週刊『図書新聞』について
編集長 須藤 巧
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『図書新聞』の創業は1949年である。「硬派書評紙である」と書いて「ゴリゴリ・レビューである」と読ませる広告を、もしかしたらご覧になったことがあるかもしれない。かつては駅のキヨスクでも『図書新聞』を買えた時代があったが、そんな時代はとうに過ぎ、「たゆたえど沈まず」と言えればカッコいいが、どうにか、週刊の書評紙として発行を続けている。
去年の3・11を受け、『図書新聞』ではいち早く、3・11を21世紀の思想の原点、既成の価値観の転換点として捉え、以後多くの論考・インタビュー・対談や関連書の書評などを掲載してきた。さる5月5日、日本の原発が全基停止したが、これは決してゴールなどではない。東京電力の「再建」計画に原発再稼動が条件としてあるが、つまり原発は私たちの「よりよき生」に貢献するのではなく、「カネ」に愚直に奉仕することしかできないのだ。私たちの欲望が「原子力国家」を生み出したならば、それを延命させるのも、終わらせるのも、私たち次第であることは言うまでもない。
ところで、くまのプーさんは、ハチミツが大好きで、それを舐め尽くすまでやめない。ハチミツはだいたい壺に入っているが、なぜ壺に入っているかまで考えないし(そもそもプーさんは壺をつくれない)、ハチミツを保存しておくとか、舐め尽くす前に次のハチミツがどこにあるかを調べておいたりはしない。プーさんは、ハチミツを見つけると無我夢中になってしまい、周囲がまったく見えなくなってしまう。
欲望にまみれ「原子力国家」を生み出してしまった私たちはプーさんとよく似ている。私たちは、甘いハチミツを舐め尽くす「悪癖」を治せないプーさんのような存在である。しかし、私たちはプーさんと少しは違う。まずあんなにかわいくない。そして、私たちは、反省したり、懲りたり、やり直したり、考え直したり、「よりよき生」を求めて行動できる。「ゴリゴリ・レビュー」を標榜し続けてきた『図書新聞』は、3・11のずっと前から、時代を生き抜いていくための一つの小さい光、「思想と行動」の糧となろうとつとめてきた。
昨日があったように今日があり、その延長に無条件に明日があるだろうとは思えなくなってしまった――私たちはそんな時間、時代に生きているのではないだろうか。「3・11以後」を生きる私たちの糧となる紙面を、今後もつくっていきたいと思う。
(『図書新聞』編集長・須藤巧) |
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『葉山藝大BOOK-02 本に恋して』
用美社 編集長 岡田 満
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「葉山藝術大学」とは、2011年春、神奈川県葉山町に開校した架空の学舎です。ここに集う人たちには、それぞれの心に宿る様々な学舎の姿があるでしょう。性別、地域、年齢を超え、「ものづくりとアート」を視点に、「知性とユーモア」に沿ったイベントを自由に軽やかに体感していこうとする新しい発想の学舎です。とりわけ、次代を背負っていく若い人たちへの思いが、基本の理念です。
『葉山藝大BOOK』は、葉山藝大の基本理念を実際の形として世に残すため、その一方の柱として企画しました。「ものづくりとアート」にかかわる人や作品、事柄について、さまざまなジャンルで思索し行動する、清新な若い人たちの文章と写真等による発表と紹介の場、サロンです。「役に立つもの」と「美しいもの」の融合が、こうした中で実現していくことを願い、葉山藝大出版部として2011年秋より刊行を開始しました。
『葉山藝大BOOK』の特色は、「本」と「美しい本作り」に携わる人たちの言葉を本の構成の骨幹においていることです。数年前より葉山で開催されている一箱古本市やアートブックフェアで培われた「本」に対する思いを結実する形で、古書も新刊も含めた「本のこと」を、現在の視点で『藝大BOOK』の中心に捉えていくことが大きな姿勢と考えています。不定期に、また本のサイズや製本形式さえ限定せずに、年間二~三冊の出版を予定しています。それがこの自由な発想の学舎に沿った出版形態です。
