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自著を語る 古本屋が『映画学の道しるべ』を読み解けば 3

古本屋が『映画学の道しるべ』を読み解けば 3

稲垣書店 中山信如

日本古書通信 2012年1月号より転載

 さて一読は済んだ。しかし、それにしても、牧野守という人はなんて不運な人なんだろう。あれだけのエネルギーとパッションをつぎ込み私蔵の資料を使って次々と作り上げた復刻版の反応反響は、少なすぎはしまいか。すでにそれなりに利用されはじめているという海外はさておき、肝心のわが国内でである。すぐに反応があったのは原本を提供する業者側のほうばかりで、学問の発展を受け入れようと思う古本屋は、原本の古書価の値崩れをなげきながらも耐え忍ぶばかりだ。そんなことはいいとしても、牧野や佐藤が本書中や宣伝用リーフレットで繰り返し表明しているように、資料の私蔵はやめ、リプリントしてはパブリックなものとして共有し、新しくやってくるだろう次なる研究者たちに供するという目論見は、はたしてどれだけ進んでいるのだろう。残念ながら私の目には、はなはだ心もとなく映ってならない。

 また各地に点在する大学や図書館や資料館のネットワークはどうか。研究者ならば常日頃気になるところで、「ガクノススメ」でもフィルムセンター、早大演博、日大芸術学部図書館はじめ阪急池田文庫、調布市立図書館など、当店でもお付きあいのある機関に出かけていっては現状をレポートしているが、館同士の情報の交換交流はどこまで進んでいるのか。館ごとの電脳面での進歩は格段に進んでいるとも聞くが、館同士の横のつながりの密度じたいはどうなのか。

 そしてなにより気がかりなのが、牧野が目指した在野とアカデミズムとの架け橋である。とりわけ私も初期に参加させてもらっていた日本映像学会文献資料研究会の破綻を思うにつけ、悲観的な気持にならざるをえないが、研究者たちによる官民一体となっての大同団結は、本当に無理なのか、夢なのか?

 しかし、それにしても、牧野守という人はなんて不運な人なんだろう。四十年にもわたり、想像を絶するようなパワーと信念で風を起こそうと駆けぬけてきたというのに、風は思うように吹いてはくれなかった。人間の感情を一つにまとめるというのは至難の技とはいっても、文字通り満身創痍の牧野の生あるうちに、せめて一条の光だけでも射すところを見せてやれないものか。そのためにも第二第三のマキノマモルが現れいでてこないものか。そしてその時にはわが業界にも、私のように儲け度外視で協力してあげる後継者が、現れいでてくれないものか。

 著者の願いをくみ、連載を一回休んでまでしてブックレビューに挑んでみたが、結局この程度のことしか書けなかった。だが映画史研究の未来に志を抱く若者たちよ、本書の存在を知ったなら、是非とも読んでみるがいい。

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中山信如氏の主な著書
『古本屋「シネブック」漫歩』(ワイズ出版)
『古本屋おやじ』 (ちくま文庫)
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今回は、転載ご了承いただきました、中山信如氏と日本古書通信社様に感謝致します。

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自著を語る 古本屋が『映画学の道しるべ』を読み解けば 2

古本屋が『映画学の道しるべ』を読み解けば 2

稲垣書店 中山信如

日本古書通信 2012年1月号より転載

 しかし、それにしても、牧野守という人はなんて幸運な人なんだろう。もはやここまでくれば、幸運というより強運といったほうがいいかもしれない。その強運の典型がコロンビア大への整理搬出を一人で手伝い、「キネマ旬報」昭和戦前期復刻版の編集を一人でつとめ、本書の編集を四年かけ一人でこなした佐藤洋(よう)の存在だろう。牧野には申し訳ないが佐藤の存在なしにはこの本は出なかった、出せなかった。つまり本書は牧野守の著作であると同時に、若き研究者佐藤洋の身につけた知識と方法論を世に問うた発表の場でもあったのである。それを追体験する意味でも、私は本書を私がたどったと同じコースで読んでみることをおすすめしたい。

