東京青山・日月堂 佐藤真砂
http://www.nichigetu-do.com/
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二〇〇一年「女性古書店主たちのつくる棚」、〇二年「旅する絵葉書」「雑誌マニア」、〇三年「ウルトラモダン」、〇四年「ムラカミ家のモノに見る昭和史」「印刷解体」、〇五年「印刷解体vol・2」、〇六年「学校用品店」。これが、あるギャラリーを会場に、これまで手掛けてきた「企画展」である。今秋には「印刷解体vol・3」の開催が既に決定している。
会場となるギャラリーは有効面積十二坪、百貨店の即売会と比べると凡そ十分の一程度だろうか、至って小規模なスペースだ。運営はディベロッパーである会社本体の宣伝局所轄なので、企画に対しては対外的な効果(ブランディング、宣伝、集客等)が求められ、売上はテナント運営を行う営業部に入るため、一企画平均会期・二週間での売上は(目録発行はなく場売りだけで)最低でも二百万円が目標とされる。対外的な効果も売上げもというのだから、正直にいって毎回ハードルの高さに頭を抱えることになる。こうした要求に応えるには、通常の古書即売会とは全く別のアプローチが必要だ。これが「即売会」ではなく「企画展」と呼ぶ所以であり、これまでの経過―わけても「ムラカミ家」以降は、古本屋の本道からむしろ積極的に逸れてきたものとしか映らないだろう。それぞれの詳細についてはネット検索か何かでご覧いただくしかないのだが、例えば「ムラカミ家」では、蔵書はもとより戦前の着物から納戸に眠っていた家電製品まで、一軒の家に眠っていたありとあらゆるものを販売した。「印刷」では、いまは使われなくなった活字のバラ売りをし、「学校」では普段は専ら学校相手に副教材を販売する会社の倉庫に残っていた人体模型や鉱石標本、試験管などを並べ、いずれも一般に販売したものである。「印刷」についてはまだしも―内外の印刷年鑑や印刷見本集、書体に関する冊子等―古本屋として投入するに相応しいものも集められたのだが、「ムラカミ家」は同家の旧蔵書が頼りだったし、「学校」に至っては全商材に占める古本率はおそらく五%にも満たなかっただろう。
狭いスペースで印象の強い企画を立ち上げるには、どうしてもワンテーマに絞らざるを得ない。様々なお客さまのニーズに応えようという百貨店の総花的な方向とは逆向きだ。そしてまた、ここで必要なのは、やはり百貨店的な圧倒的な物量・多彩な価格の相対化によって売ることではなく、むしろどうやって商品を絞り込み、企図した世界や物語を鮮明に立ち上げ販売に結びつけるか、なのである。設定したテーマからはみ出すものは禁じ手として、それを阻害すると思えば、時に古本を削る場合もある。主役はあくまで「企画」それ自体なのであり、そうした在りようを保持することが企画者としての責任となる。実際、エネルギーの多くは、人さまのモノをお膳立てして商品化することに割かれることになる場合も多い(当初は販売促進の場として考えていたはずが、企画を練れば練るほどどんどん自身の商売は遠ざかっていき……一体、何をやっているのだか)。
こうした試みは、会場の狭さによって成立している部分が大きい。小規模・少数の業者寄り合いでも充分、売場を商材で埋められ、従って意思統一さえできれば一者もしくは一定の視点で商材の取捨選択ができるからだ。また、会期の長さや設営日程の自由度の高さは、大仕掛けの演出(例えば「印刷解体」では植字台やウマなど印刷所の風景そのままに二日間をかけて移設・陳列する)を可能にする。さらに、企画全体に関わる部分に対しては経費の負担や企画料の設定などの点で多少なりとも交渉の余地がある。こうした事情がからみあってようやく実現しているものであり、百貨店であれ古書会館であれ、通常の即売会のなかに、このような企画を持ち込むのはほぼ不可能だと思う。即売会にイベントのようなものを付加していくのではなく、あくまで販売に軸足をおいた企画を持ち込むのは、恣意的な仕入れがそう容易でない古本屋の場合、どうしても困難が残る。やるとなっても参加者全員にその機会を振り分けることはできず、一部の「誰か」に利するものとなるだろう。独断を是とするか非とするかは、それぞれの構成員の判断だが、その独断が、時代やニーズに叶ったものだったのか、あるいはニーズを創出することができたのか、という最終的な判断は唯一、お客様たちに委ねられる。独断の下に健全さがあるとすれば、それはこの一点において、保たれるものだと思っている。 |
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縁日のにぎわいは昔日の彼方
京都・其中堂 三浦了三
