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エルツベルガ― 『国際連盟:世界平和への道』 1918年 ベルリン刊 / Erzberger, M. Der Voelkerbund. Der Weg zum Weltfrieden. Berlin, Verlag von Reimar Hobbing. 1918.


  • 著者 エルツベルガ―
  • 刊行年 1918
  • 状態 中古品(並)
  • 解説 8vo, 196pp, original paper bound, spine bumped, residue on title page.
    「相互了解による講和」を代表し中央党所属の政治家マティアス・エルツベルガ―による第一世界大戦の講和と戦後構想。第一次世界大戦後に財務大臣を務めるが、ドイツの停戦・講和を主導した人物として極右組織コンスル団により暗殺される。
  • 在庫 在庫切れ(極東書店)


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『連合国の和平条件』 初版 1919年 ベルリン刊 / Societe Allemande pour une Ligue des Nations (Deutsche Liga fuer Voelkerbund), Conditions de Paix des Puissances Alliees et Associees. Reproduction Complete du Texte Officiel. [Berlin], Engelmann, 1919

極東書店
 東京都千代田区神田三崎町
17,600
国際連盟のためのドイツ連合、1919
First French Edition. 8vo, 262pp, with a folded map, original wrappers

"連合国の和平条件"であるヴェルサイユ条約の全文を条約正文のフランス語にてドイツで発行された書籍です。発行元の"国際連盟のためのドイツ連合"とは、第一次世界大戦時に「勝利の講和」ではなく、「相互了解による講和」を目指していた議員達を中心として、1918年にドイツ外務省の後援のもとにベルリンで結成された団体でした。
中心となった人物としては、大戦中からアメリカ大統領ウィルソンによる国際連盟の構想を支持し、戦後は財務大臣となったマティアス・エルツベルガー(彼は休戦協定に著名した「11月の犯罪者」として暗殺される)、国際法学者ヴァルター・シュッキング、初代大統領フリードリヒ・エーベルトなど、後にドイツ国制でヴァイマル連合を形成する政党の議員から構成されていました。活動の目的は、ドイツの国際連盟への加盟、およびドイツでの国際連盟思想の普及に努めていましたが、国際連盟発足の前提であったヴェルサイユ条約自体には反対の立場でした。
本書は条約正文のフランス語版のほかに、ドイツ語訳版の発行も確認されています。条約の正文であるフランス語版は当時の中等教育以上の教育を受けた教養市民向けに、ドイツ語訳版は民衆向けに発行され、ヴェルサイユ条約に対する全国民的な議論を活性化させる意図があったものと推測されます。

参考文献:
牧野雅彦『ヴェルサイユ条約マックス・ウェーバーとドイツの講和』中央公論社 2013年
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17,600
国際連盟のためのドイツ連合 、1919
First French Edition. 8vo, 262pp, with a folded map, original wrappers "連合国の和平条件"であるヴェルサイユ条約の全文を条約正文のフランス語にてドイツで発行された書籍です。発行元の"国際連盟のためのドイツ連合"とは、第一次世界大戦時に「勝利の講和」ではなく、「相互了解による講和」を目指していた議員達を中心として、1918年にドイツ外務省の後援のもとにベルリンで結成された団体でした。 中心となった人物としては、大戦中からアメリカ大統領ウィルソンによる国際連盟の構想を支持し、戦後は財務大臣となったマティアス・エルツベルガー(彼は休戦協定に著名した「11月の犯罪者」として暗殺される)、国際法学者ヴァルター・シュッキング、初代大統領フリードリヒ・エーベルトなど、後にドイツ国制でヴァイマル連合を形成する政党の議員から構成されていました。活動の目的は、ドイツの国際連盟への加盟、およびドイツでの国際連盟思想の普及に努めていましたが、国際連盟発足の前提であったヴェルサイユ条約自体には反対の立場でした。 本書は条約正文のフランス語版のほかに、ドイツ語訳版の発行も確認されています。条約の正文であるフランス語版は当時の中等教育以上の教育を受けた教養市民向けに、ドイツ語訳版は民衆向けに発行され、ヴェルサイユ条約に対する全国民的な議論を活性化させる意図があったものと推測されます。 参考文献: 牧野雅彦『ヴェルサイユ条約マックス・ウェーバーとドイツの講和』中央公論社 2013年
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『合衆国の恐慌の歴史』 英語初版 1893年 ニューヨーク刊Juglar, Clement, A Brief History of Panics and their periodical Occurrence in the United States. New York, Putnam, 1893.

