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早大入試のための 入試だけの基礎英語 早稲田予備校教授 テレビ受験英語講師 岩山勝 昭和57年 早稲田予備校入試研究所

暢気堂書房

¥3,500

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新着書籍

円朝全集全15巻揃い 全13冊+別巻2冊出版社 岩波書店 刊行年 2012 冊数 15冊 解説 函、帯、揃い、月報揃、本巻13巻+別巻1・2。第一巻怪談牡丹燈籠塩原多助一代記鏡ヶ池操松影(江島屋騒動)第二巻英国孝子ジヨージ・スミスの伝安中草三の伝 後開榛名の梅が香第三巻業平文治漂流奇談松の操美人の生埋蝦夷錦古郷之家土産第四巻欧州小説黄薔薇鶴殺疾刃包刀月謡荻江一節(一名荻江の伝)第五巻敵討札所の霊験真景累ヶ淵第六巻怪談乳房榎緑林門松竹操競女学校第七巻粟田口霑笛竹文七元結福禄寿第八巻熱海土産温泉利書霧隠伊香保湯煙松と藤芸妓の替紋第九巻*荻の若葉雨夜の引窓菊模様皿山奇談第十巻名人競(錦の舞衣)八景隅田川政談月の鏡名人長二第十一巻蝦夷訛*日蓮大士道徳話*雨後の残月*応文一雅伝離魂病(根岸お行の松 因果塚の由来)第十二巻*火中の蓮華*谷文晁の伝闇夜の梅(穴釣三次)奴勝山*塩原多助後日譚怪談阿三の森心中時雨傘第十三巻〈落語・小咄・三題咄〉心眼、縁きり榎、にゅう、畳水練、明治の疑獄、黄金餅、*星野屋、*初商法、*堀の青柳 ほか第十四巻〈弟子による口演〉*塩原の怨霊、後の業平文治、*烈婦お不二、小雀長吉(双蝶々)、鰍沢、死神 ほか第十五巻〈各種資料〉速記以前の文語文作品、紀行文、点取、草稿、談話、俳句、都々逸、書簡 ¥50,000

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へちまのかは 杉村楚人冠著 出版社 至誠堂書店 刊行年 大正3年6判 ページ数 438頁 サイズ 四六判 杉村 楚人冠(明治5年7月25日〈1872年8月28日〉 - 昭和20年〈1945年〉10月3日)は、日本の新聞記者、随筆家、俳人。本名は廣太郎。別号は縦横、紀伊縦横生、四角八面生、涙骨など多数。 朝日新聞社本社記事審査部長、新聞記者として入社当初の楚人冠は、主に外電の翻訳を担当していた。1904年8月、レフ・トルストイが日露戦争に反対してロンドン・タイムズに寄稿した「日露戦争論」を全訳して掲載。戦争後、特派員としてイギリスに赴く。滞在先での出来事を綴った「大英游記」を新聞紙上に連載、軽妙な筆致で一躍有名になった。彼はその後も数度欧米へ特派されている。楚人冠は帰国後、外遊中に見聞した諸外国の新聞制度を取り入れ、1911年6月1日、「索引部」(同年11月、「調査部」に改称。1995年、電子電波メディア局の一部門として再編)を創設した。これは日本の新聞業界では初めてのことである。また1924年には「記事審査部」を、やはり日本で初めて創設した。縮刷版の作成を発案したのも彼である。これらの施策は本来、膨大な資料の効率的な整理・保管により執筆・編集の煩雑さを軽減するために実施されたものであるが、のちに縮刷版や記事データベースが一般にも提供されるようになり、学術資料としての新聞の利便性を著しく高からしめる結果となった。その他、『日刊アサヒグラフ』を創刊したりするなど、紙面の充実や新事業の開拓にも努めた。楚人冠は制度改革のみならず、情報媒体としての新聞の研究にも関心を寄せており、名著『最近新聞紙学』(1915年)や『新聞の話』(1929年)を世に送り出した。外遊中に広めた知見を活かしたこれらの著作により、彼は日本における新聞学に先鞭をつけた。1910年に中央大学に新聞研究科が設置されたが、それは同校学員(卒業生)の楚人冠らの発案によるものである。同研究科においては、自らも講師を務める。その際の講義案を下敷きに著された書物が『最近新聞紙学』である。世界新聞大会(第1回は1915年にサンフランシスコで、第2回は1921年にホノルルで開催)の日本代表に選ばれたこともあ取締役、監査役。
¥1,000
五十一番めのザボン 昭和27年第5版 与田準一 著 帯付き 出版社 光文社 ページ数 237p 校舎を建てるために、片がわの枝を切られた「むくやん屋敷」のザボンの木――ザボンは51個の実を結び、実には生徒の発案で「手紙」がつけられて市場から北へ南へと送られ、いくつかの返事がきた……。詩人らしい感性と斬新な手法とで、大人と子供たちとの暖かい心の交流を描いた、戦後児童文学の代表作。与田 凖一(1905年6月25日(戸籍上は8月2日生まれ)- 1997年2月3日)は、日本の児童文学者・詩人。昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。作詞家を担当、巽聖歌らと親交を結びその後も本格的な執筆活動を開始し、1929年に初の童謡集「旗・蜂・雲」を出版した。作詞家橋本淳の父。ドイツ文学翻訳の与田静(1942- )は長女。與田凖一[1]、与田準一[2]の表記もある。日本ペンクラブ会員。1905年、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)に浅山与太郎、スエの次男として生まれた。翌年、親戚の与田家の養子となり、以降は与田姓を名乗った。養父母を相次いで亡くしたため、実家である浅山家で育つ。1924年に筑後市で小学校代用教員に採用され、翌年から下妻尋常小学校訓導となる。ドルトン・プランの影響を受け、児童の作品とともに自作を『赤い鳥』などに投稿する。1926年教職を辞し、1928年北原白秋を頼って上京。『白秋全集』の校正を手伝うも体調を崩して一時帰郷する。翌年再び上京し、『乳樹』を創刊しつつ、赤い鳥社に入社する。1933年、同社を退社。1940年日本文化協会から第1回児童文化賞を受賞する。終戦後は周郷博の斡旋により、1950年から1960年まで日本女子大学で講師として児童文学を講じた。門下には、まど・みちおをはじめ、岩崎京子、生源寺美子、あまんきみこ、神沢利子らがいる。1962年より日本児童文学者協会の第6代会長を務めた。1967年『与田凖一全集』でサンケイ児童出版文化賞、1973年『野ゆき山ゆき』で野間児童文芸賞を受賞した。
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