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自著を語る(75) 『出版状況クロニクルⅢ』

『出版状況クロニクルⅢ』

小田光雄

1999年に『出版社と書店はいかにして消えていくか』(ぱる出版、増補版論創社2008年)を上梓して以来、『ブックオフと出版業界』『出版業界の危機と社会構造』『出版状況クロニクル』『『出版状況クロニクルⅡ』(いずれも論創社)と、思いもかけずに出版業界に関する状況論を続けて出してきた。今回の『出版状況クロニクルⅢ』を加えると、6冊になる。

この十数年間の出版業界の歴史が何であったかはいうまでもないだろうが、まさに失われた十数年であって、かつてない深刻な出版危機へとスパイラル的に歩んできた。それらをめぐる出版社、取次、書店の失墜状況は、最新の出来事を収録した今回の『出版状況クロニクルⅢ』を例として参照頂ければ、ただちに了解されると思う。

それらの詳細は読んでもらうしかないが、ここでひとつだけ記しておけば、出版物販売金額のピークは1996年の2兆6564億円、2011年は1兆8042億円と、この15年間で8522億円、つまり96年の3分の1近い売上高が失われてしまったことになる。

しかもこれは日本だけで起きている特異な出版危機であって、欧米の出版業界はこの間もずっと成長してきたのである。異常な事態とよんでもいいし、このような出版業界の凋落が古書業界に影響を及ぼしていないはずもないし、新刊、古本ともに含んだ日本の書物文化の危機の表れなのだ。 どうしてこのような危機的状況に陥ってしまったのかを追跡してきたのが6冊の拙著であり、それは1997年から2011年にかけての出版史の記録となっているはずである。そしてこの危機の追跡は現在でも継続し、毎月「出版状況クロニクル」として、私のブログ《出版・読書メモランダム》で発信している。

『出版状況クロニクルⅢ』はその最新の集成である。危機はさらに続いているし、まだしばらくは発信を止めることはできない状況に、私も置かれている。

ブログ
http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/

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自著を語る(74) 『わたしの小さな古本屋』について

『わたしの小さな古本屋』について

田中美穂

 倉敷で蟲文庫という古本屋をやっています。ある日突然の思いつきで、まったく未経験のまま開業したこの店の18年間の出来事を書きました。
 
 はじめてからもずっと「軌道に乗る」という言葉など、どこか遠くの世界のもののように思えていましたが、でも日々帳場に座り、自分の意図や思惑など軽々と越えていく本と人との不思議なめぐりあわせに半ば呆然としながら過ごしているうちに、なんとかご飯が食べられるようになりました。「継続は力なり」という、この月並みなセリフも、この店のことを思えば実感として受け止めることができます。

 当初、いただいた企画案には、独立を目指す女性の夢の後押しを、という方向性もあったのですが、現実が現実ですので、無責任なことは書くわけにはいきません。最終的に「こんなケースもありますよ」という、これまでのことをありのままに書くことに落ち着きました。  全体の半分ほどは、以前「早稲田古本村通信」というメールマガジンに連載していたものなどで、それらを補足する形で書き下ろし、まとめています。

 自分のことを自分で書くのですから、以前出した苔の本や、現在取り組んでいる亀についての本と違って、科学的証拠をおさえるべく資料の山にあたる必要もありません。比較的気軽な気持ちでスタートしたのですが、いざ始めてみると、これが一番大変なことでした。なにしろ答えはどこにもありません。

 「1、2年やってみて、ダメだったらやめよう」そんな、甘い考えのもとにはじめたというのが正直なところですが、いざ、はじめてみると、そして、続ければ続けるほど、いったい古本屋にとっての「ダメ」ということはどういうことなのかがどんどん解らなくなり、いまにいたります。だからこそ、古本屋というのは、ほんとうに面白いなと思っています。