昨秋の01号は「美しい本」と題して、本作りに携わる編集者・出版人・デザイナーの言葉を収録しました。今回の02号は「本に恋して」のタイトルにより、古書店店主のつぶやき、美術家によるイメージブック、出版余録等、約40名の文章と図版により構成しました。
「胡蝶本」「創元推理文庫」「小布施・まちとしょテラソ」「復刊ドットコムの活動」「加藤一雄余談」など、ジャンルを超えた書き手による清新な内容に溢れています。また本書全体を通して、映画、音楽、美術、文学、詩、ファッション、デザイン、写真、そして職人的・伝統的な仕事まで、現代のさまざまなジャンルで、よりよきもの、美しいもの、新しいものを目指して励む、「ものづくり」に携わる若き人たちの紹介、発表の場として捉えていることも大きな柱です。『葉山藝大BOOK』こののち、どうぞご支援ください。
編集代表・岡田満(用美社) |
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藤原書店 PR誌『機』の誕生
編集長 藤原良雄
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小出版社にとって、PR誌を出すことは、“夢”である。 学生の頃――今から四十数年前のことだが――『未来』(未來社)や『図書』(岩波書店)を定期購読していた。価格も手頃だし、中に面白いエッセーもあり、新刊案内もわかるといった一石二鳥どころか三鳥も四鳥もあるものであった。
小出版社(新評論)に入社し、編集長になった頃、この“夢”が沸々と湧いてきた。しかし、それを実現するためにはいくつかのハードルをクリアせねばならぬ。まず、どういうスタイルにするか。『未来』や『図書』のようなA5判の表紙付きのフツーのスタイルにするか、どうするかという問題。次に、誰に送るか、購読してもらうか、何部位作るか、と次々に難問が襲いかかってきた。
ここで考えたのが、従来のスタイルにこだわらないこと。新刊案内にちょっと毛のはえたものでもいいではないか、と。四頁でも八頁でも。それから、本の中にはさみ込める大きさ。それなら、結構部数は作って宣伝効果があるかもしれぬ。 これでできた第一号は、『新評論』の創刊号だ(一九八三・四)。新聞のプチ・タブロイド判の形である。下に、三八ッ広告を模して、当月の新刊を入れる。中は、すべてスタッフが編集長を取材して書いた記事だ。何故、この新刊を出版したのか、この新刊と別の新刊とはどういう関係があるのか等、編集部員が編集長に根掘り葉掘り聞いて記事にする、というスタイル。二、三年はこのスタイルが続いたが、その後、著者に原稿を依頼するという現在の形になった。
藤原書店を創立後すぐに、隔月で『機』を創刊し始めたが(一九九〇・四)、スタイルはこのスタイルを踏襲した。当初は一六頁。次いで二四頁、それから現在の三二頁。もうこれ以上大きくなると、書物の形が崩れてしまう。毎月、二万部位作っているが、心ある読書人から、この『機』の記事についてのコメントをいただくと、やはり無理をしてでも、これまで約三〇年余作ってきた甲斐があったなと、つくづく思う昨今である。
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『恩地孝四郎-一つの伝記』
池内 紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
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恋のはじまりと似ていた。なんとなく気になる人、なぜか記憶にしみついた名前、オンチ・コーシロー。恩地孝四郎と書いて、時代劇にぴったりなのに、おそろしくモダンな仕事をしている。 「日本の版画」「近代日本絵画の秀作」「モダニズムの美術」「写真芸術の実験」・・・。 テーマはさまざまであれ、きまって恩地孝四郎作がまじっている。古書店の棚に詩集があったり、稀覯本コーナーでシャレた画文集を見かけたりした。