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早いもので京都古書研究会主催の百万遍古本まつりが、今年の秋、第30回を迎える事になった。店の手伝いで店番したのが、大学1年の時で、27年前のことになる。当時は、石畳の参道に一軒当たり出店台が3台、約60台ほどの出店量でも、十分に「まつり」であり、縁日のにぎわいであった。
近年は、境内全域を使い、一軒当たり最低10台、軽く4倍くらいの本の量に増加している。それ以上に、夏に催している下鴨納涼古本まつりは、京都府の内外より多数の古書店の参加を仰いでいるので、秋の古本まつりのそのまた倍の出店量になる。
それ程まで膨れ上がって何が変化してきたのか、業界からの視点で分析してみたい。
その一つが、ストック在庫のフロー化。これは、価値が形骸化してきた古本を見切る場として、古本まつりが当初認識されていたということ。デッドストックとして倉庫に積み上げられていたものが、「まつり」という表舞台に出て、フロー商品として化けるのである。画期的なことだったと思う。
それから会場が広くなるにつれ、大量出品の必要から、グロスでの商売を考え、一つ一つの商品に対するこだわりが弱くなりがちになっこと。「ひねる」ということがデパート展を支えてきたとすれば、「売り切る」というのが古本まつりを支えているといえよう。普段よりも安い価格体系にして大量出品し、マスコミに宣伝して多くのお客さんを呼び込んで、採算をとるのである。商品そのものは同じなので、お客さんには魅力的な価格になる。もちろん、現在の古本まつりでも、一点一点吟味したうえで魅力的に売る業者も少なくない。
また、年に3回の開催となって古本まつり用の在庫を持たざるを得なくなったこと。うまく回転していけば(よい仕入れが続けば)魅力的な価格と品揃えを提供でき、売上を伸ばせるものの、ちょっとつまずくと、屍累々の古本の山との格闘が待ち受けている。古本まつりを始めて何が変化したかといって、その在庫量である。20年前は、8台分の商品を仕入れるのに悪戦苦闘していたのに、いまや同時に3軒分の店を出せるくらいの在庫になってしまった。(あくまで「出せるだけ」であって、商売が成り立つような在庫ではないのは言うまでもない)
京都の古書業界全体にとって古本まつりの隆盛がよいことであったかどうかは、意見が分かれると思うが、私はよかったとは思っていない。大量出品が求められること、顧客層を共有できること、この二点から組合の交換会取引きの不活性を生む要因になってしまった。店の棚にとって要らないものでも要るものでも、古本まつりへ持っていけば商売になってしまう。交換会取引きの切磋琢磨が古本屋を育ててきたと思う筆者にとっては、交換会に対するスタンスに世代的な断絶が起きたことが残念でならない。
さて、近時インターネット販売が盛んになって、ストック商品のフロー化とは逆方向、フロー商品のストック化(在庫管理)が必須になった。インターネットでは、いままでグロスで売ってきた商品一つ一つに個性を持たせないと商売ができなくなったのである。
即売会とインターネット、真逆の性質を持つ商売を同時にこなさないと、これからの古書店営業は成り立たなくなるという昨今の状況は、お客さんは古本を購入してはくれるものの古本屋一店一店の個性には留意してくれない、という古本屋をやっている甲斐のない状況へとつながり、やがて全国古書業界の寡占へと続いていくのであろうか。古本屋はやはり縁日のにぎわいが似合うと思うのだが…。 |
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10年前とは全然ちがう
東京大田区・古書西村文生堂 西村康樹
http://home.a07.itscom.net/bunseido/
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僕はキャリア13年、古本屋をやっているが、どの様な品物を集めるかという事には常に悩んでいる。ちょっと売り上げが落ちてくるとまず考えるのが、品物のセンスが悪いのでは……という事だ。当然これは言えていて、10年前と今では売れ筋が全然違う。毎年毎年、一日一日、世の中の求めるモノは少しずつだが変わっている。しかし僕らの頭の中の古本知識や商売スタイルは、そんなに小回りがきいていない。だからしばらく同じ事を繰り返していると、最初は売れた商品ややり方もだんだんとダメになっていって、結果、売り上げも落ちていくのだろう。