蟲文庫
http://homepage3.nifty.com/mushi-b/

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自著を語る(73) 『痕跡本のすすめ』について

『痕跡本のすすめ』について

古沢和宏

「先日amazonで古本を買ったら、店主の見落としかびっちり書き込みがあっていらっときたけど、「痕跡本のすすめ」を読んでそれもありか、と思えるようになった」先日みた、ツイッターでのかきこみです。そういう声をみるにつけ、嬉しいと同時に、なんだか申し訳ないような気持ちにもなってきます。それは、この本が実は、僕の個人的な古本体験の記録、といっても過言ではないようなものだからです。

『「痕跡本」それは古本を買ってくるとたまに残っている、線などの書き込みや、メモ用紙等が挟まっていたりなどの、前の持ち主の痕跡が残された本の事。そこには、前の持ち主が本と過ごした時間が、ものがたりとして残されています。』

…なんて今回の本の巻頭でもさもそれっぽく説明をさせて頂きましたが、そんな風に思えるようになったのは、実は古本屋巡りをはじめてずいぶんたってからの事でした。古本屋にいりびたりはじめた大学時代、僕はろくすっぽ授業に出ないで古本屋通いを続ける日々。 でもその当時はただ、単に新本より安い、とか、新本じゃ買えなくなってしまった本が買える、とか、 古本に対してそんな程度の認識でしかありませんでした。だからその当時の僕にとって、書き込みのある本はたんなる読みにくい本でしかなく、 読み込まれた本は、ただのぼろい本、以外のなにものでもありません。古本のにおいは確かにその当時から好きでしたが、 できればきれいな本がほしいな、本棚映えのする本がほしいな、なんて考えながら古本屋通いを続けていたのです。

そんなさなか、とあるぼろぼろの本との出会いが、僕の人生を大きく変えます。
日野日出志著「まだらの卵」…。某まんだらけで100円でたたき売られていたこの本、表紙から千枚通しのようなものでめった刺しにされていました。 読むと指先がその傷跡にどうしても当たり、いやでもその存在を意識せねばなりません。 内容の気持ち悪さもさることながら、前の持ち主の、無言の破壊衝動がぶつぶつの感触からつきささり、 だんだんしびれていく背筋。いやだなぁと思いながらよんでいるうち、ふとその「いやだ」が、実はこの本でしか味わえない、 特別な体験である事にきづきます。 この「痕跡本のすすめ」は、そうして集めるようになった痕跡本の紹介とともに、 「まだらの卵」を始めとする痕跡本との出会いで変わっていった、僕の古本への思いがつめこまれています。 ここで総てを語りきる事はできませんが、でも一つだけ確実にいえることは、 おそらく「まだらの卵」と出会わなかったら、僕は古本屋になりたい、などとは思わなかったでしょう。

出版後、ツイッター等を通して、様々な方の声を聞く事ができるようになりました。 そんな中でも多いのが、自分が持ってたり、あるいは出会った痕跡本についての思い出話です。 ツイッター等で、決して僕へのメッセージとしてではなく、共感し、自分の思い出話として語られているその姿をみながら、 「あぁ僕だけではなかったのだな」とたまらなく嬉しくなったりしています。 「痕跡本」という言葉は、実は僕が勝手につくった造語にすぎません。 でも今回、こうしてそういう方々の声を聞くことができたのも、この「言葉」に負うところがたまらく大きい気がしています。 この本が、読んで下さる方の、古本体験のどこかの琴線に触れる様な事があれば幸いです。

五っ葉文庫 ブログ
http://ameblo.jp/itutubabunko/

プロフィール
古沢和宏
1979年生まれ、愛知県在住。「古書 五っ葉文庫」店主。
大学在学中から古本の魅力にはまりこみ、やがて「大切に読みこまれた本には持ち主との物語が刻まれている」ことに気づき、書き込みやよごれが残る本を「痕跡本」と名付け、収集するように。高遠ブックフェスティバルやブックマークイヌヤマなど、各地の古本市では、痕跡本の面白さを広く一般に広めるため、精力的にイベントを行っている。  