ドイツ文学のとかかわりで一九一〇年代ドイツの表現主義や、二〇年代の「バウハウス」の運動にわりとくわしい。 のこされた作品をたどっていると、やにわに恩地孝四郎が介入してくる。カンディンスキーが抽象画を始めたころ、二十代はじめの青年、恩地孝四郎が抽象版画をつくっていた。バウハウスの才人モホイ=ナジが写真芸術の試みをしていたころ、恩地孝四郎はフォトモンタージュやフォトグラム作品を発表した。ヨーロッパの動向をまねたわけではなく、造形のおもしろさを追求するなかで生まれたまでである。
それが証拠に、作品にはいっさい模倣やいただきモノのくさみがない。あきらかに一つの個性の刻印を受けて自立している。 自分ひとりの試みであれば、気に入った作品ができると、それでおしまい。 あきもせずくり返し、その分野の「権威」などにならなかった。 調べたり、考えたりしたことを「恩地孝四郎のこと」と題し筑摩書房のPR誌「ちくま」に十八回にわたって連載した。 つづいて本にする話が出たが、「中身がお粗末」と申しひらきをして断った。一九九六年のことである。連載分は長い眠りについた。
二〇〇二年、歌人・文筆家の辺見じゅんさんが幻戯書房をおこした。出したい本のなかに「恩地孝四郎のこと」が入っていた。連載中から愛読していたとか。出版を始めた人の常で、明日にも出したい口ぶりだったが、やはり中身の未熟さを申し立てて断った。そのかわり、創業十年のお祝いには、きっと満足のいく原稿をお渡しする・・・・・・。
口約束であって破るのは簡単だったが、辺見さんとは約束を守りたかった。十年にわたり親身に見守ってもらったからだ。 全面的に書き換えて、九年目の秋に渡した。いつも和服の辺見さんは、品のいい奥さまのたしなみで、胸元で合掌するように受けとった。それからちょうど一週間後、「辺見じゅん死去」の知らせがとどいた。
『恩地孝四郎-一つの伝記』は扉の裏に小さく「辺見じゅん氏に」の献辞を持ち、奥付の発行者も同じ名前をいただいている。 約束を守ることができたのがなによりもうれしい。 |
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古本屋ツアー・イン・ジャパン2012前半を振り返って
古本屋ツーリスト 小山力也
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毎日ご飯を食べるように、ほぼ毎日古本屋に行く。そして一日中、まだ見ぬ古本屋や古本について考えたり、漠然と思いを巡らせたりしている。そんな風に日々を過ごし、誰に要望されたわけでもないのに、勝手に古本屋について調査&報告する“古本屋の申し子”と化して、早五年目。五年も続けていると、慣れて何とも思わないことも多くなったが、逆に困ったり苦しんだりすることも増えて来た。そのひとつが、“古本屋ツアー”を進めれば進めるほど顕著になって行く、“訪ねるべき未踏のお店”の欠乏である。もちろんこれは、私の居住地である東京近辺に限ってのことであり、東日本は北関東以北に、西日本は東海以西に、おびただしい数の未踏のお店を残している。しかし遠くに行くのにお金と時間がかかるのは、この社会の必然。遠征の連続は財政への圧迫を増大させる。なので相変わらず、ちまちまと関東でのツアーを基本に、週末&時間のある時に地方に遠征するパターンを繰り返し、どうにか日々の活動を継続している…。
と言うわけで目下の喫緊の問題は、訪ねるべきお店の少なくなったホームグラウンドの関東にあるのだ。まだ何処かに見逃しているお店があるに違いないのだが(こう言うお店を発見した時は、また格別な喜びが…)、最近は神保町・早稲田(残すところ後二・三店)・本郷三丁目(こちらも恐らく一・二店)を核にして、古本市・マイナーチェーン店・少しでも古本を置いてあるお店など、古本屋以外も大きく視野に入れツアーしている始末。しかしこれはこれで面白く、うどん屋・自転車屋・おもちゃ屋・アイス屋・レコード屋・古着屋・コイン&切手屋・チケット屋・ミュージアムショップ・喫茶店(カフェではない)・劇場・新刊書店など、意外なお店に麗しの古本が紛れ込んでいる、シュールな光景に胸をときめかせたりしている。
マイナーチェーンのリサイクル系古本屋も捨てたものではなく、細かく回って行くと、同系列なのに個々のお店で予想外の個性を獲得していたりしている。侮り難し、リサイクル系マイナーチェーン!と肝に命じ、軽んじないことを心掛けているのだが、本来の個人店舗な古本屋好きとしては、やはり燃えない部分があるのは、否めない事実なのである…。あぁ、もっともっと個性を発揮してくれれば…。
