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自著を語る88 『書評紙と共に歩んだ五十年』

『書評紙と共に歩んだ五十年』

井出 彰

 週間の書評新聞を刊行しているのに、その週の内に刷り増しして、書店に直接持ってゆく、なんて時代が時代があったことを信じる人が今、いるだろうか。六〇年代から七〇年代はじめ、三島由紀夫の自決、ベトナム戦争、浅間山荘の籠城、よど号のハイジャック、11・21新宿騒乱罪などの事件を背景に新聞は売れに売れた。そんな時代に私は「日本読書新聞」に入社した。まるで会社というより、全国で揺らいでいた大学の延長のような雰囲気だった。わずか一年後に編集長となった蒼白き世間知らずの青年の、良くも悪くも人生の価値観を決定してしまった。

吉本隆明と花田清輝の有名な論争をはじめ、埴谷雄高、竹内好、橋川文三、村上一郎、谷川雁等々、挙げれば切りがない。六〇年代、この国の言論界をリードしてきた人たちが、こぞって、ここを舞台に自分たちの主張を展開してくれていた。書評紙の出発点は戦争の足音が聞こえてきた1937(昭和12)年、当時の帝大新聞を拠り所に反戦の論陣を張っていた、学生たち、のちに哲学の祖といってもいい三木清、戸坂潤らが国からの弾圧に、では自分たちで広告をとって刊行すれば文句はないだろうと発刊をはじめたことにある。その余韻余波がずっと続いていたのだ。

 しかし、高度成長からバブル期を通って今日にいたるに及んで、人は、いや思想ももの書きも商業化、芸能化の途を辿ることと反比例して、書評紙の発行部数は激減していった。  編集者生活の出発点でこんな時代に遭遇した男は、不器用だった。時代と共に曲がり切ることが出来ずに、ただまっすぐに歩き続けるだけだった。一人去り二人去り、やがて誰もいなくなった。男は出来もしない金繰りをやり、まっすぐな道でさみしい、などと山頭火の句に自分を重ねて悦に入り、酒を浴びては、同じ道を辿っている「図書新聞」に移り、足掛け五〇年になる。時代を背負って同伴してくれた出版社、竹村一の三一書房、石井恭二の現代思潮社、社会思想社、小澤書店等は姿を消している。今日の思想雑誌の魁をなした「伝統と現代」「技術と人間」もない。

かつて、書評文化のない文明国などない。欧米並みの書評紙を造ってやると、嘯いていた青年も、今や目がかすみ、肺に穴があき、足を引きずりながら酔いどれて、今にも沈みそうな泥舟の水を一所懸命にかき出し続けている。バカは死ななきゃ治らない男の半生記である。
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『書評紙と共に歩んだ五十年』 井出 彰 著
 (論創社刊、定価(税込):1,680円)
   http://www.ronso.co.jp/

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自著を語る番外編 『なにわ古書肆 鹿田松雲堂 五代のあゆみ』

『なにわ古書肆 鹿田松雲堂 五代のあゆみ』

柏木隆雄

昨年11月末に和泉書院から出版された『なにわ古書肆 鹿田松雲堂 五代のあゆみ』について「自著を語る」と題すれば、文字どおり自著を「騙る」ことになる。本書の著者は19世紀半ばから百年もの間、大阪船場で5代続いた松雲堂4代鹿田静七の長女四元弥寿さんである。私は彼女の稿を少しばかり整理したに過ぎない。

古稀をすぎて実家松雲堂の事績をまとめにかかった弥寿さんは、80歳の折、中之島図書館の『近代大阪の輝き展』(平成17年)で鹿田松雲堂関係の典籍が展観されるや、ますます力を入れて家に残る資料を繙くとともに、縁故の人々に聞き合わせて86歳逝去の時まで細かに綴られた。その稿の首尾を整え、それに関わる原資料を添えれば、大阪の出版・古書肆文化が浮かび上がるのではないか。編集にあたった私たちは鹿田本家から四元家に預けられた明治23年以来の古書カタログ「書籍月報」や「古典聚目」の揃いや古典籍を前に目をみはり、息を呑む思いでその整理から始めた。以来刊行に至るまでのこの1年余は、著者の長女山本はるみさんの大奮闘や長男大計視氏の全面的協力を得て、忙しいながらまことに楽しい時を過ごすことになった。

