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編集長登場番外編 本郷の上り坂

本郷の上り坂

吉川弘文館 営業部 久我貴英

本稿執筆を前に、創刊号(1995年1月発行)を読み返していたところ、巻末にある「創刊にあたり」には次のように書かれていました。

「二十一世紀を目前にして、いま時代は大きな変貌を遂げようとしています。その中を生きる私たちも歴史や文明についてさらに深く学び、考えることを求められているようです。こうした時代にあって、小社では来るべき出版新世紀に向け、ここにささやかながら、明治以来続けてまいりました「本作り」の営みにふさわしいPR誌を目指し、『本郷』を発行することと致しました。」

創刊から3年間の、年4回発行の季刊誌としての助走期間を経た後、隔月刊誌として成長を遂げてから早17年が経過。すでに21世紀を迎えてから10年以上を経た今年、7月号をもって通巻100号を達成できた本誌ですが、果たして創刊当時の〈志〉を、どれだけ読者に伝えることができているでしょうか。 さて、作家の永井路子先生に命名いただいた『本郷』という誌名には、小社所縁(ゆかり)の地名だけでなく、「本の郷(さと)」という思いも込めています。単に出版情報のお知らせにとどまることなく、本の持つ豊かな世界と〈知〉の広がりを読者に伝えていきたいと考えています。

現在、編集スタッフは5名。編集・営業・総務から部署間の垣根を越えて集い、月1回の編集会議を開いて、各号のラインナップを検討しています。 主な収録内容としましては、新刊書籍にちなんだ著者自身による歴史エッセイはもちろん、新シリーズや辞典など大型企画刊行の際には、対談などの特集も組みます。さらに、城好きにはたまらない大好評の「古城をゆく」をはじめ、多彩な文化人が紹介する「歴史のヒーロー・ヒロイン」や、新聞記者による「〈文化財〉取材日記」、創刊以来続いた「国史大辞典ウォーク」に変わり、新たにスタートした「明治時代史大辞典ウォーク」など、連載読み物もたっぷり。他社が刊行した歴史書の広告欄も充実しており、お手軽な歴史情報誌としてご愛読いただいています。

主な読者ターゲットは、邪馬台国・戦国武将・幕末維新などの人気テーマから、近年の仏像や城ブームまで、歴史を愛するすべての人びと。近年は話題の“歴女”などにもご好評いただいています。全国の学校・公共図書館や博物館資料室などの中には、本誌を閲覧できる施設もあり、また無料で配布している大型書店もございます。定期購読がご希望の方は、送料込年間1000円にて承っております。

 小社社屋が建つ本郷界隈は、坂が多いことで有名です。私も毎朝のように、湯島方面から坂を登って出勤しています。本誌の編集担当も永く務めていますが、販売促進(PR)のための冊子づくりという宿命を背負い、これまた坂を登り続けています。今回、100号達成を節目に、冒頭の「創刊にあたり」にあるように初心へ帰り、さらなる充実したかつユニークなPR雑誌を目指して、これからも坂を登っていきたいと思います
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自著を語る(83) 自著を語る 「ロスト・モダン・トウキョウ」

「ロスト・モダン・トウキョウ」

絵葉書研究家 生田誠

 ひとは、一生のうちで、どれくらいの数の風景を目にするのだろうか。
 数といっても、動画のように流れる中で、とても数えきれるものではないだろう。だが、遠い記憶の中の風景であれ、何かの拍子に、ふと甦ってくるワンシーンがある。それが、私たちの体の中にどのように整理されて、仕舞い込まれているのか。手元にある膨大な絵葉書を整理しながら、そんなことを考えてみた。

 そのきっかけになったのは、ある絵葉書の研究会で聞いた「記録と記憶」という話だ。たとえば、写真の中にある記録、本の中にある記録。そして、ひとの脳の中にある記憶。それが、アナログからデジタルへという、データ保存の移行に伴い、どんな風に変化していくのか。今はまだ、世間で行われるデジタル化の中でも、ほんの入り口でしかないのだと。

 いささか前置きが長くなったが、私の著書は、そんな記憶の中にある東京の風景を一冊の本にまとめたものである。関東大震災の後、大正から昭和にかけてのメトロポリス、東京における失われた(ロスト)風景を、主に絵葉書と地図、そして文章で再現した。もちろん、ほとんどすべてが今は失われた風景の記録ではあるが、読者の皆様の中では、掛け替えのない記憶として生き続けているものも多いだろう。

