『恩地孝四郎-一つの伝記』
池内 紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
|
恋のはじまりと似ていた。なんとなく気になる人、なぜか記憶にしみついた名前、オンチ・コーシロー。恩地孝四郎と書いて、時代劇にぴったりなのに、おそろしくモダンな仕事をしている。 「日本の版画」「近代日本絵画の秀作」「モダニズムの美術」「写真芸術の実験」・・・。 テーマはさまざまであれ、きまって恩地孝四郎作がまじっている。古書店の棚に詩集があったり、稀覯本コーナーでシャレた画文集を見かけたりした。
ドイツ文学のとかかわりで一九一〇年代ドイツの表現主義や、二〇年代の「バウハウス」の運動にわりとくわしい。 のこされた作品をたどっていると、やにわに恩地孝四郎が介入してくる。カンディンスキーが抽象画を始めたころ、二十代はじめの青年、恩地孝四郎が抽象版画をつくっていた。バウハウスの才人モホイ=ナジが写真芸術の試みをしていたころ、恩地孝四郎はフォトモンタージュやフォトグラム作品を発表した。ヨーロッパの動向をまねたわけではなく、造形のおもしろさを追求するなかで生まれたまでである。
それが証拠に、作品にはいっさい模倣やいただきモノのくさみがない。あきらかに一つの個性の刻印を受けて自立している。 自分ひとりの試みであれば、気に入った作品ができると、それでおしまい。 あきもせずくり返し、その分野の「権威」などにならなかった。 調べたり、考えたりしたことを「恩地孝四郎のこと」と題し筑摩書房のPR誌「ちくま」に十八回にわたって連載した。 つづいて本にする話が出たが、「中身がお粗末」と申しひらきをして断った。一九九六年のことである。連載分は長い眠りについた。
二〇〇二年、歌人・文筆家の辺見じゅんさんが幻戯書房をおこした。出したい本のなかに「恩地孝四郎のこと」が入っていた。連載中から愛読していたとか。出版を始めた人の常で、明日にも出したい口ぶりだったが、やはり中身の未熟さを申し立てて断った。そのかわり、創業十年のお祝いには、きっと満足のいく原稿をお渡しする・・・・・・。
口約束であって破るのは簡単だったが、辺見さんとは約束を守りたかった。十年にわたり親身に見守ってもらったからだ。 全面的に書き換えて、九年目の秋に渡した。いつも和服の辺見さんは、品のいい奥さまのたしなみで、胸元で合掌するように受けとった。それからちょうど一週間後、「辺見じゅん死去」の知らせがとどいた。
『恩地孝四郎-一つの伝記』は扉の裏に小さく「辺見じゅん氏に」の献辞を持ち、奥付の発行者も同じ名前をいただいている。 約束を守ることができたのがなによりもうれしい。 |
Copyright (c) 2012 東京都古書籍商業協同組合
|
古本屋ツアー・イン・ジャパン2012前半を振り返って
古本屋ツーリスト 小山力也
|
毎日ご飯を食べるように、ほぼ毎日古本屋に行く。そして一日中、まだ見ぬ古本屋や古本について考えたり、漠然と思いを巡らせたりしている。そんな風に日々を過ごし、誰に要望されたわけでもないのに、勝手に古本屋について調査&報告する“古本屋の申し子”と化して、早五年目。五年も続けていると、慣れて何とも思わないことも多くなったが、逆に困ったり苦しんだりすることも増えて来た。そのひとつが、“古本屋ツアー”を進めれば進めるほど顕著になって行く、“訪ねるべき未踏のお店”の欠乏である。もちろんこれは、私の居住地である東京近辺に限ってのことであり、東日本は北関東以北に、西日本は東海以西に、おびただしい数の未踏のお店を残している。しかし遠くに行くのにお金と時間がかかるのは、この社会の必然。遠征の連続は財政への圧迫を増大させる。なので相変わらず、ちまちまと関東でのツアーを基本に、週末&時間のある時に地方に遠征するパターンを繰り返し、どうにか日々の活動を継続している…。
