文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大

古書を探す

「ベニョウスキー 」の検索結果
2件

対外関係と社会経済 : 森克己博士還暦記念論文集

indigo book
 京都府宇治市小倉町南浦
2,500
森博士還暦記念会 編、塙書房、672p 図版、22cm
函ヤケ 本文良好
ゆうパケット、レターパック、ゆうパックで発送致します。土日祝の発送は、行なっておりませんのでご了承ください。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送不可 適格請求
2,500
森博士還暦記念会 編 、塙書房 、672p 図版 、22cm
函ヤケ 本文良好

『航海記』 英語版 1904年 ロンドン刊 Memoirs & Travels. London, Kegan Paul, 1904.

極東書店
 東京都千代田区神田三崎町
35,200
ベニョウスキー、Kegan Paul、1904、636、1
English edition. 8vo, xxxvi, 636pp, with engraved portrait, clothspine boards.
べニョフスキーはハンガリーの出身で、ポーランド・リトアニア共和国の軍隊に入隊した軍人です。近代ポーランドで初の反ロシア民族独立闘争のための組織と呼ばれたバール連盟に加わっていたため、1769年ロシア帝国との戦争で捕虜となりカムチャツカへ流刑となりました。1771年流刑地であったカムチャツカで仲間とともに反乱を起こしてロシアの軍艦スヴャトーイ・ピョートルを略奪し、千島列島から南下して日本の四国地方に来航するも上陸できず、奄美諸島から台湾を経てポルトガル領マカオへ到達しました。このベニョフスキーの一連の行動は、日本との関連では、彼がその途上でハンベンゴローの名前でオランダ商館に宛てロシア帝国の日本に対する南下政策を警告する書簡を送ったため、それを漏れ知ることとなった林子平が幕府の海防政策の無策を批判する『海国兵談』を発行するきっかけとなったことで知られています。ヨーロッパでは、カムチャツカからの脱走劇の後にベニョフスキーがポルトガル領マカオにバール連盟の旗を掲げる船で現れたことや、ヨーロッパに帰国後に今度はマダガスカルでの植民活動に乗り出すも、流れ弾に当たって非業の死をとげたことなど、センセーショナルな体験をした旅行家や冒険家として知られています。
ベニョフスキーは生前にこの自らの体験を虚実織り交ぜた回想録としてフランス語でまとめ、彼の死後にまず1790年に英語版が、ドイツ語版、続いて原文フランス語、オランダ語版、スウェーデン語、ポーランド語、ハンガリー語などが相次いで発行されました。ヨーロッパでの広がりはこのベニョフスキー回顧録の各国語版への翻訳にとどまらず、彼の戯曲やオペラまで作られるほどであり、18世紀後半から20世紀初頭に至るまで、彼の波乱の生涯をたどったベニョフスキーのブームと呼べるものがあったともいわれています。
本書は1790年に刊行された英語版を縮約した1904年のオリヴァー版と呼ばれている版で、1896年に発行された別のオリヴァー版と異なり地図が付されていない代わりに、1896年版より本文が詳細になっており、巻末に目録が付されています。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送不可 適格請求
35,200
ベニョウスキー  、Kegan Paul 、1904 、636 、1
English edition. 8vo, xxxvi, 636pp, with engraved portrait, clothspine boards. べニョフスキーはハンガリーの出身で、ポーランド・リトアニア共和国の軍隊に入隊した軍人です。近代ポーランドで初の反ロシア民族独立闘争のための組織と呼ばれたバール連盟に加わっていたため、1769年ロシア帝国との戦争で捕虜となりカムチャツカへ流刑となりました。1771年流刑地であったカムチャツカで仲間とともに反乱を起こしてロシアの軍艦スヴャトーイ・ピョートルを略奪し、千島列島から南下して日本の四国地方に来航するも上陸できず、奄美諸島から台湾を経てポルトガル領マカオへ到達しました。このベニョフスキーの一連の行動は、日本との関連では、彼がその途上でハンベンゴローの名前でオランダ商館に宛てロシア帝国の日本に対する南下政策を警告する書簡を送ったため、それを漏れ知ることとなった林子平が幕府の海防政策の無策を批判する『海国兵談』を発行するきっかけとなったことで知られています。ヨーロッパでは、カムチャツカからの脱走劇の後にベニョフスキーがポルトガル領マカオにバール連盟の旗を掲げる船で現れたことや、ヨーロッパに帰国後に今度はマダガスカルでの植民活動に乗り出すも、流れ弾に当たって非業の死をとげたことなど、センセーショナルな体験をした旅行家や冒険家として知られています。 ベニョフスキーは生前にこの自らの体験を虚実織り交ぜた回想録としてフランス語でまとめ、彼の死後にまず1790年に英語版が、ドイツ語版、続いて原文フランス語、オランダ語版、スウェーデン語、ポーランド語、ハンガリー語などが相次いで発行されました。ヨーロッパでの広がりはこのベニョフスキー回顧録の各国語版への翻訳にとどまらず、彼の戯曲やオペラまで作られるほどであり、18世紀後半から20世紀初頭に至るまで、彼の波乱の生涯をたどったベニョフスキーのブームと呼べるものがあったともいわれています。 本書は1790年に刊行された英語版を縮約した1904年のオリヴァー版と呼ばれている版で、1896年に発行された別のオリヴァー版と異なり地図が付されていない代わりに、1896年版より本文が詳細になっており、巻末に目録が付されています。

お探しの古書は見つかりましたか?

在庫検索から見つからなかった場合は、書誌(カタログ)からも検索できます。
お探しの古書が登録されていれば、在庫が無い本や条件に合わない本についても、こちらからリクエストを行うことができます。
書誌(カタログ)から探す

プレイステーション海外発売30年- 3D、高性能、ゲーム機の進化

読書の秋 - 秋の古本まつり全国で開催