 コースといっても別段ややこしくはない。ただ最初に、巻末の三段組十ページにわたる佐藤の解説「牧野守論」を読んでからスタートしてみるだけだ。こうして全体のあたりをつけたら、最初に戻って普通に「ガクノススメ」から始めよう。これは「キネ旬」に連載当時、一般誌としては異色のカタい内容として好評ならざるものだったが、今になって読み直してみると、佐藤の綿密な校訂のおかげもあって荒っぽかった牧野の文も影をひそめ、意外と読みやすく、自らの研究環境の記録を念頭に当時の学問状況や交流の様子をとどめんとしたタイムリーな話題も豊富で、おもしろい。

 これで牧野の研究の概要を知ったら、次に研究者になる前の前史としての、記録映画やプロキノこと日本プロレタリア映画同盟などに関する論考へ。ほとんどがドキュメンタリー作家としての出自から記録映画関係の業界紙誌に書いた論考ゆえ、私を含めた一般の映画ファンには読みにくいしなじみにくい。でもこれこそ著者牧野がいちばん書き残しておきたかった要諦である以上、削るわけにはいかないのだ。だから我慢して読みおえれば、あとは実作者を卒業し蒐集家書誌学者となって以降の文献資料考をはさんで、再びラストの佐藤の牧野論「このさびしさを、きみはほほ笑む」に戻る。この解説は、いい。改めて読み返してみれば、五十年に及ぶ牧野の過去と業績がストンと腑に落ちる。

 そのためにも同じ佐藤がコレクション整理最中の五年前、牧野に聞き出し早大映画学研究会発行の「映画学」20号に載せた、「長い回り道・牧野守に聞く」だけは収録してもらいたかった。これは発行当時から牧野という人物と研究内容がよくわかって感心させられたものだが、分量的な制約上古くてアクセスしにくいものだけにしぼらざるをえないとのコンセプトのため、残念ながら見送られてしまったが、是非とも一読をすすめたい。ついでにもう一つないものねだりをすれば、『日本映画文献書誌』明治大正期の続編、すでにカードはできているという昭和戦前期を、雄松堂にもうひとふんばりして出してもらいたい。

 いずれにせよ牧野にとって五十以上も歳の離れた佐藤という協同者に出会えたことは、強運というほかない。また佐藤にとってもこれからの長い研究者人生において、得がたい経験になるだろうことは間違いない。

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自著を語る 古本屋が『映画学の道しるべ』を読み解けば 1

古本屋が『映画学の道しるべ』を読み解けば 1

稲垣書店 中山信如

日本古書通信 2012年1月号より転載

 しかし、それにしても、牧野守という人はなんて幸運な人なんだろう。数年前『日本映画検閲史』『日本映画文献書誌 明治・大正期』とたてつづけに出せただけでも充分めぐまれているというのに、またこんどの『映画学の道しるべ』である。いくら本人の類いまれなエネルギーとバイタリティーのたまものとはいえ、この出版不況のさなか、間違いなく映画文献史上に残るとはいえ、こんな売れそうにもない本を次から次と出してもらえるなんて。しかもこれまでのようなメインの研究テーマや書誌ではなく、周辺について書いた過去の文章までかき集めて本にしてもらえるなんて。おかげで前半に収録された「キネマ旬報」連載の「ガクノススメ」ひとつとってみても、日々東奔西走するフットワークのよさを通して、牧野守という蒐集家にして研究者の輪郭がくっきりと浮かびあがってくるではないか。

 しかし、それにしても、牧野守という人はなんて幸運な人なんだろう。「キネマ旬報」大正期復刻版を出した雄松堂から、引きつづき『日本映画文献書誌』を出してもらえ、今刊行中の「キネマ旬報」昭和戦前期復刻版の版元文生書院から、併せてこんどの『映画学の道しるべ』まで出してもらえるなんて。いずれの版元もわが古書業界の人。いくら牧野が業界にとって文献資料を買いまくってくれたありがたい客だったからといって、矢継ぎばやに出す復刻版はオリジナルの市場価格を下げる原因ともなり、牧野の活動に功罪があるとすれば、古本屋にとって正直罪のほうが大きいかもしれぬ。