 こうした本のタイトルでは、「甦る」といったタイトルが付けられることも多い。しかし、今回、編集、デザインを担当してもらった若いスタッフとのやりとりで、教えられたのは、ある年代以降の方々にとっては、こうした風景が新鮮で、かつ刺激的なものであるということだった。簡単に、ノスタルジックと定義すべきではなく、ファンタスティックで、ダイナミックな魅力をもつ風景であることを示すべきだと。そういえば、かつての街の夜は、闇が深く、それ故に、明るいライトが鮮烈で、コントラストが際立っていたものだ。

 大正から昭和にかけては、自動車や飛行機、そして、地下鉄やモノレールという乗り物が、日本に本格的に導入された時代だった。人々はその恩恵にあずかった一方で、馬車や人力車、そして、市街電車といった慣れ親しんだ交通手段を手放した。絵葉書の中で見る乗り物が、一部で再び復活しつつあることをうれしく思っている方もいるだろう。そんな方には、この本を手にとってもらいたい。そして、身近な記憶ではなく、過去の記録として見ていた方にも、この本で、古い風景の新しさを発見してもらいたい、と思っている。 (了)
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自著を語る(82) 『貸本屋、古本屋、高野書店』について

『貸本屋、古本屋、高野書店』について

高野肇

 周知の通り貸本屋は江戸時代から延々と続いている業種で、長い年月営業できたのも一般読者の裾野の広さにあった。読者は武士から町人まで草双紙、軍書、艶書、随筆などを好み、明治後期になっても江戸期に多く読まれた軍書などの焼き直しの講談本が貸本屋のドル箱となっていた。

 高野書店は、神奈川県小田原市で、古本営業55年になりますが、本書は戦後の貸本屋時代から現在までを、小田光雄氏のインタビューに答えて本にしました。

 昭和戦後の貸本ブーム時の貸本屋数は全国で3万軒と言われています。東京は3000軒ほど、地元神奈川は延べ800件以上を調査で確認しています。この渦中に、貸本屋高野書店は開業しました。本書の内容は、開業時のこと、貸本マンガの古書価、読者だった夢枕獏、小田原の貸本屋と加藤益雄、貸本屋の衰退、貸本マンガ家と出版社など、を話しています。 特に、戦後の神奈川貸本業界についても詳しく載せています。

 貸本屋から古本屋へでは、郷土史資料専門店高野書店となるまでの道程や、神奈川古書業界の現状と問題についても語っています。 巻末付録の小田原市の貸本屋、しらかば文庫の旧蔵書目録(B6版稀覯古書マンガを含む1450点)は、貸本研究必見の資料です。
 是非お近くの書店でお買い求めの程、よろしくお願いします。
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自著を語る(81) 『辞書の鬼』裏話

『辞書の鬼』裏話

井上太郎

 このたび春秋社より出版された『辞書の鬼』は、明治から大正にかけて活躍した、英文学者入江祝衛(一八六六-一九二九)の伝記である。彼については、これまで雑誌などに紹介されたことはあるが、一冊にまとめたのはこれが最初である。

 私がこの本を書こうと思ったのは、二十年以上前のことだが、その動機は彼が毛筆でしたためた「辞書編纂苦心談」を、遺族から借りて読んだからである。それは実に変化に富んだ内容で、そこにはサムライ魂を失わない明治人が生きていると思った。

 例えば苦学生時代に、本格的な英語を学びたいと、埼玉から東京の銀座の夜学校まで、往復五十六キロの道を毎晩走り続けたこと。長じてから数冊の英語辞書の編纂という膨大な仕事を、助手を使わず独力でやり抜いたことなど、明治人の執念は驚嘆のほかはない。しかも英語ばかりでなく、将来の日本文のあり方まで探り、『日本俗語文法論』なる著書も著わしているのだ。

 彼は英語のほかにドイツ語、フランス語も学んでいる。特にドイツ語については、一時、「ドイツ語狂」と自らいうほど傾倒し、東北学院の教師時代には心理学の碩学ウィルヘルム・マックス・ヴントと親交を持った。しかしある時、ラフカディオ・ハーンの英語のすばらしさを知って再び英語に目覚め、明治四十年に初めて『註解和英新辞典』を上梓する。出版社は彼の弟が作った賞文館である。それに続き四冊の辞典を編纂しているが、後に出た復刻版以外、これらが古書市場に出ることは希らしく、ましてその第一作は、辞書専門の古書店主も見たことがないと言っていた。

 私がこの最初の労作の存在をようやく見つけたのは、国会図書館の『明治期刊行図書目録』であった。手にしたその辞書の扉には、当時の権威の象徴である文部次官とか、東京帝国大学教授といった肩書きをつけた「おえらがた」の名が大きく並んでいた。しかし真の編纂者である入江祝衛の名は、小さく並記されているだけだった。けれども彼はこの辞書に自らの信念を扉裏に入れているのである。それは英語とラテン語で、「努力は何物をも克服する」というものだった。
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即売展の魅力を語る その2 即売会は「文脈棚」だ

