長島愛生園 神谷書庫 バトンは受け継がれる 【書庫拝見8】

長島愛生園 神谷書庫 バトンは受け継がれる 【書庫拝見8】

南陀楼綾繁

 8月31日の朝、赤穂線の車内は通学の中高生で満員だった。邑久駅で降りると、強い日差しが照りつけてくる。すさまじい暑さだ。

 改札口で編集者の晴山さんと落ち合い、駅前に停まっている愛生園行きのバスに乗り込む。乗客はほかに2人ほどだ。

 のどかな風景の中をしばらく走ると、山の中に入っていく。このときは見過ごしてしまったが、その先に30メートルほどの小さな橋があり、それを渡ると長島なのだった。

 この邑久長島大橋が架かったのは1988年。それまで長島に行くには、船で渡るしかなかった。

 長島には、長島愛生園と邑久光明園という二つのハンセン病療養所がある。両施設の関係者以外は居住しておらず、いわば閉ざされた島だった。この島に橋を架けることは入居者の悲願であり、開通したこの橋は「人間回復の橋」と呼ばれている。

 邑久光明園の敷地を抜けて、もうひとつ小さな橋を渡る。すぐ先のバス停で降りる。ここが長島愛生園なのだ。目の前には瀬戸内海がきらめいている。

 さっそく汗をかきながら歩くが、目的地が見当たらない。電話を掛けると、女性が迎えに出てくれる。愛生編集部の駒林明代さんだ。
「ようこそ。ここが神谷書庫です」と案内されたのは、コンクリート造り平屋の小さな建物だった。

神谷書庫外観

瀬戸内海の二つの療養所

 先日、国立ハンセン病資料館の図書室を取材し、国内に14か所のハンセン病療養所があることを知った。そのなかには、貴重な資料を収めた書庫を持つ療養所もあるという。

 そのひとつとして紹介されたのが、長島愛生園の神谷書庫だった。

 書庫の話に入る前に、なぜ長島に二つのハンセン病療養所があるのかを簡単にまとめておこう。

 1907年(明治40)に「癩予防ニ関スル件」が公布され、全国5か所に公立療養所が設置された。前回触れた東京の全生病院(のち多磨全生園)もそのひとつだ。

 その後、1920年ごろからは患者の隔離を強化するようになった。その流れを推進したのが、当時全生病院の院長だった光田健輔である。光田は公立療養所の現状を批判し、入居者が「逃走不能な場所に懲罰的な性格を持たせた国立療養所の設置を求めた」(以下、松岡弘之『ハンセン病療養所と自治の歴史』みすず書房 を参照)。

 国立癩療養所長を兼務することになった光田が、候補地として挙げたのが長島だった。そして1930年(昭和5)に初の国立療養所として長島愛生園が誕生したのだ。

 光田は初代の園長となり、全生病院から一部の患者を愛生園に移転させた。彼らは「開拓患者」と呼ばれ、「いわば模範的な患者として新入園者を導」く立場を期待された。そのひとりに、全生病院の機関誌『山桜』の創刊に関わった栗下信策がいたのは興味深い。

 一方、公立療養所のひとつで、第三区(近畿2府10県)として大阪府に設置されたのが外島保養院だった。同院は1934年(昭和9)の室戸台風で、死者187名という被害を出した。その移転先となったのが長島で、1938年(昭和13)に第三区府県立光明園として復興した。これが現在の邑久光明園である。

 松岡弘之は両園を比較し、外島保養院(邑久光明園)は「自治会が最も早く成立」しており、「自治の起点となった療養所」であるのに対し、長島愛生園は「隔離を強化するために設置された施設」で、1936年(昭和11)に発生した長島事件(待遇改善を求めた入所者の抗議運動)後に自治会が発足した療養所だと位置づけている。

愛生図書館のおこり

 愛生園には、開園と同時に礼拝堂の一隅に図書館が設置された。
「収納図書はいずれも篤志家による寄贈であって、収納から利用までの系統的な配慮はなく、入園者の図書館への期待もまた主に娯楽であったとみられる」(『隔絶の里程 長島愛生園入園者五十年史』長島愛生園入園者自治会)

 1934年(昭和9)10月の機関誌『愛生』には、図書係の川口清による「愛生図書館報告」によると、蔵書は書籍1600冊、雑誌3000冊であり、朝8時から夜8時まで開館していた。「心の糧に飢へた入園者は或は不自由なる身を杖にすがり或は作業後のつかれた身をもかいりみず図書室へ詰めかけてくる状態である」とあり、読書を心の支えとした入所者が多かったことがうかがえる。

 しかし、入所者は自由に何でも読めるわけではなかった。『改造』を購入しようとした患者は「そんな本を読むより『キング』か『富士』を読め」と施設職員に云われたという(『隔絶の里程』)。入所者が社会問題に関心を持つことは、園側にとっては迷惑だったのだ。

 その後、1940年(昭和15)には患者事務所だった桃源寮が図書館となった。

 戦後、1951年には司書の資格を持つ村田弘が着任した。村田は1952年10月の『愛生』に「病院図書館のABC」を寄稿。見学に行った病院で、「何処にも『図書館』(Library)と呼ばれるべきものが見当たらなくて、ただ僅かに『書庫』が極めて無責任な状態で放置されていたに過ぎなかつた」と批判している。

 村田は愛生図書館を、第一図書室(医学図書部及び職員厚生図書部)、第二図書室(患者図書部)、第三図書室(保育所及び分校)、病歴記録室(医事記録部)の4つのセンターに分けた。さらに「病床へのブツク・トラツクにより巡回文庫、点訳奉仕、患者文芸作品集の出版、等実施を計画しており、一方『らい関係文献総合目録』作成と愛生園の紹介写真集作成、らい病学々術書出版にも着手中」とある(『愛生』1955年1月)。このうち、どれぐらいが実現したのかは判らないが、村田の熱心さが感じられる。

 なお、村田弘は愛生園着任以前、奈良刑務所などに勤務し、「行刑図書館研究会」を組織している(立谷衣都子「日本の刑務所図書館史」東京大学大学院 修士論文)。

 1955年、愛生会館の前に新図書館が完成、園内作業として2〜3人の入所者が働いていた。モルタル平屋30坪だった。1963年にはハンセン病関係の図書を集めたコーナーが設けられた。また、『愛生』編集部が同居した時期がある。1996年に取り壊しが決まり、蔵書約2万冊は旧事務本館(現在の歴史館)に移され、紆余曲折を経て現在でも園内に保管されている。

愛生歴史館外観

神谷美恵子とハンセン病

 ようやく、神谷書庫の話に戻ってくることができた。

 神谷書庫は精神医学者・神谷美恵子の名前を冠している。神谷は19歳の時、叔父と一緒に多磨全生園に行き、患者の姿に衝撃を受け、医学を志す。1943年(昭和18)に長島愛生園に滞在し、診療などの実習を行うも、父の反対により、精神医学の道へと進む。

 しかし、ハンセン病への思いは消えず、43歳で長島愛生園の非常勤職員となる。芦屋の自宅から5時間かけて通い、診療や調査を行う。1965年には愛生園の精神科医長となる。

 神谷とともに愛生園で精神医療に携わった高橋幸彦は、療養所での神谷をこう描く。
「先生の外来診療は、昼過ぎから夜の八時頃まで続き、十時頃に食事をされることもしばしばであった。さらに常勤医師の激務が少しでも軽減されたらと自ら宿直を引き受け、ハンセン病特有の激痛に呻吟する人があれば、厳寒の夜、海を渡る凍てつく強風の中を、歩いて遠くまで往診に行かれ、男性でも過酷な臨床活動を続けられた」(「神谷美恵子先生との邂逅」、『神谷美恵子の世界』みすず書房)

 そこまで神谷を動かしたものは、なんだったのだろう?

