ブラッサイ [著] ; 飯島耕一, 釜山健 共訳、みすず書房、1979年7月、288p、20cm
初版 カバー付 カバーヤケ無し 本体天少ヤケ小口と地 ヤケ無し 線引き無し 書き込み無し 保存状態良好です。
ブラッサイがミラーと出会ったのは1930年の暮れであった。
ミラーは妻ジューンの奔放な性生活に対する嫉妬やその桎梏から逃れるため、単身パリへやってきたところだった。
そのころ作家をめざしていたミラーについて、ブラッサイはこう記している。
《彼は、他人の作品に学び、他人の文体にかぶれ、他人の影響にそれこそ素直に従っていた》
これではとうてい作家になれようはずもない。
だが、パリで極貧に近い暮らしをするうちにミラーはじょじょに脱皮していく。
やはり作家志望のオーストリア人と共同生活をしながら、夜のパリをほっつき歩いて浮浪者や娼婦に立ち混じり、道端で夜を明かしたあとは、朝の街の匂いに浸る……。
《ぼくに何が何でも必要なのは、魂なんかじゃないよ。ちょっぴりでもいい、本物の食い物が欲しいんだ》といいながらも、ミラーは猛烈に読み、かつ書いていたと、ブラッサイは証言する。
そうして書き上げたのが『北回帰線』である。
周知のように、この小説は《形式も秩序も思想の脈絡もない》。
だが――とブラッサイはいう。
《さまざまなエピソードを結びつける唯一の絆は、珍妙で、感傷的で、絶望的で、陽気で、悲劇的で、攻撃的で、猥褻で、すごく淫らな、そう、作者の個性であった》と。
ミラーはパリの暮らしのなかで<人まね>を脱し、<みずから>を発見したと、ブラッサイは見るのだ。
本書には、ミラーとブラッサイとの交流だけでなく、ミラーを庇護したアナイス・ニンとの愛情生活や突如パリにやってきた妻ジューンの嵐のようなふるまい、あるいは年少の作家ロレンス・ダレルの姿が活写されていて、興趣が尽きない。
文句なしの秀作である。