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和流最強の砲術秘伝書 坂本天山荻野流兵法書  坂本孫八俊鎧


  • 著者 天山流砲術ノ開祖、坂本天山ノ秘傳書ノ一括。、天山ノ長子 「坂本孫四郎/俊元/花押」ト奧書有
  • 出版社 画像→http://www.nagumosyoten.jp/newsboard/nb98-2.pdf 76番
  • 刊行年 文化文政頃写
  • 冊数 27冊
  • 解説 【書名】 坂本天山荻野流砲術秘伝書
    【巻冊】 27冊
    【著者】 坂本天山・、天山の長子「坂本孫四郎/俊元/花押」
    【成立】 文化文政頃写
    ★ 江戸中期の砲術家で天山流砲術の開祖、坂本天山の秘傳書の一括です
    ★ 江戸前期の砲術家荻野安重を流祖とする荻野流は和流砲術のなかでも最も進歩的な思想をもつ流派として盛行しました。
    ★ 荻野流を学んだ代表的な砲術家を挙げるとすれば江戸後期が高島秋帆ならば江戸中期は坂本天山として疑いないと思われます。
    ★ 坂本孫八俊鎧(號、天山)は信州高遠藩士で少時より父英臣について荻野流砲術を修めました。寛政年間には長子孫四郎に家を継がせ自ら砲術師範として京、大坂、長州、九州各地を歴訪し、長州三田尻では毛利家の水軍に砲術を教授、平戸においては松浦藩士に文武の講義を行い、また鹿児島藩より入門するものもあったといいます。しかし享和元年病に倒れ、59歳、平戸で客死しました。
    ★ 日本を代表する砲術史研究家である所荘吉氏曰く【幼年より父運四郎英臣について荻野流砲術を学び、傍ら大内熊耳に師事して復古学を修めた。安永7(1778)年には画期的な発明といわれる周発台(左右の旋回と仰角をとることができる重砲用の台)を考案し、これを中心にした兵制や戦術にまで研究がおよんだ。しかし、宗家を重んずる謙譲の人柄からあえて天山流を唱えずに「荻野流増補新術」と称したが、のちには宗家荻野昭良も天山から増補新術を伝授されている。その優秀さにつおては、薩英戰爭(1863)や馬関戦争(仝)においてヨーロッパ艦隊と互角に戦い得た唯一の和流砲術あったことからも窺える。】
    ★ 秘伝書は写本でありながら全て高貴とされた康煕綴で綴られています。しかも全てが整然精写にして極美の保存状態であることや、天山の長子「坂本孫四郎/俊元/花押」と奧書きした秘伝書が存在するので、坂本家宗家に近い家筋で相伝されてきた可能性が髙く、当時最高水準であった天山流砲術を解明できる絶好の資料と考えられます。
    ★ 秘傳書の内容は大本17冊・中本10冊です。『風軒先生書上』『砲術明鑑火硝製造編』『國友流鉄礮製錬之法』『周發圖説附録』上下『銃陣詳節國字解』『砲道或問』『志羅津内合册』『火砲周發取易象辨釋』『周發利用辨』『答客問』『始終正道圖補正』『砲枝骨董記』『拾貫目筒製造』『巨術利用辨』他図版参照
  • 在庫 在庫切れ(名雲書店)


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名雲書店の新着書籍

外科方彙 

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
22,000
江府/桃井碩水輯 原装題簽欠、元文3 年序
中横本、寶暦11 年冬10 月/江都醫官/望三英序
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22,000
江府/桃井碩水輯 原装題簽欠  、元文3 年序
中横本、寶暦11 年冬10 月/江都醫官/望三英序

湯浅一郎・湯浅太助親子を中心とした湯浅家宛書簡と葉書の大量一括

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
1,100,000
昭和初期〜昭和10年代
■商品詳細