と言うわけで目下の喫緊の問題は、訪ねるべきお店の少なくなったホームグラウンドの関東にあるのだ。まだ何処かに見逃しているお店があるに違いないのだが(こう言うお店を発見した時は、また格別な喜びが…)、最近は神保町・早稲田(残すところ後二・三店)・本郷三丁目(こちらも恐らく一・二店)を核にして、古本市・マイナーチェーン店・少しでも古本を置いてあるお店など、古本屋以外も大きく視野に入れツアーしている始末。しかしこれはこれで面白く、うどん屋・自転車屋・おもちゃ屋・アイス屋・レコード屋・古着屋・コイン&切手屋・チケット屋・ミュージアムショップ・喫茶店(カフェではない)・劇場・新刊書店など、意外なお店に麗しの古本が紛れ込んでいる、シュールな光景に胸をときめかせたりしている。
マイナーチェーンのリサイクル系古本屋も捨てたものではなく、細かく回って行くと、同系列なのに個々のお店で予想外の個性を獲得していたりしている。侮り難し、リサイクル系マイナーチェーン!と肝に命じ、軽んじないことを心掛けているのだが、本来の個人店舗な古本屋好きとしては、やはり燃えない部分があるのは、否めない事実なのである…。あぁ、もっともっと個性を発揮してくれれば…。
毎月、日本の何処かで必ず開かれている古本市については、ここ一・二年の隆盛には本当に目を見張るものがる。プロの市ももちろんのことだが、『一箱古本市』のように、素人(もしくは半プロ)の人たちが、自身を表現するために並べている本には、計り知れないパワーが秘められていることが多い。それが小さいとは言え、多数入り乱れ、通りすがりのお客さんが覗き込み、古本を介してやり取りをする。こんな単純な図式が、とにかく街を盛り上げる力のひとつにもなりえていたりする。さらにここから、プロの道に足を踏み入れ、ネット販売を始めたり、リアル店舗を開く人も現れる。本と言う物体が、人の生活にいかに深く関わっているか、古本市は今や、そんなことを改めて感じさせてくれる、古本界にとっても、大きなひとつの流れとなっているのではないだろうか。
さらにこれらの“苦し紛れツアー”の副産物として挙げられるのが、図書館の古本市や、福祉活動としての古本販売の発見である。チャリティーや、仕事を供給する場所として機能していることが多いので、意外な本が驚くべき安値で手に入ることもあるのだ。
とまぁ、このようにしてツアー先を血眼になってムリヤリ探し出し、日々どうにかブログをアップし続けてている。だから最近、地方のお店を訪ねることが嬉しくてならない。旅が楽しいのはもちろんなのだが、一番の理由はそこにはちゃんとした“古本屋さん”が待っているからだ。苦労してたどり着いた遠方に、その街に溶け込んだお店が、古本を蔵して待ってくれている。やはりこの体験は、私にとって何ものにも代え難い喜びなのである。日帰り仕事のついでにこっそり向かった「善行堂」。雪を踏み締め訪れた、気仙沼に復活を果たした「唯書館」。閉店してしまうため、一度は見なければと急襲した大阪「末広書店」。益子の変哲の無い田舎の住宅地に現れた「はなめがね本舗」。再稼働した火力発電所近くのアパートに潜むいわきの「瑞雲堂書林」。昭和の景色を冷凍保存した街・月江寺に満を持して開店した「不二御堂」。東京の古本市で店主とお会いした時に「伺います」と言ったので、約束を果たすために向かった岐阜の「徒然舎」…と喜びを、数え上げればきりがない。
後半戦も同じような行動パターンとペースで、時に大きく逸脱したりしながら、活動を継続して行きたいと考えている。その目標のひとつとして、前述した「伺います」と挨拶したお店(まだ二店残っている…)には、今年中に必ず行こうと心に決めた。話す相手が古本屋さんなら、私は『伺います』の言葉を、社交辞令には決してしない覚悟で生きて行くつもりである。
しかしそれにしても、北海道や東海以西の中部・近畿・中国・九州などにある大都市を調査するには、その都市に住み込まなければ、すべての古本屋を見つけることも訪ね切ることも、出来ないのではないかと、思い始めている…時々考え過ぎて、眠れぬ夜を迎えるほどに。一体どのような方策を採れば良いのだろうか。取りあえずは名古屋にでも移住して、そこを足掛かりに大阪や京都を………とこのように、私は日々、まだ見ぬ古本屋や古本について考え、思い巡らせているのである…。
『古本屋ツアー・イン・ジャパン』 日本全国の古本屋&古本が売っている場所の、全調査踏破を目指す無謀なブログ。お店をダッシュで巡ること多々あり。調査活動は今年でいよいよ五年目へと突入した。最近は「フォニャルフ」の屋号で古本市などにも出没中。
