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海国兵談 (岩波文庫 青 30-1)
精校海國兵談 巻三 木活字版
海國兵談 一五巻迄(一六巻欠)
林子平自筆海国兵談建白書(01の230)
精校 海国兵談抜書 【明治初期 写本】
海国兵談 全16巻(5冊)
海国兵談 岩波文庫
海國兵談 16巻 林子平朱印有り
筆写本 海国兵談
磐水存響 乾坤揃
海 国 兵 談
海国兵談
海国兵談 八巻
海国兵談 全
精校海国兵談全10冊
精校 海國兵談
日本科学英雄伝 ; 1 海国兵談 <日本科学英雄伝 ; 1>
海國兵談 1-5 【全16巻・5冊】 (写本)
精校海国兵談 6~10巻
精校海国兵談10冊揃
写本海国兵談16巻7冊 筆者不明
海国兵談 日本科学英雄伝1
海国兵談・三国通覧図説
精校海国兵談 十巻
精校海国兵談
海国兵談 (岩波文庫)
六無斎全書
精校海国兵談 3~10巻 合本4冊
歴史小説 海国兵談秘記
林子平私家板 文武兼備大學校之圖
海国兵談 (昭和17年) (日本科学英雄伝〈1〉)
精校海国兵談 三、四、五(五から十止)
海國兵談 天地人(全16巻)元合本 發禁初板刋本寫
三国通覧図説
海国兵談(1944年)(岩波文庫)
写本 海国兵談 揃3冊
軍事と技術 昭和8年4月号
精校 海国兵談 嘉永再刻版 全10冊揃 江戸後期・幕末 和本 海防・兵学書
林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。
前哲六無斎遺草 4版
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