毎月、日本の何処かで必ず開かれている古本市については、ここ一・二年の隆盛には本当に目を見張るものがる。プロの市ももちろんのことだが、『一箱古本市』のように、素人(もしくは半プロ)の人たちが、自身を表現するために並べている本には、計り知れないパワーが秘められていることが多い。それが小さいとは言え、多数入り乱れ、通りすがりのお客さんが覗き込み、古本を介してやり取りをする。こんな単純な図式が、とにかく街を盛り上げる力のひとつにもなりえていたりする。さらにここから、プロの道に足を踏み入れ、ネット販売を始めたり、リアル店舗を開く人も現れる。本と言う物体が、人の生活にいかに深く関わっているか、古本市は今や、そんなことを改めて感じさせてくれる、古本界にとっても、大きなひとつの流れとなっているのではないだろうか。
さらにこれらの“苦し紛れツアー”の副産物として挙げられるのが、図書館の古本市や、福祉活動としての古本販売の発見である。チャリティーや、仕事を供給する場所として機能していることが多いので、意外な本が驚くべき安値で手に入ることもあるのだ。
とまぁ、このようにしてツアー先を血眼になってムリヤリ探し出し、日々どうにかブログをアップし続けてている。だから最近、地方のお店を訪ねることが嬉しくてならない。旅が楽しいのはもちろんなのだが、一番の理由はそこにはちゃんとした“古本屋さん”が待っているからだ。苦労してたどり着いた遠方に、その街に溶け込んだお店が、古本を蔵して待ってくれている。やはりこの体験は、私にとって何ものにも代え難い喜びなのである。日帰り仕事のついでにこっそり向かった「善行堂」。雪を踏み締め訪れた、気仙沼に復活を果たした「唯書館」。閉店してしまうため、一度は見なければと急襲した大阪「末広書店」。益子の変哲の無い田舎の住宅地に現れた「はなめがね本舗」。再稼働した火力発電所近くのアパートに潜むいわきの「瑞雲堂書林」。昭和の景色を冷凍保存した街・月江寺に満を持して開店した「不二御堂」。東京の古本市で店主とお会いした時に「伺います」と言ったので、約束を果たすために向かった岐阜の「徒然舎」…と喜びを、数え上げればきりがない。
後半戦も同じような行動パターンとペースで、時に大きく逸脱したりしながら、活動を継続して行きたいと考えている。その目標のひとつとして、前述した「伺います」と挨拶したお店(まだ二店残っている…)には、今年中に必ず行こうと心に決めた。話す相手が古本屋さんなら、私は『伺います』の言葉を、社交辞令には決してしない覚悟で生きて行くつもりである。
しかしそれにしても、北海道や東海以西の中部・近畿・中国・九州などにある大都市を調査するには、その都市に住み込まなければ、すべての古本屋を見つけることも訪ね切ることも、出来ないのではないかと、思い始めている…時々考え過ぎて、眠れぬ夜を迎えるほどに。一体どのような方策を採れば良いのだろうか。取りあえずは名古屋にでも移住して、そこを足掛かりに大阪や京都を………とこのように、私は日々、まだ見ぬ古本屋や古本について考え、思い巡らせているのである…。
『古本屋ツアー・イン・ジャパン』 日本全国の古本屋&古本が売っている場所の、全調査踏破を目指す無謀なブログ。お店をダッシュで巡ること多々あり。調査活動は今年でいよいよ五年目へと突入した。最近は「フォニャルフ」の屋号で古本市などにも出没中。
あぁ、それにつけても古本屋よ、古本屋よ…。
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『図説 印刷文化の原点』について
松浦 広
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日本では、年末になると新聞はもとより、週刊誌・月刊誌、テレビなどが「この1年を振返る」という特集を組み、「話題になったニュース・トップ10」などを挙げる。 古代から圧倒的に中国の影響を受けた我が国では「1年」もしくは「10年」の区切りでモノを考える。あるいは稀に「100年」の単位で考える。だが「千年」の単位で考えることはなかった(※注1)。おそらく1997年に国際的な写真誌『LIFE』が「ミレニアム特集(※注2)」を発刊したとき、<millennium>つまり「千年紀」という概念をすぐに理解できた日本人はきわめて少なかったはずである。
