長尾雅人 著、岩波書店、1979年5月、606, 45p、22cm
2刷 函付 函背少ヤケとシミ 函両面ヤケ無し 本体天と小口少ヤケ 地ヤケ無し 線引き無し 書き込み無し 保存状態良好です。
空の思想に基づく中観思想と、人間の実存の深みを見つめる唯識思想とは、奇しくも長尾師に薫陶を与えた山口益師(1895-1976)が取り組んだ「有と無の対論」という歴史が示すように、全く方向性が異なる思想のように思える。しかし、『中辺分別論』や『大乗荘厳経論』といった初期瑜伽行派の典籍を深く読み込んだ筆者は、「余れるもの」というキーワードより、そこに同一の源流を見出していくのである。
なお、筆者は『蒙古学問寺』など、戦前に内蒙古(現・内モンゴル自治区)に滞在して現地のチベット仏教について深く学んだことでも知られている。龍樹(ナーガールジュナ)の提示した中観思想が、寂護(シャーンタラクシタ)によって唯識思想を取り込みつつ体系化された歴史を叙述したのは、長尾師の後継として京大仏教学を担った梶山雄一氏(1925-2004)であったが、本書のタイトルにも示されるように中観思想と唯識思想をレガートに捉える見方は、チベット仏教への造詣の深さが準備したものなのかもしれない。