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日本古書通信掲載記事 古書界を長く見つめて想う悔いのない自伝

古書界を長く見つめて想う悔いのない自伝

神保町・蒐堂 山田 孝

 私は学校では電機工学を学んだ。八箇所程の会社に入社して発展途上の世界を学び、後事情あって古書への道に入った。 昭和四〇年頃、特価本は全盛を極め、今も続く古本祭りの主役的存在で 間に合わない程良く売れた。店の中央は全て平台で数十冊を積んで帯紙をつけて、定価○○円のところ○○円と安い値段を表示し、 複数の倉庫を持ち、補充に車で往復して忙しかった。やがて特価本から少しづつ初版本・限定本を置くようになり、純文学作家の初版本は安い価格をつけると飛ぶように売れて、やがて店舗の移転を機会に古書部を設けて、デパートでの古書即売展へと幅広く販路を増やして全て成功して面白くてしょうがない程であった。

版画を処分するお客さんと出会った事で創作版画、浮世絵とレパートリーは広がった。今でも古書店街は靖国通りの西側に集中して、東側には当時は山田書店だけで条件は決して良くはないが、宣伝と努力もあって次第にお客さんの来店が増え、現在のビル完成を期に私は古書から離れて浮世絵・現代版画専門店として独立した。目録も次第に充実して全国やがて海外へも知られるようになり、今では考えられないような時代、目録で残っている品を全部欲しいと百%売れた事もあった。初めて扱う品と未知の世界へ値段を付ける愉快さは楽しく夢中だったのを今でも詳細に覚えている。

文庫本も百科辞典も全集も良く売れた時代の背景には、アナログ主流で重い、大きい物が喜ばれた。私は若い頃に腰の手術をしたが年と共に軽くて好きな版画等紙類を扱うようになり腰への負担が無くなったのは運が良かった。今でこそ海外の業者も強気で買って行く新版画の川瀬巴水も私が版画に興味を持ち始めた頃は独り占めのように手に入り、特集まで出した目録もある。現在ではとても手に入れるのは難しくなったがタイミングの良い時代に扱っていて本当に良かったと思う。

  昔、市場では入札に二番と言って落札値段に一番近い札を入れた人に景品を付けて並んでいたのも面白く、又、高価な限定本等がセリにかけられて勇ましく熱気の入った光景も思い出すが、私は人前で大きな声を出して落札するのは苦手だった。お客さんからの注文で値段はまかされていたので夢中で声張り上げて落札、妙に興奮したのを忘れない。私は小心者で弱気な性格と思っていたが、この世界に入って昔の体験から得た能力がしっかりと心に根付いていたのが幸したのだろう。儲ける事よりもいかに面白い出会いがあるかという仕入れの楽しさが先行し、安い給料にあまり不満は無く、こんな面白い仕事に出会えた喜びは金銭に変えられないものであった。

父は世間では永井荷風本のコレクターとして、又酒も飲まず趣味は古書という面白くも無い人間で、仕事については何も教えてもくれない堅物の人だったからこそ自分で未知の世界へ挑戦する機会を持ち、まさしく失敗は成功の基を地で行けた。
 
さて経験四〇年以上の古書版画の世界から、神保町では誰もやっていない面白いというより好きな趣味で商売をやってみようと、店内はとにかく面白いものなら何でも置いて売れなくても自分が楽しもうと、かなりの変身に躊躇は無く、お客さんが必ず喜んでくれると確信して今の店をオープンした。経験は不思議な力を与えてくれて、市場やお客さんから、又古書業界以外の業者からと全て勘で仕入れたが不思議と面白いように商品が入手出来た。自家目録も止めたが困る事も無く口コミで知られるのにあまり時間は長くかからなかった。新聞、雑誌、テレビ等の取材が増えて、面白い事にテレビドラマで店内を使用したいので三日程借りたいと要請された時は驚いた。お客さんが一通り店内を見て帰りがけに「どうも有り難うございました」と声をかけてくれるのは古本を扱っていた時には聞かれない言葉だった。

買ってくれなくても、こんなに嬉しい気持ちにさせてくれる事はない。店には蓄音機、真空管ラジオ、SPレコード等は元来好きなので置いてるだけで癒されるが、私とほぼ同年輩の方がそれらを眺め、昔の良き秋葉原時代への回顧に時のたつのも忘れて話が弾む。対話の少なくなったお客さんとの交流は商売を忘れ、懐かしい思いで共に喜びあえる現在、売上上々で店員を使えるような店ではないが、経験から学んだ知識や方法を未知の方へ伝えていく喜びと商売の楽しさを更に充実させて感謝できる毎日を続けたいと思うこの頃です。