 神谷の「癩者に」という詩には、「何故私たちでなくてあなたが?/あなたは代って下さったのだ」という一節がある。
「べつに理屈ではない。ただ、あまりにもむざんな姿に接するとき、心のどこかが切なさと申訳なさで一杯になる。おそらくこれは医師としての、また人間としての、原体験のようなものなのだろう。心の病にせよ、からだの病にせよ、すべて病んでいる人に対する、この負い目の感情は、一生つきまとってはなれないのかもしれない」(「らいと私」、『神谷美恵子著作集2 人間をみつめて』みすず書房)

 神谷は1979年、65歳で亡くなる。その後、遺族が愛生園に贈った基金をもとに建設されたのが、神谷書庫だった。

神谷書庫の設立趣旨

全国の療養所の機関誌を収集

 「ここにあるものは。神谷先生の蔵書の一部と、各地の療養所の機関誌をはじめとするハンセン病関係の資料です」と、駒林さんは云う。

 神谷蔵書は5年ほど前に遺族から寄贈されたもので、約400冊。和書は精神医学、心理学のほか、哲学や文学に関する本が多く、フランス語、ラテン語などの洋書もある。神谷の書き込みが多くあるものを選んだという(神谷蔵書とその書き込みについては、山本貴光『マルジナリアでつかまえて2』本の雑誌社、に詳しい)。別の棚には、神谷の著作や関連本、記事のファイルもあった。

 しかし、この書庫の主役はハンセン病関係の資料だ。機関誌は療養所ごとに整然と並べられている。もちろん、1931年(昭和6)創刊の『愛生』は全号揃っている。

 長島愛生園歴史館の学芸員である田村朋久さんは、「機関誌については国立ハンセン病資料館以外ではここが一番揃っていると思います」と話す。「この書庫を整理した双見美智子さんは『機関誌にはその時その時の心情が表れていて、格好をつけない文章が多い』とおっしゃっていました」と、『愛生』を編集する駒林さんも云う。

 また、愛生園に関わった人物の棚もある。初代園長の光田健輔と、その後を継いだ高島重孝、医師として勤務し『小島の春』がベストセラーとなった小川正子らについての本が多い。

 入所者が書いた詩集や句集、小説などの作品を並べた棚もある。その一角には『ハンセン病文学全集』全10巻(皓星社)もあった。

機関誌をはじめとする資料群。療養所ごとに排架されている

神谷美恵子関連資料の棚。ファイルのラベルにも敬称がある

『愛生』編集部の人びと

 一通り見終えてから、駒林さんに話を聞くために隣にある『愛生』編集部へと向かう。

 すると、ここにも多くの本や資料が並んでいるではないか。

 書籍も多いが、資料をまとめたファイルが多く目につく。新聞や雑誌に掲載された記事の切り抜き、園内の施設に関する資料、名簿、会計記録、入所者が撮影した写真アルバム……。

 愛生園内に設置された邑久高等学校新良田(にいらだ)教室についての資料や、愛生園に入所していた歌人の明石海人の生原稿類も保管されている。
「これらを整理されたのは私の先輩たちです」と、駒林さんは云う。

 駒林さんは岡山県生まれだが、ハンセン病療養所についてはまったく知らなかった。
「義理の兄が勤めていた縁から愛生園で働くことになりました。それまで印刷会社に勤務していたことから、1997年に『愛生』の編集部に配属されました」
 
 編集長は双見美智子さん、ほかに和公梵字さん、上原糸枝さん、森茂雄さんがいた。
「双見さんは小柄なおばあさんでした。愛生園に収容されたときに娘さんと別れるという体験をされていますが、『人生何があってもクヨクヨしたってしょうがない』とさっぱりした性格でした」と駒林さんは話す。

 双見さんは資料収集について、次のように書く。
「(神谷書庫には)編集部の先人、秋山老人が誰かの死亡か転宅があれば、早速フゴ(藁製のモッコ)をもって出かけて、捨てられた紙屑の中から、らいに関わる資料を執念に近い収集のおかげで、書庫の基礎になっている蔵書が茶箱に十数杯も集められていたのです」(「神谷書庫のこと」、『ハンセン病文学全集』第4巻月報、皓星社)

 双見さん自身も園が書類を整理したと聞くと、ゴミ捨て場に急行し、めぼしいものを拾い集めたという。歴史館で見ることができる双見さんのインタビュー映像では、いろんな資料を分類・整理したことから「引き出しばばあ」というあだ名がついたと笑って話していた。

 双見さんは47年間、『愛生』の編集に携わり、節目節目で同誌掲載の執筆者一覧、年表、神谷書庫収蔵書一覧などを作成した。2007年、90歳で逝去。駒林さんは、双見さんが『愛生』に書いた記事をまとめ、『土に還る』(2009)として刊行した。

 一方、和公梵字さんは資料整理を担当。双見さんが見つけてきた資料を、和公さんが分類し、ファイリングした。
「目が悪かったので、特殊なメガネを掛けて作業をされていました。きれいな文字でファイルの背表紙に書き入れていました。俳句が好きで禅宗を信仰されていました。いつも愉快な人でした」と、駒林さんは回想する。2019年、96歳で逝去。

 編集部以外でも資料集めに尽力した人がいる。編集部の棚には自治会の宇佐美治さん、詩人の島田等さん(いずれも故人)が集めた資料が並んでいる。

 また、各所からの通信をまとめた「来簡集」というファイルもある。その一冊に「皓星社」という見出しのあるものがあり、中を開くと、『ハンセン病文学全集』や『海人全集』を編集した同社の能登恵美子からの手紙・葉書が入れられていた。

 能登さんは、明石海人の作品を収集することを目的に、『愛生』のバックナンバーを読むうちに、同誌に掲載された子どもの綴り方に惹かれる。その結果、『ハンセン病文学全集』の10巻が「児童編」となる。

 全集完結の翌年、能登さんは49歳の若さで亡くなる。『増補 射こまれた矢 能登恵美子遺稿集』(皓星社)には、愛生園で資料を収集し、後世に残した双見さん、宇佐美さん、島田さんらとのやりとりが、敬意をもって記されている。

明石海人関連資料。ラベルの字は和公梵字さんのもの

書簡の類、相手毎に分類・保管してある

バトンを受け継いで

 愛生園の入所者は現在111人。高齢化が進み、年々その数は減少している。

 『愛生』は以前は年10冊発行されていたが、現在は隔月刊である。かつて盛んに行なわれていた文芸活動も停止したため、入所者からの寄稿は少ない。そのひとりが宮﨑かづゑさんだ。80歳ごろからワープロで文章を書きはじめ、『長い道』『私は一本の木』(ともにみすず書房)などを出した。

 現在、ひとりで同誌を編集する駒林さんは、今年定年の予定だったが、「宮﨑さんの作品を載せ終わるまでは続けたい」と、再任用してもらう予定だ。

 愛生園で暮らす人が誰もいなくなる日が、そこまで来ているようだ。

 最新号の『愛生』を手にして驚いたのは、愛生園をテーマにした漫画が掲載されていたことだ。

 歴史館では長島愛生園見学ツアーを実施。また、船で長島を一周する見学クルーズツアーも行なっている。2021年11・12月号に掲載された「こんにちは、愛生園」という漫画は、
そのクルーズツアーに参加した体験を描いたものだ。

 船から見ると島と本土との距離の近さ、入所者の穏やかな風貌、園内の施設から受けた印象などが、柔らかいタッチで描かれている。
「ハンセン病については以前から関心がありました。自分が子どもを産んでからは、子どもと別れて療養所に入った母親に共感するようになりました」と、作者のあさののいさんは話す。2012年に千葉県から岡山県に移住した。

 その後、愛生園を訪れ、園内の〈喫茶さざなみハウス〉へ。2019年に空き施設にオープンした入所者も一般客も利用できるカフェだ。あさのさんは、店主の鑓屋(やりや)翔子さんに「入所者の方のお話を聴きたい」と相談した。ちょうど開催されたクルーズツアーに参加し、入所者に会うことができた。
「『愛生』に連載している鑓屋さんの紹介で、駒林さんにお会いして、漫画を掲載してもらうことになったんです」

 あさのさんは、鑓屋さんが開催した「愛生ヲ読ム会」に参加する。テーブルに並んだ『愛生』を参加者が思い思いに読む会だ。
「ハンセン病というと差別とか人権問題という側面しか知りませんでした。でも、誌面には友達との会話とかペットのことなど日常的な話が多く、ここには自分と同じ人たちがいるんだと感じました。文章を読むことで、いなくなった人が目の前にいるような気持ちになります」

 あさのさんは『愛生』や『点字愛生』に掲載された文章を漫画化し、サイトに載せている。(https://note.com/asanonoi
「読者に身近なこととして感じてもらうにはどうしたらいいか、悩みながら描いています」と、あさのさんは云う。

あさののいさんの漫画は『愛生』に連載中。第3回(2022年7・8月号)は神谷書庫をとりあげた

 愛生園の歴史を伝える資料を発見し、神谷書庫に収めた双見さん。その思いを継いで、『愛生』を発行してきた駒林さん。同誌に書かれた入所者の思いを読者に伝えようとするあさのさん。資料をめぐって、バトンが受け渡されている。
 多くの人の手によって、神谷書庫は守られてきた。今後もそうあってほしいと願う。