そんなスランプ状態になると、売れている店が、何を売っているのかが気になりだす。ついつい他の店で売れているという品筋に、手を出したくなるのだ。しかし、僕の経験では、これが一番良くなく、ますます自分の店の品筋を混乱させていくのだ。あたり前だが、立地が違えば客筋も違うからだ。やはり地域には色があり、そこに住んでいる人にも色がある。僕はスランプになった時は、この色に素直に従う様にしてきた。常に、近所の人の店への持ち込みの本が、自分の店の新しい展開のヒントをくれてきた。まったく知らなかった、又はやらなかった世界の本が、意外と売れて、驚き、味をしめてしまうわけだ。そして、その新しい感覚の本を、市場でガンガン買って集めていくうちに店の売り上げも復活していくという事を何度も僕は繰り返してきた。もう5回くらい、店の品揃えの雰囲気はフルモデルチェンジしているんじゃないかな。
ここまで書いてきたのは店売りの品揃えの話で、目録販売や「日本の古本屋」でのインターネットを使った古書販売の品集めは、また少々違う。店売りに関しては時代や世の中に柔軟に対応していくべきだと思っているのだが、目録の世界については、そうコロコロ変わるわけにはいかない。うちの目録を楽しみにしてくれているお客さんは、当然あるジャンルのお客さんなわけであって、突然次号の目録からジャンルが変わってしまったら困惑してしまうだろう。かといって、まったく同じ事をやり続けていても飽きられてしまうので、基本は大事にしながらも新しいテイストを取り入れていこうと心掛けている。こっちはマイナーチェンジを繰り返すという感じ。
あと僕の店は「日本の古本屋」での販売もしているのだが、このサイトで売る品揃えが一番難しい。店で売れる様な本は他社も持っているケースが多く、かなり安くしないと動かないという値段競争だ。だから逆に他社の持っていない本で売れるものを集める努力をしないといけない。店に並べておいたら100年たっても買ってくれるお客さんと巡り合えない本でも、ネットの世界では探している人と出会える可能性があるからだ。これはお互いに大変ありがたい事だ。
現在の古本屋は売り方、売る品物ともに、多様化してきた。今までだったら、商品としてありえなかったような本も売る事ができるようになった。本というアナログな商品を売る古本屋は、意外とデジタル時代に向いていたと最近、考える。 |
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『街の古本屋』のスタイル
東京西荻・古書 音羽館 広瀬洋一
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「古書一般」特に専門分野を持たない古本屋は古書店地図にこう書いてあるものだ。当店も紛れもなくこのタイプである。15坪に満たない店内にもかかわらず、漫画、文庫から硬めの人文書までひと通りある。地元で仕入れ地元で販売するサイクルをかろうじて維持している以上、地域のニーズを反映した店づくりは欠かせない訳で、よろず屋的な品揃えは街の古本屋のスタンダードだと思う。
だが、ただ「古書一般」ではつまらない。だから苦しまぎれによく「芸能の周辺」と答えるようにしている。これは映画や音楽はもちろん美術や思想や文学も含んだ、広く表現行為一般を扱っていますというくらいの意味である。都合の良い言葉で気に入っているが、とても専門分野ですとは言えない。
専門分野も模索し、それを深めることの重要性に異論はないが、同時によろず屋にとってジャンルの垣根を越える感覚も磨きたいとも思う。たとえば「モダニズム」という括りで本を選んでゆく。そうすれば絵画、建築、写真などの美術書にこだわらず、洋の東西も問わず思想、科学、文学などジャンルを横断してまとめられる。テーマは豊富にあるはずだ。いつもと違う目線で棚を見直す。少しでも手持ちの在庫を活かす意味もある。たとえば現在ドイツでサッカーのワールドカップが開かれている。「日本におけるドイツ年」という記念の年でもあるから、ドイツにちなんだ本を集めるのはどうか。作曲家の伝記の隣に、メッサーシュッミットに関する戦闘機の本、ビールの本も並べられる。自分が面白がっている棚ならきっと喜んでくれる人もいるはずだ。「実は以前、ドイツじゃないがウィーンで声楽の勉強をしていた」と常連さんから打明けられるかもしれない。買取りのチャンスが生まれることもあるだろう。そういえば今年は「モーツァルト・イヤー」でもある。こんな地道な取り組みこそ、これからの人気商品の発見につながってゆく気がする。
横尾忠則や寺山修司は10年前も人気があった。けれどあの時今の「絵本」ブームが来るとは全然わからなかった。しかし当時から売れ筋の70年代のイラストやサブカルチャーの流行を注意深く眺めていたら、おのずと宇野亜喜良や和田誠たちが深くかかわってきた「絵本」の豊かで多様性のある魅力により早く気付くことが出来たかもしれない。まあこれは現在から見てはじめて言えることなのかもしれないが… まさか「ゴジラ」が世界中で戦後日本の生み出した最も魅力的な映像キャラクターと認められているとは、当時誰が予測できただろうか?