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日本古書通信掲載記事 三酔人古本屋問答

三酔人古本屋問答

名古屋・イマジン・スペース・真理 石黒 敏彦

総理: 生活と文化を結ぶのは本ですよ。バブルがはじけてシャボン玉。 ただ、古本屋さんは特色があるのでまだまだ面白いのではないでしょうか。

古本屋: 何を呑気なことを仰言ますか。先日も親しい同業が仕方なく 店を閉めました。「ブックオフ」 の進出、インター・ネット、これは 従来の「街の古本屋」には痛打と警鐘です。

医者: 私も時々立寄りますが、前の賑わいがありません。閑古鳥が 鳴いている感じです。

古本屋: わたしも泣いています、本の上で♪

総理: 泣いても聞いてもらえませんね、「本離れ」では。

医者: その影響は大きいですね。まあ、このところの教育政策の結果じゃありませんか?

総理: ムムム。

医者: I・Tは、子どもの自我形成や発達のバランスに危うさを生じさせています。それに時流だからと安易に加担した総理がいましたね。

総理: あ痛(I・T)。ムムム。……ネットと市場経済のあり方、今どこでも大問題なんですよ。その点、古本はリサイクルですし、なんといっても文化です。

医者: 「文化饅頭」、「文化食堂」、「文化革命」……

総理: 伝統のある文化ですよ。

古本屋: 店を閉じた親しい同業は悲惨で、藁をもつかむ気持でネットに潜って、新天地を求めています。そこでは一応の「成功」を得ている人もいます。

医者: 結局、そこでもお金ですよ……リアルの世界へ戻った時もまたお金。

古本屋: ブックオフは、リアルの世界で金脈を当てた。古本屋の狭い・暗いなどを批判した。本は生もの、腐るから在庫は持たない、と。

医者: それじゃあ本は「文化饅頭」ですね。

古本屋: そして大資本らしく「価格破壊」でした。

総理: 古本の世界も市場経済が猛威をふるっているわけですね。

医者: 特に古本の世界では、所有が内面に結びつかない所有へと市場化してきた。それにしても売買ルールのある市場経済……無愛想は暗いですね。

古本屋: ん。……そういえば先日、お医者さんが診察の前に「いらっしゃいませ」って挨拶するんですよ、ビックリしました。

医者: 領収書を発行したりで、医者も商売ですからね。

総理: 「本離れ」と言われながら、一方で今の若い人も、物語を求めてるって聞いています。

医者: さすが。では、次の改革は「読書の復権」、これぞ現代の「米百俵」です、総理。

総理: そうだ、教育で読書の義務化に取り組んでみよう。古本屋を日本の文化遺産にしよう。

医者: 「米百俵」どころじゃない……この総理も性急すぎる。これでは読書離れの加速です。

古本屋: 総理、教育や文化に口を出さないでもらえないでしょうか。……お客が戻ってくる僅かな可能性よりやっぱり、お迎えが先にやって来そうだ。

一同: されど、吾等が屍をのり越えて、文字の世界は、人の世のあるかぎり……

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日本古書通信掲載記事 仕入れを調整して余暇を取る

仕入れを調整して余暇を取る

神田・かげろう文庫 佐藤 龍

 先日、海外の有名アウトドア用品メーカーの社長が書いた『社員を サーフィンに行かせよう』という本を読みました。 彼の言っている事はこうです。書名の通りに社長、社員共々いつでも 好きな時に好きなだけサーフィン、釣り、登山に育児でもする事が可能だ。良い波がきたら平日の勤務中でも、仕事を抜け出して波乗りに行っても良いし、まとめて休みを取ってヒマラヤ登山を存分に楽しんでも良し。

但し自分の仕事を完全にこなした上での条件はつきます。そしてその方が効率良く、責任を持って仕事をする上でうまく行くと言っています。本を読むとその考えはただの思いつきから始まったのでは無く、確固たる経営理念と戦略に基づいて築きあげたものとわかります。つい最近「休みたいなら辞めればいい」と発言した某日本企業の社長とは正反対の考えです。
 