 
 
 
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

ツイッター
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国立療養所長島愛生園
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神谷書庫
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帯に込めた推薦文―想いをつなぐ古本屋として 【古本屋でつなぐ東北(みちのく)2】

帯に込めた推薦文―想いをつなぐ古本屋として 【古本屋でつなぐ東北(みちのく)2】

(岩手県・盛高書店)工藤 尚

 古本販売で独立をして今年の四月で一〇期目となりました。震災後、これからの日本には、地方でも未来に夢と希望をもって生きていける会社を作る事が必要だと考え、全国に販路を持てるビジネスを模索し、ネットで古本を売る仕事を選び独立しました。

 ビジネス書などは好きで買っていましたが、古本に対する想い入れは薄く、古本販売はあくまでもビジネスの手法でした。本について素人の私にとって、仕事を通して出会った人達との関わりは学びの連続で、「古本屋」という仕事の意義を知るきっかけを沢山頂きました。

 一番大きな出来事は古書籍商組合へ加入した事で、沢山の古本屋の先輩や同世代の仲間と出会う事が出来た事です。その出会いが古本屋として成長する糧となりました。特に市会に参加出来る事は刺激的で、そこで多くの本の売買に関わる事が出来、様々な本の価値を知る事が出来ました。

 二〇二一年一月に店舗をオープンして以降は、お店にご来店頂いたお客様からの気付きもありました。『岩手のスポーツ人』という本をご購入されたお客様から、「この本を長い間探し続けていたが見つけられなかった。やっと見つけられて嬉しい。大好きだったおじいさんの事が書かれている本なんです。本当にありがとうございます。」と涙ながらに話して頂きました。長年ネット販売しか行っていなかったので、お客様から直接感謝の言葉を頂ける事がとても嬉しく、古本屋としてのやりがいを感じました。また、ネット販売の先にも同じようにお客様がいて、ご購入者様の想いに応えているという事にも気付きました。

 店舗は、お陰様でほぼ毎日来られる常連さんも増え、お客様からスタッフへ差し入れを頂けるような交流が生まれるお店になってきました。一〇〇円本だけではなく、高額な郷土史などもご購入頂いており、幅広い客層の地元のお客様から支持されるお店に近づいていると実感します。

 まだまだ勉強しなければならない事は沢山ありますが、これからも古本屋の先輩や仲間、お客様と向き合いながら地元から愛される古本屋を目指していきたいと思います。

 そんな中、店舗の新たな取り組みとして、お売り頂くお客様に「帯に込めた推薦文」を書いて頂き、それを付加価値として買取させて頂くサービスをスタートさせる事にしました。推薦文を書いた帯が本を選んでいる方への新たな提案や気付きとなり、売り買い双方の付加価値となると考えます。お客様自身が商品に付加価値を付ける新しい取り組みとなります。

 同じ本を読んでも、心に残る文章は人それぞれです。新たな視点を知ることによって「また読み返してみようかな?」というきっかけにもつながるかも知れませんし、この人の帯の他の本を読んでみたい、となるかも知れません。帯が本と人とのつながりを生み、更に本を介して人と人がつながる古本屋になれたらと思います。

 誰かに読んで欲しいという想いと、欲しい本を探し求めている人をつなぐ事が古本屋の大切な仕事の一つだと思います。手放す人にとっては役目を終えた本かも知れませんが、誰かにとっては探し求めているたった一つの本かも知れません。最後に、そんな想いに気付かせて頂いたお客様からのメッセージをご紹介します。「この本をずっと探していました。子供の頃に月一で幼稚園から配られた本の一冊で、大人になってから度々思い出しては探していましたが、図書館にも無く諦めていたところ、こちらに出品されていて感動しました。先程届きましてドキドキしながら開封しました。早速読み、再びこの本に巡り合えた喜びをかみ締めています。幼い頃には読めなかったあとがきも読むことが出来ました。本当に本当にありがとうございました。一生の宝物にします。」

 
 

 
 
(「日本古書通信」2022年9月号より転載)

 
 
 
 


『増補新版 東北の古本屋』 折付桂子著
文学通信刊
ISBN978-4-909658-88-3
四六判・並製・312頁(フルカラー)
定価:本体1,800円(税別)好評発売中!
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2022年11月25日号 第359号

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☆INDEX☆
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1.古書店が翻訳した「台湾書店百年の物語」。

                   フォルモサ書院 永井一広

2.前近代の日本を理解するために、漢籍を知る

          中央大学兼任講師・青山学院大学非常勤講師・
                 埼玉大学非常勤講師 髙田宗平

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━━━━━━━━━━【自著を語る(301)】━━━━━━━━━━

古書店が翻訳した「台湾書店百年の物語」。

                   フォルモサ書院 永井一広

 古書店が、なぜか翻訳をすることになった。
 フォルモサ書院という古書店を大阪で開いてもう4年が過ぎた。店名
を見て判る人にはすぐに判る。この書店が何を専門にしているのか。
フォルモサとは、ポルトガル語で美しいという意味。何も雑居ビルの二
階で営業している当店が美しい訳ではない。大航海時代にポルトガル人
が台湾の島影の美しさから思わず叫んだ言葉が「フォルモサ」だったと
言われている。以来、西洋の地図では台湾のことをフォルモサと記した。
そして当店の専門はまさしく台湾の古本だ。当店が開業してまもなく、
この「台湾書店百年の物語」の翻訳のお話しをいただいた。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=10434

フォルモサ書院
https://formosa8.webnode.jp/

『台湾書店 百年の物語〜書店から見える台湾』
台湾独立書店文化協会 著/郭雅暉・永井一広 翻訳
発行元:エイチアンドエスカンパニー
ISBN:978-4-9907596-9-8
定価:2200円+税
好評発売中!
https://www.habookstore.com/

━━━━━━━━━【自著を語る(302)】━━━━━━━━━━━

前近代の日本を理解するために、漢籍を知る

          中央大学兼任講師・青山学院大学非常勤講師・
                 埼玉大学非常勤講師 髙田宗平

【漢籍とは何か】
 古来、日本人にとって、漢籍は中国文化を知り、これを学ぶ上で重要
な道具であり手段であったことは周知の事実である。漢籍を読むことに
よって知識を取得できたのであり、あらゆる文化は漢籍から読み解く知
識がベースとなって生み出された、といっても過言ではない。
 漢籍はいかにして日本にもたらされたのか。古代から近世に至るまで、
日本が漢籍を受容した歴史を概観していきたい。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=10426

【著者】髙田宗平(たかだそうへい)
1977年生。
総合研究大学院大学文化科学研究科日本歴史研究専攻博士後期課程修了。
博士(文学)。専門分野は日本古代中世漢籍受容史・漢学史、漢籍書誌学。
〔主な著作〕
『日本漢籍受容史―日本文化の基層―』(編、八木書店、2022年)
『日本古代『論語義疏』受容史の研究』(単著、塙書房、2015年)

日本漢籍受容史―日本文化の基層―
髙田宗平編
本体9,000円+税
A5判・上製・カバー装・698頁+口絵16頁
ISBN 978-4-8406-2260-8 C3021
好評発売中!
https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/2364

━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━

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『調べる技術――国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』
小林昌樹 著
皓星社 発行
定価 2,000円(税別)
ISBN:978-4-7744-0776-0
12月9日 発売
https://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/9784774407760/
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【特別コラボ企画 日本の古本屋×大学出版部協会】
          「大学出版へのいざない」シリーズ 第1回

季刊『大学出版』132号 [特集]学術書を読み継ぐ
執筆者:山田秀樹(東京大学出版会第一編集部長、季刊『大学出版』編集担当)

大学出版部協会
https://www.ajup-net.com/
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━━━━━━━【東京古書会館 展示のお知らせ】━━━━━━━

『地下出版のメディア史』展——珍書屋から辿る軟派出版の世界

【日時】11月30日(水)〜12月14日(水)
【休館日】日曜・祝日 
【開館時間】10:00~18;00 ※土曜17:00 まで 
【会場】東京古書会館 2階情報コーナー
【料金】無料

【主催】慶應義塾大学出版会
【共催】東京都古書籍商業協同組合

詳細はホームページをご覧ください。
https://www.kosho.ne.jp/?p=531
https://note.com/keioup/n/n69402fbbfd22