 それでも牧野の強烈な蒐集意欲の磁力に巻き込まれ、手助けしてやろうと現れる古本屋は引きも切らず。が、苦労したであろう購入のための資金ぐりのことではソゴをきたさぬこともなく、古くからの業者は一人また一人と去り、ふと気づけば今は私一人。その私とて途中破局の危機がなくはなかったが、あのパッションと憎めない人柄に根負けし、ついつい損覚悟で協力してしまう。

 しかし、それにしても、牧野守という人はなんて幸運な人なんだろう。みずから私設映画図書館と称して開放した自宅書庫に次々と通い来る海外の映画研究者たちが育ち、母国に戻って実績を積み、行く着くところ膨大な文献資料は〈マキノコレクション〉として海の向こう、米コロンビア大学東アジア図書館に納まってしまうとは。いくらわが国では珍しいグローバルでオープンな発想のもと、内外の研究者に研究基盤を提供しつづけたたまものとはいえ、アーロン・ジェロー、阿部・マーク・ノーネス、ジェフリー・ディムなどなど、当店にやってきた外来の研究者のほとんどは牧野私設図書館経由であり、ほかに外国の研究者はいないのかと思ってしまうほどだ。

 有名な、外出せず仕事に没頭しやすいよう誰彼なく無償でふるまいつづけたSOMEN(外人にソーメン!)のお礼としては、報われすぎとは言えないか。私はソーメンのご相伴にはあずかれなかったが、一度泡盛のつまみに今どき珍しいミリンボシを出されて驚いたことがある。でも今にして思えばソーメンといいミリンボシといい、それこそマキノマモル流の飾らぬ精一杯の歓待法だったのだろう。

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自著を語る(70) 「長い絆で培われて刊行された書物『映画学の道しるべ』」

「長い絆で培われて刊行された書物『映画学の道しるべ』」

牧野 守

 本年の「日本古書通信」一月号に掲載された稲垣書店の中山信如さんの書評「古本屋が『映画学の道しるべ』を読み解けば」を新春にふさわしい読物として拝読した。

 中山さんのウィットに富んだタッチの軽妙さは定評がある文章力でわたしも常に愛読するところであったが、今回の題材はそうはいかない、実はわたしの書いた本を題材とした書評であったからである。

 中山さんは自らも認め、都心で一番客のこない古書店の店主として知られている、古本にも客にもユニークな一家言の持ち主であるが、彼の専門分野である映画書の著書も複数出版されていて、わたしもその愛読者の一人として注目してきた。それだけに果してどんな書評を俎板に載せて料理したか興味しんしんであった。多分一筋なわではおさまらない油断もすきもないといったことになるのであろうといったハイテンションの緊張感に襲われながら見開き二頁にわたる記事を一気に読みあげた。

 中山流のレトリックは今でも健在で記述した文章中には微苦笑させられ、時には大笑いもさせられたりしたが、単なる映画書解説というより今日の社会時評の鋭い警醒を発する文明評論であることに感服した。

 ところで、中山評の冒頭は「しかし、それにしても、牧野守という人はなんて幸運な人なんだろう」に始まり、そのフレーズは文中に繰返して記述されている。いかにも中山さんらしい表現であって、彼の表現通りに受け取ると逆転の発想の展開となって、最後には彼一流の辛口の分析による評価が書かれ、結末では「しかし、それにしても、牧野守という人はなんて不運な人なんだろう」としめくっているのだが、それに到達する思考過程での問題提起には中山式経営から映画書籍の流通問題と映画ジャーナリズム、映画論壇そして映画美学の教育分野が直面する潮流を見すえた発言という警抜な内容となっている。  まさに、短いけれどこの書評に今日の日本の文化現象のすべてが要約されていて、筆者の出る幕はない。しかしながら筆者に紙面を提供して頂いた折角の機会に、当事者なりの数々のハードルを乗り越えて刊行に至る経過と長きに渡る様々の関係者の努力の一端を補足しておきたい。