資料の漢文訓読にあたった合山林太郎大阪大講師や2代古丼の「思ゐ(ママ)出の記」、3代余霞の未公開の日記などの翻刻や注記に力を尽くされた山本和明相愛大学教授、それにお二人を仲間に誘うとともに常に的確な道筋をつけられた飯倉洋一大阪大教授には感謝のほかないが、皆さんそれぞれ大好きな古書のことに携わる楽しみを満喫しておられたようにも思う。本書をお読みになれば、私たちが味わった楽しさを理解していただけるに違いない。

たとえば口絵第1頁にある大塩平八郎市中施行券引札(天保8年)の写真。大塩が蔵書を売って貧民の救済に当ったのは有名だが、この引札は売り立てを取り計らった本屋が、引札と引き換えに1朱(16分の1両)を渡すとする證文で、1万人に配ったと称する。合わせて600両を超す大金となり、大塩がいかに良書を擁していたかも知れ、売り立てた金子は本屋がそのまま預かって庶民に配ったわけで、それを軍資金としたという通説も再検討したい気持ちになる。

また3代余霞の日記は2代の養子になる以前の店員として主人と行を共にしての購書の旅や蔵書家のありようなどの興味深い記述ばかりでなく、結婚して後の家庭人としての心配りなどもその人となりを偲ばせて胸を打つ。また日清戦争時の記録は、一庶民が戦争をどう見ていたか、新聞記事に影響されるところもあるが、率直な戦争の推移を見る目も歴史の証言として貴重だ。

表紙見返しに掲げる昭和10年代の船場の地図は60歳の弥寿さんが同級生に聞き合わせ、また記憶を頼りに写し取ったものだが、その精密さに驚く。裏表紙見返しの明治41年と昭和3年の東西古書肆番付も古書店ファンには見逃せまい。そのいずれの番付にも西の大関、横綱は鹿田松雲堂となっている。東西合わせて栄枯の跡を番付から辿ってみるのもまた一興だろう。 なお本書については忘却散人のブログに詳しい記述がある。ご覧いただければこの稿の不足が補われよう。
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『なにわ古書肆 鹿田松雲堂 五代のあゆみ』 四元 弥寿 著
飯倉洋一/柏木隆雄/山本和明/山本はるみ/四元大計視 編
  (和泉書院 定価2,625円)好評発売中!
http://www.izumipb.co.jp/izumi/modules/bmc/detail.php?book_id=48118&prev=released

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自著を語る91 『図書大概』について

『図書大概』について

大沼 晴暉

 このほど汲古書院より刊行した『図書大概』の内容は、林望氏のほめ言葉を爆弾の如く炸裂させた広告と、その上層にのせられた目次とに尽くされていよう。

 ただ、私が書物を見る上で常に心掛けているのは、物としての本、云わば物体、民具としての本なのだ。

 そこで、
第1章で、図書と他の文献との比較を行い、
第2・3章 物としての本を成立させている要素である容れ物、形態、外形と内容と      の連関に及び、
第4章 内容を記述する文体や漢字・片仮名・平仮名の関係に触れ、
第5章 日本の印刷の歴史と、
第6章 図書の調査の仕方とを略述した。