━━━━━━━━━━━━【お知らせ】━━━━━━━━━━━

◆自主映画『ボラン』上映のお知らせ◆

東京ドキュメンタリー映画祭2022
【長編部門9】
2022年12月15日(木)10時~
2022年12月18日(日)16時15分〜
新宿ケイズシネマにて上映
https://tdff-neoneo.com/lineup/lineup-2955/

━━━━━━━━━【日本の古本屋即売展情報】━━━━━━━━

11月~12月の即売展情報

※新型コロナウイルスの影響により、今後、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

⇒ https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

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 次回は2022年12月中旬頃発行です。お楽しみに!
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日本の古本屋メールマガジン その359・11月25日

【発行】
 東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋事業部」
 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  http://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部・編集長:藤原栄志郎

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古書店が翻訳した「台湾書店百年の物語」。

古書店が翻訳した「台湾書店百年の物語」。

フォルモサ書院 永井一広

 古書店が、なぜか翻訳をすることになった。 
 フォルモサ書院という古書店を大阪で開いてもう4年が過ぎた。店名を見て判る人にはすぐに判る。この書店が何を専門にしているのか。フォルモサとは、ポルトガル語で美しいという意味。何も雑居ビルの二階で営業している当店が美しい訳ではない。大航海時代にポルトガル人が台湾の島影の美しさから思わず叫んだ言葉が「フォルモサ」だったと言われている。以来、西洋の地図では台湾のことをフォルモサと記した。そして当店の専門はまさしく台湾の古本だ。当店が開業してまもなく、この「台湾書店百年の物語」の翻訳のお話しをいただいた。会社を辞めていきなり入った古本の世界。当時は右も左も分からないままに店を運営していた。古書組合での入札は修行経験のない私にとって、まさしく徒手空拳で、老舗の店主たちと入札という戦いに挑んでいた。もし一冊も落札できなければ、新たな入荷が全くできないのだ。やみくもに入札し、「絶対に落札してやる」と気合を入れすぎて高く入札して大赤字を出したり、逆にその反動でせこい入札をし、全く落札できず、手ぶらで空しく店にトボトボと帰ることもしばしば。正直、翻訳どころではない。ましてや私の中国語能力は甚だ怪しい。もう習って30年近くが経っていたからだ。だが、幸い私の妻が台湾人で本が好きときた。日本語も堪能だ。二人での共同翻訳ならなんとかできるのではないか。古本業の他に、何か別のチャンネルを持っておきたいと思っていた矢先だったこともあり、無謀を承知で翻訳をさせていただくことにしたのだ。そうして約三年の年月を要して翻訳を終えた。その間、なんとか店の方はつぶれずに済んでいる。

 日本に限らないことだろうけれど、インターネットが普及し、人々に浸透するにつれ、出版・書店業界というのは年々活気が薄れていっている。それはある意味、時代の流れで仕方のないことだろうと誰しもが薄々は気づいている。新刊書店もそうだろうけれど、実は古本屋も気づいている。それでも台湾の書店にはまだ活気があるような気がする。特に独立書店と言われている個人で営業する書店は、どこか日本の書店とはひと味違う活気があるのだ。その違いをひと言で言えば、社会との繋がりを大切にし、書店なりの社会貢献を行おうとしている書店が多いと言えるかも知れない。言い換えれば社会運動を、書店を通じて行っているともいえる。本書でも紹介している台湾e店や南天書局は、中華民国としての台湾ではなく、「台湾」そのものがテーマの書店だ。特に南天書局は、日本時代の古い文献を後世に残すため、採算度外視で復刻版を作成し出版、販売することを使命としている。台湾では暑さと湿気で日本時代の古書の保存状態が甚だよくないからだ。また女書店はフェミニズムをテーマにした書店で、女性をテーマにした書籍の販売のほか、講演会や座談会を開催している。日本の感覚では、このような書店が経営的に利益を出して存続できるのだろうかと心配になるが、実際、女書店は何度か閉業の危機を迎え、今も決して経営は楽ではないだろう。まさしく人生を賭して書店を経営しているのだ。台湾の独立書店はこのように、何か社会的な使命を自ら負った書店が多いのも特徴だ。

 また台湾映画「クー嶺街リンジエ少年殺人事件」で有名な台北市にある「牯嶺街」は戦後、古本屋が多く集まった古書街として発展したが、今は周辺に何店舗が残っているのみで、往時の面影はすっかり影を潜めている。
これら台湾の独立書店の原点や、「牯嶺街」の古書街の形成などは、いずれも日本時代の台湾と大きな関わりがあることが本書には書かれているが、当の日本人はあまり知らない。
私も台湾に行く前は何も知らなかった。今でもよく覚えている。初めて台湾に行った時、台北の町中のガジュマルの樹の下に、ひっそりと佇む木造の古い日本家屋があったことを。日本時代に生まれた妻の祖母と初めて会った時、たどたどしい日本語で「こんにちは」と嬉しそうに自己紹介をしてくれたことを。台湾と日本は切っても切れない関係にあることを改めて実感したものだった。

 日本の学校では教えない、かつての日本がひょっこり顔を出し、昔の台湾から現在の台湾を、「書店」という物語を通じて様々なことを教えてくれる本書が、これからの書店・出版業界の在り方について、何か小さなヒントにでもなれば翻訳者としては嬉しい限りだ。もちろん、古書業界の未来についても。

 
 
 
 
フォルモサ書院
https://formosa8.webnode.jp/
 
 
 
 


『台湾書店 百年の物語〜書店から見える台湾』
台湾独立書店文化協会 著/郭雅暉・永井一広 翻訳
発行元:エイチアンドエスカンパニー
ISBN:978-4-9907596-9-8
定価:2200円+税
好評発売中!
https://www.habookstore.com/

Copyright (c) 2022 東京都古書籍商業協同組合

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前近代の日本を理解するために、漢籍を知る

前近代の日本を理解するために、漢籍を知る

髙田宗平(中央大学兼任講師・青山学院大学非常勤講師・埼玉大学非常勤講師)

漢籍とは何か

 古来、日本人にとって、漢籍は中国文化を知り、これを学ぶ上で重要な道具であり手段であったことは周知の事実である。漢籍を読むことによって知識を取得できたのであり、あらゆる文化は漢籍から読み解く知識がベースとなって生み出された、といっても過言ではない。
 漢籍はいかにして日本にもたらされたのか。古代から近世に至るまで、日本が漢籍を受容した歴史を概観していきたい。

 本書『日本漢籍受容史―日本文化の基層―』は、日本漢籍受容史を日本文化の基層の一つとして捉え、その具体相を明らかにしようとするものである。ここで言う日本漢籍受容史とは、日本「漢籍受容史」、即ち日本における漢籍の受容の歴史であり、その時代範囲は古代から近世(一部論考、近現代に及ぶ)までとする。
 「漢籍」とは、どのような概念か、一言しておきたい。
 漢籍とは、清朝以前に中国人が漢文(漢語)で撰した書物を言う。この原則に合致していれば、日本・朝鮮半島・ベトナムで書写・刊行されたものも漢籍である。ただし、中国人以外が漢文で撰した書物は漢籍とは言わない。清朝以前に中国人が漢文で撰した書物に江戸時代以前の日本人が注釈や評を附したもの、清朝以前に中国人が漢文で撰した書物を江戸時代以前の日本人が翻訳したものは、準漢籍として扱うこともある。なお、和刻本漢籍において訓点が附されたものは、通常、漢籍として扱い、準漢籍には含めない。
 古来日本人にとって、漢籍は中国文化を知り、これを学ぶ上で重要な道具であり手段であった。日本人が古代から近世において、漢籍をどのように受け容れ、伝え、日本独自の文化としていったかを明らかにすることは、日本文化の基層の一斑を明らかにすることであり、中国文化との相違も見えてくるだろう。
 ただ、漢籍受容は、時代により多様な様相を呈しており、本課題を解明するには、日本古代から近世における漢籍受容の歴史に多角的にアプローチする必要がある。そのため、本書の出版を企画する際に、次の三点を念頭に置いた。(一)多分野の研究者に執筆を依頼し、学際的・横断的なものとすること、(二)日本人以外に中国と台湾の研究者に執筆を依頼し、国際的な視点を入れること、(三)第一人者から新進気鋭まで、最前線で活躍する研究者に執筆を依頼し、執筆者に幅広い年齢層を排すること、である。こうした点を踏まえ、第一部古代、第二部中世、第三部近世のように通史的に排置し、そして文献学的テーマを第四部文献研究に排置した。
 