斯く言う自分は古本屋として独立してからこのかた、盆暮れ以外はまとまった休みをとった事が有りません。古本屋というのは自営業の中でも長期の休みをとる事が出来る最右翼にいるのではないかと思うのですが、現実には自分の日本人的小市民根性がそうさせるのか、なかなか休暇をとる事が出来ません。この本を読む前から最近目標としているのが、長期休暇をいかに取るかという事です。
 
まずは昨年の秋から店舗の営業時間を1時間少なくしました。また以前、日曜日は店舗を開けないものの残務整理の為に頻繁に出勤をしていたのですが、余程仕事がたまっていない限り休む事としました。そして市場のある平日にも店は家族に任せて定期的に休みをとるようにしています。これでやっと人並みに休めるかなあという所ですので、次に試してみたいのが、臨時休業です。
  元々なぜ休みが思うようにとれないのかを考えると、心理的な要因として仕入れが滞るかもしれないという危機感です。いつお客様から買取の依頼が入るか、市場に探している本が出るか否か、それが故に毎日出勤し買取と仕入れをしてしまいます。その結果、自分の処理能力を遥かに超えた在庫を抱えてしまい、休む事が出来ないという悪循環が続いています。
 
私感ですが、近年、古書市場は古典籍や特定の本を除いては価格が低迷し、以前より大量の本が出回っていると思います。開業当時はこの状況がチャンスだと感じていましたし、現在もそれは変わりません。しかしこのお陰で仕入れ超過になり、年中無休に近い状態になってしまいました。そろそろ仕入れにもっと慎重になる必要が有るようです。
 
今、仕入れで意識しているのはお客様ともっとコミュニケーションをとり、そのニーズと嗜好に敏感になる事。時にはこちらから収集すべき書目についてアドバイスする等という事を心がけています。それにより在庫すべき本はある程度絞り込めるはずです。
 
最近、古本屋は物品販売業というよりはサービス業に近いと感じ始めました。他には無いサービスを提供できるならば、それに応えてくれるお客様が必ずいるし、少々の時間はお待ち頂けるはず…と夢想しているのですが…。そんな訳で近いうちに弊店へお越し予定の方は、長期臨時休業の恐れも有りますので事前のご確認をお願い致します。

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日本古書通信掲載記事 続「がらんどう」のこと

続「がらんどう」のこと

神保町・がらんどう 吉地 直美

http://www.garando.jp/

 神田神保町の露路にある小さい古本屋、私共の「がらんどう」。 三年前に今の露路の反対側に初めの店を開け、一年程経って今の店も開いた。 二つの通りをつなぐ露路の両端に2つのがらんどうがあるのが何だか うれしくて、ここにいつもいる三びきの白い猫達にあいさつしては 通りぬけるのが楽しみでもあった。 でもこの小さな店でも二軒開けているのはむずかしく今年一月に今の錦華通りにある店ひとつに決めた。
 
近くにあるお茶の水小学校は、以前錦華小学校といわれ夏目漱石が在学した学校とか。こう教えてくれた人はこの錦華通りはいい通り名だよって。明治大学や山ノ上ホテルも近くにあり本当におちつくいいところである。今年は初めて祭のみこしにワクワクしながらくっついて歩いた。時々この町を普通に慣れ親しんだところのように歩いている自分を発見して不思議な気持になる。元々は愛知県安城市にがらんどうを出し今年で二十三年目。三年程前、本ともう少し身近になることが出来るだろう、東京に何とか小さくてもいい店を出したいとさがして歩きまわっていた。

 神田は、はじめから無理だとあきらめていた。名舌亭というからすみを干していたおいしそうな名前の店に入らなかったら今の神田神保町のがらんどうはなかったにちがいない。店の前に偶然不動産屋さんがあり店を決めた。がらんどうでは今、「谷中安規」展を開催中(~6/14)で6/7の版画家の大野隆司さんと安規さんを御世話し最后を見届けた佐瀬さんとのトークの会には多くのお客様で狭い店は一杯になった。九月にももう一度安規展を開催予定している。

 東京の店でも壁一面だけは残し、安城の本店でのギャラリーの様な事をぜひつづけていきたかった。槐多の絵と共に窪島誠一郎さんの講演会、丸木位里・俊原爆の図・夜も展示させてもらった。木下晋・水上勉・池袋モンパルナスとその周辺展やハンセン病で詩人の桜井哲夫さんと金正美さん、そして青木裕子さんの朗読のお話しの会、又新井英一・長谷川きよしライブ・坂本長利一人芝居などなど。そして「宮本常一旅から学ぶ」として毛利甚八×村崎修二との対談もおもしろかった。もの書きだった父親の風呂敷に資料や原稿を包み出かけた姿を思い浮かべ、足で多くの取材をして伝える、それに少しでも近い形で何か出来ないだろうかと思う。市場でたまに父の著書をみつける時がある。ドキッとしてほおっとする。