いささか話が思いがけない方向に向かってしまった。編集部の「人気商品の先取りは可能か?」という設問だったのだ。最後に「人気商品の流れに乗るべきか避けるべきか」という設問。これも「街の古本屋」の視点から考えると、乗るべき時は乗り、避けるべき(乗れない)時は避ける(無理しない)と答えておこう。まことにはっきりしない態度に違いないが、このいい加減さこそ「街の古本屋」のしたたかさ。人と時代に寄り添いながらなんとか切り抜けてゆくしかないだろう。 |
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豆本の魅力
神田・呂古書房 西尾浩子
http://locoshobou.jimbou.net/catalog/index.php
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神保町に開業して13年目になりましたが、開店当初は主に限定本を中心とし、豆本、美術書、文学書、版画、子供絵本等々と何でもありのまとまりのない状態でやっていました。店内が狭いため、どのジャンルも中途半端で何ひとつコレといったものもなく、正直この先どうしたものかと試行錯誤しながら2、3年が経ちました。
そんな時自分が好きなジャンルをするのが、長続きするものと伝授され、かわいくて綺麗な装幀本を多く蒐集し、それが豆本でした。スペース的にもピッタリ、そしてそれを中心に展開出来るよう、お店の棚も改装しました。豆本の魅力は、小さいからこそ出来る、凝った装幀の美しさです。また気軽に読めるサイズもあり、内容も版画挿画本、文学書、郷土の史料、伝記、聖書、般若心経と様々の分野があります。内容が一緒でも装幀が違うのも興味をそそられるところです。
そして豆本を主として限定版画挿画本、蔵書票、玩具関係書、伝統こけし等の分野にかたまってきたのです。
人気商品の先取り予想及び流れに乗るか避けるかについては、あまり考えていません。しかし本にも流行はあると感じています。
昔の価格にこだわらず、その時代に合った柔軟な感覚で、対応していきたいと思います。 |
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注文を創り出す
神田・羊頭書房 河野 広
http://homepage1.nifty.com/youtou/
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古本という商品を考えた時、仕入れと販売の面から次のように分けられると思っています。つまり、
仕入れやすく、売りやすい本
仕入れやすく、売りにくい本
仕入れにくく、売りやすい本
仕入れにくく、売りにくい本
の四つです。
もちろん、現実はこのように単純に図式的には収まりません。無条件で「仕入れやすく、売りやすい」物が仕入れられることはめったにあることではなく、それも、比較的仕入れやすく、比較的売りやすいといった程度だったりします。また、いわゆる売れ筋の本で、業者市で割合見かける本であっても、人気が集中し高額の入札を余儀なくされる場合は「仕入れやすい」とは言い難いところもあります。
また、「仕入れやすく、売りにくい」物は余剰在庫の筆頭候補のようなものですが、販路を変えて売れる場合もありますし、しばらく倉庫に置いて出してみたら思っていたより高く売れたということもあります。いつのまにか、仕入れやすかった本が仕入れにくくなったり、売りにくかった本が売りやすくなっていたり、ということもあります。
結局、古本屋はそれぞれの考え方や志向に従って、四つに分けられる商品についてどこかの範囲に極端に偏ることなく(多少の偏りはあるとは思いますが)まんべんなく目配りしています。そうせざるを得ない側面もあります。
古本屋全体を決め付けるような書き方で恐縮ですが、私が見る限り、私も含めて皆さんそのようにやってらっしゃるように思います。
さて、今回頂いたテーマの「人気商品」です。古本屋それぞれの取り扱い分野ごとに人気商品というのはあると思いますが、ここでは、「(一時的に)人気が集中しているあの特定の分野の商品」という意味だと考えて書くことにします。