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自著を語る(77) 『日本地図史』について

『日本地図史』について

上杉和央

 お気づきの方もいるかもしれないが、『日本地図史』という題名の書籍は、すでに秋岡武次郎によるものがある。昭和30年(1955)に出されたこの本は、地図史の必読書のひとつに位置づけられるものである。それに対して、拙著は吉川弘文館の「日本〇〇史」シリーズに含まれるものであり、その枠組みに準拠したネーミングなので、奇しくも同タイトルとなってしまった。名前は企画上の問題だとして、どうかご容赦いただきたい。

 その上で、タイトルは同じでも、包含する内容については大きな違いがあることをお伝えしておきたい。秋岡先生の本は「日本地図」の「史」であり、いわゆる日本図のみを扱ったものである。それに対して、拙著は「日本」の「地図史」であり、日本図のみならず、世界図や都市図、荘園図、村絵図、さらにはカーナビまで、多種多様な地図の歴史をとりあげたものとなっている。その意味で、同音(同表記)異義のタイトルであること、ご了解いただければ、と思う。

 また、地図史の必読書は他にもたくさんあるが、拙著と同じような方向性をもって書かれたものとして、織田武雄著『地図の歴史』(講談社、初版1973年)をはずすことはできない。この本は実に多くの読者に支持され、何度も版が重ねられた。あちこちの古書店でその姿を確認できる本であり、ご存知の方も多いかと思う。現在も新書(2分冊)として刊行されるきわめて息の長い良書である。ただ、40年弱の年月を経て、やや内容に古さがみられるのも事実である。

 拙著では『地図の歴史』以降の研究の成果を取り込む形で、改めて「日本」の「地図史」を概観している。実際、この40年と言えば、古地図研究がきわめて大きな展開を遂げ、新たな視点から古地図がとらえられるようになった時期である。これらを踏まえた上で地図史を描けばどうなるのか。その小さな試みの結果が拙著である。それぞれの専門に合わせて古代・中世は金田が、近世・近現代は上杉が担当している。通読すれば、各時代の特徴も分かっていただけるのではないかと思う。

 『地図の歴史』は「日本」のみならず「世界」の地図史が語られており、その意味では二人がかりでようやく織田先生の視野の半分にしか到達しておらず、弟子・孫弟子としては恥ずかしい限りなのだが、ひとまず「今後の課題としたい」という常套句にゆだねておくことにしたい。
                                           (上杉筆)

『日本地図史』金田 章裕・上杉 和央著
   吉川弘文館刊 3800円+税 好評発売中
   http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b96127.html

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自著を語る(76) 自著紹介『死ぬまで編集者気分』

自著紹介『死ぬまで編集者気分』

小林祥一郎

1954年の秋、平凡社に入社して百科事典雑部門を担当した。百科事典には必須だが、各専門委員会の選定からもれた雑具雑貨などの項目の落ち穂ひろい役である。たとえば制度としての金庫について書く人はいても、物としての金庫、貯金箱、財布などについて書ける人を探すのは簡単ではなく、雑部門には委員会もなかったから、町に出かけて書籍や資料を仕込んだ。私の通勤先は四番町の平凡社と神保町の古書展街との往復になった。また業界にとびこんで雑学の博識を訪ねた。

民俗学では柳田国男さんが採集の学であった民俗学を現代科学として再編成することに腐心し、人類学では岡正雄さんや石田英一郎さんが戦後大学ではじまった新しい人類学教室の設計に奮闘中で、私はその建設中の姿をまぢかに見ながら勉強することができた。おまけに『新日本文学』の編集長もつとめ、二束のワラジをはいていたのである。

この百科事典は署名原稿だから、執筆者が見つからないときは小池文貞氏の登場となる。この署名は編集部原稿で、雑部門のほか民俗学・人類学も担当することになった小林祥一郎、風俗その他を担当した池田敏雄、家庭を担当する立石文子、内藤貞子の姓名の合成である。やがてテレビの普及がはじまる。どのメディアでもこの方面の人を見つけるのは困難とみえ、テレビ局から小池文貞さんの住所を教えてほしいという電話がたびたびかかってきたが、小池氏は完結と同時に急逝していた。