  今年、佐竹茉莉子さんの初めての写真集が出来た折には、いい顔した猫達で壁いっぱいになったし、林湜和さんの木彫の猫達で店の中がほっとした。これからの斎藤吾朗個展、北井一夫写真展は四回目。福島菊次郎も忘れられない。本当に多くの出会いがあった。
ここは古本屋さん? ってよく聞かれるけれど、多くの人達に出会い、多くの作品や物達が通りすぎ、多くの本にこれからも出会いたいと思っている。おもしろくってやめられない。だから何とかつづけていきたい。そんな毎日である。

  昨日も雨の中エンケンサンが寄ってくれた。他に来客もなくて、ゆっくり本をさがせるなんてうれしいと言ってくれ選び出したのは大西巨人・山本作兵衛・西光万吉そして中古の一澤帆布のかばん。 おもしろい店だねェいろいろあって――こうしてずっといきたいものである。

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日本古書通信掲載記事 地域を越え、古本屋のワクを越えて新しい企画を!

地域を越え、古本屋のワクを越えて新しい企画を!

札幌・サッポロ堂書店 石原 誠

 昨年の十月M先生が一升ビンをさげて十年ぶりに来店。先生は 八十才を過ぎていた。一九八一年の独立開店の翌年くらいだったと思うが、プラットご来店。当時貧弱な品揃えだったにもかかわらず 随分お世話になった。当時バリバリの道立高校の校長。その後の 勤務先の校長室には氏の分野のコレクションがズラリと並んだ由。 今でも独自の分野が校長室の壁をうめつくした光景は想像するだけで 圧巻だが見学しそびれて悔しい。
 
先生はこの十年病気がちで当店は目録と年賀状の御送付は続け、賀状の返信は下さっていた。「私はサッポロ堂さんでほとんど本を買った。又これからも買うよ」と言って最近またよく来て下さる。今人気の先生の分野は少年時代過ごしたなつかしい土地! 最近は収集された本を基に関係テーマをまとめる事に着手。酒もタバコものまず「本を読むのが私の道楽」と! 目が少し不自由気味だけど先生ガンバッテ! 私も私の友人も応援します!
 
二〇〇七年十二月初旬32号の『北海道・シベリア文献目録 2007年版』を発行。直後にお世話になったI先生の最終講義。妻が出席してくれ、友人でお客さんのUさんも同席。「目録ありがとう、注文するよ」に対し妻は「ウチも大変だから沢山買ってネ」と答えると「まさか!?」と信じがたい顔であったというが、後日沢山の注文をいただいた。Uさんもウチが相当儲けてると勘違いをしていた一人だった……。
 
今年三月。道内のある図書館で「松浦武四郎の事跡」について講演。私の肩書は古書店主で武四郎研究者とのこと。約一ヶ月準備し、野帳↓稿本↓印刷本の複雑な過程がやっと解り用意した約30頁のレジメも好評で足りないくらいだった。20数年前学生だったK学芸員が声をかけて下さり、Uさん共々学生時から私の小さな店に通ってくれたお客さんで、今前線で活躍しているのだ。
 
今年二月、日帰りバスツアーで妻と旭山動物園に行ってきた。日本で一番小さな面積の動物園が、国内1、2位の集客数。とても興味があった施設だがその魅力は充分伝わってきた。今夏オープンする「オオカミの館」が楽しみ。
 
六月四日第17回YOSAKOIソーラン祭りが開幕。国内外330チームが参加するイベントに発展。一人の北大生のアイディアで始めた祭りは札幌全体の経済効果を考えると大変なことだ。今や「札幌雪祭り」を完全に越えた。
 
もう一つ嬉しいことは「三浦綾子記念文学館」が十周年を迎えた事。三浦さんには15年程前に個人的に親切にして頂いたが、私は“庶民の文学”として作品に強い関心を持っている。わが故郷(室蘭市)港の文学館(この程民営になった)の活動も目を見はるものがあり、民営の文学館が多くのボランティアに支えられ運営。彼女が作家として読者に多大の影響を与えた事は特筆すべきだ。
 