あぁ、それにつけても古本屋よ、古本屋よ…。
http://blogs.dion.ne.jp/tokusan/ |
Copyright (c) 2012 東京都古書籍商業協同組合
|
『図説 印刷文化の原点』について
松浦 広
|
日本では、年末になると新聞はもとより、週刊誌・月刊誌、テレビなどが「この1年を振返る」という特集を組み、「話題になったニュース・トップ10」などを挙げる。 古代から圧倒的に中国の影響を受けた我が国では「1年」もしくは「10年」の区切りでモノを考える。あるいは稀に「100年」の単位で考える。だが「千年」の単位で考えることはなかった(※注1)。おそらく1997年に国際的な写真誌『LIFE』が「ミレニアム特集(※注2)」を発刊したとき、<millennium>つまり「千年紀」という概念をすぐに理解できた日本人はきわめて少なかったはずである。
上記「ミレニアム特集」では、「どのような歴史を経て現代があるのか」を解明するため、数百名の学者・有識者・ジャーナリスト達が数ヶ月かけて、「EVENTS(出来事)」と「PEOPLE(人物)」のトップ100を選定した。 その結果、第1位は「ドイツ人グーテンベルクによる1445年の聖書印刷」であった。「コンピュータの発明」「パソコンの開発」「インターネットの開始」など、おそらく日本で選出したら間違いなく5位以内に入りそうな項目は1つも選ばれていない。ちなみに人物の第1位は「エジソン」で、こちらも日本人ならコンピュータの発明者、モークリーやエッカート、マイクロソフト社を創業したビル・ゲイツやアップル社を創業したスティーブ・ジョブスをあげるだろうが、いずれも100選から洩れている。
さて、第1位に選ばれた「ドイツ人グーテンベルクによる1445年の聖書印刷」だが、印刷業界も学会もこのニュースには意外なほど関心を示さず、反響もなかった。印刷企業に勤めていた私は、なぜ「このように重要なことに関心を持たれないのか」恩師・先輩・友人・同僚などに訊くと「ビジネスに結びつかないからだ」と言われた。つまり「カネにならない情報には関心を持たない」ということらしい。
本当だろうか。印刷産業は、かつて「印刷存處/文化在焉(印刷存る処に文化在り)」といって、文化産業の一翼を担うことに誇りを持っていた。なぜかそれが忘れられてしまったのだろうか。 だとすれば、印刷という仕事に誇りを持ってきた人達や、これから印刷に携わる若い人達に、ぜひ知って欲しい「印刷の歴史」や「印刷の文化」について紹介する必要がある。若い人達に「面白そうだ」と関心を持たれない産業は衰退してしまうからである。
そこで、これまでの「印刷関連の本」には書かれなかった、世界最古の印刷物である「百万塔陀羅尼」(ひゃくまんとうだらに)、国宝や重要文化財に指定されている印刷物、「印刷」という言葉を作った江戸時代の蕃書調所、あるいはビールやコーヒーなどと同じころにオランダ語から翻訳されたインキという名称などを取り上げて解説し『図説 印刷文化の原点』として上梓した。
著者の表現力や構成力、さらに校正力が至らないため、読解するのに難儀な箇所や、明らかな誤字などがあるが、その内容は、これまでに出版された凡百の「印刷」の本とは、一線を画すると自負している。
――この本は平成24年6月に日本図書館協会の「選定図書」に選出されました。
※注1
管子の一節に「一年の計は穀を樹うるに如くはなし/十年の計は木を樹うるに如くはなし/終身の計は人を樹うるに如くはなし」とある。中国ではこれを略して「十年樹木、百年樹人」というらしい。ものごとの時間を計る尺度が最大百年なのである。
※注2
正確に言えば「THE MILLENNIUM-100 EVENTS THAT CHANGED THE WORLD」つまり 「この千年紀で世界を変えた百の出来事」特集。
 |
Copyright (c) 2012 東京都古書籍商業協同組合
|
本郷の上り坂
吉川弘文館 営業部 久我貴英
|
本稿執筆を前に、創刊号(1995年1月発行)を読み返していたところ、巻末にある「創刊にあたり」には次のように書かれていました。