『世界大百科事典』は四苦八苦の結果、1955年に完結。売れ行きが今ひとつだったので、社をあげて拡販活動にあたり、政財界人や文化人、芸能界の人々によって「世界大百科事典を薦める会」が結成された。それは下中弥三郎社長を信頼するあの時代の政財界のふところの広さを語っている。

その後、二代目社長の下中邦彦氏が企画した『国民百科事典』が空前の大ヒットになり、好景気がつづく。前後して私は『日本残酷物語』のリライト編集や、グラフ雑誌『太陽』の編集長をつとめたが、『アポロ百科事典』の返品の山をみて、『世界大百科事典』が売れているうちに、単行本を編集しながら新しい百科事典を準備しようと構想した。のちに評判になった「社会史シリーズ」はその過程の出版である。しかしその間、平凡社は今でいうリストラに迫られ、『大百科事典』は編集が遅れで絵ぬきの百科事典になり、私は女性誌『フリー』の創刊などで再建をはかったが、これにも失敗して平凡社を1985年に退職した。後半の編集者人生は、「本つくり」というより、生き生きとした「編集の現場をつくる」ことだったが、結果的にそれも不成功だった。「失敗の出版私史」という所以である。

マイクロソフト社に頼まれた電子版百科事典『エンカルタ』は、人生最後の百科事典作戦だったが、2001年、71歳のとき退職した。しかし私は今も空想の図書館つくりを楽しんでいる。死ぬまで編集者気分と題する所以である。

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即売展の魅力(1) 古書即売会の魅力-未知の本に必ず出合える

古書即売会の魅力-未知の本に必ず出合える

日本古書通信社編集長 樽見 博

 「日本古書通信」総顧問八木福次郎が亡くなって2ヶ月余りがたった。昭和54年1月入社以来実に33年間もお世話になった恩人であり師匠でもあった。ここ10年ほどは雑誌の編集を任されてきたが、八木の意に叶う成果は上げられず忸怩たる思いが強い。最初の10年ほどは編集といっても何をどうすれば良いか全く分からなかった。八木を苛せることも多く、逃げ出そうかと考えたことも何度かあった。そこを何とか乗り切れたのは、満足には出来なくても仕事そのものは面白いし、事務所が東京古書会館内にあったため、金曜土曜の即売会と毎日開かれる市場を覗くことが出来たからだ、とはっきり言える。

 古本好きには神保町古書街や東京古書会館は聖地でありパラダイスだ。何十年も古本屋や古本探しを続けていても、ここに来れば初めて見る本や雑誌に必ず出会えるからだ。勿論それは稀覯本や金額的に高い古本とは限らない。しかしともかくも何年たっても未知の本が眼前に現れるのだ。  業者の市には、未知の本に価値を与え競争入札するというスリルがあるが、古書即売会の面白さは、長年探していた本や未知の本を一般人が直に手に取り確かめて買えるという魅力に尽きるだろう。古書価は、珍しさ、保存の程度、内容の良し悪しの三要素で決まるが、それは一般化した場合の話しだ。古本の持つ価値・魅力は実は各人各様で一般化は出来ない。文学書など明らかに初版尊重が顕著だが、内容が改訂された再版や装丁を変えた重版・異装本を探す場合は極めて多いのだ。日本の古本屋には現在600万件を越すデータが搭載されているが、1冊の本が持つ様々なバリエーションをすべてカバーは出来ていない。第一、現物を見ないことには確認出来ない。なにしろ未知の本を探しているのだから、その点はいかにデータが膨大になろうが無理なのだ。