沖縄と並び、経済最悪の北海道で、旭山動物園、ヨサコイ祭り、三浦綾子記念館など元気に活躍しているのだ。大阪老舗・黒崎書店は『知ってもらうが一番。売ってもらうが二番。買ってもらうが三番』という標語を掲げた。私達古本屋もほとんどが家族経営で、自店だけでは何事も進まない……。道内の組合、道外の組合、皆で知恵を出し合い、この名言を参考に、時によって地域を越え、又、古本屋というワクも越えて他の職種・人々とも連繋して、新しい企画(催し)ができないものだろうかと思うこの頃である。
(2008・6・10)

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日本古書通信掲載記事 古書店の役目

古書店の役目

神保町・秦川堂書店 永森 譲

http://shinsendo.jimbou.net

 昭和三十六年大学卒業後、他業種を五年間経験して家業の古書店に入りました。商売の流儀については父に教わり、結果二十七年、仕事を共にし、そのお蔭で現在があります。また古書店を経営していくには、古書組合の組織、販路の多様性、お客様とのつながり等が蔭の力となって存在します。その一端をお話して、古書店の有様が少しでも読者の皆様にご理解いただければと“良いこと尽くめ”の古書業界を紹介いたします。

古書店の組合
東京都古書籍商業協同組合に加入しますと、組合直轄の古書交換会(古書市 場)の利用は勿論、専門書市会への入会、古書の知識の吸収、古書業界の内部情報の入手、組合インターネットサイト「日本の古本屋」への加入ができ、対外信用も確かなものとなります。組合の主たる業務としての交換会は修業を兼ねた若手と市会幹事により運営され、毎日集荷されてくる都内古書店の古書籍が手際良くさばかれます。互助精神に基づいた組合本部の組織は、我々古書業者にとっては必要不可欠なものとなっています。

さまざまな販路と自由な価格
商売の基本は店舗販売ですが、通信販売、即売会、古本まつり、ネット販売と販路は多様にあり、どの販売方法も選べますし、可能ならば、全ての方法でも良いわけです。基本的な本の相場は、組合交換会の出来値から発生してきます。その販売価格は店主の頭ひとつで決めますから、こんなに良い商売はないと言えましょう。昔は相場情報の共有化など無く、古書店主それぞれが独自判断で価格設定をしていたので、古書店ごとの違った価格があり、お客様は不思議に感じていたようですが、それが、掘り出しものの楽しみに繋がっていましたから、お店巡りが面白かったとなります。並んだ古書店のなかで価格差のあることはとても魅力的だと思いますが如何でしょう。

古書を通じて人の交わり
過去四十年、どれだけのお客様からお世話になったか計りしれません。その時々に本と共に思い浮かぶお客様、そして本と共に深まるお付き合いは、古書店側か ら見て何よりの醍醐味です。お客様から学問的知識をいただき、書物に接していると、興味の尽きることはありません。何年修業しても奥は深く、日々勉強の毎日ですが、新しい商品との出会いは、飽きる暇も無く続きます。古書店の将来に関しては、書物のある限り古本屋の役目は終わらないと、肝に銘じて仕事をしていきます。この五月、二十五年ぶりに店舗改装をしました。眠っていた多量の在庫本類を目の前にし、これからどんな手段でこれらをデビューさせるか大いに楽 しみに思っている近頃です。よいこと尽くめの話で古書業界を振り返りましたが、そのような良いことばかりでないのが世の慣わしです。またの機会があったら 今度は困った事尽くしでも……。

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古本屋のエッセー 索引

第九回 乱歩と大衆文化の池袋

八勝堂書店 八木 勝

第八回 パラドクスに踊れ!

