Hugo Ball、Mchn & Leipzig, Duncker & Humblot、1924、1・・・
クロス装、背やけ、シール剥がし跡、見返しに書店ラベルと蔵印、小口茶ばみ、しみ。43−46ページにかけて折れ跡(印刷時のものか)。ドイツ(スイス)のダダイズム運動を主導したフーゴ・バルが、1919年に発表した政治的パンフレット『ドイツ・インテリゲンチャ批判』(Zur Kritik der deutschen Intelligenz)を改訂加筆、彼の思想的転換を示す重要な一冊。1919年の旧版はアナーキズムや社会主義的な視点から書かれていたが、1924年の本作では、バル自身のカトリックへの帰依が色濃く反映。
フーゴ・バル(1886年2月22日 - 1927年9月14日)はドイツ帝国のピルマゼンスで、カトリックの中流家庭に生まれた[1]。1906年から1907年にかけて、ミュンヘンとハイデルベルクの大学で社会学と哲学を学ぶ。1910年に俳優になるためベルリンに移り住み、マックス・ラインハルトと共に活動した。第一次世界大戦が始まると陸軍に志願したが、健康上の問題で入隊できなかった。ドイツのベルギー侵攻の後、彼は幻滅して「この戦争は紛れもない誤りに基づいている。人間は機械と共に混乱している。」と語った。国家に対する反逆者と見なされ、キャバレーのパフォーマーであり詩人であるエミー・ヘニングスと共に国境を越え、チューリヒに移り住んだ。彼らは1920年に結婚している。チューリヒでもバルは無政府主義とミハイル・バクーニンに対する興味を持ち続け、バクーニンの著書の翻訳に取り組んだが、それは出版されることは無かった。アナキズム哲学に興味を持っていたにもかかわらず、その軍事的な側面のためにそれを拒否し、悟りのための個人的な目標への唯一の手段として見なした[2]。1916年に、社会の惨状に対する見解についての政治的な声明を出し、究極の真実を所有すると主張した過去の人生観への反感を認めたことによってダダイスム宣言を作成した。その年には詩『Karawane』を著しているが、同作は無意味な言葉から構成される。その意味は無意味さにあり、ダダイスムの背後にある主な原理を反映している。... https://ja.wikipedia.org/wiki/フーゴ・バル