 物はどんなに佳い物であろうと、それ一点だけでは何の存在意義も持たぬと云ってよい。他の物と比べることによって、その存在意義や価値は定まってくる。

 博物館の鎌は一点のみでは何も語らないが、100点集まれば、その100点を比べることによって、地域性、時代差、用途、使い方など自ずと分かってくる。
 図書もその基本は比べ考えることだ。本書はただそれだけを、愚直にくり返し述べたものだと云ってよい。
 概説だけでは抽象に過ぎ分りにくいので、後半は250点ほどの図版を用いて、具体と実用とに意を注いだ。
 その図版も全国の図書館・文庫の資料に広く眼を向ければ、もっと佳い実例や写真は幾らでもあったであろう。だが現実にそうできない事情は図版写真の掲載料で、一点一万五千円もする図版を250点も掲載していたのではとてつもない高価な本になる。そこで学術書や紀要類に掲載する場合、刷部数も少ないこととて現所蔵者が考慮してくれるが、一般の営利出版ではそうはいかない。
 本書の図版を私の属していたもとの職場(斯道文庫・慶應義塾)のもののみに限った理由はそこにある。こうした所蔵者の厚意なくしてはこの本はまず出来なかったであろう。

 索引をほめてくれた人がおり、自分の必要もあって繰った折、試しに読み直して駭いた。誤植-近頃はむしろ誤変換と云うべきか-が少なからず見つかったのである。急いだとは云え、これほどとは思わなかった。
(誤)-(正)
449ページ下段 後5行目 本活-木活
           後1行目 禁合-禁令
457ページ 2段 10行目 影字-影写
460ページ上段 後1行目 標柱-標注
本文  47ページ 6行目 糸編-糸偏 (以下2項 佐藤道生氏)
81ページ 8行目 大学守-大学頭
128ページ 後2行目 流盛-隆盛 (延広真治氏)122ページ 後6行目にもあり
193ページ上4行目 寛永九年-寛永九

 まことに世に誤植の種は尽きない。どうか皆さんも一冊購入して誤植を捜し出して下さい。

taigai
『図書大概』 大沼晴暉 著
  汲古書院 定価 本体8,000円+税
 http://www.kyuko.asia/book/b106210.html

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sekai

自著を語る90 『本の世界はへんな世界』

『本の世界はへんな世界』

高宮 利行

先日、本書を読んだ先輩が電話をかけてきて、はなから「神保町は世界遺産に登録すべきだね」と言いました。なるほど、横浜中華街の中華料理店の数より、神保町一帯で営む新旧の書店の方が多いといわれます。ギネスブックに登録されているかどうか詳らかにしませんが、同種の店がこれだけ集まっている地域は、世界広しといえどもここしかありません。しかもこれら書店の中身を知ると、さらに驚かされます。能の謡本、戦争関係書、音楽、演劇、豆本などに特化した専門店から、高いビルの総合書店まで、内容も規模もさまざまです。そして、これらの書店の活動を、和漢書だけでなく、ナポレオンにも、ゲーテにも、シェイクスピアにも造詣の深いコレクターや愛書家が支えているのです。こういったユニークな書物文化を育んできた神保町は、たしかに世界遺産にふさわしいのではないかと考えられます。

さて、本書はここ15年ほど、国際学会や国際プロジェクトの際に出かけた欧米の都市で、古書店員や図書館員や大学人と交わって得た知遇や、洋古書との邂逅について得た体験をつづったエッセイ集です。私の専門は中世英文学や西洋書誌学ですが、英米で培ったネットワークはより広範囲にわたっていますので、これを利用した「古書を訪ねて三千里」の記録だとお考えください。

本書冒頭に元気な神保町の姿を例示したように、私の古書体験もそこを起源にしています。忙しい中を縫って、書店や古書会館に足を踏み入れると、図書館とはいささか雰囲気の異なる書物文化を味わうことができます。学生たちを連れて古書ツアーを実施する場合があります。授業を休まなければならない場合に、フィールドワークと称する書物体験をしてもらい、これはと思う戦果を翌週の授業で紹介してもらうこともあります。

その結果、週に一度は神保町を逍遥する学生も現れて、廉価な良書を入手する若者も増えてきました。もちろん、ネットや古書目録を利用することも教えます。しかし、古書はやはり現物を手に取る必要がありましょう。