【書名】 湯浅一郎・湯浅太助親子を中心とした湯浅家宛書簡と葉書の大量一括
【巻冊】 約550通
【著者】 
【成立】 昭和初期〜昭和10年代

★ 湯浅一郎は明治・大正・昭和戦前期を代表する日本の洋画家である。
★ 湯浅一郎は上州安中の名家で文化人にして政治家で醸造業有田屋の主人でもある湯浅治郎の長男として生まれた。
★ 治郎は元々新島襄の父民治と親しかったが、明治7年に新島襄が帰郷するとその講演を聴いてキリスト教に興味を持ち明治11年に新島襄から洗礼を受けて同時に安中教會を創設した。
★ 海老名彈正は新島の勧めと治郎の求めに応じて安中で傳道活動を行い治郎がその旅費を負担したため親交を持ち安中教會の初代牧師となった。
★ 湯浅一郎は先妻・茂登子との長男であるが、治郎の後妻の初子は徳富蘇峰・蘆花の姉である。
★ 同志社大学第12代総長、国際基督教大学初代学長の湯浅八郎は一郎とは異母兄弟で八郎は初子の子である。
★ 湯浅一郎は同志社英学校を卒業した後、山本芳翠の生巧館画塾で学び、山本芳翠が画塾の経営から身を引くと、それを譲り受けた黒田清輝の天真道場に学んだ。1896年、東京美術学校に西洋画科が新設されたのにともないその選科3年に入学。同年、白馬会の結成にも加わる。
★ 治郎の弟湯浅吉郎(半月)が詩集『半月集』を出版すると、その表紙・裏表紙・口絵の装丁を手がけている。
★ 湯浅吉郎は京都府立図書館館長の時に竹久夢二と会い「第一回夢二作品展覧会」を開催して大成功させ注目された。
★ 湯浅太助は一郎の後妻園田納の子で長男である。一郎宛はニューヨークに留学していた太助のエアメールが大半を占めるが、初子の子で一郎の異母兄弟の湯浅與三が留学先の米国から一郎・行枝夫妻に送ったエアメールも三通ある。※ナイアガラの滝の写真つき
★ 一郎の三人めの妻行枝(ゆくゑ)宛の太助からのエアメールが四通ほどある。
★ 一郎の代表作である「徒然」や「画室」は現在群馬県立近代美術館が所蔵するがそれは湯浅ゆくゑ・湯浅太助の寄贈による。
★ 安中教會の新島襄の肖像画は一郎が描いたものである。
★ 昭和6年胃癌により死去。62歳。
★ 洋画家湯浅一郎と長男太助とゆくゑの親子関係と交友関係を知り得る好資料である。
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1,100,000
、昭和初期〜昭和10年代
■商品詳細 【書名】 湯浅一郎・湯浅太助親子を中心とした湯浅家宛書簡と葉書の大量一括 【巻冊】 約550通 【著者】  【成立】 昭和初期〜昭和10年代 ★ 湯浅一郎は明治・大正・昭和戦前期を代表する日本の洋画家である。 ★ 湯浅一郎は上州安中の名家で文化人にして政治家で醸造業有田屋の主人でもある湯浅治郎の長男として生まれた。 ★ 治郎は元々新島襄の父民治と親しかったが、明治7年に新島襄が帰郷するとその講演を聴いてキリスト教に興味を持ち明治11年に新島襄から洗礼を受けて同時に安中教會を創設した。 ★ 海老名彈正は新島の勧めと治郎の求めに応じて安中で傳道活動を行い治郎がその旅費を負担したため親交を持ち安中教會の初代牧師となった。 ★ 湯浅一郎は先妻・茂登子との長男であるが、治郎の後妻の初子は徳富蘇峰・蘆花の姉である。 ★ 同志社大学第12代総長、国際基督教大学初代学長の湯浅八郎は一郎とは異母兄弟で八郎は初子の子である。 ★ 湯浅一郎は同志社英学校を卒業した後、山本芳翠の生巧館画塾で学び、山本芳翠が画塾の経営から身を引くと、それを譲り受けた黒田清輝の天真道場に学んだ。1896年、東京美術学校に西洋画科が新設されたのにともないその選科3年に入学。同年、白馬会の結成にも加わる。 ★ 治郎の弟湯浅吉郎(半月)が詩集『半月集』を出版すると、その表紙・裏表紙・口絵の装丁を手がけている。 ★ 湯浅吉郎は京都府立図書館館長の時に竹久夢二と会い「第一回夢二作品展覧会」を開催して大成功させ注目された。 ★ 湯浅太助は一郎の後妻園田納の子で長男である。一郎宛はニューヨークに留学していた太助のエアメールが大半を占めるが、初子の子で一郎の異母兄弟の湯浅與三が留学先の米国から一郎・行枝夫妻に送ったエアメールも三通ある。※ナイアガラの滝の写真つき ★ 一郎の三人めの妻行枝(ゆくゑ)宛の太助からのエアメールが四通ほどある。 ★ 一郎の代表作である「徒然」や「画室」は現在群馬県立近代美術館が所蔵するがそれは湯浅ゆくゑ・湯浅太助の寄贈による。 ★ 安中教會の新島襄の肖像画は一郎が描いたものである。 ★ 昭和6年胃癌により死去。62歳。 ★ 洋画家湯浅一郎と長男太助とゆくゑの親子関係と交友関係を知り得る好資料である。

