桝田啓三郎責任編集、中央公論社、昭和41年9月、598p 図版、18cm
初版 函 帯 両ビニールカバー付 (函と本体に) 函ヤケ無し 帯ヤケ無し 本体地少ソミ 本体三方ヤケ無し 線引き無し 書き込み無し <月報>付の保存状態良好です。
死に至る病は感動し、何度も読み返しましたが、再読に耐える名著です。
他の著作はよく分かりません。一体にキルケゴールは詩人めいたところがありますね。
そのくせ論理の力に縛られているから純然たる詩人とはいえない。
いわば、彼の著作は人類の最高度の日記とでもいいたいものばかりです。
カフカはキルケゴールを読んで「やはり自分の考えと一致している」と言ったそうですが、カフカの著作もやはり日記に等しいものが多いです。
少なくともカフカの名作はおしなべてレポートのような文章です。
カフカは自分の著作を焼き払おうとしましたが、これは神を念頭に置いたキルケゴールと通ずる微妙な孤独者の心理からではないでしょうか。
人が日記を書く意味とはそもそもなんでしょう?
今日のように、人に見せびらかし自分を他者に筒抜けにすることでしょうか?
僕の祖父は沢山の日記を書き、誰にも読まれずそれを残して死にましたが、それは果たして無意味なことだったかというと、成程、他者には無意味なことに違いありませんが、それを書いた当人にとっては、この世界における自分の役割を知ろうと努力し、自分がどんな存在者であるか他者と比較したものの観察の結果が、全てその日記に記されているわけであります。
すると、その日記には当然、最も詳細にその人間の姿が描かれているわけです。
自分が何者かなど、自分以外の誰も調べてくれませんし、また興味もありません。
よって、人は孤独であり、また実存に立たされているわけであります。