他分野との協業

 日本の漢籍受容史は各時代の受容層、漢籍の形態など密接に聯関しており、これらを看過していては各時代相や文化を精確に把握できないであろう。ただ、このような課題は、単一の研究分野だけでは解明することは難しく、多分野との協業が必要不可欠であると思量される。それは本書の執筆者の研究分野の多彩さからも看取される。
 多分野との協業と言う視点から見れば、本書の執筆者の研究分野は、中国思想・哲学、中国科学思想史、中国天文学史、中国文学、中国書誌学、中国古典文献学、日本古代史、日本中世史、日本中世文学、日本近世文学、日本漢学、日本書誌学、日本思想史、日本古代・中世文化史、国語学、医史学などであり、幅広い領域をカバーしている。本書は、今後、日本の古代から近世の漢籍受容史のテーマで協業を行う上で一つのモデルケースとなるだろう。

 本書出版により、日本前近代の漢籍受容史研究の新たな地平を切り拓くことに繫がれば幸いである。

 
 
 
 
【著者】髙田宗平(たかだそうへい)
1977年生。総合研究大学院大学文化科学研究科日本歴史研究専攻博士後期課程修了。博士(文学)。専門分野は日本古代中世漢籍受容史・漢学史、漢籍書誌学。
〔主な著作〕
『日本漢籍受容史―日本文化の基層―』(編、八木書店、2022年)
『日本古代『論語義疏』受容史の研究』(単著、塙書房、2015年)

 
 
 
 


日本漢籍受容史―日本文化の基層―
髙田宗平編
本体9,000円+税
A5判・上製・カバー装・698頁+口絵16頁
ISBN 978-4-8406-2260-8 C3021
好評発売中!
https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/2364

Copyright (c) 2022 東京都古書籍商業協同組合

2022年11月10日号 第358号

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 。*..*.:☆.:*・日本の古本屋メールマガジン・*:.☆.:*..*。
 古書市&古本まつり 第118号
      。.☆.:* 通巻358・11月10日号 *:.☆. 。
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メールマガジンは、毎月2回(10日号と25日号)配信しています。

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━━━━━━━【東京古書会館 展示のお知らせ】━━━━━━━

『地下出版のメディア史』展——珍書屋から辿る軟派出版の世界

【日時】11月30日(水)〜12月14日(水)
【休館日】日曜・祝日 
【開館時間】10:00~18;00 ※土曜17:00 まで 
【会場】東京古書会館 2階情報コーナー
【料金】無料

【主催】慶應義塾大学出版会
【共催】東京都古書籍商業協同組合

詳細はホームページをご覧ください。
https://www.kosho.ne.jp/?p=531
https://note.com/keioup/n/n69402fbbfd22

━━━━━━━━【トークイベントのお知らせ】━━━━━━━━

『島村輝先生・大尾侑子先生 トークイベント
「地下出版のなかの珍書・奇書を語る!――自由の探求/抑圧への叛逆 」』

戦前の日本の地下出版文化において、梅原北明を中心とするさまざまな「裏」
知識人たちが珍書・奇書を世に送り出し、全国の読者に届けようとしました。
そのエネルギーの源は何だったのでしょうか。そしてその珍書・奇書はどの
ようなもので、現代のわたしたちにとってどんな意味をもつのでしょうか。
『地下出版のメディア史』著者の大尾侑子さんと、プロレタリア文学研究を中
心に、エロ・グロ関連雑誌『変態・資料』『グロテスク』『談奇党/猟奇資料』
等の復刻を監修した島村輝さんのお二人に濃厚な地下出版トークを繰り広げて
いただきます!乞うご期待!

12月10日(土) 13時30分開場 / 14時開演
会場:東京古書会館 7階会議室 入場料:無料
定員:50名(応募申込み多数の場合は抽選)

応募申込みは下記ページにて(11月14日 午前10時まで)

https://www.kosho.ne.jp/talkevent2022/entry1210.html

※マスク着用、手洗い、手指消毒、検温と感染防止対策に
 ご理解・ご協力をお願い申し上げます。

━━━━━━【古本屋でつなぐ東北(みちのく)1】━━━━━━

石巻にあった古本屋「三十五反」を追って

               (宮城県・ゆずりは書房)猪股 剛

 私が生まれ育った所は、宮城県石巻市の牡鹿半島付け根にある渡波
(わたのは)という街である。石巻の中心街から橋を渡って北上川を
越えると、そこから渡波を経由して女川町に至るまでの一帯は水産業
の街になる。私は水産業の街が持つ独特の気風に子供の頃から馴染め
ず、早々に東京へ飛び出してしまった。東北で津波を伴う大きな地震
があった時も、地元に戻ろうという気概など起こらず、そのまま神奈
川県で古本屋を続けた。生まれ育った家の問題があって石巻に戻り、
宮城県古書籍商組合に移転した時には、地元を離れてから既に三十年
近くが経っていた。

(「日本古書通信」2022年8月号より転載)

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=10392

━━━━━━━━━━━━【学芸員登場】━━━━━━━━━━━━

五島美術館特別展「西行―語り継がれる漂泊の歌詠み」

            公益財団法人五島美術館 大東急記念文庫
                       学芸員 長田和也

 西行(一一一八~一一九〇)は『新古今和歌集』に全歌人のうち最
多の九十四首入集し、『百人一首』にも「嘆けとて月やは物を思はす
るかこちがほなるわが涙かな」という歌が採られている、日本を代表
する歌人の一人。西行の特色は、歌のみならず、種々の伝説や、それ
を表現した美術品の数々も含めて愛好されている点にある。このたび
五島美術館では特別展「西行―語り継がれる漂泊の歌詠み」を開催し、
西行にゆかりのある作品を約百点展示する(会期中、一部展示替えあ
り)。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=10405

五島美術館特別展「西行―語り継がれる漂泊の歌詠み」
会期:令和四年十月二十二日(土)~十二月四日(日)
その他、詳細はホームページをご覧ください。
https://www.gotoh-museum.or.jp/

━━━━━━━━━━━【プレゼント企画】━━━━━━━━━━━

今月号でご紹介した「西行―語り継がれる漂泊の歌詠み」の
ご招待チケットを10名様にプレゼントいたします。

応募申込みは下記ページにて(11月14日 午前10時まで)

https://www.kosho.ne.jp/entry2022/1110.html

━━━━━━━━━━━━━【お知らせ】━━━━━━━━━━━━

◆自主映画『ボラン』上映のお知らせ◆

第44回ぴあフィルムフェスティバル in 京都2022
【Aプログラム】
2022年11月19日(土) 12時~
京都文化博物館にて上映
(宇治田峻監督『the Memory Lane』と併映)
https://pff.jp/44th/award/competition-kyoto.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「コショなひと」始めました

東京古書組合広報部では「コショなひと」というタイトルで動画
配信をスタート。
古書はもちろん面白いものがいっぱいですが、それを探し出して
売っている古書店主の面々も面白い!
こんなご時世だからお店で直接話が出来ない。だから動画で古書
店主たちの声を届けられればとの思いで始めました。
お店を閉めてやりきったという店主、売り上げに一喜一憂しない
店主、古本屋が使っている道具等々、普段店主同士でも話さない
ことも・・・
古書店の最強のコンテンツは古書店主だった!
是非、肩の力を入れ、覚悟の上ご覧ください(笑)

※今月の新コンテンツはありません。

YouTube 東京古書組合
https://www.youtube.com/channel/UCDxjayto922YYOe5VdOKu9w

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都合により、今回掲載予定の『シリーズ書庫拝見8』はお休みします。
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━━━━━【11月10日~12月15日までの全国即売展情報】━━━━━

⇒ https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

※現在、新型コロナウイルスの影響により、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

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新橋古本市

期間:2022/11/07~2022/11/12
場所:新橋駅前SL広場

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BOOK & A(ブック&エー)

期間:2022/11/10~2022/11/13
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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趣味の古書展

期間:2022/11/11~2022/11/12
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

https://www.kosho.tokyo/

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第186回神戸古書即売会(兵庫県)