琉球事件・八重山宮古郡各村字名鑑・ペルリ水兵事件 原寸復刻 沖縄返還50周年記念出版 オールカラー印刷 新刊

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
13,200
名雲純一編、令和4年4月15日
■商品詳細

【書名】 琉球事件・八重山宮古郡各村字名鑑・ペルリ水兵事件 
【巻冊】 B5判/上製・上質紙・カバー装釘・410頁
【著者】 名雲純一編
【成立】 令和4年4月15日

★ 琉球王国末期の二大事件(ペリー艦隊首里城砲撃未遂事件・琉球王国滅亡事件)八重山・宮古260年来の悲願人頭税廃止に至った画期的事業の一記録 
★ 琉球事件 松井順時編 明治13年刊
明治12年に明治政府が琉球王国を侵攻した琉球処分(琉球事件)直後にその顚末と琉球文化風俗を記録した刊本である。清国の李鴻章は世界旅行中の前アメリカ大統領グラントに日本の琉球処分の仲裁を依頼した。大河ドラマ青天を衝け終盤に登場したグラントは清国から重大な問題を預かっての来日となり伊藤博文らと会談した。
★ 八重山宮古 郡各村字名鑑 臨時沖縄県土地整理事務局測量課編 明治36年3月
明治4年に明治政府は廃藩置県を開始したが、明治5年に琉球王国をあえて琉球藩と命令して制圧した。そして遂に明治12年に琉球処分を下して沖縄県として琉球王国を滅ぼした。明治政府は国王を東京に連行して幽閉、二千人に及ぶ士族を失職させて琉球の人民から猛反発を受けた。反発を受け明治政府は地租改正を行わずに琉球の旧慣制度をそのままに存続した。日清戦争の勝利により沖縄県をゆるぎないものとした明治政府は明治32年に税制土地制度を本国と統一しようとしたのである。その役割を担ったのが大蔵省管轄の「臨時沖縄県土地整理事務局」だった。それには土地を個人所有として地名を特定する必要があった。明治36年に事業が完了して八重山と宮古の島民を267年間も苦しめ続けた人頭税が遂に廃止されたのである。収録字数は八重山が474・宮古が845にのぼる。
★ ペルリ水兵事件 琉球のペルリ 石野径一郎自筆原稿・400詰原稿用紙57枚
4度も映画化された不朽の名作『ひめゆりの塔』を著した沖縄県出身の作家、石野径一郎の未刊の新出原稿。江戸末期ペリー艦隊が来航した際に一等水兵が那覇の街の民家に押し入り泡盛で泥酔して婦女暴行を働き島民らの殴打により殺害された事件の真相に迫る歴史小説。水兵は溺死に偽装されペリーが激怒して首里城を砲撃される国家的な窮地に陥るが8年間琉球に滞在していたユダヤ系イギリス人宣教医師ベッテルハイムの機転により琉球王府が救われた物語。
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13,200
名雲純一編 、令和4年4月15日
■商品詳細 【書名】 琉球事件・八重山宮古郡各村字名鑑・ペルリ水兵事件  【巻冊】 B5判/上製・上質紙・カバー装釘・410頁 【著者】 名雲純一編 【成立】 令和4年4月15日 ★ 琉球王国末期の二大事件(ペリー艦隊首里城砲撃未遂事件・琉球王国滅亡事件)八重山・宮古260年来の悲願人頭税廃止に至った画期的事業の一記録  ★ 琉球事件 松井順時編 明治13年刊 明治12年に明治政府が琉球王国を侵攻した琉球処分(琉球事件)直後にその顚末と琉球文化風俗を記録した刊本である。清国の李鴻章は世界旅行中の前アメリカ大統領グラントに日本の琉球処分の仲裁を依頼した。大河ドラマ青天を衝け終盤に登場したグラントは清国から重大な問題を預かっての来日となり伊藤博文らと会談した。 ★ 八重山宮古 郡各村字名鑑 臨時沖縄県土地整理事務局測量課編 明治36年3月 明治4年に明治政府は廃藩置県を開始したが、明治5年に琉球王国をあえて琉球藩と命令して制圧した。そして遂に明治12年に琉球処分を下して沖縄県として琉球王国を滅ぼした。明治政府は国王を東京に連行して幽閉、二千人に及ぶ士族を失職させて琉球の人民から猛反発を受けた。反発を受け明治政府は地租改正を行わずに琉球の旧慣制度をそのままに存続した。日清戦争の勝利により沖縄県をゆるぎないものとした明治政府は明治32年に税制土地制度を本国と統一しようとしたのである。その役割を担ったのが大蔵省管轄の「臨時沖縄県土地整理事務局」だった。それには土地を個人所有として地名を特定する必要があった。明治36年に事業が完了して八重山と宮古の島民を267年間も苦しめ続けた人頭税が遂に廃止されたのである。収録字数は八重山が474・宮古が845にのぼる。 ★ ペルリ水兵事件 琉球のペルリ 石野径一郎自筆原稿・400詰原稿用紙57枚 4度も映画化された不朽の名作『ひめゆりの塔』を著した沖縄県出身の作家、石野径一郎の未刊の新出原稿。江戸末期ペリー艦隊が来航した際に一等水兵が那覇の街の民家に押し入り泡盛で泥酔して婦女暴行を働き島民らの殴打により殺害された事件の真相に迫る歴史小説。水兵は溺死に偽装されペリーが激怒して首里城を砲撃される国家的な窮地に陥るが8年間琉球に滞在していたユダヤ系イギリス人宣教医師ベッテルハイムの機転により琉球王府が救われた物語。