「二十一世紀を目前にして、いま時代は大きな変貌を遂げようとしています。その中を生きる私たちも歴史や文明についてさらに深く学び、考えることを求められているようです。こうした時代にあって、小社では来るべき出版新世紀に向け、ここにささやかながら、明治以来続けてまいりました「本作り」の営みにふさわしいPR誌を目指し、『本郷』を発行することと致しました。」
創刊から3年間の、年4回発行の季刊誌としての助走期間を経た後、隔月刊誌として成長を遂げてから早17年が経過。すでに21世紀を迎えてから10年以上を経た今年、7月号をもって通巻100号を達成できた本誌ですが、果たして創刊当時の〈志〉を、どれだけ読者に伝えることができているでしょうか。 さて、作家の永井路子先生に命名いただいた『本郷』という誌名には、小社所縁(ゆかり)の地名だけでなく、「本の郷(さと)」という思いも込めています。単に出版情報のお知らせにとどまることなく、本の持つ豊かな世界と〈知〉の広がりを読者に伝えていきたいと考えています。
現在、編集スタッフは5名。編集・営業・総務から部署間の垣根を越えて集い、月1回の編集会議を開いて、各号のラインナップを検討しています。 主な収録内容としましては、新刊書籍にちなんだ著者自身による歴史エッセイはもちろん、新シリーズや辞典など大型企画刊行の際には、対談などの特集も組みます。さらに、城好きにはたまらない大好評の「古城をゆく」をはじめ、多彩な文化人が紹介する「歴史のヒーロー・ヒロイン」や、新聞記者による「〈文化財〉取材日記」、創刊以来続いた「国史大辞典ウォーク」に変わり、新たにスタートした「明治時代史大辞典ウォーク」など、連載読み物もたっぷり。他社が刊行した歴史書の広告欄も充実しており、お手軽な歴史情報誌としてご愛読いただいています。
主な読者ターゲットは、邪馬台国・戦国武将・幕末維新などの人気テーマから、近年の仏像や城ブームまで、歴史を愛するすべての人びと。近年は話題の“歴女”などにもご好評いただいています。全国の学校・公共図書館や博物館資料室などの中には、本誌を閲覧できる施設もあり、また無料で配布している大型書店もございます。定期購読がご希望の方は、送料込年間1000円にて承っております。
小社社屋が建つ本郷界隈は、坂が多いことで有名です。私も毎朝のように、湯島方面から坂を登って出勤しています。本誌の編集担当も永く務めていますが、販売促進(PR)のための冊子づくりという宿命を背負い、これまた坂を登り続けています。今回、100号達成を節目に、冒頭の「創刊にあたり」にあるように初心へ帰り、さらなる充実したかつユニークなPR雑誌を目指して、これからも坂を登っていきたいと思います
 |
Copyright (c) 2012 東京都古書籍商業協同組合
|
「ロスト・モダン・トウキョウ」
絵葉書研究家 生田誠
|
ひとは、一生のうちで、どれくらいの数の風景を目にするのだろうか。
数といっても、動画のように流れる中で、とても数えきれるものではないだろう。だが、遠い記憶の中の風景であれ、何かの拍子に、ふと甦ってくるワンシーンがある。それが、私たちの体の中にどのように整理されて、仕舞い込まれているのか。手元にある膨大な絵葉書を整理しながら、そんなことを考えてみた。
そのきっかけになったのは、ある絵葉書の研究会で聞いた「記録と記憶」という話だ。たとえば、写真の中にある記録、本の中にある記録。そして、ひとの脳の中にある記憶。それが、アナログからデジタルへという、データ保存の移行に伴い、どんな風に変化していくのか。今はまだ、世間で行われるデジタル化の中でも、ほんの入り口でしかないのだと。
いささか前置きが長くなったが、私の著書は、そんな記憶の中にある東京の風景を一冊の本にまとめたものである。関東大震災の後、大正から昭和にかけてのメトロポリス、東京における失われた(ロスト)風景を、主に絵葉書と地図、そして文章で再現した。もちろん、ほとんどすべてが今は失われた風景の記録ではあるが、読者の皆様の中では、掛け替えのない記憶として生き続けているものも多いだろう。