極東書店
 東京都千代田区神田三崎町
98,560
クレマン・ジュグラー、1893
First Edition in English. 8vo, [4], 150pp, publisher's brown cloth, library label and pocket to front and rear pastedowns

クレマン・ジュグラーの主要著作英語抄訳版
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98,560
クレマン・ジュグラー 、1893
First Edition in English. 8vo, [4], 150pp, publisher's brown cloth, library label and pocket to front and rear pastedowns クレマン・ジュグラーの主要著作英語抄訳版

『1942年の西海岸からの日本人の立退き』 1943年 ワシントン刊 / U.S. War Department, General J. L. DeWitt, Japanese Evacuation from the West Coast 1942. Final Report. Washington, D.C., Government Printing Office, 1943

極東書店
 東京都千代田区神田三崎町
121,000
米国陸軍省、1943
First edition. 8vo, 618pp, black cloth, 3 color fold-out maps, many photos of Japanese people, library stamp on end paper

1942年2月19日に軍事地域からの立ち退き命令の権限を陸軍に与えた大統領令9066号を根拠として、西部防衛司令部及びアメリカ合衆国第四軍の司令官であったジョン L. デヴィット(John L. DeWitt)指揮下で行われたアメリカ西海岸での日系人の強制収容に関する包括的な資料です。
1943年に初版が刊行された本書は、パールハーバーの衝撃により、今回の対応が国家安全保障上の懸念やスパイ及び破壊化工作の予防を求める世論の圧力の下で、日系人一括の立ち退きに至った経緯とその根拠を、多くの統計、図表、写真資料を豊富なデータを基にして報告しています。
本書の前文において、陸軍長官であったヘンリー・スティムソンは、軍事的措置の為にアメリカへの忠誠心の強さや有無にかかわらず一律の対応をせざるを得なかったことを遺憾としつつ、「我が国の日系住民たちが租界命令に応じた態度には大いに称賛に値する」と述べています。
これは皮肉ではなく、実際に日系人組織が今回のアメリカ当局の方針に対して自主的に協力路線を取ったことを根拠として、アメリカ市民権を有する日系人の憲法上の権利を侵害するという非常措置でありながらも、今回の立ち退き収容が一時的滞在または非常事態での避難でありかつ人道的に行われた措置であることを示す目的があったものと思われます。

参考文献
油井大三郎『日系アメリカ人強制収容からの<帰還>』岩波書店 2025年
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121,000
米国陸軍省 、1943
First edition. 8vo, 618pp, black cloth, 3 color fold-out maps, many photos of Japanese people, library stamp on end paper 1942年2月19日に軍事地域からの立ち退き命令の権限を陸軍に与えた大統領令9066号を根拠として、西部防衛司令部及びアメリカ合衆国第四軍の司令官であったジョン L. デヴィット(John L. DeWitt)指揮下で行われたアメリカ西海岸での日系人の強制収容に関する包括的な資料です。 1943年に初版が刊行された本書は、パールハーバーの衝撃により、今回の対応が国家安全保障上の懸念やスパイ及び破壊化工作の予防を求める世論の圧力の下で、日系人一括の立ち退きに至った経緯とその根拠を、多くの統計、図表、写真資料を豊富なデータを基にして報告しています。 本書の前文において、陸軍長官であったヘンリー・スティムソンは、軍事的措置の為にアメリカへの忠誠心の強さや有無にかかわらず一律の対応をせざるを得なかったことを遺憾としつつ、「我が国の日系住民たちが租界命令に応じた態度には大いに称賛に値する」と述べています。 これは皮肉ではなく、実際に日系人組織が今回のアメリカ当局の方針に対して自主的に協力路線を取ったことを根拠として、アメリカ市民権を有する日系人の憲法上の権利を侵害するという非常措置でありながらも、今回の立ち退き収容が一時的滞在または非常事態での避難でありかつ人道的に行われた措置であることを示す目的があったものと思われます。 参考文献 油井大三郎『日系アメリカ人強制収容からの<帰還>』岩波書店 2025年