 私は、ここ6年ほど昭和前期の俳人による戦争俳句作品・評論に関する資料を探してきた。純粋に芸術的であった俳人達が、戦争という状況に直面することで変貌していってしまう、その実態を当時の資料で辿りたかったのだ。中でも指導的な立場にある俳人は俳句入門書や理論書を大抵出しており版を重ねる本も多い。それらが戦時体制に統一されていく中で初版には無かった戦争俳句に関する記述を増補した改訂版が出される。あるいは句集にも戦争の色が徐々に濃くなって行くのだ。戦争俳句に関する論議は、当初、伝統俳句と新興俳句の論争の中で盛んに行われたのだが、いわゆる「京大俳句事件」という新興俳句への弾圧により終息する。以降、戦争俳句、なかでも戦地にある人々の作品は神聖なものとして犯すべからざるものになり、芸術的な論議の対象ではなくなる。その経過を辿るには、当時の俳句総合雑誌「俳句研究」や様々な俳句結社誌や同人誌に当たるしかない。しかも編集後記とか俳壇や同人消息など小さな記事が意味を持つ。逆に戦中に出された本から戦争色を消して戦後再刊された本もある。これらは現物を見て知るしかないのだ。日本の古本屋のデータだけでは分からないし、第一、戦前の俳句雑誌など極僅かしか登載されていないのが現状である。こうした資料探求の実情は、テーマを持って古本を求める人間なら誰でも共通なことだ。どんなに便利な世の中になっても最終的に資料は足と時間を費やして探すしかない。

 「日本古書通信」の編集を通して多くの古本好きに出会い、そしてお別れしてきた。彼らは若い頃や壮年期までは熱心に即売会に通うが、やがて古本購入は目録中心に変化していく方が多かった。時間の問題もあるが、収集が進むとなかなか満足できる資料に巡りあうことが少なくなっていく。最初に書いた未知の本に必ず出会えると書いた事と矛盾するようだが、希望する資料が少なくなるのは当然である。ただそこまでに達する収集家は極一部だし、買うべきものには出会えないことを承知で、なお万分の一の可能性を求め即売会に通う人も少なくない。新しい探求者や収集家は現れてくる。どんどん新鮮な商品を販売してくれれば即売会はずっと存在していけると思うし魅力は失せない。古本屋さんたちには頑張ってもらわなくては困るのだ。

略歴 樽見 博(たるみ ひろし)
昭和29年、茨城県生まれ。57歳。
主な著書『古本通』『三度のメシより古本!』『古本愛』(いずれも平凡社刊行)

  日本古書通信 http://www.kosho.co.jp/kotsu/ 

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自著を語る(78) 「定食と古本」自著を語る

「定食と古本」自著を語る

今柊二

「定食と古本」は、本の雑誌社の前著「定食と文学」の続編的作品です。前著では、文学作品等の中にあらわれた定食を紹介することがテーマでしたが、今回は「古本を買いつつ定食を食べる」ことが大きなテーマとなっています。

本書のなかでは神保町の定食ポイントが多く紹介されていますけど、これは「ナビブラ神保町」という神保町の公式タウンサイトに連載されていたもの(「定食ホイホイ」)をまとめたものに加筆したものです。神保町を訪れる人々は「本を買う」という大きなミッションがあります。そのためご飯を食べるところを探すことは二の次になったり、いろいろと店を探すのも面 倒だったり、さらには最初に入った店が結構居心地がよかったりして、新しい店を開拓しない傾向がある人もいます。 かく言う私も「いもや」「さぼうる2」などのヘビーユーザーだったんですけど、連載のこともあっていろいろと店に入ってみるようになりました。

それにしても、神保町は良い店が多いですね。あらためてそのことが良く分かりました。ただ、ちょっと残念なのは、新規開拓のため、かつてよく入っていた店になかなか入ることができなくなったことですかね。本当は一つの店にこだわって入り続けて、長い時間のなかでのお店の変化を楽しむのも、とてもステキなんですけどね。

