それを阻害すると思えば、時に古本を削る場合もある。主役はあくまで「企画」それ自体なのであり、そうした在りようを保持することが企画者としての責任となる。実際、エネルギーの多くは、人さまのモノをお膳立てして商品化することに割かれることになる場合も多い(当初は販売促進の場として考えていたはずが、企画を練れば練るほどどんどん自身の商売は遠ざかっていき……一体、何をやっているのだか)。
 こうした試みは、会場の狭さによって成立している部分が大きい。小規模・少数の業者寄り合いでも充分、売場を商材で埋められ、従って意思統一さえできれば一者もしくは一定の視点で商材の取捨選択ができるからだ。また、会期の長さや設営日程の自由度の高さは、大仕掛けの演出(例えば「印刷解体」では植字台やウマなど印刷所の風景そのままに二日間をかけて移設・陳列する)を可能にする。さらに、企画全体に関わる部分に対しては経費の負担や企画料の設定などの点で多少なりとも交渉の余地がある。こうした事情がからみあってようやく実現しているものであり、百貨店であれ古書会館であれ、通常の即売会のなかに、このような企画を持ち込むのはほぼ不可能だと思う。即売会にイベントのようなものを付加していくのではなく、あくまで販売に軸足をおいた企画を持ち込むのは、恣意的な仕入れがそう容易でない古本屋の場合、どうしても困難が残る。やるとなっても参加者全員にその機会を振り分けることはできず、一部の「誰か」に利するものとなるだろう。独断を是とするか非とするかは、それぞれの構成員の判断だが、その独断が、時代やニーズに叶ったものだったのか、あるいはニーズを創出することができたのか、という最終的な判断は唯一、お客様たちに委ねられる。独断の下に健全さがあるとすれば、それはこの一点において、保たれるものだと思っている。

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日本古書通信掲載記事 縁日のにぎわいは昔日の彼方

縁日のにぎわいは昔日の彼方

京都・其中堂 三浦了三

 早いもので京都古書研究会主催の百万遍古本まつりが、今年の秋、第30回を迎える事になった。店の手伝いで店番したのが、大学1年の時で、27年前のことになる。当時は、石畳の参道に一軒当たり出店台が3台、約60台ほどの出店量でも、十分に「まつり」であり、縁日のにぎわいであった。
 近年は、境内全域を使い、一軒当たり最低10台、軽く4倍くらいの本の量に増加している。それ以上に、夏に催している下鴨納涼古本まつりは、京都府の内外より多数の古書店の参加を仰いでいるので、秋の古本まつりのそのまた倍の出店量になる。
 それ程まで膨れ上がって何が変化してきたのか、業界からの視点で分析してみたい。
 その一つが、ストック在庫のフロー化。これは、価値が形骸化してきた古本を見切る場として、古本まつりが当初認識されていたということ。デッドストックとして倉庫に積み上げられていたものが、「まつり」という表舞台に出て、フロー商品として化けるのである。画期的なことだったと思う。
 それから会場が広くなるにつれ、大量出品の必要から、グロスでの商売を考え、一つ一つの商品に対するこだわりが弱くなりがちになっこと。「ひねる」ということがデパート展を支えてきたとすれば、「売り切る」というのが古本まつりを支えているといえよう。普段よりも安い価格体系にして大量出品し、マスコミに宣伝して多くのお客さんを呼び込んで、採算をとるのである。商品そのものは同じなので、お客さんには魅力的な価格になる。もちろん、現在の古本まつりでも、一点一点吟味したうえで魅力的に売る業者も少なくない。
 また、年に3回の開催となって古本まつり用の在庫を持たざるを得なくなったこと。うまく回転していけば(よい仕入れが続けば)魅力的な価格と品揃えを提供でき、売上を伸ばせるものの、ちょっとつまずくと、屍累々の古本の山との格闘が待ち受けている。古本まつりを始めて何が変化したかといって、その在庫量である。20年前は、8台分の商品を仕入れるのに悪戦苦闘していたのに、いまや同時に3軒分の店を出せるくらいの在庫になってしまった。(あくまで「出せるだけ」であって、商売が成り立つような在庫ではないのは言うまでもない)
 京都の古書業界全体にとって古本まつりの隆盛がよいことであったかどうかは、意見が分かれると思うが、私はよかったとは思っていない。大量出品が求められること、顧客層を共有できること、この二点から組合の交換会取引きの不活性を生む要因になってしまった。店の棚にとって要らないものでも要るものでも、古本まつりへ持っていけば商売になってしまう。交換会取引きの切磋琢磨が古本屋を育ててきたと思う筆者にとっては、交換会に対するスタンスに世代的な断絶が起きたことが残念でならない。
 さて、近時インターネット販売が盛んになって、ストック商品のフロー化とは逆方向、フロー商品のストック化(在庫管理)が必須になった。インターネットでは、いままでグロスで売ってきた商品一つ一つに個性を持たせないと商売ができなくなったのである。
 即売会とインターネット、真逆の性質を持つ商売を同時にこなさないと、これからの古書店営業は成り立たなくなるという昨今の状況は、お客さんは古本を購入してはくれるものの古本屋一店一店の個性には留意してくれない、という古本屋をやっている甲斐のない状況へとつながり、やがて全国古書業界の寡占へと続いていくのであろうか。古本屋はやはり縁日のにぎわいが似合うと思うのだが…。