上記「ミレニアム特集」では、「どのような歴史を経て現代があるのか」を解明するため、数百名の学者・有識者・ジャーナリスト達が数ヶ月かけて、「EVENTS(出来事)」と「PEOPLE(人物)」のトップ100を選定した。 その結果、第1位は「ドイツ人グーテンベルクによる1445年の聖書印刷」であった。「コンピュータの発明」「パソコンの開発」「インターネットの開始」など、おそらく日本で選出したら間違いなく5位以内に入りそうな項目は1つも選ばれていない。ちなみに人物の第1位は「エジソン」で、こちらも日本人ならコンピュータの発明者、モークリーやエッカート、マイクロソフト社を創業したビル・ゲイツやアップル社を創業したスティーブ・ジョブスをあげるだろうが、いずれも100選から洩れている。
さて、第1位に選ばれた「ドイツ人グーテンベルクによる1445年の聖書印刷」だが、印刷業界も学会もこのニュースには意外なほど関心を示さず、反響もなかった。印刷企業に勤めていた私は、なぜ「このように重要なことに関心を持たれないのか」恩師・先輩・友人・同僚などに訊くと「ビジネスに結びつかないからだ」と言われた。つまり「カネにならない情報には関心を持たない」ということらしい。
本当だろうか。印刷産業は、かつて「印刷存處/文化在焉(印刷存る処に文化在り)」といって、文化産業の一翼を担うことに誇りを持っていた。なぜかそれが忘れられてしまったのだろうか。 だとすれば、印刷という仕事に誇りを持ってきた人達や、これから印刷に携わる若い人達に、ぜひ知って欲しい「印刷の歴史」や「印刷の文化」について紹介する必要がある。若い人達に「面白そうだ」と関心を持たれない産業は衰退してしまうからである。
そこで、これまでの「印刷関連の本」には書かれなかった、世界最古の印刷物である「百万塔陀羅尼」(ひゃくまんとうだらに)、国宝や重要文化財に指定されている印刷物、「印刷」という言葉を作った江戸時代の蕃書調所、あるいはビールやコーヒーなどと同じころにオランダ語から翻訳されたインキという名称などを取り上げて解説し『図説 印刷文化の原点』として上梓した。
著者の表現力や構成力、さらに校正力が至らないため、読解するのに難儀な箇所や、明らかな誤字などがあるが、その内容は、これまでに出版された凡百の「印刷」の本とは、一線を画すると自負している。
――この本は平成24年6月に日本図書館協会の「選定図書」に選出されました。
※注1
管子の一節に「一年の計は穀を樹うるに如くはなし/十年の計は木を樹うるに如くはなし/終身の計は人を樹うるに如くはなし」とある。中国ではこれを略して「十年樹木、百年樹人」というらしい。ものごとの時間を計る尺度が最大百年なのである。
※注2
正確に言えば「THE MILLENNIUM-100 EVENTS THAT CHANGED THE WORLD」つまり 「この千年紀で世界を変えた百の出来事」特集。
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本郷の上り坂
吉川弘文館 営業部 久我貴英
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本稿執筆を前に、創刊号(1995年1月発行)を読み返していたところ、巻末にある「創刊にあたり」には次のように書かれていました。
「二十一世紀を目前にして、いま時代は大きな変貌を遂げようとしています。その中を生きる私たちも歴史や文明についてさらに深く学び、考えることを求められているようです。こうした時代にあって、小社では来るべき出版新世紀に向け、ここにささやかながら、明治以来続けてまいりました「本作り」の営みにふさわしいPR誌を目指し、『本郷』を発行することと致しました。」
創刊から3年間の、年4回発行の季刊誌としての助走期間を経た後、隔月刊誌として成長を遂げてから早17年が経過。すでに21世紀を迎えてから10年以上を経た今年、7月号をもって通巻100号を達成できた本誌ですが、果たして創刊当時の〈志〉を、どれだけ読者に伝えることができているでしょうか。 さて、作家の永井路子先生に命名いただいた『本郷』という誌名には、小社所縁(ゆかり)の地名だけでなく、「本の郷(さと)」という思いも込めています。単に出版情報のお知らせにとどまることなく、本の持つ豊かな世界と〈知〉の広がりを読者に伝えていきたいと考えています。
