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「三州長篠合戦ノ砌 今福市左衛門尉朱印状」の検索結果
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三州長篠合戦ノ砌 今福市左衛門尉朱印状

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
550,000
天正三年乙亥/五月廿五日
■商品詳細

【書名】 三州長篠合戦ノ砌 今福市左衛門尉朱印状
【巻冊】 一枚
【著者】 今福市左衛門尉(今福昌和)
【成立】 天正三年乙亥/五月廿五日

★ 田中某殿
★ 35.6×45.6㎝
★ 冒頭欠損・未補修

★ 生誕不明 死没/天正10年3月2日(1582年3月25日)

★ 今福市左衛門尉(今福昌和)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣。今福長閑斎の次男。

★ はじめ武田信玄、没後は勝頼に仕え長篠の合戦の敗戦以降多くの家臣団が逃走する中で最期まで主君勝頼を守った武将である。侍大将騎馬40騎持。

★ 天正3年(1575年)の長篠の戦いで諏訪高島城代の市川昌房が戦死すると、その後任となる。

★ 天正10年(1582年)2月、木曾義昌が織田信長の調略に応じると、2月16日、昌和は木曾氏を討つために武田信豊に従い木曽谷へ向けて出陣するが鳥居峠にて織田軍・木曽軍に敗れる。のち甲州征伐が始まると信長の嫡男・信忠率いる織田軍に高遠城を囲まれる。勝頼の弟、仁科盛信と共に織田軍に籠城・抵抗するが、敗れて盛信と共に討死した。

★ 本状は長篠の合戦で武田軍の敗戦が決した5月21日から僅か4日後の書状である。

★ 吉田信生・浅利信種の両名に宛てた今福市左衛門尉の起請文が生島足島神社に現存するらしい。
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、天正三年乙亥/五月廿五日
■商品詳細 【書名】 三州長篠合戦ノ砌 今福市左衛門尉朱印状 【巻冊】 一枚 【著者】 今福市左衛門尉(今福昌和) 【成立】 天正三年乙亥/五月廿五日 ★ 田中某殿 ★ 35.6×45.6㎝ ★ 冒頭欠損・未補修 ★ 生誕不明 死没/天正10年3月2日(1582年3月25日) ★ 今福市左衛門尉(今福昌和)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣。今福長閑斎の次男。 ★ はじめ武田信玄、没後は勝頼に仕え長篠の合戦の敗戦以降多くの家臣団が逃走する中で最期まで主君勝頼を守った武将である。侍大将騎馬40騎持。 ★ 天正3年(1575年)の長篠の戦いで諏訪高島城代の市川昌房が戦死すると、その後任となる。 ★ 天正10年(1582年)2月、木曾義昌が織田信長の調略に応じると、2月16日、昌和は木曾氏を討つために武田信豊に従い木曽谷へ向けて出陣するが鳥居峠にて織田軍・木曽軍に敗れる。のち甲州征伐が始まると信長の嫡男・信忠率いる織田軍に高遠城を囲まれる。勝頼の弟、仁科盛信と共に織田軍に籠城・抵抗するが、敗れて盛信と共に討死した。 ★ 本状は長篠の合戦で武田軍の敗戦が決した5月21日から僅か4日後の書状である。 ★ 吉田信生・浅利信種の両名に宛てた今福市左衛門尉の起請文が生島足島神社に現存するらしい。

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