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副羊羹書店の新着書籍
¥4,800
函付。蔵印あり。ヤケ。汚れ。斑ジミ。線引き等なし。
¥8,500
函付。赤鉛筆・鉛筆線引き・書き込みあり。2巻に蔵印。ヤケ。汚れ。斑ジミ。少々傷み。
新版 ヒマラヤ文献目録
薬師義美 編、白水社、1994
函・函帯付。本体ビニールカバーあり。少々煤け。少々シミ。函帯に少々切れ・少々シワ。本体状態良好。線引き等なし。
¥8,000
函・函帯付。本体ビニールカバーあり。少々煤け。少々シミ。函帯に少々切れ・少々シワ。本体状態良好。線引き等なし。
赤羽王郎葉書(池上隆祐宛)
赤羽王郎、1951?
赤羽王郎葉書(池上隆祐宛)。昭和26?(消印判読困難。切手が5円であることから28年か29年の可能性)年●月14日消印(13日記)。松山からの便り。この葉書は『池上隆祐遺文集』に収録されているが、消印を読み間違えているものと思われる。
¥2,500
赤羽王郎葉書(池上隆祐宛)。昭和26?(消印判読困難。切手が5円であることから28年か29年の可能性)年●月14日消印(13日記)。松山からの便り。この葉書は『池上隆祐遺文集』に収録されているが、消印を読み間違えているものと思われる。
有賀喜左衛門書簡 8通+葉書 4枚(池上隆祐宛(連名3枚含む)) 計12点
有賀喜左衛門、1930-1949
有賀喜左衛門書簡8通+葉書4枚(池上隆祐宛(連名3枚含む))計12点。池上隆祐は民俗学者・政治家で有賀の義弟。1)昭和5年6月11日消印(同記)葉書-筆書き6行。帰京の予定、洋服屋への連絡願いなど。2)昭和5年8月29日消印(同記)葉書-池上鎌三と連名宛。ペン書き12行。雑誌(『郷土』?)の宣伝文についての打ち合わせ+近況。3)昭和5年9月10日消印(同記)葉書-池上鎌三・外皆々様と連名宛。ペン書き14行。□沢が瀧川と有賀といっしょに来てくれといっているから、瀧川の都合を聞いてくれとのこと。4)昭和5年11月6日消印葉書-池上鎌三・外皆々様と連名宛。ペン書き10行。状況の予定と伊那富での『郷土』の評判など。5)昭和6年2月22日消印封書-便箋3枚+『郷土』2号の後記原稿。『郷土』の編集上のやり取り。開明堂(版元か)の校正が怠慢なことや後記のことなど。6)昭和6(?)年7月17日消印(年部分判読困難)(同記)封書-便箋3枚。陶工大の大森氏をたずねて見た百穂の壺のこと。『郷土』のこと。7)昭和11年6月8日消印(6月7日記)封書-便箋1枚。赤羽王郎から来た葉書を同封とある(葉書の現物は欠)。「誠に困った事と思ふ。」「竹内の書物の序文を急に求められて弱った」など。8)切手剥がしにより消印欠(1月30日記)封書-便箋2枚。王郎からの送金依頼のこと、王郎のかかわる農務統計表のこと、広告料の件、大内紹介の件。野沢から来た広告料の請求書・手紙を同封している。9)消印欠(検閲済印あり)封書-400字詰原稿用紙2枚(マス目は無視)。家の改築の相談。略図面・仲介者からの手紙を同封。10)昭和21年4月11日消印(同記)封書-小山昇から有賀への手紙のみで有賀の手紙はない。便箋4枚で農地調整法についての問い合わせへの回答(4月8日記)。11)昭和23年10月24日消印(同記)封書-200字詰原稿用紙1枚(マス目無視)。しばらく手紙がないから様子を聞きたがっている。12)昭和24日8月16日消印(同記)-便箋1枚(最後の一枚のみ。前部分欠)。隆祐が刀を売ろうとして有賀に預けた、その鑑定結果。関係が不明だが、松本市立高校野球部の慰労会の案内(池上隆祐宛)が同封されている。
¥20,000