期間:2022/11/11~2022/11/13
場所:兵庫県古書会館 神戸市中央区北長狭通6-4-5

https://hyogo-kosho.com/kamei/

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TOKYO BOOK PARK × ハンズ

期間:2022/11/11~2022/11/24
場所:ハンズ新宿店2階イベントスペース
   渋谷区千駄ヶ谷5-24-2タイムズスクエアビル

https://twitter.com/TOKYOBOOKPARK

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西武本川越PePeのペペ古本まつり(埼玉県)

期間:2022/11/14~2022/11/22
場所:西武鉄道新宿線 本川越駅前ペペ広場

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第27回 紙屋町シャレオ古本まつり(広島県)

期間:2022/11/15~2022/11/24
場所:紙屋町シャレオ中央広場 広島県広島市中区基町地下街100号

https://twitter.com/koshohiroshima

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第5回南大沢古本まつり

期間:2022/11/18~2022/11/24
場所:京王相模原線南大沢駅前~ペデストリアンデッキ~三井アウトレット前特 設テント

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歳末古本掘り出し市(岡山県)

期間:2022/11/23~2022/11/28
場所:岡山シンフォニービル1F  自由空間ガレリア

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浦和宿古本いち(埼玉県)

期間:2022/11/24~2022/11/27
場所:さくら草通り(JR浦和駅西口 徒歩5分 マツモトキヨシ前)

https://twitter.com/urawajuku

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和洋会古書展

期間:2022/11/25~2022/11/26
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

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五反田遊古会

期間:2022/11/25~2022/11/26
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4
   JR山手線、東急池上線、都営浅草線五反田駅より徒歩5分

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第63回 名鯱会(愛知県)

期間:2022/11/25~2022/11/27
場所:名古屋古書会館 名古屋市中区千代田5-1-12

https://hon-ya.net/

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中央線古書展

期間:2022/11/26~2022/11/27
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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Vintage Book Lab(ヴィンテージ・ブック・ラボ) ※会場販売ありません

期間:2022/12/01~2022/12/20
場所:※会場販売ありません

https://www.vintagebooklab.com/

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書窓展(マド展)

期間:2022/12/02~2022/12/03
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

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西部古書展書心会

期間:2022/12/02~2022/12/04
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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ゼスト御池 冬の古書市(京都府)

期間:2022/12/03~2022/12/04
場所:ゼスト御池地下街 河原町広場

https://twitter.com/terra0505/status/1588721179954937856/photo/1

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第104回彩の国所沢古本まつり(埼玉県)

期間:2022/12/07~2022/12/13
場所:くすのきホール (西武線所沢駅東口前 西武第二ビル8階 総合大会場)

https://tokorozawahuruhon.com/

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歳末赤札古本市

期間:2022/12/08~2022/12/11
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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新興古書大即売展

期間:2022/12/09~2022/12/10
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

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浦和宿古本いち(埼玉県)

期間:2022/12/15~2022/12/18
場所:さくら草通り(JR浦和駅西口 徒歩5分 マツモトキヨシ前)

https://twitter.com/urawajuku

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五島美術館特別展「西行―語り継がれる漂泊の歌詠み」

五島美術館特別展「西行―語り継がれる漂泊の歌詠み」

公益財団法人五島美術館 大東急記念文庫 学芸員  長田和也

 西行(一一一八~一一九〇)は『新古今和歌集』に全歌人のうち最多の九十四首入集し、『百人一首』にも「嘆けとて月やは物を思はするかこちがほなるわが涙かな」という歌が採られている、日本を代表する歌人の一人。西行の特色は、歌のみならず、種々の伝説や、それを表現した美術品の数々も含めて愛好されている点にある。このたび五島美術館では特別展「西行―語り継がれる漂泊の歌詠み」を開催し、西行にゆかりのある作品を約百点展示する(会期中、一部展示替えあり)。

 展示は四部構成。第一部「西行とその時代」は、「一品経和歌懐紙」(国宝 京都国立博物館蔵)をはじめとする、数少ない西行自筆とされる資料や、肖像画、歌集、系図等によって西行に迫りつつ、西行の生きた時代を描いた延慶本『平家物語』(重要文化財 大東急記念文庫蔵)等の作品や後鳥羽院、藤原俊成、定家という同時代の重要人物に関する品々も展示する。

 第二部「西行と古筆」では特別展の柱の一つである古筆を展示する。伝来や鑑定に基づく筆者を伝称筆者といい、「伝○○筆」と表記する。伝西行筆の古筆切(古写本の一部を切裁したもの)は、江戸時代には「白河切」「落葉切」「出雲切」等と名付けられ、愛好されてきた。展示室では現在ばらばらに所蔵されている同種の古筆切が並んで掛けられているのを楽しんでも良し、同じ伝西行筆でも多彩な筆跡のあることを楽しんでも良し。また今回は俊成、定家も系譜に連なる御子左家の流れを汲む冷泉家蔵の古筆切、古写本も展示する。その中にも、冷泉家の伝来をもって伝西行筆とされているものがある。後世における伝西行筆の古筆愛好については、図録の解説や各論も参照されたい。

 第三部「西行物語絵巻の世界」ではもう一つの柱、「西行物語絵巻」を展示する。西行没後に編まれた『西行物語』は武士の家に生まれた西行が出家し、その後各地を訪れながら歌を詠み、「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃」と詠じた通りに入寂するまでを描いた物語。絵巻の題材となった。今回は精緻を極める鎌倉時代の絵巻から色彩豊かな俵屋宗達らによる江戸時代の絵巻まで、「西行物語絵巻」の諸本を集めた。こちらも、かつては一つだったが現在では各所に分蔵されている絵巻が展示室内で再び揃う感動的な光景を目にすることが出来る。なお図録には、現存する「西行物語絵巻」諸本の全容をうかがうべく、各絵巻の場面一覧表を掲載した。

 第四部「語り継がれる西行」では、主に江戸時代に作られた書物、工藝、絵画の各分野における西行を題材とした作品を展示する。こうした作品が作られた背景として、出版文化の隆盛による西行伝説の浸透が挙げられる。室町時代までに形成された西行像が江戸時代の人々によって享受され、伝統を受け継ぎつつも新たな西行の姿が生み出された。そして西行は明治時代には橋本雅邦「西行法師図」(東京大学駒場博物館蔵)が制作される等、歴史画の題材になった。西行が現代に至るまで脈々と語り継がれ、日本文化の通奏低音となっていることを展示室で実感していただけるものと思う。

 成程、伝称筆者はあくまでも古筆家の鑑定や状況証拠に基づくものであって、結局のところ西行自筆ではないという見方や、絵巻に描かれた物語は所詮作り話であり、西行の「実像」を伝えるものではないという見方もあろう。しかし、書物によって伝えられた種々の伝説が伝記的事実の素朴な実証以上に西行の歌を鑑賞する助けとなることもあるだろう。絵巻に描かれている西行の姿に惹かれて、その歌や伝西行筆の筆跡を愛好し、心の支えとしてきた数多の日本人がいたという事実が、今回展示する作品たちによって裏付けられている。

 現代は、過去の積み重ねの中にある。現在「正しい」とされている価値観は絶対的なものなのか、果たして我々は「進歩」の道を歩んできたのか。展示室の名品の数々は、過去の人々が大切にしてきたものに敬意を持って向き合うことの必要性をも教えてくれるだろう。まずは五島美術館ホームーページで主な展示予定作品をご確認いただきたい。

 
 
 
 


五島美術館特別展「西行―語り継がれる漂泊の歌詠み」
会期:令和四年十月二十二日(土)~十二月四日(日)
その他、詳細はホームページをご覧ください。
https://www.gotoh-museum.or.jp/

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石巻にあった古本屋「三十五反」を追って  【古本屋でつなぐ東北(みちのく)1】

石巻にあった古本屋「三十五反」を追って 【古本屋でつなぐ東北(みちのく)1】

(宮城県・ゆずりは書房)猪股 剛

 私が生まれ育った所は、宮城県石巻市の牡鹿半島付け根にある渡波(わたのは)という街である。石巻の中心街から橋を渡って北上川を越えると、そこから渡波を経由して女川町に至るまでの一帯は水産業の街になる。私は水産業の街が持つ独特の気風に子供の頃から馴染めず、早々に東京へ飛び出してしまった。東北で津波を伴う大きな地震があった時も、地元に戻ろうという気概など起こらず、そのまま神奈川県で古本屋を続けた。生まれ育った家の問題があって石巻に戻り、宮城県古書籍商組合に移転した時には、地元を離れてから既に三十年近くが経っていた。