即売会は「文脈棚」だ

書物蔵

 拙ブログは「古本オモシロガリズム」を標榜しとります(`・ω・´)ゝ それはどのような本であれ自分の興味の文脈にひきつけて考えられればオモシロく読める、ということなんで(o^∇^o)ノ 

最近は出版史方面へ転進しつつあれど、最初は図書館関係書をいかにオモシロく読むかに熱中しておりました。ただの図書分類表に「日本主義」的世界観を見たり、地味な目録法にトンデモ日本語処理を見たり、こっちがオモシロい枠組みを用意できさえすればオモシロく読めるちゅー……(^-^;) しばらく前からそうやって、戦時期「大東亜図書館学」の復活を目論んどるわちきであります(;´▽`A“

 8年前、古い本を拾うため週末古書即売会に進出したのが、それからしばらく行くうちに即売会のさらなる醍醐味がわかるように(o^∇^o)ノ

 よくデパート展とかでフツーの人が、「料理の本はどこ~?」とか店員さんに聞いていることがあるけど、即売会の本の並びは出店ブースごと独立だから、会場全体で図書館みたいな主題排架じゃないのだ(。・_・。)ノ で、フツーの人はそれを「不便」と感じもするけれど、実はそこが、わちき等みたいな古本ずきには好ましいことだったりも……(σ^~^)

 即売会は決して脈絡なく本が並んでいるわけではなくて、むしろ脈はある、というか一部でハヤリの「文脈棚」というのかしらん(σ・∀・) 本の元の持ち主の問題意識や職業やら、はたまた陳列してる古本屋さんの専門やその周辺ジャンルやらが反映されててオモシロ(≧∇≦)ノ

 業界人の追悼録とか(題名などからはわからない)、ぜんぜん違うジャンルだけど部分的に、あるいは読みようによっては斯業に役立つ本とか、機械検索では分からない文脈で本が並ぶことになるから、すでに知ってる本のとなりに並んでる知らない本を見る、ちゅーのが即売会がオモシロくなる第一歩かと(σ・∀・)σ

 3年前、昭和12年に35部ほどしか刷られなかった趣味誌『雑誌愛好』第10号を拾ったのも神保町の即売会。近代文学を専門とする扶桑書房さんの、即売会2日目のスカスカに空いた棚にひとつだけポカリと置かれていたもの。これはいわゆる書誌というジャンルの出版物で、扶桑さんの専門、文学書の周辺領域だったから安かった。けど、わちきにはものすごく役立つもんだったことが後で判明o(^-^)o 戦前の雑誌研究史や、後に入手せる『全国主要都市古本店分布図集成』(昭和13年版)へ至る道でもあったのだ!`・ω・´)o

 これなぞキチンとしたコレクターシップが成りたつジャンルのお店なればこそ、ポカリと周辺に置かれるのでありますなぁ(*´д`)ノ

 古書即売会ちゅーのは、やや広めの知識と、自分なりの問題意識、それから、ちょっとした技法さえ身につければ未知のオモシロ文献に巡り合える「本のワンダー・ランド」なのだヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャ

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自著を語る・番外編 (訳書を語る) 自由を賭けた出版人の闘い

(訳書を語る) 自由を賭けた出版人の闘い

高村幸治

アンドレ・シフリンの名前は知らずとも、数年前に大きな話題をよんだジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)のことを記憶している人は少なくないのではないだろうか。本書の著者シフリンは、ダワーの長年の盟友であり、この『敗北を抱きしめて』を世に送り出した編集者である。

ダワーに限らず、シフリンが編集者として介在することで、アメリカで、また国際的にその価値を認められるようになった執筆者や作品は、知識人図鑑ができるほど多彩で、枚挙に暇がない。

シフリンは、言語学者として知られていたノーム・チョムスキーが偉大な平和思想家であることを発見し、その著作活動を全面的にバックアップした。シフリンが介在していなかったら、チョムスキーの国際的な名声もきっと今と違っていたものになっていただろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーの存在の大きさに早くから気づき、アメリカの知識社会への橋渡しをしたのもシフリンだった。閉鎖的なアメリカのアカデミズムに風穴を開け、ヨーロッパ発の刺激的な新しい知を紹介し、アメリカの学問状況を活性化させた。