 まず、この出版の企画段階の仕掛人として登場するのが文生書院の小沼良成社長がキーマンとして果した役割である。小沼さんとの絆が培われたのは今から五年前の二〇〇七年の頃からで文生書院創業八〇周年記念出版の企画として「キネマ旬報」復刻版(昭和戦前期)の企画が開始されたことにもとづいている。実はわたしもこの「キネマ旬報」復刻版に一貫して従事してきて、雄松堂からゆまに書房と出版社を経緯して実現してきた。この文生書院バージョンの昭和戦前期は空白期として刊行が見送られてきたのである。

当然なことなのだがそれなりの理由があっての困難な問題が解決できなかったのだが、その一つに原本の完全版の獲得という難題があった。実はそれも解決してくれたのが、今回の書評でユニークな発言をしている稲垣書店の中山さんであった。彼が復刻版の空白期を埋めるための原本を長年にわたって蒐集していてしかも復刻にたえる原本のハイクオリティーを保障する「キネ旬」を揃えていたのであった。それに着目した小沼良成社長が、名のりを上げることで懸案の復刻版が刊行スタートすることになり、わたしもその企画監修の立場で参加することでこの企画の準備体制が出来上がったのである。そして今日に至るまでほぼ三年間にわたり、この復刻版の刊行は進行途上にあるのだが、この経過のなかでキネ旬連載のわたしのコラムやマイナー媒体に発表した映画史関連の記述も復元する当書の刊行企画も検討されてきた。

 そのための重要な役割を果たすことになったキーマンの一人として、若き研究者の佐藤洋さんが浮上することとなった。重要な役割を担った佐藤さんについては中山さんも書評文中にもふれている様に彼の構成、編集の原典主義の実務に徹した作業がなければこの書物の刊行は実現しなかった。長期にわたる手弁当のむくわれない繁雑な調査そして執筆作業に打ち込んで刊行の実現にこぎつけることが出来たのである。この手間の掛かるライブラリー調査と若いジェネレーションの視点からの作業の前提として佐藤洋とわたしとの関係があり、その信頼感の絆が続いていたことで、わたしの一つの転機を迎えることになった。

長年にわたって収集してきた映画文献を、わたしも映画研究のテーマにする実証的記述と、書誌的な調査による研究の手がかりとして内外の研究者に提供してきたので、私の資料はマキノコレクションとして知られてきたが、そのマキノコレクションを保存することがアメリカニューヨーク市の名門であるコロンビア大学図書館の関係者によって合意に達した。そのコレクションの搬出という長期にわたる困難な作業に従事することで佐藤洋映画研究の方法論も力をつける結果となった。当書の『映画学の道しるべ』の解説で佐藤洋も記述しているが、コレクションが資料として一人立ちする前提として、このコレクションの設立の意図を明らかにしているのが本書である。

この様にして、当書の刊行の目標としてコロンビア大がプロジェクト企画したイベント・昨年十一月十一日に催されたパネルディスカッション「マキノコレクションの現在と未来」を設定。内外の映画研究者を含めて日本からも数名がパネリストとしてスピーチすることが出来た。わたしとの交流も深い旧知のアメリカ研究者も多数参加してこのイベントが充実したことが報じられていた。そのデータの詳しい内容は、まだわたしのもとには届いていないが、東南アジア地域の映画研究の一ステップとして今後の礎となることに期待している。当書『映画学の道しるべ』もこのイベントに滑り込みセーフで間に合わせることが出来た。これが不運なわたしから中山さんへの解答である。

