大畑草雨(晴子)第一歌集、練馬区・新星書房、昭和41年、233頁、1冊
初版 函 ●山崎朋子旧蔵本。付箋6枚貼込。ページ折り3ヶ所。「後書」に赤鉛筆線多数。
●「歌をつくりだして二年目頃に突如主人(大畑正)を失いました。まだ大東亜戦争が始まる前」(「後書」より)。
●「主人没後二年間はそのまま呉に居りましたが、意を決して広島の日本製鋼所に女で唯一の主事補として就職しました。随分大きな軍需工場で私は十ばかりある寮の一つと、広島の駅近くにあった分工場の管理にあたりました。時には四十才位の入墨をした徴用工員がたくさん入寮してきてふるえ上った事もありましたが、真心をもって対すればみんないい工員でした。(中略)日に日に戦争はきびしく学童は一人残らず地方へ疎開ということになり、二児を故郷にあづけましたが、私は徴用の身となって職をやめさせてもれえず、一人広島に残りました。空襲の度に女学生を先づ防空壕に入れ、自分はその入口に立って見張りをしながらも、もし死んだら子供はふた親なしになるとつらい思いをしました。幸か不幸か健康をそこねましたので休暇をとり、帰郷、二十日目に原子爆弾が落ちました。当時は機械に向っていた女学生の姿、寮のミシン婦、炊事係の人々の顔などが目につらつき魂のぬけたような日を過しました」(大畑草雨「あとがき」より)。
●想夫譜/遺品/海軍葬/映画「潜水艦第一号/一周忌の頃/水漬く屍/長女事故に遭ふ(山崎朋子、顔を切られる1958.5.18)/初孫他。
●二日三晩帯もとかずにもの言はぬ娘の病室におろおろと居る
●眼と口を僅かにあけて一面に繃帯されし娘の瞳は澄めり (長女事故に遭ふ)
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