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歴史研究広島11冊  1984年7月、10月、 1984年4月、1987年1月、1987年4月、1987年7月、1987年10月、1988年1月、1988年4月、1990年7月、1991年10月出版社:歴史研究会広島備南支部

暢気堂書房

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解明古文 尾形仂、丸山一彦共著 ΣBEST シグマベスト  昭和40年初版カバー 全504ページ 文英堂尾形仂(1920年1月28日[1] - 2009年3月26日)、日本の国文学者。成城大学名誉教授。専門は近世文学、特に俳諧。東京府東京市生まれ。1941年、東京高等師範学校文科第二部卒業。1943年、東京文理科大学文学科国語国文学専攻を卒業。在学中は能勢朝次・山岸徳平に師事し、潁原退蔵の指導を受けた。同年、海軍予備学生として土浦海軍航空隊に入隊。1945年、東京大空襲で家族全員を失い、終戦を迎える。会社勤めを経て、1955年東京教育大学文学部助教授に就任。1975年、同教授。1977年、東京教育大学閉学に伴い退官、成城大学教授。1990年、同大学を退職。近世文学、特に俳諧を専門とした。主な著書は『座の文学』で、下記のとおり多数の著書がある。芭蕉・蕪村研究等を引き継ぎ、『おくのほそ道』(潁原退蔵 共訳注 1967)を始めとする多くの書籍を出し、『蕪村全集』(講談社全9巻 1992.5-2009.9)の監修を行った。また岳父でもある潁原退蔵が作成した語彙カードを弟子たちと共に長年かけて編集し、遺稿が結実。丸山一彦(1921年(大正10年) -2004年)は、国文学者。学位は、文学博士(東京教育大学・論文博士・1977年)(学位論文「一茶研究」)。宇都宮大学名誉教授。栃木県足利市生まれ。東京文理科大学国文科卒、中学教師ののち秋田大学助教授、宇都宮大学教授、1977年「一茶研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1985年定年退官、名誉教授、白鷗大学教授。1992年栃木県文化功労者。専門は近世俳文学。 ¥2,000
漢文の基礎 昭和42年初版カバー 著者 赤塚忠 全382頁 出版社 旺文社 赤塚 忠(1913年〈大正2年〉4月9日[1] - 1983年〈昭和58年〉11月28日)、日本の中国学者。東京大学名誉教授。古代中国哲学・中国文学・金石学に広く業績がある。角川書店『新字源』編者の一人。 1913年、茨城県取手市に生まれた。東京帝国大学支那哲学科で学び、学生時代は宇野哲人や塩谷温に師事した。1936年に大学を卒業し、1937年から1941年まで同大学大学院で学びつつ、郁文館中学と神戸商業大学(神戸経済大学)予科に勤務。二度応召して中国大陸に赴き、陸軍大尉として敗戦を迎えた。戦後、神戸大学と神戸経済大学に勤務。神戸時代には京都大学人文科学研究所の貝塚茂樹の研究会に参加した。1955年、東京大学文学部助教授となった。1962年に学位論文「周代文化の研究」を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。1964年に教授昇進。東京大学では、加藤常賢の後任として、宇野精一と並んで戦後の中国哲学研究室の中心を担う一方で[3]、二松學舍大学をはじめ諸大学の講師も兼任した。1974年、東京大学を定年退官し名誉教授となった。その後は二松學舍大学教授となり、教鞭をとった。二松學舍では学校法人二松學舍評議員や附属図書館長などの要職を務めた。学界では日本中国学会理事長、東方学会評議員などを務め、国際的に知られた。1983年11月28日逝去。 ¥1,500

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