現在、編集スタッフは5名。編集・営業・総務から部署間の垣根を越えて集い、月1回の編集会議を開いて、各号のラインナップを検討しています。 主な収録内容としましては、新刊書籍にちなんだ著者自身による歴史エッセイはもちろん、新シリーズや辞典など大型企画刊行の際には、対談などの特集も組みます。さらに、城好きにはたまらない大好評の「古城をゆく」をはじめ、多彩な文化人が紹介する「歴史のヒーロー・ヒロイン」や、新聞記者による「〈文化財〉取材日記」、創刊以来続いた「国史大辞典ウォーク」に変わり、新たにスタートした「明治時代史大辞典ウォーク」など、連載読み物もたっぷり。他社が刊行した歴史書の広告欄も充実しており、お手軽な歴史情報誌としてご愛読いただいています。
主な読者ターゲットは、邪馬台国・戦国武将・幕末維新などの人気テーマから、近年の仏像や城ブームまで、歴史を愛するすべての人びと。近年は話題の“歴女”などにもご好評いただいています。全国の学校・公共図書館や博物館資料室などの中には、本誌を閲覧できる施設もあり、また無料で配布している大型書店もございます。定期購読がご希望の方は、送料込年間1000円にて承っております。
小社社屋が建つ本郷界隈は、坂が多いことで有名です。私も毎朝のように、湯島方面から坂を登って出勤しています。本誌の編集担当も永く務めていますが、販売促進(PR)のための冊子づくりという宿命を背負い、これまた坂を登り続けています。今回、100号達成を節目に、冒頭の「創刊にあたり」にあるように初心へ帰り、さらなる充実したかつユニークなPR雑誌を目指して、これからも坂を登っていきたいと思います
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「ロスト・モダン・トウキョウ」
絵葉書研究家 生田誠
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ひとは、一生のうちで、どれくらいの数の風景を目にするのだろうか。
数といっても、動画のように流れる中で、とても数えきれるものではないだろう。だが、遠い記憶の中の風景であれ、何かの拍子に、ふと甦ってくるワンシーンがある。それが、私たちの体の中にどのように整理されて、仕舞い込まれているのか。手元にある膨大な絵葉書を整理しながら、そんなことを考えてみた。
そのきっかけになったのは、ある絵葉書の研究会で聞いた「記録と記憶」という話だ。たとえば、写真の中にある記録、本の中にある記録。そして、ひとの脳の中にある記憶。それが、アナログからデジタルへという、データ保存の移行に伴い、どんな風に変化していくのか。今はまだ、世間で行われるデジタル化の中でも、ほんの入り口でしかないのだと。
いささか前置きが長くなったが、私の著書は、そんな記憶の中にある東京の風景を一冊の本にまとめたものである。関東大震災の後、大正から昭和にかけてのメトロポリス、東京における失われた(ロスト)風景を、主に絵葉書と地図、そして文章で再現した。もちろん、ほとんどすべてが今は失われた風景の記録ではあるが、読者の皆様の中では、掛け替えのない記憶として生き続けているものも多いだろう。
こうした本のタイトルでは、「甦る」といったタイトルが付けられることも多い。しかし、今回、編集、デザインを担当してもらった若いスタッフとのやりとりで、教えられたのは、ある年代以降の方々にとっては、こうした風景が新鮮で、かつ刺激的なものであるということだった。簡単に、ノスタルジックと定義すべきではなく、ファンタスティックで、ダイナミックな魅力をもつ風景であることを示すべきだと。そういえば、かつての街の夜は、闇が深く、それ故に、明るいライトが鮮烈で、コントラストが際立っていたものだ。
大正から昭和にかけては、自動車や飛行機、そして、地下鉄やモノレールという乗り物が、日本に本格的に導入された時代だった。人々はその恩恵にあずかった一方で、馬車や人力車、そして、市街電車といった慣れ親しんだ交通手段を手放した。絵葉書の中で見る乗り物が、一部で再び復活しつつあることをうれしく思っている方もいるだろう。そんな方には、この本を手にとってもらいたい。そして、身近な記憶ではなく、過去の記録として見ていた方にも、この本で、古い風景の新しさを発見してもらいたい、と思っている。 (了)