江戸切繪圖 近吾堂板 完揃33舗

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
550,000
高柴三雄誌・東都本所住/村上吾雄誌、嘉永二年〜安政四年刋(國書)
■商品詳細

【書名】 江戸切繪圖 近吾堂板 完揃33舗
【巻冊】 三十三舗
【著者】 高柴三雄誌・東都本所住/村上吾雄誌
【成立】 嘉永二年〜安政四年刋(國書)

★ 板元/麹町拾丁目/近吾堂
★ 近江屋吾平板
★ 一舗/44×64㎝
★ 數舗に少し虫損あり

「改正青山長者丸邊圖」
「赤坂今井辺圖」
「淺草鳥越堀田原圖」
「麻布廣尾邊圖」
「改正上野下谷邊圖」
「牛込市ヶ谷御門外地圖」
「改正大久保外山邊圖」
「御大名小路辰之口辺圖」
「上水北小日向小石川圖」
「下谷淺草箕輪山谷邊圖」
「改正駒込巣鴨邊圖」
「小日向小石川牛込地圖」
「改正小石川邊圖」
「改正北本所中ノ郷石原邊圖」
「懐中番町繪圖」
「改正懐中番町繪圖」
「懐中永田町繪圖」
「芝愛宕下西久保圖」
「改正澁谷宮益邊圖」
「改正雜司ヶ谷音羽邊圖」
「駿河臺小川町圖」
「巣鴨染井王子邊圖」
「外神田下谷上野邊繪圖」
「高輪白金辺圖」
「日本橋南芝口邊地圖」
「改正内藤新宿新屋鋪代々木邊圖」
「日本橋神田從於王池矢ノ倉邊繪圖」
「改正白山駒込邊圖」
「深川之内小名木川ヨリ南之方一圓」
「本郷谷中小石川駒込圖」
「改正本所猿江龜戸邊圖」
「改正南本所竪川邊圖」
「四ッ谷千駄ヶ谷辺圖」
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550,000
高柴三雄誌・東都本所住/村上吾雄誌 、嘉永二年〜安政四年刋(國書)
■商品詳細 【書名】 江戸切繪圖 近吾堂板 完揃33舗 【巻冊】 三十三舗 【著者】 高柴三雄誌・東都本所住/村上吾雄誌 【成立】 嘉永二年〜安政四年刋(國書) ★ 板元/麹町拾丁目/近吾堂 ★ 近江屋吾平板 ★ 一舗/44×64㎝ ★ 數舗に少し虫損あり 「改正青山長者丸邊圖」 「赤坂今井辺圖」 「淺草鳥越堀田原圖」 「麻布廣尾邊圖」 「改正上野下谷邊圖」 「牛込市ヶ谷御門外地圖」 「改正大久保外山邊圖」 「御大名小路辰之口辺圖」 「上水北小日向小石川圖」 「下谷淺草箕輪山谷邊圖」 「改正駒込巣鴨邊圖」 「小日向小石川牛込地圖」 「改正小石川邊圖」 「改正北本所中ノ郷石原邊圖」 「懐中番町繪圖」 「改正懐中番町繪圖」 「懐中永田町繪圖」 「芝愛宕下西久保圖」 「改正澁谷宮益邊圖」 「改正雜司ヶ谷音羽邊圖」 「駿河臺小川町圖」 「巣鴨染井王子邊圖」 「外神田下谷上野邊繪圖」 「高輪白金辺圖」 「日本橋南芝口邊地圖」 「改正内藤新宿新屋鋪代々木邊圖」 「日本橋神田從於王池矢ノ倉邊繪圖」 「改正白山駒込邊圖」 「深川之内小名木川ヨリ南之方一圓」 「本郷谷中小石川駒込圖」 「改正本所猿江龜戸邊圖」 「改正南本所竪川邊圖」 「四ッ谷千駄ヶ谷辺圖」