プロフィール

牧野 守
映画史・映画文献資料研究者。1930年樺太生まれ。
テレビ・映画ディレクターのかたわら映画史を研究。集約した内外の映画資料はマキノコレクションとして知られ、2007年にコロンビア大学図書館に収蔵された。『キネマ旬報』等の基本文献を復刻しながら、映画運動・理論・制度史を研究。『日本映画検閲史』(パンドラ、2003)等の著書を発刊している。

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自著を語る(72) 『タブーの正体!――マスコミが「あのこと」に触れない理由』

『タブーの正体!――マスコミが「あのこと」に触れない理由』

川端幹人

 福島原発の事故で明らかになったように、この国のマスメディアは批判することのできない対象、触れることのできない領域を多数抱えています。皇室、同和団体、宗教、検察、それから東京電力のような大手企業……。今回、出版した『タブーの正体!』という新書では、そういったメディアタブーの実態を改めて真正面から検証しようと試みました。

 私自身、2004年に休刊した『噂の真相』というスキャンダル雑誌に22年間在籍し、さまざまなタブーを間近で見てきましたが、今回の作業は新たな発見の連続でした。

 たとえば、皇室タブーについてもそうです。当初は戦前の延長にある封建遺制だろうと思いこんでいたんですが、調べてみると、終戦から1960年代はじめまで、皇室タブーはほとんど存在していなかった。当時は保守ジャーナリズムの牙城である『文藝春秋』に天皇制廃止論や皇居開放論が掲載され、あの石原慎太郎ですら、「皇室は無責任きわまるものだし、日本に何の役にも立たなかった」というコメントを平気で口にしていた。それが、「風流夢譚」事件によって一変し、マスメディアでは皇室批判が一切できなくなってしまったわけです。

 他のタブーについても同様です。検証していくと、そこには必ず物理的な理由、身も蓋もないと感じるほど直接的な原因がある。ところが、今はそのタブーの理由、要因が見えなくなっているんですね。面倒な報道は理由を検証せずに自動的に回避するようになって、もはや報道を封印したメディアの当事者すら、自主規制の理由がわからないという状態に陥っています。その結果、恐怖心はさらに募り、タブーは実体の何倍もの大きさに肥大化している。

 ですから、本書ではまず、この失われたタブーの要因や理由を取り戻すところから始めたいと考えました。自主規制で闇に葬られた事例をふりかえって、どうしてそういう事態が起きたかを追及する。あるいは、同じポジションにありながらタブーになったものとタブーならなかったものを比較して、その差異を検証する、そういったマテリアルな作業によって、タブー生成のメカニズムを浮かび上がらせようと試みました。

 また、本書には『噂の真相』時代、右翼の襲撃を受けて筆を鈍らせた私自身の苦い体験を正直に書いているのですが、これも自分の心理構造を直視することで、タブーと暴力の関係を明らかにしようという意図によるものです。  メディアは今、絶望的ともいえるほどの閉塞感に覆われていますが、こうしたタブーに対する直視が状況を揺さぶるきっかけになれば、と強く願っています。

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自著を語る(71) 「『ぴあ』の時代」  思いがけない反響

「『ぴあ』の時代」  思いがけない反響

掛尾良夫

 「『ぴあ』の時代」は1950年生れの矢内廣(ぴあ代表取締役社長)が、中央大学に入学して映画研究会に所属し、大学4年の1972年に『ぴあ』を創刊し、1980年代に50万部を超える情報誌に成長させるまで――創業からの20年、昭和の最後の20年を追ったものだ。

 私も矢内と同じ年に生まれ、映画雑誌『キネマ旬報』の編集者として、『ぴあ』創刊後間もないころに矢内と出会った。『ぴあ』には同世代の仲間たちが集まり、取次から相手にされなかった当初は、スタッフがリュックに雑誌を詰めて書店に直販に回った。やがて『ぴあ』は軌道に乗り、「ぴあフィルムフェスティバル」を立ち上げ、チケットぴあを創業することになる。
 