どのページからでも結構です。本書を一読すれば、愛書家それぞれの本の見方にお役にたつことがあるかもしれません。まずは「世界遺産候補」神保町に足を運びましょう。書店も、喫茶店も、餃子やインドカレーがおいしいレストランも待っていますから。街頭に無造作に晒された廉価本の箱の中から宝物が見つかるかもしれません。もっとも、少しの時間と我慢強さが必要かもしれませんが。
sekai
『本の世界はへんな世界』高宮 利行 著
 (雄松堂書店 定価2,940円)好評発売中!
 http://www.yushodo.co.jp/press/hon_no_sekai/index.html

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自著を語る89 あきのの帖-良寛禅師萬葉摘録-「幻の良寛」現る

あきのの帖-良寛禅師萬葉摘録-「幻の良寛」現る

萬羽軒 萬羽啓吾

越後人にとって良寛は特別な存在です。私も越後出身ゆえか、いつの頃からか郷里の偉人「良寛」に畏敬の念をもつようになりました。 それは今から三十数年前、東京国立博物館で良寛の書いた般若心経を間近に見た時からだったように記憶します。青年時の衝撃的な感動というものは人の一生を左右するほどの力があるようです。この日以来、頭の片隅には必ずといっていいほど良寛の書がチラついていました。“魅せられてしまう”とはこのことなのでしょう。いつかは良寛の書を手にとってじっくり見てやろう、そんな夢を密かに抱いたものです。

時は移り、良寛の和歌に深く興味をもちはじめたころ、良寛が万葉集の歌を抄出した「あきのゝ」というものの存在を知りました。そして近年には縁あって、「もう一つある」と言われてきた「あきのゝ」と出会うことができたのです。奇縁とはこのことをいうのでしょう。青年時の夢が叶ったわけです。出版しないわけにはいきません。

そもそも「あきのゝ」とは、良寛が自ら好む万葉の歌を女手で抜き書きしたもので、はじめの歌の出だしが「あきののの・・・」なのでそう呼ばれているものです。かつて写真版として複製された安田靫彦旧蔵の「あきのゝ」いわゆる「安田本」に対し、このもう一つの「あきのゝ」は竹内俊一が旧蔵者であることから「竹内本」と呼ばれてきました。竹内本と安田本、この二つは似て非なるものです。仮名のくずし方や行の配列、そして墨汚れまで同じ瓜ふたつのものですが、竹内本の歌数は安田本より多くあり、安田本にある不整な文字が竹内本にはありません。

そして読み方にも筆致にも違いがみられます。これらの差異や両者の来歴を考証して比較したところ、竹内本は安田本の原本であるという結論に達しました。実はこの二つの「あきのゝ」は、どちらが原本であるかということについては過去に意見が大きく分かれ、「竹内本」を原本とする説、そして、まったく逆の説、つまりこの「竹内本」が「安田本」の写しであるというふたつの説があります。原本なのか写本なのかが二転三転しているのです。 私は越後人としてこの論争に終止符を打つべく本書出版に踏み切った、と言っても過言ではありません。 今回、池田和臣氏の解題を得て全容を写真版で公表し、その是非を広く世に問うわけですが、その先は読んでのお楽しみ。

この「あきのの帖」が、読売新聞に掲載された-良寛直筆のひらがな 専門家「可能性高い」-の見出し通りのものならば、まして真筆ならばなおさらのこと、今後の良寛の書の研究や万葉集研究に大いに役立つことでしょう。とにかく良寛の最善本の出現を皆で喜ぼうではありませんか。
akino
『あきのの帖 良寛禅師萬葉摘録』 池田和臣 萬羽啓吾 編著
 (青簡舎 定価 本体9000円+税)好評発売中!
  http://www.seikansha.co.jp/pc/contents22.html

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学芸員登場(1) 『帰ってきた 寺山修司』展覧会について