 一般に地味な黒衣だと思われている編集者だが、シフリンは、内外の数多くの優れた執筆者を次々と発掘し起用することで、新しい時代、新しい文化状況を切り開いていった。戦後ある時期のアメリカの出版文化が輝いて見えるとするなら、読者は、そこにこの名プロデューサーの存在があったことを知るはずだ。

ナチによる迫害、亡命、貧困、赤狩り、出版界の変質と馘首…と、シフリンの歩んできた人生は、決して平坦なものではなかった。本書は、同時代の政治的、社会的、文化的課題と格闘し続けてきた一人の出版人の自伝であり、きわめてオリジナルな、すぐれた現代史の証言である。「自由の名の下に、自由であることを許さない社会」へと変質して行くアメリカへの批判は痛烈であり、さまざまなことを考えさせずにおかないきわめて示唆的な著作である。

アンドレ・ジッドやマルタン・デュガール、ハンナ・アーレントらとの交流など、巧みな語り口で紹介される、知られざる多くのエピソードは、読む者を飽きさせることがないだろう。
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自著を語る(84) 『明治期北海道映画史』

『明治期北海道映画史』

前川公美夫

①チンドン屋同士が路上で出くわしたときはどうする? ②啄木が活動写真上映中の芸者の態度に苦言を呈する記事を書いたが、その小屋に掛かっていたのは芝居だった。記事は啄木の捏造?

 この2件はいずれも明治末期、北海道は釧路で起こった出来事である。前者の答えは「お互いが通り過ぎるまで鳴り物は休む」なのだが、このときは一方がさらに高らかに音を出し続け、殴り合いが起こって警官が出動する騒ぎとなった。

 後者については啄木捏造説にかなり傾いたのだが、作り話だったら地元の人にはすぐにばれるし、啄木がそんなことをしなければならない理由は思いつかない。芝居の上演に、活動写真はどう絡んでいたのだろう…。 『明治期北海道映画史』は、ちょっと面白そうなこんな話もありはするが、中心をなしているのは明治30年からの16年間に北海道(および樺太)で活動写真の上映がどのように行われていたかの記録である。

 記述のほとんどは当時の新聞に基づいている。見得る限りの新聞はすべて調べたが、まだ刊行されていなかったところが多いし刊行されているまちでも数年間欠号といったことがあったりして、上映全体から見た捕捉率は高いとは言えない。でも、断片的であれ小さな集落での上映も拾えたから開拓期の北海道で相当量の上映が行われていたことは確かで、当時の北海道に映画という文化の波が、中央から遅れることなく、またくまなく届いていたことに驚かされる。

明治も末期になると都市には常設館ができるようになるのだが、調査対象期間中の上映の大半は、本州勢であれ地元勢であれ、巡業隊によるものだった。

前著『頗る非常! 怪人活弁士・駒田好洋の巡業奇聞』(編著。2008年、新潮社)の原稿に目を通していただいたある映画研究者は私のことを、「興味は興行面にあるようですね」と見抜いた。北海道新聞社で音楽事業に携わってから記者となって専ら文化面を受け持って来た私にとって、それまで手掛けていた音楽史から映画史へという移行は自然な流れなのだが、映画の専門家には不思議に映ったようだ。

本書のどこかに、そんな研究者たちのそれぞれのテーマにつながるものが潜んでいたらうれしい。
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自著を語る(87) 「書店の棚 本の気配」

「書店の棚 本の気配」

東京堂書店前店長 佐野 衛

 この本の全体は5章に分かれていて、1章、3章、5章がエッセイ風になっています。1章は本をとりまく環境を近景から見たもので、3章はそれを少し遠景から見たものを書いてみました。これはこの本の編集をしていただいた中川六平さんのアイデアです。ただし書店業界のデータ分析ではないので、データをもとにした部分はほとんどありません。エッセイといわれる所以です。

  本が読まれない時代だとか、バーチャル書店とリアル書店だとか、電子書籍元年だとかいわれながら、本はこれからどうなっていくのだろうか。ネガティブなことばかりではないと思います。いままでに経験したことをもとにいろいろと頭をめぐらしてみました。読んでいただいて、異なった見解も出てくるでしょうが、それもこの本からの問題提起にはなるかもしれないと思います。

2章と4章は記録的なものです。これも中川さんの指示でできあがりました。2章は在職最後の年のできごとを日にちをおって書いたものです。これに対して4章は店長時代に記憶にのこったことを書きとめたものです。原稿としてはこの4章が一番古いものになります。仕事というものは、いずれも多くの人々の支えがあって可能になるもので、そうしたことの記録として読んでもらえれば仕事が楽しく思われるでしょう。登場していただいた方々はすべて実名ですが、まだまだここには登場していないお世話になった多くの方々がおります。紹介しきれずに申しわけなく思っています。