彌次喜多道中記 講談全集

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
3,300
■商品詳細

【書名】 彌次喜多道中記 講談全集
【巻冊】 四六判一册
【著者】 講談社
【成立】 昭29
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3,300
■商品詳細 【書名】 彌次喜多道中記 講談全集 【巻冊】 四六判一册 【著者】 講談社 【成立】 昭29

朧月猫の草紙 二編上下巻・三編上下巻・四編上下巻・五編上下巻・六編上下巻・七編上巻

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
165,000
山東庵京山作、天保十二年序〜嘉永二年
■商品詳細

【書名】 朧月猫の草紙 二編上下巻・三編上下巻・四編上下巻・五編上下巻・六編上下巻・七編上巻
【巻冊】 中本十一册
【著者】 山東庵京山作
【成立】 天保十二年序〜嘉永二年

★ 國芳画
★ 榮久堂梓
★ 第二編下巻の裏紙欠・第五編下巻の表紙欠
★ 全七編十四册の内(初編上下巻と第七編下巻欠)
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165,000
山東庵京山作 、天保十二年序〜嘉永二年
■商品詳細 【書名】 朧月猫の草紙 二編上下巻・三編上下巻・四編上下巻・五編上下巻・六編上下巻・七編上巻 【巻冊】 中本十一册 【著者】 山東庵京山作 【成立】 天保十二年序〜嘉永二年 ★ 國芳画 ★ 榮久堂梓 ★ 第二編下巻の裏紙欠・第五編下巻の表紙欠 ★ 全七編十四册の内(初編上下巻と第七編下巻欠)

三州長篠合戦ノ砌 今福市左衛門尉朱印状

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
550,000
天正三年乙亥/五月廿五日
■商品詳細

【書名】 三州長篠合戦ノ砌 今福市左衛門尉朱印状
【巻冊】 一枚
【著者】 今福市左衛門尉(今福昌和)
【成立】 天正三年乙亥/五月廿五日

★ 田中某殿
★ 35.6×45.6㎝
★ 冒頭欠損・未補修

★ 生誕不明 死没/天正10年3月2日(1582年3月25日)