 二〇二二年現在、石巻という街には昔ながらの古本屋は存在していないはずである。私も実店舗は構えていない。今の石巻の人には、古本屋という商売はなかなか珍しく思えるのではないだろうか。何せ街で見かけないのだから。

 私自身は、昔ながらの古本屋を東京へ飛び出す前からすでに知っていた。街に馴染めない代わりに本に馴染めていた私は、石巻駅近くの路地にあった、ある古本屋に実に足繫く通っていた。店の名は「古本屋三十五反」と言った。

 「三十五反」とは民謡由来で、仙台米を北上川経由で江戸に運ぶのに用いられた千石船の帆のサイズのことである。私が古本屋三十五反に通い始めたのはまだ十代。店の存在を知り、中へ入ってみたのは全くの偶然であった。

 外観は店舗に見えない。古い倉庫のような灰色の建物で、古本屋の文字は大きく出ていたが、出入り口は実に閉鎖的で、ちょっと中を覗いてみようという気にはなかなかなれない構えであった。店内は薄暗かった。帳場の奥を覗くと、なぜか生活感が感じられるお座敷のようなスペースがあった。蔵書はかなりの数があり、これぞ古本屋と言うべき雰囲気で、私は魅了され、十代の心をこの場所で満たしていた。

 当時の私は、店主と話すことがあっても二言三言程度でしかなかった。だから、ここの店主から古書について直接薫陶を受けたということは全くない。しかし、私は明らかにこの店から強い影響を受けていた。上京とほぼ同時に神保町に通い始めたのだから。そしていつの間にか、こうして自分でも古本屋をやるようになってしまった。

 上京後、帰省した折に一度だけ三十五反に行ったことがあるが、ほどなく店はなくなってしまい、今では跡地は駐車場になっている。都会にいる間は、あまり三十五反のことを思い出すこともなかったが、こうして石巻に戻った今、この謎の古本屋のことをちょっと調べてみたくなった。

 地元の図書館で、「弁護士布施辰治誕生七十年記念人権擁護宣言大会関連資料」という本を見つけた。そこに三十五反の店主である櫻井清助氏が文章を寄せていた。そして、自身の経歴のことをほんの少しだけ記していた。

 「一九八一(昭和五六)年、わたしは郷里に三十年ぶりに帰ってきて小さな古本屋を始めた」「年余にして広いところに移り、幼稚園の体育館だったとかでステージが座敷になっていた」「少し落ち着いてから、東京時代に関心を持っていた鴇田英太郎(筆者註:石巻出身の戦前の劇作家)について調べ始めた」

 なんと三十五反の店主櫻井氏は、私と同じく長い間東京にいた人だったのだ。ならば昔の神保町も知っているに違いない。三十五反のあの雰囲気は、昔の神保町の様子を自然に継いだものだったのかも知れない。何だか長年の謎が解けた気がした。

 私も櫻井氏から古本屋の灯を勝手に継いでしまっていた。そして気が付くと、私が三十五反に通っていた頃の櫻井氏よりも、今の私の方が古本屋としての業歴がほんの少し長くなっていた。

 
 

 
 
(「日本古書通信」2022年8月号より転載)

 
 
 
 


『増補新版 東北の古本屋』 折付桂子著
文学通信刊
ISBN978-4-909658-88-3
四六判・並製・312頁(フルカラー)
定価:本体1,800円(税別)好評発売中!
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-88-3.html

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2022年10月25日号 第357号

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1.『全国タウン誌総覧―地域情報誌
  ・ミニコミ・フリーペーパー・8700誌』

                         柴田志帆

2.『増補新版 東北の古本屋』
  ―東北に寄り添った古本屋案内と、古本屋から見た震災記録

                  日本古書通信社 折付桂子

3.「流木記」を語る――「書く」という贖罪について

                         窪島誠一郎

4.「“ととのう”街~神田・神保町・御茶ノ水~」

      『神田・神保町・御茶ノ水Walker』編集長 倉持美和

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━━━━━━━━━━【自著を語る(298)】━━━━━━━━━━

『全国タウン誌総覧―地域情報誌
 ・ミニコミ・フリーペーパー・8700誌』

                           柴田志帆

■『全国タウン誌総覧』の特徴
 戦後から現在までに日本各地で作られてきた、地域の情報を発信す
るタウン誌。私が今回制作した『全国タウン誌総覧』は、そのタウン
誌8,715点をリストアップした目録です。地域で発行・流通するため、
これまで網羅的に探せなかった「タウン誌」「地域情報誌」、さらに
「ミニコミ」「フリーペーパー」「リトルプレス」から、地域に焦点
を当てたものも採録しています。全体を地域別に並べ、創刊・休廃刊
年、刊行頻度といった基本事項のほか、誌名変遷や関連文献、所蔵機
関の情報についてもできるかぎり調査・収録しているところが特徴です。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=10237

『全国タウン誌総覧―地域情報誌・ミニコミ・フリーペーパー・8700誌』
柴田 志帆 編著
皓星社刊
B5判・上製・632頁
定価:本体15,000円(+税)
好評発売中!
https://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/9784774407708/

━━━━━━━━━【自著を語る(299)】━━━━━━━━━━━

『増補新版 東北の古本屋』
 ―東北に寄り添った古本屋案内と、古本屋から見た震災記録

                   日本古書通信社 折付桂子

 東日本大震災から一一年が過ぎた。私の故郷は福島県。神保町古書
街近くの勤務先で、連絡の取れない故郷を案じたあの日を今も鮮明に
覚えている。お世話になった古本屋さんたちも大きな被害を受けた。
震災から三週間後、福島県須賀川市と郡山市に店を持つ、古書ふみく
らさんに取材予約を入れ、単身オートバイで被災地へ向かった。そこ
で見た地震被害も衝撃的だったが、ふみくらさんの実家に避難してい
た楢葉町(当時、原発事故による警戒区域)の岡田書店さんとの出会
いで、私の中の何かが変わった。「地震だけなら家に帰れるんですよ。
問題は原発事故で全く先が見えないということ」といった言葉が胸に
刺さる。こうした証言を記録として残したい、残さなくてはと思った。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=10247

『増補新版 東北の古本屋』 折付桂子著
文学通信刊
ISBN978-4-909658-88-3
四六判・並製・312頁(フルカラー)
定価:本体1,800円(税別)好評発売中!
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-88-3.html

━━━━━━━━━【自著を語る(300)】━━━━━━━━━━━

「流木記」を語る――「書く」という贖罪について

                          窪島誠一郎

 私はこのたび「流木記――ある美術館主の八十年」(白水社)とい
う本を出した。副題が示す通り、この本は太平洋戦争開戦の直前に生
まれた私が、戦後の混乱期から敗戦の対価としての高度経済成長の波
にのり、ほとんど阿鼻叫喚というしかなかった経済戦争の「昭和」を
いかにして生きたかという記録であり、高校卒業後にイチかバチかで
開いたスナック商売が大当りして貧乏生活から脱出し、やがて絵画収
集の趣味が高じて信州上田市の郊外に、大正昭和期の夭折画家や学徒
出陣で出征して志半ばで戦場のツユと消えた戦没画学生たちの遺作を
あつめた私設美術館をつくるまでの足跡を辿った、自叙伝とも私小説
ともつかぬサクセスストーリー(?)なのだが、これまで百余冊の本
を上梓しながら鳴かず飛ばずだった半アマチュア作家の私の作品とし
ては珍しく、あちこちの書評欄で取り上げられたりして(このメルマ
ガも然り)、大いに気を良くしているところなのである。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=10281

『流木記 ある美術館主の80年』 窪島誠一郎 著
白水社刊
四六判 258ページ
定価 2,400円+税
978-4-560-09894-3
好評発売中!
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b600629.html

━━━━━━━━━━━【編集長登場】━━━━━━━━━━━━

「“ととのう”街 ~神田・神保町・御茶ノ水~」

    『神田・神保町・御茶ノ水Walker』編集長 倉持美和

このたびウォーカームック「神田・神保町・御茶ノ水Walker」
を発行いたしました。

「○○Walker(ウォーカー)」と言えば、「東京ウォーカー」
が浮かぶ方が多いと思います。

「東京ウォーカー」は、グルメや観光スポット、イベント、
エンタメなどおでかけに役立つネタを紹介するエリア情報誌で、
1990(平成2)年に創刊し、2020(令和2)年に休刊となりました。
「東京ウォーカー」と同時に休刊した「横浜ウォーカー」編集部
にいた私は、現在は「エリアLOVEWalker」ブランドの一つ、「横
浜LOVEWalker」の編集長を務めております。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=10254