こうした本のタイトルでは、「甦る」といったタイトルが付けられることも多い。しかし、今回、編集、デザインを担当してもらった若いスタッフとのやりとりで、教えられたのは、ある年代以降の方々にとっては、こうした風景が新鮮で、かつ刺激的なものであるということだった。簡単に、ノスタルジックと定義すべきではなく、ファンタスティックで、ダイナミックな魅力をもつ風景であることを示すべきだと。そういえば、かつての街の夜は、闇が深く、それ故に、明るいライトが鮮烈で、コントラストが際立っていたものだ。
大正から昭和にかけては、自動車や飛行機、そして、地下鉄やモノレールという乗り物が、日本に本格的に導入された時代だった。人々はその恩恵にあずかった一方で、馬車や人力車、そして、市街電車といった慣れ親しんだ交通手段を手放した。絵葉書の中で見る乗り物が、一部で再び復活しつつあることをうれしく思っている方もいるだろう。そんな方には、この本を手にとってもらいたい。そして、身近な記憶ではなく、過去の記録として見ていた方にも、この本で、古い風景の新しさを発見してもらいたい、と思っている。 (了)
 |
Copyright (c) 2012 東京都古書籍商業協同組合
|
『貸本屋、古本屋、高野書店』について
高野肇
|
周知の通り貸本屋は江戸時代から延々と続いている業種で、長い年月営業できたのも一般読者の裾野の広さにあった。読者は武士から町人まで草双紙、軍書、艶書、随筆などを好み、明治後期になっても江戸期に多く読まれた軍書などの焼き直しの講談本が貸本屋のドル箱となっていた。
高野書店は、神奈川県小田原市で、古本営業55年になりますが、本書は戦後の貸本屋時代から現在までを、小田光雄氏のインタビューに答えて本にしました。
昭和戦後の貸本ブーム時の貸本屋数は全国で3万軒と言われています。東京は3000軒ほど、地元神奈川は延べ800件以上を調査で確認しています。この渦中に、貸本屋高野書店は開業しました。本書の内容は、開業時のこと、貸本マンガの古書価、読者だった夢枕獏、小田原の貸本屋と加藤益雄、貸本屋の衰退、貸本マンガ家と出版社など、を話しています。 特に、戦後の神奈川貸本業界についても詳しく載せています。
貸本屋から古本屋へでは、郷土史資料専門店高野書店となるまでの道程や、神奈川古書業界の現状と問題についても語っています。 巻末付録の小田原市の貸本屋、しらかば文庫の旧蔵書目録(B6版稀覯古書マンガを含む1450点)は、貸本研究必見の資料です。
是非お近くの書店でお買い求めの程、よろしくお願いします。
 |
Copyright (c) 2012 東京都古書籍商業協同組合
|
『辞書の鬼』裏話
井上太郎
|
このたび春秋社より出版された『辞書の鬼』は、明治から大正にかけて活躍した、英文学者入江祝衛(一八六六-一九二九)の伝記である。彼については、これまで雑誌などに紹介されたことはあるが、一冊にまとめたのはこれが最初である。
私がこの本を書こうと思ったのは、二十年以上前のことだが、その動機は彼が毛筆でしたためた「辞書編纂苦心談」を、遺族から借りて読んだからである。それは実に変化に富んだ内容で、そこにはサムライ魂を失わない明治人が生きていると思った。
例えば苦学生時代に、本格的な英語を学びたいと、埼玉から東京の銀座の夜学校まで、往復五十六キロの道を毎晩走り続けたこと。長じてから数冊の英語辞書の編纂という膨大な仕事を、助手を使わず独力でやり抜いたことなど、明治人の執念は驚嘆のほかはない。しかも英語ばかりでなく、将来の日本文のあり方まで探り、『日本俗語文法論』なる著書も著わしているのだ。
彼は英語のほかにドイツ語、フランス語も学んでいる。特にドイツ語については、一時、「ドイツ語狂」と自らいうほど傾倒し、東北学院の教師時代には心理学の碩学ウィルヘルム・マックス・ヴントと親交を持った。しかしある時、ラフカディオ・ハーンの英語のすばらしさを知って再び英語に目覚め、明治四十年に初めて『註解和英新辞典』を上梓する。出版社は彼の弟が作った賞文館である。それに続き四冊の辞典を編纂しているが、後に出た復刻版以外、これらが古書市場に出ることは希らしく、ましてその第一作は、辞書専門の古書店主も見たことがないと言っていた。