『帰ってきた 寺山修司』展覧会について

世田谷文学館 学芸課 佐野 晃一郎

寺山修司(1935~1983)が去ってから30年、戯曲の再演や映画上映など多くの関連活動がなされ、新しい世代を中心とした寺山ファンは、今も増え続けています。また、中学や高校の教科書にその作品が掲載されるなど、寺山文学は10代の思春期の感性に、時代を越えて語り続けており、その作品の普遍性が新たな読者を獲得していくのです。

寺山修司は、18歳で「短歌研究」新人賞を受賞し、歌人としてデビューしました。その後、「俳句」や「短歌」の定型の枠を乗り超えるように詩作を開始。歌謡曲の作詞や放送詩(ラジオ)へと活動ジャンルを広げました。30歳を前後する1965年から1968年頃にかけては、世田谷区下馬に移り住み、横尾忠則や萩原朔美らと演劇実験室「天井棧敷」を設立します。その後は、10代から20代にかけての創作活動の基盤であった俳句や短歌から抜け出し、長編小説や戯曲、評論など新たな執筆活動を交えながら、演劇や映画といった芸術ジャンルへと移行していくのです。

近年、これまで語られてきた、寺山修司の文学的成長過程の定説を覆す、新たな資料の発掘が続いています。今回の展示資料には、関東では初出品となる中学時代の同人誌「白鳥」(青森県近代文学館蔵)や、高校時代の友人に宛てた書簡(俳句誌「牧羊神」関連資料)なども含まれています。  時を越えて読み継がれる言葉があります。展示室は、10代の寺山のメッセージで溢れています。若いご来場者が多いなか、新しい読者はどのように寺山作品を受け止めてくれるのでしょう。

最晩年の映画作品である『さらば箱舟』には、「百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」というセリフがあります。きっと、没後100年の節目にも、寺山修司は私たちのもとに帰ってきてくれることでしょう。そして、来るべき時代の読者と寺山とをつなぐのは、<思春期の感性>ではないでしょうか。
terayama
会場:世田谷文学館(東京都世田谷区南烏山1-10-10)
会期:2013年2月2日(土)~3月31日(日)
開館時間:午前10時~午後6時(展覧会入場は午後5時30分まで。月曜日は休館)
電話:03(5374)9111
http://www.setabun.or.jp/

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自著を語る93 1本の青い傘を届ける旅

1本の青い傘を届ける旅

北條一浩

 昨年12月、『わたしのブックストア』という本を出した。大型書店とネット書店が増え、町の書店がどんどん消えて行くなか、それでも経営を続けている店は、いったいどんな人が、どんな工夫と思いでやっているのか、取材して歩こうというものである。  要点は2つあった。新刊書店と古書店を区別せずに扱うこと。「店」と同等もしくはそれ以上に「人」(店主)について書くこと。フルカラー128ページという体裁からわかるように、ガイドブックの様式を採りながらも、写真だけを見てもらえばよいというものではなく、テキストもしっかり読まれるものにしたかった。

 21の書店を最大公約数的に語っても意味がないが、共通点として強く感じたのは、個を個として提示するのではなく、店にやってくるお客さん、友人、土地や場所の記憶、動きなど、雑多な要素をうまく消化して棚に反映した店こそが魅力的だ、ということだった。  ささやかな、しかし忘れられない出来事がある。最初の取材先だった倉敷の蟲文庫を出る時、ちょうど雨が降ってきて、店主の田中美穂さんが傘を貸してくれた。「んー、普通のビニ傘とかのほうがいいですかね?」。ちょっと笑いながら田中さんが差し出した傘の色はあざやかなサックスブルーで、たしかにおっさんが差すにはいささか派手ではあったけれど、照れくさいくらいがいいという気がして、「いや、それがいいです、いただきます」と。

 で、それから少し経って17番目の取材先である仙台の火星の庭に行く時、またその朝が雨模様だった。最初は、いつ失くしてもかまわない透明のビニ傘を手にしたけれど、「そうだ、あの時の」と思い直し、サックスの傘を持っていくことにした。