西村文生堂書店 松川 慎

第七回 利に優る理を求めて

アート文庫 丸山 将憲

第六回 古本屋はパラノイアか

泰成堂書店 池田 泰

第五回 古書月報 編集後記 2003年4月号より

東京古書組合 機関誌部

第四回 渋谷宮益坂上の中村書店に行ってみなさい

なないろ文庫ふしぎ堂 田村 七痴庵

第三回 架空の寺山修司全集

玉英堂書店 斎藤 良太

第二回 世界で最も偉大なるジャンキーとポルノの帝王の物語

古書サンエー 山路 和広

第一回 飾り物の価値

龍生書林 大場 啓志

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古本屋のエッセー 乱歩と大衆文化の池袋

乱歩と大衆文化の池袋

古書月報より

八勝堂書店 八木 勝

去る、八月十九日より二十四日の間、池袋東武百貨店と立教大学旧江戸川乱歩邸で『江戸川乱歩と大衆の二十世紀展』が開催された。
去年、西武百貨店イルムス館で『蔵の中の幻影城』と銘打った乱歩展の記憶を持たれている方も多いと思うが、展示品目は西武の時の方が多かっただろうか?
しかし今回の展示は広いスペースをゆったり使いまた違う切り口で観せてくれ、それなりに楽しめたと思う。
何より今回の目玉だったのは、乱歩邸の蔵『幻影城』の一般公開ではあるまいか、立教大学により整理、収蔵品の学内への移動が進み期待したよりは若干、蔵の中が「サッパリしてたなぁ」との声も耳にしたが、在りし日の乱歩の姿を偲ぶには十分であったろうと思う。
それと今回、小店も協賛の一部に入っていたが、豊島区・読売新聞・日本推理作家協会などの後援で大いに宣伝して戴き池袋西口を挙げてのイベントに成った事が成功の要因だったろうか?
勿論、元高野書店の主人で現豊島区長、高野之夫氏の尽力も忘れてはならない、因みに会期中に東武百貨店会場と乱歩邸に訪れた人数は約二万人に達する。
乱歩は昭和九年より同四十年七十才で亡くなるまで人生の約半分近くを池袋の現在の場所で暮らした事に成る、これは乱歩のお孫さんに当たる平井憲太郎氏が語ってくれたのだが
「戦前の祖父はあまり近所付き合いなどする方では無かったようなのですが戦災に被った時に町内会で蔵も含め消火活動をしてくれたお陰で我が家は焼けずに済んだのです。」
との事で有った、それが原因なのかは解らないが戦後、乱歩は町会の副会長を引き受け、あの几帳面な性格で当時の配給の配分や町会行事の記録など微細にしかも膨大な量を残している。
それとほぼ同時期に大下宇陀児が池袋東口で町会長をやっている、池袋の東西で推理作家の巨人とも言うべき二人がそんな立場であったのは何とも面白い話だ。
八勝堂は池袋で昭和三十六年に開業しているので生前、乱歩は小店に来店しているかもしれないのだが全く記憶が無く残念だ。
池袋は数多の作家、絵描きや文化人が居を構えた所であり山手樹一郎、井口朝生父子を始め様々な方が来店されているのだが余り覚えていないのは我が不徳の致す所で有ろう。
ただ瀬沼茂樹氏は伊藤整氏や高見順氏を伴ってふらっと来店されて「おい! 八勝堂、まだ仕事してんのか、呑みに行くぞ!」と嬉しいやら困ったお誘いに苦笑したのも懐かしい思い出である。
池袋モンパルナス、長崎アトリエ村などからは名立たる絵描きも輩出している、彼のトキワ荘も隣の椎名町に有ったが、その名残なのだろうか今、世界を席巻している『アニメーション』はそれらの地域の小さな事務所の若者達が生み出しているのだそうだ。
今も昔も『大衆とサブカルチャー』の街池袋「八勝堂! 畑違いの物、扱ってるね」と笑われながらも、この街で本屋として生きるからこそ『進取の気概・チャレンジ精神』は何時迄も失わないようにしたい。

東京古書組合発行「古書月報」より転載

禁無断転載

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古本屋のエッセー パラドクスに踊れ!

パラドクスに踊れ!