私がこの最初の労作の存在をようやく見つけたのは、国会図書館の『明治期刊行図書目録』であった。手にしたその辞書の扉には、当時の権威の象徴である文部次官とか、東京帝国大学教授といった肩書きをつけた「おえらがた」の名が大きく並んでいた。しかし真の編纂者である入江祝衛の名は、小さく並記されているだけだった。けれども彼はこの辞書に自らの信念を扉裏に入れているのである。それは英語とラテン語で、「努力は何物をも克服する」というものだった。
 |
Copyright (c) 2012 東京都古書籍商業協同組合
|
即売会は「文脈棚」だ
書物蔵
|
拙ブログは「古本オモシロガリズム」を標榜しとります(`・ω・´)ゝ それはどのような本であれ自分の興味の文脈にひきつけて考えられればオモシロく読める、ということなんで(o^∇^o)ノ
最近は出版史方面へ転進しつつあれど、最初は図書館関係書をいかにオモシロく読むかに熱中しておりました。ただの図書分類表に「日本主義」的世界観を見たり、地味な目録法にトンデモ日本語処理を見たり、こっちがオモシロい枠組みを用意できさえすればオモシロく読めるちゅー……(^-^;) しばらく前からそうやって、戦時期「大東亜図書館学」の復活を目論んどるわちきであります(;´▽`A“
8年前、古い本を拾うため週末古書即売会に進出したのが、それからしばらく行くうちに即売会のさらなる醍醐味がわかるように(o^∇^o)ノ
よくデパート展とかでフツーの人が、「料理の本はどこ~?」とか店員さんに聞いていることがあるけど、即売会の本の並びは出店ブースごと独立だから、会場全体で図書館みたいな主題排架じゃないのだ(。・_・。)ノ で、フツーの人はそれを「不便」と感じもするけれど、実はそこが、わちき等みたいな古本ずきには好ましいことだったりも……(σ^~^)
即売会は決して脈絡なく本が並んでいるわけではなくて、むしろ脈はある、というか一部でハヤリの「文脈棚」というのかしらん(σ・∀・) 本の元の持ち主の問題意識や職業やら、はたまた陳列してる古本屋さんの専門やその周辺ジャンルやらが反映されててオモシロ(≧∇≦)ノ
業界人の追悼録とか(題名などからはわからない)、ぜんぜん違うジャンルだけど部分的に、あるいは読みようによっては斯業に役立つ本とか、機械検索では分からない文脈で本が並ぶことになるから、すでに知ってる本のとなりに並んでる知らない本を見る、ちゅーのが即売会がオモシロくなる第一歩かと(σ・∀・)σ
3年前、昭和12年に35部ほどしか刷られなかった趣味誌『雑誌愛好』第10号を拾ったのも神保町の即売会。近代文学を専門とする扶桑書房さんの、即売会2日目のスカスカに空いた棚にひとつだけポカリと置かれていたもの。これはいわゆる書誌というジャンルの出版物で、扶桑さんの専門、文学書の周辺領域だったから安かった。けど、わちきにはものすごく役立つもんだったことが後で判明o(^-^)o 戦前の雑誌研究史や、後に入手せる『全国主要都市古本店分布図集成』(昭和13年版)へ至る道でもあったのだ!`・ω・´)o
これなぞキチンとしたコレクターシップが成りたつジャンルのお店なればこそ、ポカリと周辺に置かれるのでありますなぁ(*´д`)ノ
古書即売会ちゅーのは、やや広めの知識と、自分なりの問題意識、それから、ちょっとした技法さえ身につければ未知のオモシロ文献に巡り合える「本のワンダー・ランド」なのだヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャ |
Copyright (c) 2012 東京都古書籍商業協同組合
|
(訳書を語る) 自由を賭けた出版人の闘い
高村幸治
|
アンドレ・シフリンの名前は知らずとも、数年前に大きな話題をよんだジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)のことを記憶している人は少なくないのではないだろうか。本書の著者シフリンは、ダワーの長年の盟友であり、この『敗北を抱きしめて』を世に送り出した編集者である。