『ザクセン侯国の没収令によって非難された無神論的な表現についての公衆への訴え』 1799年 イエナ、ライプチヒ、テュービンゲン刊 / Fichte, Johann Gottlieb, Appellation an das Publikum ueber die durch ein Kurf. Saechs. Confiscationsrescript ihm beigemessenen atheistischen Aeusserungen. Eine Schrift, die man erst zu lesen bittet, ehe man sie confiscirt. Jena und Leipzig, bei Christian Ernst Gabler, Tuebingen: J. G. Cottaische Buchhandlung. 1799

極東書店
 東京都千代田区神田三崎町
94,600
フィヒテ、1799
First edition, 8vo, 116pp, modern marbled board, red morocco label, gilt in letter, library stamp on title page

「無神論論争」とは、1799年4月にドイツ観念論の哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテが最終的にイェナ大学を去ることになった事件のことです。この論争は、フィヒテが共同編集していた「哲学雑誌」上にて、彼の弟子の寄稿論文「宗教の概念の発展」とともに発表された論稿「神的世界統治に対する我々の信仰の根拠について」が無神論と見なされたことをきっかけにとして発生しました。
事態を重く見たザクセン邦とヴァイマル邦の政府が同雑誌の没収命令を発し、責任追及を始めました。これに対してフィヒテが反論書を書くことになりました。まずは、一般公衆向けに書かれたのが1799年1月に発行された本書「ザクセン候国の没収令によって非難された無神論的な表現についての公衆への訴え」で、大学当局向けには1799年3月に「無神論という告発に対する法的な弁明書」が発行されました。
両方の著書にて、自らの主張が無神論を信奉するものではないことと、当局の対応が学問の自由を脅かすものと訴え、自らの主張に賛同する同僚の支援も期待しましたが、賛同が得られず、フィヒテはイェナ大学より解雇されることとなりました。以後フィヒテは、1814年に死去するまで、プロイセン王国のベルリンを拠点に活躍することになります。

参考文献:福吉勝男『フィヒテ』清水書院、1990年、55-57頁
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94,600
フィヒテ 、1799
First edition, 8vo, 116pp, modern marbled board, red morocco label, gilt in letter, library stamp on title page 「無神論論争」とは、1799年4月にドイツ観念論の哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテが最終的にイェナ大学を去ることになった事件のことです。この論争は、フィヒテが共同編集していた「哲学雑誌」上にて、彼の弟子の寄稿論文「宗教の概念の発展」とともに発表された論稿「神的世界統治に対する我々の信仰の根拠について」が無神論と見なされたことをきっかけにとして発生しました。 事態を重く見たザクセン邦とヴァイマル邦の政府が同雑誌の没収命令を発し、責任追及を始めました。これに対してフィヒテが反論書を書くことになりました。まずは、一般公衆向けに書かれたのが1799年1月に発行された本書「ザクセン候国の没収令によって非難された無神論的な表現についての公衆への訴え」で、大学当局向けには1799年3月に「無神論という告発に対する法的な弁明書」が発行されました。 両方の著書にて、自らの主張が無神論を信奉するものではないことと、当局の対応が学問の自由を脅かすものと訴え、自らの主張に賛同する同僚の支援も期待しましたが、賛同が得られず、フィヒテはイェナ大学より解雇されることとなりました。以後フィヒテは、1814年に死去するまで、プロイセン王国のベルリンを拠点に活躍することになります。 参考文献:福吉勝男『フィヒテ』清水書院、1990年、55-57頁

『野干の手柄』 昭和12年 東京刊 日本昔噺12 The Cub's Triumph. (Japanese Fairy Tale Series, No. 12). Tokyo, T. Hasegawa, 1937.