人気商品の流れに乗るべきか避けるべきかということについては、結論から言ってしまえば、その古本屋の考え次第ということになると思います。
人気商品というレッテルが貼られた時点で、それは売りやすいかもしれないが少なくとも仕入れにくい商品になっています。業者市でも値が吊り上がっているでしょうし、長い目で見れば価格の暴落ということも考えられます。自分の販路など他の要素とも合わせて考えて、トータルでリスクヘッジ可能な範囲で手を出せば良いのでは、と思います。自分の専門と合わないから一切手は出さない、というのもあると思いますし、即売会を控えて、自分の棚のにぎやかしにちょっと仕入れてみようか、などという考えもあると思います。売り抜ける自信があるのなら、積極的に買いまわる手もありでしょう。
ただ、人気商品が自分の取り扱い分野と重なる場合は好むと好まざるとにかかわらず逃げられない面はあります。
私の場合、取り扱い分野がSF、ミステリー、海外文学、ギャンブルなど特殊な趣味系ですが、このうち一部ミステリーなどは「人気商品」のようです。幸いというか残念なことにというか、分野全体の価格が底上げになっているということはありませんので、あれこれ仕入れながらなんとかやっておりますが、やはり人気が集中しているものにあえて向かわなければならないこともあります。まあ、業者市では、本人は向かったつもりで落札を見てみるとお話にもならない、ということのほうが多いのですが。
「人気商品の先取り予測は可能か」という点については、可能かといわれれば可能なのでしょうが、個人的にはそういうことを予測してもあまり益はないと思っています。
無論、アンテナをはって怠りなく情報収集し人気の動向を考えること自体は古本屋として大事なことだとは思いますが、インターネットの発達した昨今そのような情報が伝わるのは早く、おいしい思いができる期間は短いような気がします。まして、そうした予測が簡単なものではないことを合わせて考えると、まだ株式投資でもやっている方が実があるような気がします。むしろ、近年既に一部の古本屋さんが行っていらっしゃるような、お客様に対して店側から何らかの形でアピールして注文を創り出す、というような動きを考える方が重要だと思っています。 |
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蒐集の虜に
東京町田・二の橋書店 田中 貢
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明治生れの父は鼈甲加工の居職人で、仕事をやりながら俳句を捻っていた。臼田亜浪氏に師事していた。ある句会で父の句が碧梧桐さんに天として抜かれ奉書紙に書いて頂いた。唯一の自慢話。句集も蒐集していた。鼈甲がセルロイドに代り不況も手伝い、仕事がなくなり昭和五年古本屋になった。戦後浅草で疎開して焼けなかった本を基に再開した。
俳書室という狭いコーナーを設けて俳句関係書を展示した。孔版の俳書目録を作った処、前例がないというので結構好評を頂いた。
句集の再評価にもなった。有名俳人の方々とのお付き合いも出来、たのしい時期があった。
趣味と実益を兼ねた一例でしょうか。
× × × × × × ×
父が他界して自分が店を継いだが、はたして如何なる分野のものを集めたら良いのか迷っていた。古書展の目録では出品の本の傾向で店の趣味が、又意外の面が反映されていたりして興味深い。特に意識していなくとも、自然に分野が定まって行くのではないでしょうか。『好きこそ物の上手』の例ですか…。
そう自分では思いつゝもなかなか道がつかめなかった。
山中恒さんから御愛顧頂くようになったのは浅草から町田に移って直後の事です。
近くの珈琲屋で貴重な又参考になるお話を伺った。お宅にお伺いして蔵書にビックリ。更に膨大な極秘、軍事機密等の印がある書類、報告書、調査書を拝見して仰天。その瞬間この分野のものが取扱えられたらと思うと何だか目の前が開かれて行く気がして来た。今頃から始めても遅いのかも知れない不安もあったが遣り甲斐がある。探す愉しみ、お役に立つ可能性、我が店の方向が定まった。
