題字・堀尾青史 画・いわさきちひろ 刊行委員・川崎大治、堀尾青史、安泰、湯川真一、与田準一 追悼文集・・・
カバー 本体クロス装 別刷「稲葉さんの思い出」追補(古田足、松本善明ほか)つき 稲葉桂子(1916年-1975年)は1942年、日本教育紙芝居協会に入社。1950年、教育紙芝居研究会を組織。1956年、夫金治とともに童心社創立。1968年、童心社退社。1969年、子どもの文化研究所を設立。「稲葉さんの思い出は籠いっぱいあって、いってみれば一つ一つは野の花のようなさりげないものだけれど、それなりに一つ一つが鮮やかに残っている。ある時期わたしたちは同じ大泉に住んでいたから乳母車を押していききをしたり…(中略)。福音館の『母の友』に載ったはじめてのモモちゃんものをひどく愛してくれて、こういうのをもう一つ書いて、といってきてくださったのが、仕事仲間としてのはじまりだった。もっとも昭和二十七年稲葉さんが教育紙芝居研究所にいらしたころ、一度お会いしているしサンケイの授賞式でばったりお会いして、「『あいうえおの本』が受賞したの」と嬉しそうだった。その本は娘の愛読書となってぼろぼろになり今も手許にあるけれど、童心社独特の雰囲気のある出版が、そのこからはじまたのではないかしら。とにかく『ね、おはなしよんで』から始まる一連の分厚いアンソロジーに私はモモちゃんをすこしずつ書き、それが『ちいさいモモちゃん』の生まれるきっかけとなった。作者の持つ可能性をひきだしてくれる編集者であった。そのあと『おはなしだいすき』で「0歳からの本をつくりたいの。0歳からの文学があると思うの。あなたならきっとできるわ。いいえ、あなただからできるのよ。」とあの甘く優しい声で語りかけ、尻ごみをしている私をシッタベンレイし、私もいつのまにかその気になって本気で0歳からの文学を描こうと決意し、(中略)それが私たちの『赤ちゃんの本』の母胎となった。(後略)」(松谷みよ子「かけがえのないひと」より)日本初の本格的なあかちゃん絵本『いないいないばあ』が誕生したいきさつとなった人物でもありました。カバーの背ヤケ 松谷みよ子旧蔵
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