新城紀秀、新城紀秀、2005/8、387頁、4-6判
カバー少擦れ 新城紀秀は大正7年今帰仁村謝名生まれ。県立第二中学校(現・那覇高校)、沖縄県師範学校を経て教職の道へ。兼次小学校訓導を皮切りに謝名尋常小学校、北山高校、石川高校(教頭)、八重山商工高校、石川高校(校長)にて勤務し、昭和53年に定年退職。父親・半二郎は明治6年今帰仁間切親泊村にて生まれ、同22年名護にあった国頭高等小学校を卒業後、医生教習所を経て、開業医として鳥取県や那覇市泊の白山療養園にて勤務。ちなみに半二郎の医生教習所の同窓で親友でもあったのが金城清松(大宜味村出身)。大正5年に竹馬の友であった当時の今帰仁村長・与那嶺蒲助の要請を受けて今帰仁村医として今帰仁村謝名に赴任。