 また、矢内は事業の節目で、紀伊国屋書店社長だった田辺茂一氏、教文館社長だった中村義治氏、日本電信電話公社総裁だった真藤恒氏といった人たちとの出会いによって大きく成長した。そんな、仲間や業界の諸先輩たちを惹きつける矢内の人間像を生い立ちから追ったのが本書である。
 
 本書は、私と交流の深かった仲間たちの姿を通じて、『ぴあ』成長の背景となった時代を描いたものであり、執筆のもともとの狙いは私たちの世代の郷愁でもあった。しかし、若い世代の読者の方々から、“青春小説”、フェイスブックに通じる“ビジネス書”として感動と刺激、勇気を受けたという便りを多数受け取り、驚いている。本書によって、若い世代の読者の方々に勇気を与えることができたならば、望外の喜びである。

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編集長登場(6) 月刊『みすず』について

月刊『みすず』について

守田省吾

酒井啓子「「アラブの春」と「ウォール街」と「3・11」をつなぐもの」、小池昌代「三月の冷たい水」、海老坂武「没後50年、フランツ・ファノン」、森まゆみ「奇祭・湯かけ祭りの朝――どたんばの八ッ場ダム」。いま作業中の『みすず』3月号の目次の一部である。その他に連載がいくつか。2012年3月号は第54巻第2号、通算では602号になる。

 『みすず』の創刊は1959年4月。『学燈』にははるか及ばないものの、PR誌としてはけっこうパイオニアだ。創刊号ではみすず書房の新刊書5冊を、関根正雄・宗左近・小堀杏奴・宇佐見英治・山室静がそれぞれ書評している。しかし、自社の刊行物の宣伝を中心とするPR的機能は徐々にうすれ、5冊が3冊、2冊が1冊となり、1970年1月号からは自社の新刊書評の類はほぼなくなってしまった。以来、PR誌らしからぬPR誌として現在にいたっている。

 『みすず』はみすず書房の出版物のシンボル的存在である。1960年代から30年ほどつづいた「海外文化ニュース」のコーナーは翻訳書を中心とした小社にふさわしく、また1966年2月号にはじまり、現在もつづいている年に一回の「読書アンケート特集」では、これもみすずの本同様、多種多様な分野の先生方が多岐にわたるジャンルの本について執筆されている。2012年1・2月合併号の「読書アンケート特集」には148名の方々からの回答があった。新刊既刊を問わないこと、800字程度のコメントをお願いしていること、海外の本も挙げられていることが特徴だろうか。

 90年代にはちょっと色気を出して国際文化雑誌をめざし毎月百数十ページにまでふくらんだが、いまは身の丈にふさわしく、70ページ前後の小冊子として落ち着いている。

昨年はチャールズ・ローゼン、キャシー・カルース、タラル・アサド、エヴァ・ホフマンなど、毎年同様、海外の著者の文章もあり、また震災後の4月号からは精神科医・中井久夫による「東日本巨大地震のテレビをみつつ」を皮切りに、多様な角度から震災・原発に関わる文章の掲載をつづけている。上に記した小池昌代さんのエッセイもその一つだ。昨年8月に刊行した山本義隆『福島の原発事故をめぐって』は、当初『みすず』で依頼したものの、あまりに原稿枚数が多くなったために単行本にしたしだいである。また11月・12月号掲載のヨアヒム・ラートカウ「ドイツ反原発運動小史」は、上野千鶴子さんはじめ絶賛をいただき、注文が殺到している。

『みすず』の連載からは昨年、外山滋比古『失敗の効用』、植田実『住まいの手帖』、五十嵐太郎『被災地を歩きながら考えたこと』、松本礼二『トクヴィルで考える』の4冊が単行本になった。このように、本が生まれる場でもあるが、なにより、読者と著者と出版社を結ぶ敷居の高くないささやかなアリーナとして、今後も機能していきたいものである。

(『みすず』編集長 守田省吾)