★ 今福市左衛門尉(今福昌和)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣。今福長閑斎の次男。

★ はじめ武田信玄、没後は勝頼に仕え長篠の合戦の敗戦以降多くの家臣団が逃走する中で最期まで主君勝頼を守った武将である。侍大将騎馬40騎持。

★ 天正3年(1575年)の長篠の戦いで諏訪高島城代の市川昌房が戦死すると、その後任となる。

★ 天正10年(1582年)2月、木曾義昌が織田信長の調略に応じると、2月16日、昌和は木曾氏を討つために武田信豊に従い木曽谷へ向けて出陣するが鳥居峠にて織田軍・木曽軍に敗れる。のち甲州征伐が始まると信長の嫡男・信忠率いる織田軍に高遠城を囲まれる。勝頼の弟、仁科盛信と共に織田軍に籠城・抵抗するが、敗れて盛信と共に討死した。

★ 本状は長篠の合戦で武田軍の敗戦が決した5月21日から僅か4日後の書状である。

★ 吉田信生・浅利信種の両名に宛てた今福市左衛門尉の起請文が生島足島神社に現存するらしい。
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550,000
、天正三年乙亥/五月廿五日
■商品詳細 【書名】 三州長篠合戦ノ砌 今福市左衛門尉朱印状 【巻冊】 一枚 【著者】 今福市左衛門尉(今福昌和) 【成立】 天正三年乙亥/五月廿五日 ★ 田中某殿 ★ 35.6×45.6㎝ ★ 冒頭欠損・未補修 ★ 生誕不明 死没/天正10年3月2日(1582年3月25日) ★ 今福市左衛門尉(今福昌和)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣。今福長閑斎の次男。 ★ はじめ武田信玄、没後は勝頼に仕え長篠の合戦の敗戦以降多くの家臣団が逃走する中で最期まで主君勝頼を守った武将である。侍大将騎馬40騎持。 ★ 天正3年(1575年)の長篠の戦いで諏訪高島城代の市川昌房が戦死すると、その後任となる。 ★ 天正10年(1582年)2月、木曾義昌が織田信長の調略に応じると、2月16日、昌和は木曾氏を討つために武田信豊に従い木曽谷へ向けて出陣するが鳥居峠にて織田軍・木曽軍に敗れる。のち甲州征伐が始まると信長の嫡男・信忠率いる織田軍に高遠城を囲まれる。勝頼の弟、仁科盛信と共に織田軍に籠城・抵抗するが、敗れて盛信と共に討死した。 ★ 本状は長篠の合戦で武田軍の敗戦が決した5月21日から僅か4日後の書状である。 ★ 吉田信生・浅利信種の両名に宛てた今福市左衛門尉の起請文が生島足島神社に現存するらしい。

坂本龍馬一行書幅「呵風罵雨 龍馬書」慶應三年九月末頃の書か

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
8,800,000
慶應三年九月末頃の書か
■商品詳細