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『貸本屋、古本屋、高野書店』について
高野肇
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周知の通り貸本屋は江戸時代から延々と続いている業種で、長い年月営業できたのも一般読者の裾野の広さにあった。読者は武士から町人まで草双紙、軍書、艶書、随筆などを好み、明治後期になっても江戸期に多く読まれた軍書などの焼き直しの講談本が貸本屋のドル箱となっていた。
高野書店は、神奈川県小田原市で、古本営業55年になりますが、本書は戦後の貸本屋時代から現在までを、小田光雄氏のインタビューに答えて本にしました。
昭和戦後の貸本ブーム時の貸本屋数は全国で3万軒と言われています。東京は3000軒ほど、地元神奈川は延べ800件以上を調査で確認しています。この渦中に、貸本屋高野書店は開業しました。本書の内容は、開業時のこと、貸本マンガの古書価、読者だった夢枕獏、小田原の貸本屋と加藤益雄、貸本屋の衰退、貸本マンガ家と出版社など、を話しています。 特に、戦後の神奈川貸本業界についても詳しく載せています。
貸本屋から古本屋へでは、郷土史資料専門店高野書店となるまでの道程や、神奈川古書業界の現状と問題についても語っています。 巻末付録の小田原市の貸本屋、しらかば文庫の旧蔵書目録(B6版稀覯古書マンガを含む1450点)は、貸本研究必見の資料です。
是非お近くの書店でお買い求めの程、よろしくお願いします。
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『辞書の鬼』裏話
井上太郎
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このたび春秋社より出版された『辞書の鬼』は、明治から大正にかけて活躍した、英文学者入江祝衛(一八六六-一九二九)の伝記である。彼については、これまで雑誌などに紹介されたことはあるが、一冊にまとめたのはこれが最初である。
私がこの本を書こうと思ったのは、二十年以上前のことだが、その動機は彼が毛筆でしたためた「辞書編纂苦心談」を、遺族から借りて読んだからである。それは実に変化に富んだ内容で、そこにはサムライ魂を失わない明治人が生きていると思った。
例えば苦学生時代に、本格的な英語を学びたいと、埼玉から東京の銀座の夜学校まで、往復五十六キロの道を毎晩走り続けたこと。長じてから数冊の英語辞書の編纂という膨大な仕事を、助手を使わず独力でやり抜いたことなど、明治人の執念は驚嘆のほかはない。しかも英語ばかりでなく、将来の日本文のあり方まで探り、『日本俗語文法論』なる著書も著わしているのだ。
彼は英語のほかにドイツ語、フランス語も学んでいる。特にドイツ語については、一時、「ドイツ語狂」と自らいうほど傾倒し、東北学院の教師時代には心理学の碩学ウィルヘルム・マックス・ヴントと親交を持った。しかしある時、ラフカディオ・ハーンの英語のすばらしさを知って再び英語に目覚め、明治四十年に初めて『註解和英新辞典』を上梓する。出版社は彼の弟が作った賞文館である。それに続き四冊の辞典を編纂しているが、後に出た復刻版以外、これらが古書市場に出ることは希らしく、ましてその第一作は、辞書専門の古書店主も見たことがないと言っていた。
私がこの最初の労作の存在をようやく見つけたのは、国会図書館の『明治期刊行図書目録』であった。手にしたその辞書の扉には、当時の権威の象徴である文部次官とか、東京帝国大学教授といった肩書きをつけた「おえらがた」の名が大きく並んでいた。しかし真の編纂者である入江祝衛の名は、小さく並記されているだけだった。けれども彼はこの辞書に自らの信念を扉裏に入れているのである。それは英語とラテン語で、「努力は何物をも克服する」というものだった。
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