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自著を語る(75) 『出版状況クロニクルⅢ』

『出版状況クロニクルⅢ』

小田光雄

1999年に『出版社と書店はいかにして消えていくか』(ぱる出版、増補版論創社2008年)を上梓して以来、『ブックオフと出版業界』『出版業界の危機と社会構造』『出版状況クロニクル』『『出版状況クロニクルⅡ』(いずれも論創社)と、思いもかけずに出版業界に関する状況論を続けて出してきた。今回の『出版状況クロニクルⅢ』を加えると、6冊になる。

この十数年間の出版業界の歴史が何であったかはいうまでもないだろうが、まさに失われた十数年であって、かつてない深刻な出版危機へとスパイラル的に歩んできた。それらをめぐる出版社、取次、書店の失墜状況は、最新の出来事を収録した今回の『出版状況クロニクルⅢ』を例として参照頂ければ、ただちに了解されると思う。

それらの詳細は読んでもらうしかないが、ここでひとつだけ記しておけば、出版物販売金額のピークは1996年の2兆6564億円、2011年は1兆8042億円と、この15年間で8522億円、つまり96年の3分の1近い売上高が失われてしまったことになる。

しかもこれは日本だけで起きている特異な出版危機であって、欧米の出版業界はこの間もずっと成長してきたのである。異常な事態とよんでもいいし、このような出版業界の凋落が古書業界に影響を及ぼしていないはずもないし、新刊、古本ともに含んだ日本の書物文化の危機の表れなのだ。 どうしてこのような危機的状況に陥ってしまったのかを追跡してきたのが6冊の拙著であり、それは1997年から2011年にかけての出版史の記録となっているはずである。そしてこの危機の追跡は現在でも継続し、毎月「出版状況クロニクル」として、私のブログ《出版・読書メモランダム》で発信している。

『出版状況クロニクルⅢ』はその最新の集成である。危機はさらに続いているし、まだしばらくは発信を止めることはできない状況に、私も置かれている。

ブログ
http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/

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自著を語る(74) 『わたしの小さな古本屋』について

『わたしの小さな古本屋』について

田中美穂

 倉敷で蟲文庫という古本屋をやっています。ある日突然の思いつきで、まったく未経験のまま開業したこの店の18年間の出来事を書きました。
 
 はじめてからもずっと「軌道に乗る」という言葉など、どこか遠くの世界のもののように思えていましたが、でも日々帳場に座り、自分の意図や思惑など軽々と越えていく本と人との不思議なめぐりあわせに半ば呆然としながら過ごしているうちに、なんとかご飯が食べられるようになりました。「継続は力なり」という、この月並みなセリフも、この店のことを思えば実感として受け止めることができます。

 当初、いただいた企画案には、独立を目指す女性の夢の後押しを、という方向性もあったのですが、現実が現実ですので、無責任なことは書くわけにはいきません。最終的に「こんなケースもありますよ」という、これまでのことをありのままに書くことに落ち着きました。  全体の半分ほどは、以前「早稲田古本村通信」というメールマガジンに連載していたものなどで、それらを補足する形で書き下ろし、まとめています。

 自分のことを自分で書くのですから、以前出した苔の本や、現在取り組んでいる亀についての本と違って、科学的証拠をおさえるべく資料の山にあたる必要もありません。比較的気軽な気持ちでスタートしたのですが、いざ始めてみると、これが一番大変なことでした。なにしろ答えはどこにもありません。

 「1、2年やってみて、ダメだったらやめよう」そんな、甘い考えのもとにはじめたというのが正直なところですが、いざ、はじめてみると、そして、続ければ続けるほど、いったい古本屋にとっての「ダメ」ということはどういうことなのかがどんどん解らなくなり、いまにいたります。だからこそ、古本屋というのは、ほんとうに面白いなと思っています。

