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白鳥双子島 中石孝直筆謹呈 昭和63年限定100部 皆美社 帙入り 中石孝生年 昭和4(1929)年1月11日没年 v平成11(1999)年11月14日出生地香川県学歴〔年〕早稲田大学国文科〔昭和26年〕卒経歴「現代文学序説」同人として小説を書き始め、昭和39年第一作品集「夢を紡ぐ」を刊行。他に「祝婚歌」「平家れくいえむ紀行」、評伝「織田作之助」など。
清貧の書 林芙美子 著 昭和8年初版 出版社 改造社 ページ数 458p サイズ 19cm木版装幀。函欠、中川一政装丁『放浪記 林芙美子文庫』の後書きでは山口県下関市生まれとなっている。尾道市立高等女学校卒。私生児として生まれ、養父・実母と共に行商を営みながら日本の各地を放浪する生活の中で、露天商やカフェの女給等の様々な職業を経験している。実際につけていた日記をもとにした『放浪記』がベストセラーとなり、以後も詩集『蒼馬を見たり』や、『風琴と魚の町』『清貧の書』などの自伝的作品で文名を高めた。その後、『牡蠣』などの客観小説に転じ、戦中は大陸や南方に従軍して短編を書き継いだ。戦後、新聞小説で成功を収め、短編『晩菊』や長編『浮雲』『めし』(絶筆)などを旺盛に発表[9]。貧しい現実を描写しながらも、夢や明るさを失わない独特の作風で人気を得た。1951年、心臓麻痺により急逝。
森はふるさと 日韓友好を語りつぐ絵本 飯島正治文 ; 茂呂順子絵 日韓文化交流を進める会
稲生モノノケ大全 陽之巻、陰之巻 2巻揃い著者 東雅夫 編 毎日新聞社 陰之巻若干カバーいたみA5 初版カバー帯付き 2冊
菜根譚百則著者 大西良慶 出版社 文化時報社出版部 刊行年 昭9年再版 サイズ 四六判 函に書き入れ大西良慶(1875年(明治8年)12月21日 - 1983年(昭和58年)2月15日[1])は、北法相宗の僧。京都清水寺の貫主を務める。奈良県の出身、本名は広次、号は「無隠」。1889年に奈良の興福寺に入り、千早定朝師に従い出家。奈良英和学校で英学を学ぶ。1890年、法隆寺の佐伯定胤に唯識を学ぶ。1899年、興福寺231世となり、1904年には、法相宗の管長に就任。1914年、清水寺住職となる、興福寺も引き続き兼務する。1959年、藍綬褒章受章。1965年、清水寺を本山とする北法相宗を設立、初代の管長に就任する。法相宗以外の諸宗にも造詣が深く、日本宗教者平和協議会会長など仏教界の要職を歴任。良慶節と呼ばれる独特の説法でも親しまれた。平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)世話人も務める。
川西英 肉筆画 額サイズ35cm-28cm川西英(Hide Kawanishi、1894年7月9日 - 1965年2月20日) は日本の版画家、画家。本名は川西英雄。1894年(明治27年)、兵庫県神戸市兵庫区東出町に回船・穀物問屋の七男として生まれる。1915年(大正4年)、神戸商業学校を卒業後、家業を継ぐ。1922年(大正11年)からは兵庫東出郵便局長を務めた。画家を志した時期についての資料は見つかっていないが、16歳のとき(1910年)に『セシル・アルディン作品の模写』(京都国立近代美術館蔵)を描いている。木版画は山本鼎の作品をみて志したとされ、1920年代より長らく国画会と日本版画協会を主な活動の場とした。1937年(昭和12年)に出版された『神戸百景』はエキゾチックな都市風景と風俗を描いた作品で、彼の代表作。
剛健 鎌倉郡 教育会有終団 全28頁 孔版印刷 巻頭に写真、地図掲載 昭和4年 神奈川県鎌倉郡教育会発行
吹雪と原始林 寒川光太郎著 出版社 日本交通公社 刊行年 昭和24年 ページ数 320頁 サイズ B6判 昭和24年初版 320頁 装幀上野山清貢 B6判 記名、経年感あります。アイヌの英雄たち 日露幽囚記 鮭ばなし 松前追分節 熊王物語 ほか