古書月報-パラノイア文献学より-

西村文生堂書店 松川 慎

古くはポーに始まり圧倒的支持を受けたS・ホームズの生みの親コナン・ドイルによって活路を見出したのが探偵小説であるといえるが、トリックのカーニバルG・K・チェスタートンの存在を無視することは出来ない。
我が国でも探偵小説を芸術の位置にまで高めようとする努力は成されてきたが、今に至っても前述の三名を凌駕する作家は本格探偵小説という範疇においてまだ出現していないといえる。
ポー、ドイルに関する評論は星の数も出版されているがチェスタートンとなるとその十分の一にも満たないのが悲しい現実である。
哲学者として知られる氏の作品には宗教講義じみたものが随所に顔を出すこともあり、全体を通して難解な文章は咀嚼するのに手間がかかるため、お世辞にもドイルらと比べて大衆向きとは言い難い。しかし死闘の果てに手に入れた恋人が永遠に輝き続ける可能性のあることを否定する者はいないだろう。
本格探偵小説とは作者と読者との知的ゲームである。
一見不可能と見える犯罪を合理的に解決に導くことがこのゲームの核であり、犯人の仕組んだトリックが華麗であればあるだけ読後感は爽快であると言える。そこに文学的要素を加味することでより芸術に近づけば鬼に金棒、ミルコ・クロコップさえ舌を巻く。
飄飄としたブラウン神父をパラドクスの海で心ゆくまで泳がせ、仕上げにトリックというボルドーを流し込む。
氏の世界でしか名作『折れた剣』は生れないし、『ムーンクレサントの奇蹟』も成立しない。『見えない人』の謎はおそらくS・ホームズや金田一耕助だったら解決出来そうにもないし、『ブルー氏の追跡』や『グラス氏の失踪』もポーやヴァン・ダインでは書けなかっただろう。『古書の呪い』や『ペンドラゴン一族の滅亡』にいたっては奇想天外すぎてチェスタートン以外に閃くはずもない。
完成された探偵小説は芸術となる。エレガントかつゴージャスという表現は叶姉妹のみへの賛辞ではなく文学に対してこそ使用されるべきだ。今を溯ること百年前に既に誕生していた芸術、チェスタートン作品群。今宵遊びませんか?彼の宇宙に……

東京古書組合発行「古書月報」より転載

禁無断転載

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古本屋のエッセー 利に優る理を求めて

利に優る理を求めて

古書月報-パラノイア文献学より-

アート文庫 丸山 将憲

見開きページの口絵をめくった途端に、当時の読者の少年少女を、スペースオペラやアドベンチャー、スリラーサスペンスの世界に引き込んでいったであろうパノラマ。小松崎茂、武部本一郎らの描くカラフルな世界には読ませる機械としての魔力が溢れている。
 ジュニア読物と呼ばれる現在の当店の主力ラインの一番の魅力は、おそらくこのあたりの禍々しさが漂う雰囲気であるように思われる。
 マンガではないが、かといって通常の小説とも違うこれらの作品群を手にとると、私は幼いころ母方の実家の九州は小倉で、祖母に連れていってもらったサーカスを思い出す。
それはおそらく大人から見れば荒唐無稽に見える作業に、悪くいえば子供をだますために必死になって心血をそそいでいるという共通点のせいであるような気がする。

現在のように、CGやVFXが満載の映画や、バーチャルリアリティという言葉がぴったりとはまるコンピュータゲームがまだ無かった時代に、文章の世界を楽しむことを、インプリンティングすると同時に、豊かなイマジネーションを培い、数多くのパラノイド達を生み出すきっかけを、これらの作品群がその役を担っていたように思われる。

 60年代までは、週刊の少年漫画雑誌にも、絵物語という形で存在していたこれらの作品群は、私が少年時代を過ごした80年代には、ほとんどといってよいほど、姿を消していった。で、あった為に、家業が古本屋な訳でもなく、古本にもまったく興味の無かった私が、ジュニア読物という不思議な本達と初めて出会ったのは、古本屋になって四年ほどたったころだった。
 当時の私は、見よう見真似で身近な先輩達の扱っている美術書や、探偵小説を手探りで売り買いしながら、なにか独自の商品を、扱えないものかと思っていたところ、南部支部のフリ市でガキ本と呼ばれていた、買い手がほとんどつかなかった児童書に目がいくようになった。
ほぼ毎週といっていいほど出品され、量もかなりのものがある。
なんとかこれを売れないものかと買い集め続けるうちになかには、高値で売れる本が出てくるようになっていった。
ご同業の先輩達には、

「お前こんなものに、そんな値段つけて大丈夫か?」

「好きだねぇ、でも売れんのか?」

等々と哀れみのまじったご心配をいただいていた。
正直なところ、売れゆきという点ではそれほどたいした金額ではなかったが、ずっとこの状態が続いてくれればと思っていたが、残念ながらそうはいかない。
徐々に入札市などにも出品されるようになり、競争相手も増えてきて、ついには、大市にまで出品されるようになってきた。そうして、商品としては魅力が大幅にダウンしてしまったこれらの本達だが、市場で見かける度につい入札してしまう。
次の奇貨をまた、南部支部のフリ市の山の中に見出せるまで、できれば早く手を切りたいと思いつつ。

東京古書組合発行「古書月報」より転載

禁無断転載

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