【書名】 坂本龍馬一行書幅
【巻冊】 一幅
【成立】 慶應三年九月末頃の書か

★ 香雨居士(村田峯次郎)觀及び箱書き(昭和12年冬日)。真覺寺一如藏所。
★ 村田峯次郎書簡/山口縣/尾木學明宛(昭和12年12月11日)。
★ 128×24,8㎝。軸長/210㎝。幅/37㎝。
★ 書幅の本紙の右下に墨書で「龍馬先生筆真覺寺一如藏所」と記されている。「真覺寺」は住職井上靜照が安政元年から慶應四年まで土佐の社會情況を克明に綴った『真覺寺日記』が所藏されている真覺寺と考えられる。
★ 龍馬は暗殺される約二ヶ月前の慶應3年9月23日に脱藩以來初めて歸郷して實家に歸った。『真覺寺日記』には、同年9月末に「御前へ出けるニ金五拾兩大義料として下る」とある。龍馬がライフル銃千挺を斡旋するために歸郷した折に、容堂公に會い50兩を拝領していたと云う。
★ 日記に示す内容から龍馬と井上靜照は接觸していてその時にこれを揮毫した可能性が高い。紙本の上部に表装する前に生じた若干の切れと傷みがある。真覺寺は捲りの状態で所藏して、後に尾木學明が軸装したと考えられる。下部に押捺する大黒印が僅かだが表装が被っている。
「呵風罵雨」(かふうばう)は南宋初期の道教聖典『太上感應篇』の一説「訶風罵雨」が典據と考えられる。風を呵(しか)り雨を罵(ののし)る。『太上感應篇』は勧善懲惡の善書だが「訶風罵雨」は惡業のひとつ。
★ 獨斷でライフル銃千挺以上を購入して土佐藩に倒幕の覺悟を求めた龍馬は、そのライフル銃を船に積んで土佐に運び、慶應3年9月23日、5年半振りに故郷の土を踏み家族と再會した。10月9日には入京しているため、土佐滯在は一週間前後か。故郷の土佐で大仕事を成し遂げた龍馬は、太上感應篇の戒めを豪快に一行に書したとなるが、この時の龍馬の心境は如何に。
★ 村田峯次郎=明治から昭和時代前期の歴史家、防長史の權威。安政4年7月24日生まれ。幕末長州藩立直しの祖、村田清風の孫。大津唯雪の次男。著作に『防長近世史談』『高杉晉作』『大村益次郎先生事蹟』『品川子爵傳』など。
★ 村田清風=江戸時代後期の長州藩士(家老)。家格大組(別名馬廻)。藩主毛利敬親の信任の下で、長州藩の藩政改革を主導した。天明3年、長門國大津郡三隅村澤江に長州藩士村田光賢の長男として生まれた。
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、慶應三年九月末頃の書か
■商品詳細 【書名】 坂本龍馬一行書幅 【巻冊】 一幅 【成立】 慶應三年九月末頃の書か ★ 香雨居士(村田峯次郎)觀及び箱書き(昭和12年冬日)。真覺寺一如藏所。 ★ 村田峯次郎書簡/山口縣/尾木學明宛(昭和12年12月11日)。 ★ 128×24,8㎝。軸長/210㎝。幅/37㎝。 ★ 書幅の本紙の右下に墨書で「龍馬先生筆真覺寺一如藏所」と記されている。「真覺寺」は住職井上靜照が安政元年から慶應四年まで土佐の社會情況を克明に綴った『真覺寺日記』が所藏されている真覺寺と考えられる。 ★ 龍馬は暗殺される約二ヶ月前の慶應3年9月23日に脱藩以來初めて歸郷して實家に歸った。『真覺寺日記』には、同年9月末に「御前へ出けるニ金五拾兩大義料として下る」とある。龍馬がライフル銃千挺を斡旋するために歸郷した折に、容堂公に會い50兩を拝領していたと云う。 ★ 日記に示す内容から龍馬と井上靜照は接觸していてその時にこれを揮毫した可能性が高い。紙本の上部に表装する前に生じた若干の切れと傷みがある。真覺寺は捲りの状態で所藏して、後に尾木學明が軸装したと考えられる。下部に押捺する大黒印が僅かだが表装が被っている。 「呵風罵雨」(かふうばう)は南宋初期の道教聖典『太上感應篇』の一説「訶風罵雨」が典據と考えられる。風を呵(しか)り雨を罵(ののし)る。『太上感應篇』は勧善懲惡の善書だが「訶風罵雨」は惡業のひとつ。 ★ 獨斷でライフル銃千挺以上を購入して土佐藩に倒幕の覺悟を求めた龍馬は、そのライフル銃を船に積んで土佐に運び、慶應3年9月23日、5年半振りに故郷の土を踏み家族と再會した。10月9日には入京しているため、土佐滯在は一週間前後か。故郷の土佐で大仕事を成し遂げた龍馬は、太上感應篇の戒めを豪快に一行に書したとなるが、この時の龍馬の心境は如何に。 ★ 村田峯次郎=明治から昭和時代前期の歴史家、防長史の權威。安政4年7月24日生まれ。幕末長州藩立直しの祖、村田清風の孫。大津唯雪の次男。著作に『防長近世史談』『高杉晉作』『大村益次郎先生事蹟』『品川子爵傳』など。 ★ 村田清風=江戸時代後期の長州藩士(家老)。家格大組(別名馬廻)。藩主毛利敬親の信任の下で、長州藩の藩政改革を主導した。天明3年、長門國大津郡三隅村澤江に長州藩士村田光賢の長男として生まれた。
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