極東書店
 東京都千代田区神田三崎町
30,250
ジェイムズ夫人/西宮與作、1937、1
Sixteenth edition. 8vo, [24]pp, original crepe paper.
長谷川武次郎・弘文社発行の英文日本昔話の第12号として刊行された作品で、初版は明治20年(1887年)に刊行されました。本書は昭和12年(1937年)に刊行された16版で最終版にあたる作品です。
翻訳を担当したのは長谷川英文ちりめん本の翻訳を最も多く手掛けたジェイムズ夫人ことケイト・ジェイムズ(Kate James)で、「松山鏡」、「因幡の白兎」に続く三作目にあたります。
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30,250
ジェイムズ夫人/西宮與作 、1937 、1
Sixteenth edition. 8vo, [24]pp, original crepe paper. 長谷川武次郎・弘文社発行の英文日本昔話の第12号として刊行された作品で、初版は明治20年(1887年)に刊行されました。本書は昭和12年(1937年)に刊行された16版で最終版にあたる作品です。 翻訳を担当したのは長谷川英文ちりめん本の翻訳を最も多く手掛けたジェイムズ夫人ことケイト・ジェイムズ(Kate James)で、「松山鏡」、「因幡の白兎」に続く三作目にあたります。

『日本』 1915年 東京刊 / Imperial Government Railways, Japan. Travelers' Handy Guide 1915. Special Edition for the Panama-Pacific International Exposition, Tokyo, 1915

極東書店
 東京都千代田区神田三崎町
99,000
内閣鉄道院、1915
First edition, 8vo, 62pp, original wrapper with string binding in Japanese style, many plates guarded by tissue, folding chart of passengers fare, folding cart of distances by rail, folding map, crimped on p13.

本書は、内閣鉄道院がパナマ・太平洋万国博覧会(通称サンフランシスコ万国博覧会)期間中刊行した、「パナマ・太平洋万国博覧会特別版」と副題がついた日本の簡易旅行ガイドです。会場内のジャパン・ツーリストビュローの案内所にて、合計3万部が配布されたといわれています。
書籍の内容は、日本旅行の概要や鉄道院の情報、おすすめの旅行コース、各地の旅行スポットを紹介しており、日本の風景・習慣の写真とともに、大判の折りたたみ時刻表と地図が添えられています。簡易的な旅行ガイドでありながら、日本旅行に必要な情報が網羅された充実した構成となっています。
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99,000
内閣鉄道院 、1915
First edition, 8vo, 62pp, original wrapper with string binding in Japanese style, many plates guarded by tissue, folding chart of passengers fare, folding cart of distances by rail, folding map, crimped on p13. 本書は、内閣鉄道院がパナマ・太平洋万国博覧会(通称サンフランシスコ万国博覧会)期間中刊行した、「パナマ・太平洋万国博覧会特別版」と副題がついた日本の簡易旅行ガイドです。会場内のジャパン・ツーリストビュローの案内所にて、合計3万部が配布されたといわれています。 書籍の内容は、日本旅行の概要や鉄道院の情報、おすすめの旅行コース、各地の旅行スポットを紹介しており、日本の風景・習慣の写真とともに、大判の折りたたみ時刻表と地図が添えられています。簡易的な旅行ガイドでありながら、日本旅行に必要な情報が網羅された充実した構成となっています。

『イマヌエル・カント注解』 初版 1801年 ヴィーン刊 / Wenzel, Gottfried Immanuel, Canonik des Verstandes und der Vernunft. Ein Commentar ueber Immanuel Kants Logik. Wien, Anton Doll, 1801

極東書店
 東京都千代田区神田三崎町
135,520
ヴェンツェル、1801
First Edition. 8vo, xviii, 366pp, later pinkish marbled boards, with original label on spine, note by former owner on front end paper