5章は読書について、最近の世相も含めて引用を交えながら、少し自分の考えを述べてみました。どの程度のできになっているのかは、読者の判断によるのでしょうが、この中に読書のヒントでもあれば大変嬉しく思います。
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 『書店の棚 本の気配』 佐野 衛 著
亜紀書房 価格1,680円(税込) 好評発売中
  http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=522

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編集長登場・番外編 『神保町公式ガイドVol.3』絶賛発売中

『神保町公式ガイドVol.3』絶賛発売中

『公式ガイド』宣伝部 大谷 仁(古書すからべ)

 「古書店が新刊本を世に送り出した!」と評判になった『神田神保町公式ガイドVol.1』から3年。今年は新機軸を打ちたて、装いも新たにVol.3が刊行されました。  本書では、まず案内役として“歩く神保町”の異名をとる(!?)仏文学者・鹿島茂先生に神保町を歩いてもらい、“粋な大人の街歩き”を紹介。

 [特集其の一]では、神保町はいつから世界一の本の街になったのかをテーマに、貴重な写真をおりまぜながら時間旅行(タイムトラベル)をします。「なるほど、ここは以前、狸ができる原っぱだったんだ!」と、思わず膝を打つ発見がいっぱい!

 [特集其の二]では、いかにも古書店連盟らしく、「装訂」にスポットをあてて、書物の歴史を追いました。江戸時代の書物は寝ていて、明治以降、洋本の輸入で書物が立った(スタンドアップ!)ことは画期的なことだったんですね。  また、江戸時代に庶民のあいだで流行った書物が、現在でも形を変えて読み継がれている事実を知れば、人の好奇心は昔も今も変わりがないことがわかります。

 もちろんVol.3でも、神田古書店連盟全158店を掲載した「古書店MAP」が“別刷り付録”として付くので、これを持って神保町を実際に歩いてみるのもおすすめです。 “街と本”の、これまで知らなかった蘊蓄が詰まった『神保町公式ガイドVol.3』を、ぜひ手に取ってみてください。そして先入観を捨てて、書店へ入ろう!
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自著を語る(86) 『復興の書店』について

『復興の書店』について

稲泉 連

 私がこの『復興の書店』の取材を始めたのは2011年5月のことでした。 当時、津波によって大きな被害を受けた町では、道路を覆っていた瓦礫こそ片付けられたものの、被災の痕跡は生々しく残り、町から町へ行く度に胸に痛みを覚えるような光景が続いていました。

 そんななか、被災地の書店をめぐりながら強く印象付けられたのは、被災直後からそこに「本」を求める人々の姿があったことを、書店経営者や書店員の方々が誇らしげに、そして自分はその光景を確かに見たのだという実感とともに語ってくれたことでした。

 本書に登場する三陸沿岸や福島県浜通りにある書店は、震災前から地域に根差した経営を続けてきた「町の本屋さん」がほとんどです。いま、そうした書店の多くは経営が苦しく、津波や原発事故による被災がなくとも、廃業を余儀なくされるお店も少なくありません。

 震災後に店を再開するとき、何人かの書店員の方は「こんなときに店を開けても、本当にお客さんが来るか半信半疑だった」と考えていたと言いました。ところが実際には、水や食料が不足し、スーパーマーケットにリュックサックを背負った人々が並んでいたまさにそのとき、同じように町の書店にも本や雑誌を買い求める人たちが列を作った。 いま胸に甦ってくるのは、その光景を語る際の彼らの自信に満ちた表情です。一冊の本を読者の手に届ける――という自らの「仕事」の原点、本を求めて店を訪れた人々の姿にそれを見出し、店舗再建のための力へと変えていった彼らの表情は清々しいものでした。

 思えば書店に限らず、普段の日常の中では胸の奥に仕舞われている「仕事」の原点を、様々な立場の人たちがこの震災という体験を通して再認識したのではないでしょうか。 例えば、三陸の製紙工場や地元新聞社などで働く人たちに話を聞くと、彼らは「紙」を生産する責任に気付かされたと語り、地域の過酷な被災状況を伝えなければならないという記者としての役割を痛感したと語る。

  私自身もまた、そんな彼らの言葉を聞く度に、取材者として一冊の本を書くことの重みをあらためて感じずにはいられませんでした。 そして取材を終えたいま、「本」に対する愛情が胸の裡で増すと同時に、自分にとってこの本がとても大切な一冊となったことを実感しています。
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『復興の書店』 稲泉 連 著
小学館 好評発売中 1,470円(税込)
http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784093798341

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