本村 豪章、東京国立博物館、1991-3、p.9-282、26cm
序
埋蔵文化財が発見された時には 遺失物法の適応をうける。これは明治になって西
洋流の法律が導入されて以来現在にまで及んでいる。現在では"文化財”として民族の歴史の基礎資料として、歴史資料として取扱かわれる。戦前に於ては古墳出土遺物は特に御陵墓との関連の有無が注目された。だから出土後は地方行政府を通して先づ宮内省に報告された。 遺物の内、特に重要度の高いと判断されたものは宮内省に,次いで東京帝室博物館で購入され保管された。それ以外の遺物はすべて府・県庁を通じ警察から地主なり発見者なりに返却されている。当時の発見届ともいうべき書類が国に保管されているが諸種の事情から一応非公開の処理がなされてきている。しかし, 考古学の立場から資料を見る時、これは大きな障害以外の何物でもない。 一括遺物として資料を捉え始めて資料としての判断を下しうるのである。 また、その遺物の出土遺構の状態,出土状況を勘案して、始めて歴史史料としての評価を下しうることになるわけである。そのためには発見当時の如何にささやかな情報でも入手することが必要不可欠である。そのために現存する明治以降昭和20年8月迄の書類を整理し一覧表としたものが本稿の地名表である。 現在刊行されている分布図にはドットされていない遺跡も多い。 此等の失なわれた遺跡,伝承を失なって出土地不確実な資料として現在取扱かわれている遺物を再生させるための一助になればと思ってこの地名表を作製した。 発掘届に申請されている地名のみならず出土地の地主・発見者名を併記したのはその意味からである。 また関東大震災・第二次世界大戦等の不幸な出来事のために館蔵品となりながらも抹消処理された遺物もその品名のみを記した。 また、諸種の事情から他の機関に寄贈されたものもあるからその本来の寄贈先を記した。現在,発掘調査はますます増加の一途をたどっている。 それ以前の出土遺物との十分な比較検討,地域社会の中での歴史的位置づけの十分な検討もなし得ないままに累積され続けてゆく。 この現状に対する反省としてこの地名を作製した。 今後は各地での検討をまって資料の史料化への努力をますます続けてゆきたいものである。
1991年3月
日付書入れ