本書の著者ヴェンツェル(Gottfried Immanuel Wenzel, 1754-1809)は、ボヘミア地方出身のオーストリアの哲学者、著述家でリンツ大学の論理・道徳・形而上学教授でした。
ヴェンツェル自身カント哲学に強く影響を受けていたこと、また彼の教育活動時期としてはヨーゼフ二世によるヨーゼフ主義の啓蒙主義改革やカント哲学の興隆の時期という時代の追い風もあり、彼の著書はオーストリアへのカント哲学の導入的役割を果たしたといわれています。
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ヴェンツェル 、1801
First Edition. 8vo, xviii, 366pp, later pinkish marbled boards, with original label on spine, note by former owner on front end paper 本書の著者ヴェンツェル(Gottfried Immanuel Wenzel, 1754-1809)は、ボヘミア地方出身のオーストリアの哲学者、著述家でリンツ大学の論理・道徳・形而上学教授でした。 ヴェンツェル自身カント哲学に強く影響を受けていたこと、また彼の教育活動時期としてはヨーゼフ二世によるヨーゼフ主義の啓蒙主義改革やカント哲学の興隆の時期という時代の追い風もあり、彼の著書はオーストリアへのカント哲学の導入的役割を果たしたといわれています。

『この震える大地』 1930年代 ニューヨーク刊 / Sundberg, Edwin L. (Illus.), This Quaking Earth. New York, Sunday News, 1930s.

極東書店
 東京都千代田区神田三崎町
132,000
サンドバーグ
Color map (39x58cm), two soft folds
ニューヨークで発行された、近代以降に大地震が発生した地域を示したもので、地図用で発生地・発生年・死者数確認することができます。本地図においては関東大震災は、直近で発生した最悪の死者数を記録した地震として扱われています。
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サンドバーグ
Color map (39x58cm), two soft folds ニューヨークで発行された、近代以降に大地震が発生した地域を示したもので、地図用で発生地・発生年・死者数確認することができます。本地図においては関東大震災は、直近で発生した最悪の死者数を記録した地震として扱われています。

『ピエール・キュリー著作集』 / 初版 1908年 パリ刊Curie, Pierre, Oeuvres. Publiees par les soins de la Societe Francaise de Physique. Paris, Gauthier-Villars, 1908.

極東書店
 東京都千代田区神田三崎町
149,600
ピエール・キュリー / マリー・キュリー序論・編集、1908
First Edition. 8vo, xxii, 621pp, with frontispiece portrait, diagrams, contemporary dark-blue library cloth, library bookplate
フランスの物理学者で1903年のノーベル物理学賞受賞者のピエール・キュリーの著作集です。収録範囲は、1880年に若干21歳で兄のジャックと共に発表した圧電効果に関する最初期の論文から、不慮の交通事故で亡くなる1906年の紀要論文まで、「25年に渡る研究の集大成」として発行されました。
本書にてピエール・キュリーの業績をたどる序論及び編集を担当したのはキュリー夫人Madame Pierre Curieことマリー・キュリーです。本書の編集に取り組んだのは、夫であるピエール・キュリーのソルボンヌ大学の教授職の後任となった時期でした。

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149,600
ピエール・キュリー / マリー・キュリー序論・編集 、1908
First Edition. 8vo, xxii, 621pp, with frontispiece portrait, diagrams, contemporary dark-blue library cloth, library bookplate フランスの物理学者で1903年のノーベル物理学賞受賞者のピエール・キュリーの著作集です。収録範囲は、1880年に若干21歳で兄のジャックと共に発表した圧電効果に関する最初期の論文から、不慮の交通事故で亡くなる1906年の紀要論文まで、「25年に渡る研究の集大成」として発行されました。 本書にてピエール・キュリーの業績をたどる序論及び編集を担当したのはキュリー夫人Madame Pierre Curieことマリー・キュリーです。本書の編集に取り組んだのは、夫であるピエール・キュリーのソルボンヌ大学の教授職の後任となった時期でした。
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