 東北新幹線に乗り、宇都宮、福島と北上していくにつれ晴れ間がのぞくようになり、「傘、要らなかったな」と思ったその矢先。把手のところに引っ掛けてブラブラしていた傘をなにげなく見ると、柄の部分になにやらマジックで字が書いてある。すべて、ひらがな。あれ? これってもしかして……。

 それは火星の庭の店主・前野久美子さんの娘さんの名前だったのだ。前野さんと田中さんは交流があり、前野さん親子が蟲文庫を訪ねた際に忘れていった傘だったのである。そして田中さんもまた、そのことをすっかり忘れていた(そりゃそうだろう)。それがめぐりめぐって、自分が預かって、代わりに返しに行く格好になった、というわけである。

 「そういうことか」と新幹線の中で合点した時、気持ちのなかにもあかるく射してくるものがあった。しんどいスケジュールだけれど、この本はきっと、幸福な本になるに違いない。たぶん、うまく行くだろう。

 そしてほんとうに、そのとおりになった、と思う。この場を借りて、すべての店主の皆さま、読んでくださった方々にお礼を申し上げます。
bookstore
『わたしのブックストア あたらしい「小さな本屋」のかたち』
北條 一浩 著  (アスペクト 定価1,680円)好評発売中!
http://www.aspect.co.jp/np/isbn/9784757221635/

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自著を語る92 『貧乏暇あり 札幌古本屋日記』

『貧乏暇あり 札幌古本屋日記』

須賀章雅

「札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます」という端書きのあるブログ日記を書き始めたのが、もう八年前のことです。このブログが奇特な(実は目利きと信じているのですが)編集者さんの目に留まり、この度書籍化されたのが本書でございます。

 中身は2005年から2011年に亘る日録。この間に書かれた日記がほぼ2150日分あり、そこから約14分の1の155日分を選んで、修正、補筆の上、七年間の私の人生をぎゅっと絞り込んで335頁に詰め込み、お買い得な一冊に仕上げました。出来上がってみると、悔恨と貧困、回想と妄想に彩られた、危うい綱渡りの、だが、ゆるーい日常を綴った赤裸々な古本屋長篇ドキュメントになったのでは、と思っております。  古本屋と申しましても、十数年前に実店舗を撤退した後は通販専門となり、アルバイトをしながら食い繋ぎ、今日まで奇跡的に生き延びて来た次第です。

 札幌の業者市場、古本市、お客さん宅の蔵書整理など、自分と自分の周囲の古本屋事情のみを記述してきたつもりですが、発売約二ヶ月が経過し、思いがけなくも、いくつかご感想も寄せられております。「家中が本だらけで押し入れに寝かせられている奥さんが気の毒」、「『うどん、ナットウ、冷水、ミニあんパン、カフェオレ』などという奇怪な食生活」、「古書業者の交換会(市場)の様子や古本屋経営がリアルに描かれている」、「冒頭から爆笑の連続」、「古書業界の実態とそこでもがく古本屋さんたちの姿が描かれていますね」、「古書業界の流れ行く風景をスナップ写真を撮り続けるように記している」などなど、ほお、そうでっか、と誰か他の人が書いた本への反応のように感心しております。

 ちなみに、取材をして頂いた新聞記者さんに「この本で一番訴えたかったことはなんですか?」と真顔で訊かれて、「は?」と言葉に詰まりました。そんなだいそれたモノはないのです。こんなバカな男でも生きているのだなあ、と笑って楽しく読んで頂ければ嬉しいのですから。  ただでさえ恥ずかしい内容であるのに、恥の上塗りの「まえがき」「登場する古本屋さんたち(一覧)」「書庫兼自宅の間取図」「あとがき」も入っております。まずは書店でお手にとられて、「まえがき」を覗いて頂けたらありがたく存じます。

ブログ
http://d.hatena.ne.jp/nekomatagi/
himaari
 『貧乏暇あり―札幌古本屋日記 』 須賀 章雅著
 (論創社 価格:1,890円(税込))好評発売中!
  http://www.ronso.co.jp/