有賀喜左衛門書簡8通+葉書4枚(池上隆祐宛(連名3枚含む))計12点。池上隆祐は民俗学者・政治家で有賀の義弟。1)昭和5年6月11日消印(同記)葉書-筆書き6行。帰京の予定、洋服屋への連絡願いなど。2)昭和5年8月29日消印(同記)葉書-池上鎌三と連名宛。ペン書き12行。雑誌(『郷土』?)の宣伝文についての打ち合わせ+近況。3)昭和5年9月10日消印(同記)葉書-池上鎌三・外皆々様と連名宛。ペン書き14行。□沢が瀧川と有賀といっしょに来てくれといっているから、瀧川の都合を聞いてくれとのこと。4)昭和5年11月6日消印葉書-池上鎌三・外皆々様と連名宛。ペン書き10行。状況の予定と伊那富での『郷土』の評判など。5)昭和6年2月22日消印封書-便箋3枚+『郷土』2号の後記原稿。『郷土』の編集上のやり取り。開明堂(版元か)の校正が怠慢なことや後記のことなど。6)昭和6(?)年7月17日消印(年部分判読困難)(同記)封書-便箋3枚。陶工大の大森氏をたずねて見た百穂の壺のこと。『郷土』のこと。7)昭和11年6月8日消印(6月7日記)封書-便箋1枚。赤羽王郎から来た葉書を同封とある(葉書の現物は欠)。「誠に困った事と思ふ。」「竹内の書物の序文を急に求められて弱った」など。8)切手剥がしにより消印欠(1月30日記)封書-便箋2枚。王郎からの送金依頼のこと、王郎のかかわる農務統計表のこと、広告料の件、大内紹介の件。野沢から来た広告料の請求書・手紙を同封している。9)消印欠(検閲済印あり)封書-400字詰原稿用紙2枚(マス目は無視)。家の改築の相談。略図面・仲介者からの手紙を同封。10)昭和21年4月11日消印(同記)封書-小山昇から有賀への手紙のみで有賀の手紙はない。便箋4枚で農地調整法についての問い合わせへの回答(4月8日記)。11)昭和23年10月24日消印(同記)封書-200字詰原稿用紙1枚(マス目無視)。しばらく手紙がないから様子を聞きたがっている。12)昭和24日8月16日消印(同記)-便箋1枚(最後の一枚のみ。前部分欠)。隆祐が刀を売ろうとして有賀に預けた、その鑑定結果。関係が不明だが、松本市立高校野球部の慰労会の案内(池上隆祐宛)が同封されている。
有賀さだ葉書(池上都子宛) 計3枚
有賀さだ、1948-1952
有賀さだ葉書(池上都子宛)計3枚。有賀さだは有賀喜左衛門の妻か?(池上隆祐の姉?) 池上都子は池上隆祐(民俗学者)の妻。1)昭和23年9月21日(同記)-ペン書き12行+短行14行。戦後の物不足を心配する内容。 1)昭和26年10月9日消印(10月8日記)-ペン書き11行+短行10行。衣服を送ったが、一枚入れ忘れた。衣服についての説明など。2)昭和27年1月17日消印(1月17日記)-ペン書き10行+短行13行。胃病見舞い。送った本のことなど。
¥3,000
有賀さだ葉書(池上都子宛)計3枚。有賀さだは有賀喜左衛門の妻か?(池上隆祐の姉?) 池上都子は池上隆祐(民俗学者)の妻。1)昭和23年9月21日(同記)-ペン書き12行+短行14行。戦後の物不足を心配する内容。 1)昭和26年10月9日消印(10月8日記)-ペン書き11行+短行10行。衣服を送ったが、一枚入れ忘れた。衣服についての説明など。2)昭和27年1月17日消印(1月17日記)-ペン書き10行+短行13行。胃病見舞い。送った本のことなど。
有賀喜左衛門書簡(片倉武雄宛)
有賀喜左衛門
有賀喜左衛門書簡(片倉武雄宛)。片倉武雄は片倉江津製糸社長。封書。手渡し文。4月21日記。増田要次郎(市会議員)を紹介する内容(紹介状)。
¥2,000
有賀喜左衛門書簡(片倉武雄宛)。片倉武雄は片倉江津製糸社長。封書。手渡し文。4月21日記。増田要次郎(市会議員)を紹介する内容(紹介状)。
有賀喜左衛門書簡(増田要次郎宛)
有賀喜左衛門、1939?
有賀喜左衛門書簡(増田要次郎宛)。増田要次郎は弁護士で市会議員を務めた。封書。切手剥がしにより消印欠。5月2日記(内容からして昭和14年か?)。便箋3枚。前置きとして池上(隆祐)の支那旅行の成果について。中心は市長問題の交換条件などに関しての意見。
¥3,000
有賀喜左衛門書簡(増田要次郎宛)。増田要次郎は弁護士で市会議員を務めた。封書。切手剥がしにより消印欠。5月2日記(内容からして昭和14年か?)。便箋3枚。前置きとして池上(隆祐)の支那旅行の成果について。中心は市長問題の交換条件などに関しての意見。