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日本古書通信掲載記事 10年前とは全然ちがう

10年前とは全然ちがう

東京大田区・古書西村文生堂 西村康樹

http://home.a07.itscom.net/bunseido/

 僕はキャリア13年、古本屋をやっているが、どの様な品物を集めるかという事には常に悩んでいる。ちょっと売り上げが落ちてくるとまず考えるのが、品物のセンスが悪いのでは……という事だ。当然これは言えていて、10年前と今では売れ筋が全然違う。毎年毎年、一日一日、世の中の求めるモノは少しずつだが変わっている。しかし僕らの頭の中の古本知識や商売スタイルは、そんなに小回りがきいていない。だからしばらく同じ事を繰り返していると、最初は売れた商品ややり方もだんだんとダメになっていって、結果、売り上げも落ちていくのだろう。
 そんなスランプ状態になると、売れている店が、何を売っているのかが気になりだす。ついつい他の店で売れているという品筋に、手を出したくなるのだ。しかし、僕の経験では、これが一番良くなく、ますます自分の店の品筋を混乱させていくのだ。あたり前だが、立地が違えば客筋も違うからだ。やはり地域には色があり、そこに住んでいる人にも色がある。僕はスランプになった時は、この色に素直に従う様にしてきた。常に、近所の人の店への持ち込みの本が、自分の店の新しい展開のヒントをくれてきた。まったく知らなかった、又はやらなかった世界の本が、意外と売れて、驚き、味をしめてしまうわけだ。そして、その新しい感覚の本を、市場でガンガン買って集めていくうちに店の売り上げも復活していくという事を何度も僕は繰り返してきた。もう5回くらい、店の品揃えの雰囲気はフルモデルチェンジしているんじゃないかな。
 ここまで書いてきたのは店売りの品揃えの話で、目録販売や「日本の古本屋」でのインターネットを使った古書販売の品集めは、また少々違う。店売りに関しては時代や世の中に柔軟に対応していくべきだと思っているのだが、目録の世界については、そうコロコロ変わるわけにはいかない。うちの目録を楽しみにしてくれているお客さんは、当然あるジャンルのお客さんなわけであって、突然次号の目録からジャンルが変わってしまったら困惑してしまうだろう。かといって、まったく同じ事をやり続けていても飽きられてしまうので、基本は大事にしながらも新しいテイストを取り入れていこうと心掛けている。こっちはマイナーチェンジを繰り返すという感じ。
 あと僕の店は「日本の古本屋」での販売もしているのだが、このサイトで売る品揃えが一番難しい。店で売れる様な本は他社も持っているケースが多く、かなり安くしないと動かないという値段競争だ。だから逆に他社の持っていない本で売れるものを集める努力をしないといけない。店に並べておいたら100年たっても買ってくれるお客さんと巡り合えない本でも、ネットの世界では探している人と出会える可能性があるからだ。これはお互いに大変ありがたい事だ。
 現在の古本屋は売り方、売る品物ともに、多様化してきた。今までだったら、商品としてありえなかったような本も売る事ができるようになった。本というアナログな商品を売る古本屋は、意外とデジタル時代に向いていたと最近、考える。