ダワーに限らず、シフリンが編集者として介在することで、アメリカで、また国際的にその価値を認められるようになった執筆者や作品は、知識人図鑑ができるほど多彩で、枚挙に暇がない。
シフリンは、言語学者として知られていたノーム・チョムスキーが偉大な平和思想家であることを発見し、その著作活動を全面的にバックアップした。シフリンが介在していなかったら、チョムスキーの国際的な名声もきっと今と違っていたものになっていただろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーの存在の大きさに早くから気づき、アメリカの知識社会への橋渡しをしたのもシフリンだった。閉鎖的なアメリカのアカデミズムに風穴を開け、ヨーロッパ発の刺激的な新しい知を紹介し、アメリカの学問状況を活性化させた。
一般に地味な黒衣だと思われている編集者だが、シフリンは、内外の数多くの優れた執筆者を次々と発掘し起用することで、新しい時代、新しい文化状況を切り開いていった。戦後ある時期のアメリカの出版文化が輝いて見えるとするなら、読者は、そこにこの名プロデューサーの存在があったことを知るはずだ。
ナチによる迫害、亡命、貧困、赤狩り、出版界の変質と馘首…と、シフリンの歩んできた人生は、決して平坦なものではなかった。本書は、同時代の政治的、社会的、文化的課題と格闘し続けてきた一人の出版人の自伝であり、きわめてオリジナルな、すぐれた現代史の証言である。「自由の名の下に、自由であることを許さない社会」へと変質して行くアメリカへの批判は痛烈であり、さまざまなことを考えさせずにおかないきわめて示唆的な著作である。
アンドレ・ジッドやマルタン・デュガール、ハンナ・アーレントらとの交流など、巧みな語り口で紹介される、知られざる多くのエピソードは、読む者を飽きさせることがないだろう。
 |
Copyright (c) 2012 東京都古書籍商業協同組合
|
『明治期北海道映画史』
前川公美夫
|
①チンドン屋同士が路上で出くわしたときはどうする? ②啄木が活動写真上映中の芸者の態度に苦言を呈する記事を書いたが、その小屋に掛かっていたのは芝居だった。記事は啄木の捏造?
この2件はいずれも明治末期、北海道は釧路で起こった出来事である。前者の答えは「お互いが通り過ぎるまで鳴り物は休む」なのだが、このときは一方がさらに高らかに音を出し続け、殴り合いが起こって警官が出動する騒ぎとなった。
後者については啄木捏造説にかなり傾いたのだが、作り話だったら地元の人にはすぐにばれるし、啄木がそんなことをしなければならない理由は思いつかない。芝居の上演に、活動写真はどう絡んでいたのだろう…。 『明治期北海道映画史』は、ちょっと面白そうなこんな話もありはするが、中心をなしているのは明治30年からの16年間に北海道(および樺太)で活動写真の上映がどのように行われていたかの記録である。
記述のほとんどは当時の新聞に基づいている。見得る限りの新聞はすべて調べたが、まだ刊行されていなかったところが多いし刊行されているまちでも数年間欠号といったことがあったりして、上映全体から見た捕捉率は高いとは言えない。でも、断片的であれ小さな集落での上映も拾えたから開拓期の北海道で相当量の上映が行われていたことは確かで、当時の北海道に映画という文化の波が、中央から遅れることなく、またくまなく届いていたことに驚かされる。
明治も末期になると都市には常設館ができるようになるのだが、調査対象期間中の上映の大半は、本州勢であれ地元勢であれ、巡業隊によるものだった。
前著『頗る非常! 怪人活弁士・駒田好洋の巡業奇聞』(編著。2008年、新潮社)の原稿に目を通していただいたある映画研究者は私のことを、「興味は興行面にあるようですね」と見抜いた。北海道新聞社で音楽事業に携わってから記者となって専ら文化面を受け持って来た私にとって、それまで手掛けていた音楽史から映画史へという移行は自然な流れなのだが、映画の専門家には不思議に映ったようだ。
本書のどこかに、そんな研究者たちのそれぞれのテーマにつながるものが潜んでいたらうれしい。
 |
Copyright (c) 2012 東京都古書籍商業協同組合
|
Just another WordPress site