 また、本書では全国の古書店と定食屋の訪問記録も掲載していますけど、これはまだまだ、やり足りません。特に神奈川・横浜の部分がスッポリと抜けています。これは実は考えがあります。本書の最後に私の自伝めいたコーナーがありますけど、四国から上京して住んでいたのが横浜で、首都圏での最初の古本彷徨の地でした。

ま あ、横浜の古書店のなかには思いいれの強い店もありますし、またなくなってしまった名店もいくつもありますから、そのあたりは定食事情と絡めて是非、本書の続編で記したいものです。あっ、後、海外(主にアジア)の古書店と定食のこともまだ書いていないので、こちらもいずれそのうちに。

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編集長登場(7) 週刊『図書新聞』について

週刊『図書新聞』について

編集長 須藤 巧

『図書新聞』の創業は1949年である。「硬派書評紙である」と書いて「ゴリゴリ・レビューである」と読ませる広告を、もしかしたらご覧になったことがあるかもしれない。かつては駅のキヨスクでも『図書新聞』を買えた時代があったが、そんな時代はとうに過ぎ、「たゆたえど沈まず」と言えればカッコいいが、どうにか、週刊の書評紙として発行を続けている。

 去年の3・11を受け、『図書新聞』ではいち早く、3・11を21世紀の思想の原点、既成の価値観の転換点として捉え、以後多くの論考・インタビュー・対談や関連書の書評などを掲載してきた。さる5月5日、日本の原発が全基停止したが、これは決してゴールなどではない。東京電力の「再建」計画に原発再稼動が条件としてあるが、つまり原発は私たちの「よりよき生」に貢献するのではなく、「カネ」に愚直に奉仕することしかできないのだ。私たちの欲望が「原子力国家」を生み出したならば、それを延命させるのも、終わらせるのも、私たち次第であることは言うまでもない。

 ところで、くまのプーさんは、ハチミツが大好きで、それを舐め尽くすまでやめない。ハチミツはだいたい壺に入っているが、なぜ壺に入っているかまで考えないし(そもそもプーさんは壺をつくれない)、ハチミツを保存しておくとか、舐め尽くす前に次のハチミツがどこにあるかを調べておいたりはしない。プーさんは、ハチミツを見つけると無我夢中になってしまい、周囲がまったく見えなくなってしまう。

 欲望にまみれ「原子力国家」を生み出してしまった私たちはプーさんとよく似ている。私たちは、甘いハチミツを舐め尽くす「悪癖」を治せないプーさんのような存在である。しかし、私たちはプーさんと少しは違う。まずあんなにかわいくない。そして、私たちは、反省したり、懲りたり、やり直したり、考え直したり、「よりよき生」を求めて行動できる。「ゴリゴリ・レビュー」を標榜し続けてきた『図書新聞』は、3・11のずっと前から、時代を生き抜いていくための一つの小さい光、「思想と行動」の糧となろうとつとめてきた。

 昨日があったように今日があり、その延長に無条件に明日があるだろうとは思えなくなってしまった――私たちはそんな時間、時代に生きているのではないだろうか。「3・11以後」を生きる私たちの糧となる紙面を、今後もつくっていきたいと思う。

(『図書新聞』編集長・須藤巧)

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編集長登場(6) 『葉山藝大BOOK-02 本に恋して』

『葉山藝大BOOK-02 本に恋して』

用美社 編集長 岡田 満

「葉山藝術大学」とは、2011年春、神奈川県葉山町に開校した架空の学舎です。ここに集う人たちには、それぞれの心に宿る様々な学舎の姿があるでしょう。性別、地域、年齢を超え、「ものづくりとアート」を視点に、「知性とユーモア」に沿ったイベントを自由に軽やかに体感していこうとする新しい発想の学舎です。とりわけ、次代を背負っていく若い人たちへの思いが、基本の理念です。