日本古書通信社:http://www.kosho.co.jp/kotsu/

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日本古書通信掲載記事 『街の古本屋』のスタイル

『街の古本屋』のスタイル

東京西荻・古書 音羽館 広瀬洋一

 「古書一般」特に専門分野を持たない古本屋は古書店地図にこう書いてあるものだ。当店も紛れもなくこのタイプである。15坪に満たない店内にもかかわらず、漫画、文庫から硬めの人文書までひと通りある。地元で仕入れ地元で販売するサイクルをかろうじて維持している以上、地域のニーズを反映した店づくりは欠かせない訳で、よろず屋的な品揃えは街の古本屋のスタンダードだと思う。
 だが、ただ「古書一般」ではつまらない。だから苦しまぎれによく「芸能の周辺」と答えるようにしている。これは映画や音楽はもちろん美術や思想や文学も含んだ、広く表現行為一般を扱っていますというくらいの意味である。都合の良い言葉で気に入っているが、とても専門分野ですとは言えない。
 専門分野も模索し、それを深めることの重要性に異論はないが、同時によろず屋にとってジャンルの垣根を越える感覚も磨きたいとも思う。たとえば「モダニズム」という括りで本を選んでゆく。そうすれば絵画、建築、写真などの美術書にこだわらず、洋の東西も問わず思想、科学、文学などジャンルを横断してまとめられる。テーマは豊富にあるはずだ。いつもと違う目線で棚を見直す。少しでも手持ちの在庫を活かす意味もある。たとえば現在ドイツでサッカーのワールドカップが開かれている。「日本におけるドイツ年」という記念の年でもあるから、ドイツにちなんだ本を集めるのはどうか。作曲家の伝記の隣に、メッサーシュッミットに関する戦闘機の本、ビールの本も並べられる。自分が面白がっている棚ならきっと喜んでくれる人もいるはずだ。「実は以前、ドイツじゃないがウィーンで声楽の勉強をしていた」と常連さんから打明けられるかもしれない。買取りのチャンスが生まれることもあるだろう。そういえば今年は「モーツァルト・イヤー」でもある。こんな地道な取り組みこそ、これからの人気商品の発見につながってゆく気がする。
 横尾忠則や寺山修司は10年前も人気があった。けれどあの時今の「絵本」ブームが来るとは全然わからなかった。しかし当時から売れ筋の70年代のイラストやサブカルチャーの流行を注意深く眺めていたら、おのずと宇野亜喜良や和田誠たちが深くかかわってきた「絵本」の豊かで多様性のある魅力により早く気付くことが出来たかもしれない。まあこれは現在から見てはじめて言えることなのかもしれないが… まさか「ゴジラ」が世界中で戦後日本の生み出した最も魅力的な映像キャラクターと認められているとは、当時誰が予測できただろうか?
 いささか話が思いがけない方向に向かってしまった。編集部の「人気商品の先取りは可能か?」という設問だったのだ。最後に「人気商品の流れに乗るべきか避けるべきか」という設問。これも「街の古本屋」の視点から考えると、乗るべき時は乗り、避けるべき(乗れない)時は避ける(無理しない)と答えておこう。まことにはっきりしない態度に違いないが、このいい加減さこそ「街の古本屋」のしたたかさ。人と時代に寄り添いながらなんとか切り抜けてゆくしかないだろう。

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