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自著を語る97 『立花隆の書棚』について

『立花隆の書棚』について

立花 隆

 この本を書きあげて、つくづく思ったことは、私がどれほど古書店とつながりが古いかということだ。

 全書棚を撮影したカメラマンの見立てによると、蔵書数はざっと10万冊くらいだろうといっていたが、その半分以上が、古書店で買ったものだと思う。新刊の本を思う存分買えるようになったのは、比較的最近 のこと(特に書評をするようになって新刊書の購入代金を出版社に請求できるようになってから)で、若い頃はそんなに金がなかったから、大半は古書店で買っていた。

 私と古書店の付き合いは古い。だから古書通信も相当前から読んでいた。神保町に足しげく通うようになったのは、高校生になってからだから、昭和三十二年からだ(この年に上京して都立上野高校に入った)。

 最初に神保町に行ったのは、本を買うためではなく、本を売るためだった。父親が出版業界新聞・書評新聞の仕事(「全国出版新聞」→「週刊読書人」)を終戦直後からずっとやっていたから、家にはいつでも本がゴロゴロしていた。処分していい本がある程度たまると、「これを○○(今は廃業した古書店)に持って行って売ってこい」、と命じられて、大きな風呂敷包みをブラ下げて、本を売りに行ったのである。といっても、「父に言われてきました」といって、店主に本を渡すだけの”お使い”である。行く店はおおむね決まっていたが、ある時点から、古書店は、同じ本でも 買い値も、売り値も、時によって、店によってまるで違うということを学習して、何店かまわって、駆け引きを試みるようなこともした。そのうち、古書店の棚を見て歩く面白さがわかってきて、ひまさえあれば、古書店を見て歩くようになった。

 あの頃、神保町周辺、水道橋周辺には、いまの何倍も古書店があった。
大学生になってからは、自分の欲望で古書店通いをした。いつも金がなくてアルバイト生活だったから、本は古書店をまわって、いちばん安いものを買うことにしていた。都内全域の古書店地図帖を入手して、それを片手に、主な古書店街は歩きつくした。神保町・水道橋周辺以外では、早稲田周辺、本郷東大前周辺、中央線沿線の主だった古書店はだいたい歩きつくした。どの書店のどの棚のどこに、どういう本がどれくらいの値付けで置いてあるか、いつのまにか頭の中で記憶し、比較検討していた。

 あの頃は、いまのように、ネットで古書店のページを開けば値段を簡単に比較できるなんてことはなかったから、ひたすら自分の記憶だけが頼りだった。

 大学を卒業して、出版社に就職して雑誌取材の仕事をするようになってからは、地方に出張するたびに、その土地の古本屋を漁るのを楽しみにした。特に京都、大阪、神戸の古本屋はなかなかの店が多く感心した。

 いまは年をとったせいもあるが、足が弱くなり、体力も相当に落ちこんだので、昔のように、足にまかせて歩きまわるということができなくなった。しかし、ネットが発達したおかげで幾らでも本探しができて、行ったことも、聞いたこともないような地方の古書店を含めて、簡単に欲しい本が入手できるようになったのはありがたいかぎりだ。おかげでいまは若い頃より、もっと古書店を利用しているといえるかもしれない。

 最近は、ネットで商売をするだけで、リアルな店舗すら持たない古書店が結構あると聞いている。リアルな出版業の世界では、不景気な話しか聞こえてこないが、本の流通の世界では、古書店を通しての、価値ある本の流通総量はこれからも衰えることなく増えていくと思う。今日も神保町の三省堂に新刊本を買いにいって、帰るときには、新刊本の包みより大きな古本の包み(三省堂近傍の古書店で買った)をぶら下げていた。
syodana
『立花隆の書棚』 立花 隆 著  薈田 純一 写真 
中央公論新社 定価3150円(本体3000円) 好評発売中!
http://www.chuko.co.jp/tanko/2013/03/004437.html