蟲文庫
http://homepage3.nifty.com/mushi-b/

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自著を語る(73) 『痕跡本のすすめ』について

『痕跡本のすすめ』について

古沢和宏

「先日amazonで古本を買ったら、店主の見落としかびっちり書き込みがあっていらっときたけど、「痕跡本のすすめ」を読んでそれもありか、と思えるようになった」先日みた、ツイッターでのかきこみです。そういう声をみるにつけ、嬉しいと同時に、なんだか申し訳ないような気持ちにもなってきます。それは、この本が実は、僕の個人的な古本体験の記録、といっても過言ではないようなものだからです。

『「痕跡本」それは古本を買ってくるとたまに残っている、線などの書き込みや、メモ用紙等が挟まっていたりなどの、前の持ち主の痕跡が残された本の事。そこには、前の持ち主が本と過ごした時間が、ものがたりとして残されています。』

…なんて今回の本の巻頭でもさもそれっぽく説明をさせて頂きましたが、そんな風に思えるようになったのは、実は古本屋巡りをはじめてずいぶんたってからの事でした。古本屋にいりびたりはじめた大学時代、僕はろくすっぽ授業に出ないで古本屋通いを続ける日々。 でもその当時はただ、単に新本より安い、とか、新本じゃ買えなくなってしまった本が買える、とか、 古本に対してそんな程度の認識でしかありませんでした。だからその当時の僕にとって、書き込みのある本はたんなる読みにくい本でしかなく、 読み込まれた本は、ただのぼろい本、以外のなにものでもありません。古本のにおいは確かにその当時から好きでしたが、 できればきれいな本がほしいな、本棚映えのする本がほしいな、なんて考えながら古本屋通いを続けていたのです。

そんなさなか、とあるぼろぼろの本との出会いが、僕の人生を大きく変えます。
日野日出志著「まだらの卵」…。某まんだらけで100円でたたき売られていたこの本、表紙から千枚通しのようなものでめった刺しにされていました。 読むと指先がその傷跡にどうしても当たり、いやでもその存在を意識せねばなりません。 内容の気持ち悪さもさることながら、前の持ち主の、無言の破壊衝動がぶつぶつの感触からつきささり、 だんだんしびれていく背筋。いやだなぁと思いながらよんでいるうち、ふとその「いやだ」が、実はこの本でしか味わえない、 特別な体験である事にきづきます。 この「痕跡本のすすめ」は、そうして集めるようになった痕跡本の紹介とともに、 「まだらの卵」を始めとする痕跡本との出会いで変わっていった、僕の古本への思いがつめこまれています。 ここで総てを語りきる事はできませんが、でも一つだけ確実にいえることは、 おそらく「まだらの卵」と出会わなかったら、僕は古本屋になりたい、などとは思わなかったでしょう。

出版後、ツイッター等を通して、様々な方の声を聞く事ができるようになりました。 そんな中でも多いのが、自分が持ってたり、あるいは出会った痕跡本についての思い出話です。 ツイッター等で、決して僕へのメッセージとしてではなく、共感し、自分の思い出話として語られているその姿をみながら、 「あぁ僕だけではなかったのだな」とたまらなく嬉しくなったりしています。 「痕跡本」という言葉は、実は僕が勝手につくった造語にすぎません。 でも今回、こうしてそういう方々の声を聞くことができたのも、この「言葉」に負うところがたまらく大きい気がしています。 この本が、読んで下さる方の、古本体験のどこかの琴線に触れる様な事があれば幸いです。

五っ葉文庫 ブログ
http://ameblo.jp/itutubabunko/

プロフィール
古沢和宏
1979年生まれ、愛知県在住。「古書 五っ葉文庫」店主。
大学在学中から古本の魅力にはまりこみ、やがて「大切に読みこまれた本には持ち主との物語が刻まれている」ことに気づき、書き込みやよごれが残る本を「痕跡本」と名付け、収集するように。高遠ブックフェスティバルやブックマークイヌヤマなど、各地の古本市では、痕跡本の面白さを広く一般に広めるため、精力的にイベントを行っている。  

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