それから暫く過ぎたある日市場で入手した資料。それは例の七三一部隊が中央の指令で活動していた事実を示した證拠でした。やがて朝日新聞の第一面トップで報じられた時、思わずヤッターと思った。その時こそ資料蒐集の虜になった時でした。それを機会にして目録発行を奨められ名前を『戦塵冊』と付けて頂いて昭和史中心の戦時資料の蒐集が始まりました。
井上ひさし先生の舞台脚本は資料を重視して数分の台詞に半日もかゝる事があるそうです。東京裁判の記録(尋問記録)などから数々の名場面も生れています。
仕入れた資料を詳細に読むたのしみ、お蔭さまでボケ防止の特効薬になっています。
神田秦川堂書店先代永森慶二氏からお伺いした『古本屋は研究者になっても良いが、学者になってはいけない…提供した資料が役に立てばそれでよい』とのお話肝に銘じている。
目録の表紙には苦労しています。昭和20年8月15日の天気図を、気象庁へ行って当時のものコピーして頂き表紙にしたり、復元された特攻機『秋水』の写真を名古屋三菱重工業の工場へ写しに行ったり、アッツ玉砕山崎部隊長の悠然とした伊藤彦造画伯の迫力ある屏風絵の表紙(実物を見た時思わず涙が出ました)。最近の空襲警報(少年クラブの附録表紙)は、横浜のお年寄りの方から懐しかったと涙声でお電話頂いて嬉しかった。
昨年十二月、胃の手術で入院中に市場に出品された資料に入札出来ずベットで悔し涙。
次の目録に向って準備の毎日です。 |
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“探偵趣味”一筋
東京杉並・芳林文庫 島田克己
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手元にある当店目録『芳林文庫古書目録』第一号・二号(共に’89)の後段に当店の“主要取扱い書物”として
1・大衆文芸書(a.探偵小説・b.SF小説……e.児童書……)
2・勝負事関係書(a.将棋……)
3・その他古書一般
が挙げられている。開業二年目に発行した20頁程の目録ではあるが、記録によると全体の六割程が売れた。しかしその内訳は圧倒的に“探偵小説”と“児童書”であった。
そもそも故あって“将棋本”の蒐集からノメリ込んだ古本の世界。(説明すると長くなるので端折るが)開業時は現在とは異なり、店舗が無いと古書組合に入れない規則が有り、一応店の体裁を整え“将棋書”を筆頭に囲碁・麻雀・競馬・相撲等の“勝負事関係書”と副次的に集めた“大衆文芸書”及びその他の本を寄せ集めて棚を埋めた。しかし店売りは惨憺たるもので、初に書いたように目録販売に活路を見い出さざるを得なかった。その目録販売にしても二枚看板で力を入れようと考えていた“勝負事関係書”が全く無視され、序に集めた“探偵小説”と“児童書”に人気が集中したのには驚かされた。
商売のある程度の方向性が見えて来たので、名簿の充実のためにデパート展を筆頭に積極的に催事に参加した。そのお蔭で徐々にではあるが上質のお客様を確保することが出来、又仕入れにも大きく役立った。
当時は“探偵小説”を専門に扱うような古書店は無く、催事の都度少しづつではあるが評判を呼び(毀誉褒貶は相半ばしたが)お客様は勿論のこと、同業者の間にも屋号が滲透していった。方向が決まればガムシャラに突っ走るだけ。“探偵小説”と“児童書”をメインに据え、本腰を入れて集書に努め、平成八年に六年振りの自家目録第三号を発行することが出来た。その時から目録のタイトルに『芳林文庫古書目録 探偵趣味』を謳い、“探偵小説”中心の目録であると宣言した。当初は単に売ることのみを目的とした目録であったが、いつの間にか“探偵小説”の奥行きの深さに嵌まり、巻頭に“特集”頁を設けて私自身が楽しんで目録を作り今日に到っている。(尚、現在作製中の18号の特集は「探偵小説のヘンな本」です)
開店休業みたいな状態にある店は事務所兼倉庫となり、偶に来店したいというお客様があるとそのスペースを確保するのに大慌てをする。その他に倉庫を二ヶ所借りており、次に発行する目録のために“探偵小説”の在庫集めをセッセとしている。当店の目録は第三号以来基本的には作家別・賞別・全集叢書別・雑誌別等に分けられ、編集はし易いがその分在庫をシッカリと持たないと格好が付かないという弱点がある。そのため年に一回、多くて二回しか発行出来ない。楽しんで目録作りをするのには頂度良い回数かも知れない。