『葉山藝大BOOK』は、葉山藝大の基本理念を実際の形として世に残すため、その一方の柱として企画しました。「ものづくりとアート」にかかわる人や作品、事柄について、さまざまなジャンルで思索し行動する、清新な若い人たちの文章と写真等による発表と紹介の場、サロンです。「役に立つもの」と「美しいもの」の融合が、こうした中で実現していくことを願い、葉山藝大出版部として2011年秋より刊行を開始しました。

『葉山藝大BOOK』の特色は、「本」と「美しい本作り」に携わる人たちの言葉を本の構成の骨幹においていることです。数年前より葉山で開催されている一箱古本市やアートブックフェアで培われた「本」に対する思いを結実する形で、古書も新刊も含めた「本のこと」を、現在の視点で『藝大BOOK』の中心に捉えていくことが大きな姿勢と考えています。不定期に、また本のサイズや製本形式さえ限定せずに、年間二~三冊の出版を予定しています。それがこの自由な発想の学舎に沿った出版形態です。

昨秋の01号は「美しい本」と題して、本作りに携わる編集者・出版人・デザイナーの言葉を収録しました。今回の02号は「本に恋して」のタイトルにより、古書店店主のつぶやき、美術家によるイメージブック、出版余録等、約40名の文章と図版により構成しました。

「胡蝶本」「創元推理文庫」「小布施・まちとしょテラソ」「復刊ドットコムの活動」「加藤一雄余談」など、ジャンルを超えた書き手による清新な内容に溢れています。また本書全体を通して、映画、音楽、美術、文学、詩、ファッション、デザイン、写真、そして職人的・伝統的な仕事まで、現代のさまざまなジャンルで、よりよきもの、美しいもの、新しいものを目指して励む、「ものづくり」に携わる若き人たちの紹介、発表の場として捉えていることも大きな柱です。『葉山藝大BOOK』こののち、どうぞご支援ください。

編集代表・岡田満(用美社)

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編集長登場(7) 藤原書店 PR誌『機』の誕生

藤原書店 PR誌『機』の誕生

編集長 藤原良雄

 小出版社にとって、PR誌を出すことは、“夢”である。 学生の頃――今から四十数年前のことだが――『未来』(未來社)や『図書』(岩波書店)を定期購読していた。価格も手頃だし、中に面白いエッセーもあり、新刊案内もわかるといった一石二鳥どころか三鳥も四鳥もあるものであった。

 小出版社(新評論)に入社し、編集長になった頃、この“夢”が沸々と湧いてきた。しかし、それを実現するためにはいくつかのハードルをクリアせねばならぬ。まず、どういうスタイルにするか。『未来』や『図書』のようなA5判の表紙付きのフツーのスタイルにするか、どうするかという問題。次に、誰に送るか、購読してもらうか、何部位作るか、と次々に難問が襲いかかってきた。

 ここで考えたのが、従来のスタイルにこだわらないこと。新刊案内にちょっと毛のはえたものでもいいではないか、と。四頁でも八頁でも。それから、本の中にはさみ込める大きさ。それなら、結構部数は作って宣伝効果があるかもしれぬ。  これでできた第一号は、『新評論』の創刊号だ(一九八三・四)。新聞のプチ・タブロイド判の形である。下に、三八ッ広告を模して、当月の新刊を入れる。中は、すべてスタッフが編集長を取材して書いた記事だ。何故、この新刊を出版したのか、この新刊と別の新刊とはどういう関係があるのか等、編集部員が編集長に根掘り葉掘り聞いて記事にする、というスタイル。二、三年はこのスタイルが続いたが、その後、著者に原稿を依頼するという現在の形になった。

 藤原書店を創立後すぐに、隔月で『機』を創刊し始めたが(一九九〇・四)、スタイルはこのスタイルを踏襲した。当初は一六頁。次いで二四頁、それから現在の三二頁。もうこれ以上大きくなると、書物の形が崩れてしまう。毎月、二万部位作っているが、心ある読書人から、この『機』の記事についてのコメントをいただくと、やはり無理をしてでも、これまで約三〇年余作ってきた甲斐があったなと、つくづく思う昨今である。
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