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自著を語る96 『満洲出版史』のこと

『満洲出版史』のこと

岡村敬二

昨年12月に吉川弘文館から『満洲出版史』を刊行することができた。ここでいう満洲とは、日露戦争後に南満洲鉄道株式会社が経営していた時期、満洲国建国後に満鉄と並立していた時期、さらに治外法権撤廃により満洲国に経営権を移譲して以降の時期をさしている。つまり本書の出版の歴史は、この満鉄から満洲国崩壊までの満洲時期を通したもので、通史ということになる。そして実は、これら満洲時期に集積された出版物が戦後に中国の図書館に遺されたという歴史的事実を勘案すれば、その出版の歴史は、終戦時以降今日まで継続しているとも言いうるのである。

この満洲の時期に、いわゆる出版という営為が存在したのかとまずは問われるであろう。もちろんそれは統制の色合いが濃い歴史ではあったが、人びとが本源的に持っている表現への志向としての出版は、満洲に渡った日本人にあっても、また「満人」と呼称された満洲国に住まう人たちにとっても、その営為が成熟はしていなくとも確かに存在していたのだと答えておきたいと思う。だからこそ逆に強く統制が掛けられてきたと言えるわけだ。

とはいえ満洲の出版を論じるといってもこれに関する資料としてまとまったものはない。今回の作業でも、年鑑や法令輯覧などでその事象や法令をひとつひとつ拾って年表を作成していくことから始めた。そしてまたその記述や年月の表記も資料により不安定であり、なかなか確定しがたいところがある。しかも満洲地域で流通した出版物のうち、満鉄の刊行物や満洲国の官庁刊行物を別にすれば、民間で刊行された出版物はほとんど日本に残されておらず、図書館などの所在は少なく、古書市場に出た場合は大変な高値を呼ぶのが実情である。戦後の引き揚げでも持ち帰りの荷物に入れるには事情が許さなかったことから、現物自体が希少なのである。そんななかで、ともあれここまでまとめたものを一度通史として提出し満洲出版研究のスタートとしておきたいと考えて今回の刊行に至ったのであった。論述にあたっては、以前に満洲地域の全国書誌に近いものをと考えて編纂した『満州出版目録』や、満鉄・満洲国の図書館でさかんに刊行された図書館報を活用した。そんなことから本書もいささか納本や検閲といった方面に偏したきらいがないでもない。

これまでこうした研究を進展させるために何度か中国東北地方の図書館に出向き、中国に遺された資料を閲覧し調査した。その訪書の記録は、科研調査報告や拙著のなかで随時報告してきた。そしてこの資料調査で中国に渡ったときには、図書館での資料閲覧現を終えたあとに、できるだけその町を歩いて満洲時代の出版機関や図書館などの場所を確認し建物を実見した。満洲での出版活動の、空間的かつ地理的な感触をも身に着けておきたいと考えたからである。こうした町歩きについては、展示図録2冊を刊行し、またこの3月に「古都と新都-満洲国 奉天と新京」としてまとめることもできた。

資料中心のこのような『満洲出版史』であるが、現地を実際に歩くといったこうした現場感覚も、本書のなかから少しでも感じ取っていただけると嬉しく思う。

資料展示図録は『満洲の図書館』(2011年)、『終戦時新京 蔵書の行方』(2012年)の2冊、「古都と新都-満洲国 奉天と新京」は『比較古都論-町の成り立ち、人の往来』に所収で、ともに京都ノートルダム女子大学の刊行。

入手ご希望の方は、『満洲の図書館』『終戦時新京蔵書の行方』は80円切手、『比較古都論』は160円切手を同封のうえ下記住所に送りくだされば、クロネコメール便で送付します。また3冊では340円の切手同封で、ゆうメールにてお送りします。 連絡先 〒610-0351 京都府京田辺市大住ケ丘4-5-5 おおすみ書屋
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『満洲出版史』 岡村敬二著 
吉川弘文館 定価 8,500円+税 好評発売中!
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b105558.html

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