バブルの余韻が残っていた頃までは可成りの高額商品も良く動いたが、昨今は珍なる物、安価な物、もしくは差し換え用の極美品に注文が重なり、当方との思惑の違いがハッキリして来た。インターネットの出現により従来のまゝの商売では落着いてやって行けなくなった様だ。ネット上の書込みや変な編集本で突如脚光を浴びた作家や作品に振り廻されては堪らない。今更火中の栗を拾いプライスリーダーに成る気は無い。
約二十年間に渡って“探偵小説”を主に扱ってきて感じるのは、その奥行の深さである。未だに解明されていない点や、あやふやなまゝ見過されてきた事などが多々ある。この先その一つでも検証出来れば“探偵小説”専門店の親父としては大満足である。好きな本に囲まれ、酒でも飲みながら“探偵小説”談義に花を咲かせるのが夢である。 |
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次の時代のために
東京吉祥寺・よみた屋 澄田喜広
http://www.yomitaya.co.jp/
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よみた屋では「時代に寄り添いつつも、次の時代のために今の流れとは別の選択肢を用意する」というコンセプトを持っている。
商売なのだから、売れる商品を扱うのは当たり前だ。売れ行きを度外視して在庫する物もあるだろうが、経営戦略の中であえてそうするのであって、売れない物ばかり置いていたら、お店は成り立たない。
けれども、売れ筋品は誰とてもほしいので、古書市場などでもおいそれと買わせてはもらえない。たとえ買えたとしても、とても利益が出るような値段ではなかったりする。商売には競争があるのだ。
それに、あまり得意でない分野では、売れ筋とそうでないものの見分けも容易ではない。社会科学を専門にしていたものが、その分野が流行らなくなったからといって、では映画のパンフレットに鞍替えしましょう、というわけにはいかないだろう。売れない時代から映パンをこつこつやってきた人と戦って、急に勝てるわけがない。
だから、なるべく売れ筋のものを用意しようとするけれども、実際には仕入れられたものを提供するよりない。
そこで、あまり商品を絞り込まずに、できるだけ何でも置くというのが我われの戦略だ。こちらでは、なるべく選択しないようにしているつもりでも、人間のすることだから自ずと偏りが出てしまう。それが、自然にお店の個性になっているのではないかと思う。
古本屋には問屋がないので、品揃えの選択は店主ひとりの知恵にまかされがちだ。けれども、こちらが本の選択をやめればお客さんが店づくりをしてくれるようになる。どうにも気に入らないものとか、よさに全く気が付きもしないものもあるだろうから、少しは淘汰される部分もある。
こういう品揃えにしようというプラスの選択ではなく、これは置けないというマイナスの選択だ。しかもどちらかというと無意識的な過程である。
時代の縦の流れを横にして見る、と我われでは言っているが、古本屋の棚にはさまざまな時代の本が同時に並ぶ。たとえば一九六〇年代末には和田心臓移植が賞賛されて、地球は寒冷化すると騒がれていた。こういうのを見ると、メディアストラテジーというか、本の読み方もずいぶん変わってくるのではないだろうか。
未来はいつも過去の中に潜んで、発見されるのを待っている。歴史は繰り返す、というのが本当かどうか知らないが、現在だけを見ていたのでは気づかないことが、古い本の中にあることは間違いない。
古本屋はクリエーターではないから、これはどうですか、と提案するのは不得意だ。けれども、できるだけいろいろな時代のいろいろな本を置けば、お客さん自身がそこから、新しいものを発見していってくれる。
次の時代のために今の流れとは別の選択肢を用意する、とはつまりそういうことだ。だから、よみた屋では、こちらがあらかじめ予測しなくても新たに流行りつつあるものが手に入ることになっている。ただし、お店の方で流行に気が付いて値上げしようと思ったときには、すでにあらかた売れてしまって、在庫がなくなっているのが悩みではある。 |