『神田・神保町・御茶ノ水Walker』
角川アスキー総合研究所 刊
ISBN:9784049111194
定価:990円(税込)
好評発売中!
https://www.kadokawa.co.jp/product/322205000767/

━━━━━━━━━━━【プレゼント企画】━━━━━━━━━━

『神田・神保町・御茶ノ水Walker』を、抽選で10名様にプレゼント致します。
ご応募お待ちしております。

応募申込は下記ページにてお願い致します。
 締切日 10月28日(金)午前10時

https://www.kosho.ne.jp/entry2022/1025.html

━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━

『台湾書店 百年の物語〜書店から見える台湾』
台湾独立書店文化協会 著/郭雅暉・永井一広 翻訳
発行元:エイチアンドエスカンパニー
ISBN:978-4-9907596-9-8
定価:2200円+税
好評発売中!
https://www.habookstore.com/

『日本漢籍受容史―日本文化の基層―』 髙田宗平編
八木書店出版部 発行
A5判・上製・カバー装・696頁+カラー口絵16頁
本体予価9,000円+税
ISBN978-4-8406-2260-8
発行予定:2022年11月25日
https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/2364

━━━━━━━━━━━━【お知らせ】━━━━━━━━━━━

◆自主映画『ボラン』上映のお知らせ◆

第44回ぴあフィルムフェスティバル in 京都2022
【Aプログラム】
2022年11月19日(土) 12時~
京都文化博物館にて上映
(宇治田峻監督『the Memory Lane』と併映)
https://pff.jp/44th/award/competition-kyoto.html

━━━━━━━━【第62回東京名物神田古本まつり】━━━━━━

◆青空掘り出し市◆
「東京名物・神田古本まつり」、
神田神保町が総力をあげて3年ぶりに開催されます。

【主催】神田古書店連盟
【共催】千代田区
【後援】東京都、千代田区観光協会
【期間】10月28日(金)~11月3日(木・祝)
【時間】10月28日~30日:10時~19時
    10月31日~11月3日:10時~18時
【会場】神田神保町古書店街(靖国通り沿い・神田神保町交差点他)

詳しくは
https://jimbou.info/news/20220915.html

◆特選古書即売展◆
和洋の古典籍、古地図、歴史学、民俗学等の学術書、近現代日本文学の
初版本や草稿、映画、美術、趣味など個性あふれる十数店が出店いたします。

【期間】10月28日(金)~30日(日)
【時間】10時~18時(最終日17時まで)
【会場】東京古書会館地下1階(東京都千代田区神田小川町3-22)

詳しくは
https://www.kosho.or.jp/event/detail.php?mode=detail&event_id=4712
https://tokusen-kosho.jp/

━━━━━━━━━【日本の古本屋即売展情報】━━━━━━━━

10月~11月の即売展情報

※新型コロナウイルスの影響により、今後、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

⇒ https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

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【発行】
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 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  http://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部・編集長:藤原栄志郎

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ryubokuki

「流木記」を語る――「書く」という贖罪について

「流木記」を語る――「書く」という贖罪について

窪島誠一郎

 私はこのたび「流木記――ある美術館主の八十年」(白水社)という本を出した。副題が示す通り、この本は太平洋戦争開戦の直前に生まれた私が、戦後の混乱期から敗戦の対価としての高度経済成長の波にのり、ほとんど阿鼻叫喚というしかなかった経済戦争の「昭和」をいかにして生きたかという記録であり、高校卒業後にイチかバチかで開いたスナック商売が大当りして貧乏生活から脱出し、やがて絵画収集の趣味が高じて信州上田市の郊外に、大正昭和期の夭折画家や学徒出陣で出征して志半ばで戦場のツユと消えた戦没画学生たちの遺作をあつめた私設美術館をつくるまでの足跡を辿った、自叙伝とも私小説ともつかぬサクセスストーリー(?)なのだが、これまで百余冊の本を上梓しながら鳴かず飛ばずだった半アマチュア作家の私の作品としては珍しく、あちこちの書評欄で取り上げられたりして(このメルマガも然り)、大いに気を良くしているところなのである。

 だが、この本が読者の関心を惹いたのは、太平洋戦争開戦から八十年を生きた私の波瀾万丈といってもいい人生(たとえば戦時中二歳九日で生父母と離別し、空襲で焼け出された貧しい靴修理職人夫婦のもとで育てられ、その後開業した水商売が当って大儲けしたこととか、戦後三十余年経って再会した父親が何と「飢餓海峡」や「越前竹人形」などのベストセラーで知られる直木賞作家の水上勉氏であったこととか)、あるいはスナック商売のかたわら没頭した絵画収集によって、まがりなりにも一応の自己形成をとげてゆく過程というか、あっちにぶつかりこっちにぶつかりしながら、「昭和」という時代の濁流にのまれて生きた「流木」そのものの運命への共感からきていることも確かな気がするのだが、同時にもう一つ、この物語のタテ軸をなす形で語られている数々の病との戦い、八十歳という老齢にいたった今も、五指をこえる大病をかかえた人間であることへの読者の同情があるようにも思われる。

 七十四歳でおそわれた突然のクモ膜下出血、七十六歳での陰茎ガン(二百万人に一人という確率で発症するきわめて珍しいガンだそうだ)、その翌年に見舞われた間質性肺炎、心臓動脈瘤、さらに三十数年間悩まされつづけているアトピーとならんで根治困難といわれる皮膚病の尋常性乾癬との戦い等々、のりこえてきたその「病歴」のすさまじさにも読者は圧倒されるにちがいない。「流木記」をめくった読者は、筆者である私の奇縁と偶然、不条理と必然のあいだをゆれ動いた八十年に興味をもつと同時に、そうした数多くの病をくぐりぬけてきた強運ぶりにも瞠目するにちがいないのである。

 「流木記」の冒頭は、「二〇一八年八月十日、尾島真一郎はペニスをうしなった」という一行から書き起こされている。
 これは私が(文中では尾島真一郎という仮名を使っているが)、東京慈恵会医科大学附属病院泌尿器科において、担当医師から「陰茎ガン」を宣告されるシーンだが、前段で紹介したように、「陰茎ガン」というのは何百万人に一人というまるでジャンボ宝くじ並みの確率で発症する部位のガンだそうで、私が七十六歳九ヶ月をもって永年慣れ親しんだ己が性器の切除手術をうけるという衝撃的な文章ではじまるのである。その後この本のあちこちにペニスをうしなったあとの私の生活に生じた身体的不具合や、(若い頃ほどではないにしても)日夜性的妄想にかられるたび、悶々烈々とのたうつ竿ナシ男の慨嘆が語られていて切ないのだ。現在信州上田で営む美術館「無言館の運営の苦労や、経済難のために愛蔵していたコレクションを手放さねばならなくなった孤独や喪失感も切々と訴えられているのだが、それより何より老齢の主人公をおそったクモ膜下出血や肺炎、心臓病などの死地からの奇跡的な生還、その「病歴」のトドメをさすようにおそってきた「陰茎ガン」によって、ついにペニスまで喪失するにいたった八十男の哀れが読者の憐憫をさそってやまないのである。

 しかし、この不幸な病との戦いを出来るかぎり包みかくさず、ありのままに綴った「流木記」は、けっして老年にして大事なチンポをうしなった筆者の絶望を語るために書かれた本ではない。私が一番書きたかったのは、そうした幾多の病におそわれつつ戦前、戦中、戦後の時代の激変にもてあそばれ、いかに敗戦(日本人戦死者三百数万人!)の見返りとしての経済成長に自分が救われ、八十歳の現在まで生きのびることができたかという事実なのだった。「ことによると、戦没画学生の美術館をつくったのは、そうした自らにあたえられた時代の恩恵(?)に対するザンゲの気持ちからだったのではないのか」「あの戦争に対して何一つ自省や悔悟の態度をしめすことなく、ただひたすら一億総参加の物欲レースに加わってきた自身の罪滅しのためにつくった美術館が無言館ではなかったのか」

 うまく言えぬが、ことによると己がペニスもろとも行き場をうしない、昭和、平成、令和の袋小路へと追いこまれた一本の「流木」の末路を書くことこそが、この本にあたえられた贖罪の一つではなかったかと自問しているところなのである。

 
 
 
 


『流木記 ある美術館主の80年』 窪島誠一郎 著
白水社刊
四六判 258ページ
定価 2,400円+税
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