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ブームの光景
東京青山・日月堂 佐藤真砂
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昨今、古本屋がブームであるという。実に喜ばしいことであり、これは面白いことになるに違いないと、つい最近までそう思っていた。堂々として築かれてきた古本屋の王道という大樹の幹に、他所からの価値観という枝葉が加われば、古本屋は多様化し、売れ筋も多様化し、従って市場にはこれまで出てこなかったようなモノまでもが出てくるようになり、しかもそれぞれにちゃんと札が入って、売り手も買い手も、そしてお客様もみんなバラ色!…などと思い巡らせていたからなのだが、しかしこれは大いなる誤算だったようだ。
古本屋がブームになって起こったことというのは、古本に関する情報と古本屋というもののイメージ――ごく最近まで、どんな時代にもほとんどブレることのなかったそれ―が、ここ数年で急激に「消費されるもの」へと変わってしまったということである。その結果、最近の市場では、「売れ筋」と目される品物に札が集中し、またその変化のスピードもますます早まり、急騰の度合いと下落までの時間の様子をグラフに描けば、軒並み鋭角をもって示されることになるだろう。
古本屋がブームとなり始めたのと丁度同じ頃から、活字離れがいわれる一方で新刊書のベストセラーの部数がどこか尋常ではないと思えるような規模になってきた。広告に踊る文句は「たちまち重版!」「品切れ続出!」「100万部突破!」といった威勢のいいものばかり。おそらくはいま、本は売れれば売れるほどますます売れ、みんなが読んでいるからさらにみんなが読む、流行のアイテムのひとつなのだろう(もっとも戦前の本にしろ重版=宣伝と企画してクレジットしたのではないかといわれる本もあるから、何もいまに始まったことではないのかも知れないけれど)。例えば古書の世界でも、ネット販売をしている同業者は「動機が何であれ、探しているそのものズバリの本しか売れない」と口を揃えるし、例えば影響力の高いブログで話題になった一冊の本を、ブログを見た人たちが一斉に探し出す、といった話も伝え聞く。
おそらく、という留保つきではあるけれど、マーケットの側は私たちが考えているよりもずっと狭い幅なのかを、しかも猛烈なスピードで流動しているのではないだろうか。これに関してはもうひとつの留保、いまはまだ、という点をも考えてみたくなるが、彼ら彼女ら自身で何かを発見し、蛇行したり穴を掘り始めるようになるまでには、まだまだ長い道のり、即ち時間が必要ではないかと思われる。
こうした前提のもと、自分自身の行き方を考えてみると、どうにもさっぱりこれにはついて行けないのである。市場という競争原理のもとで品物を集めるとき、一体何が一番優先されるモチベーションなのかというと、私の場合は「売れるか売れないか」よりも「いいと思うか、そう思わないか」が先に立つ傾向が強いからだ。よりよいと思うものを真っ向勝負で買い、その上でまだ売れ筋までを仕入れようという資金的、というのはつまり精神的な余裕はないし、その順序を逆にしてまで古本屋を続けることもないかと、どこか諦めにも似た思いがある。そうした者からすれば、売れ筋を追いかけるということは単に「売れ筋の商品を仕入れて売る」ということではなく、消費する側に合わせて常に自己の価値観を更新していけるかどうか、ということを意味するのであり、それについてはもう全然お手上げ状態なのである。
さて。では一体どこに、私の生き延びる道があるのだろうか?…思えばこれまでも、常に売れ筋から逸れ、軸をずらして王道を踏み外し、荒野のなかに獣道を見出してはようやく歩き続けてきたというだけのことだ。荒れ野にも人の手が入り、野生のものどもの一時の棲家さえ見出しづらいこのご時世とはいえ、残されているはずのかすかな道を探し歩いていくより他に仕方ないと、やはり諦めにも似て思うのだ。徒手空拳の道行きならば、せめて胸には一点の灯を宿し――その光源の在り処こそいま、私が痛切にもとめるものなのだ。 |
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