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「久良部1号墳 昭和61年度国庫補助事業緊急発掘調査報告書」の検索結果
3件

久良部1号墳 昭和61年度国庫補助事業緊急発掘調査報告書

ハナ書房
 大阪府大阪市北区天神橋
1,010
市島町、1987-3、9p 図版4p、26cm
はじめに
1. 調査に至る経過
久良部1号墳は、氷上郡市島町上垣字多々田155番地に所在する。
昭和60年9月、 春日町において近畿自動車道舞鶴線建設に伴う発掘調査に従事していた
種定は、当時市島中学生であった考古学愛好の青木和博氏 (市島町中竹田在住)と知り
合った。氏の話によれば市島町内に竪穴式石室で銅鏡をもつ古墳が存在するとのことで
あった。氏は市島町内の古墳についてはくまなく踏査している考古学ボーイであり、その
古墳の所在地も氏の通う中学校の裏山ということでかなりの信頼性があった。 また、 銅鏡
は氏が保管しているとのことであったため、 文化財の所定の手続きを行うよう説得すると
ともに、 現地の確認に向かった。 その古墳は数枚の天井石が剥がされており、石室も一部
露呈していた。 発見のいきさつは、氏の話によれば、 古墳が群集するこの地区でボーリン
グ棒を突いていると天井石にあたり、わずかに表土を取り現われた石を除去すると、石室
の中央に銅鏡らしいものがあったと言う。 それを取り上げ、 石室内を探ってみると鉄片や
土師器片も出土したらしい。 周辺には石室内の埋土らしき土が散乱していた。
9月27日、県教委・郡教委・町の3者が現地で協議を行い、 保存を前提とした確認調査
を実施すべく翌年度の国庫補助事業の申請を提出することを決め、 石室にはビニールシー
トを覆い、 応急措置を施した。
発掘調査は、昭和62年2月23日から3月18日までののべ12日間にわたって実施した。
表紙少ヤケ
グラシン紙包装にてお届け致します。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送可
1,010
、市島町 、1987-3 、9p 図版4p 、26cm
はじめに 1. 調査に至る経過 久良部1号墳は、氷上郡市島町上垣字多々田155番地に所在する。 昭和60年9月、 春日町において近畿自動車道舞鶴線建設に伴う発掘調査に従事していた 種定は、当時市島中学生であった考古学愛好の青木和博氏 (市島町中竹田在住)と知り 合った。氏の話によれば市島町内に竪穴式石室で銅鏡をもつ古墳が存在するとのことで あった。氏は市島町内の古墳についてはくまなく踏査している考古学ボーイであり、その 古墳の所在地も氏の通う中学校の裏山ということでかなりの信頼性があった。 また、 銅鏡 は氏が保管しているとのことであったため、 文化財の所定の手続きを行うよう説得すると ともに、 現地の確認に向かった。 その古墳は数枚の天井石が剥がされており、石室も一部 露呈していた。 発見のいきさつは、氏の話によれば、 古墳が群集するこの地区でボーリン グ棒を突いていると天井石にあたり、わずかに表土を取り現われた石を除去すると、石室 の中央に銅鏡らしいものがあったと言う。 それを取り上げ、 石室内を探ってみると鉄片や 土師器片も出土したらしい。 周辺には石室内の埋土らしき土が散乱していた。 9月27日、県教委・郡教委・町の3者が現地で協議を行い、 保存を前提とした確認調査 を実施すべく翌年度の国庫補助事業の申請を提出することを決め、 石室にはビニールシー トを覆い、 応急措置を施した。 発掘調査は、昭和62年2月23日から3月18日までののべ12日間にわたって実施した。 表紙少ヤケ グラシン紙包装にてお届け致します。

久良部1号墳 昭和61年度国庫補助事業緊急発掘調査報告書

ハナ書房
 大阪府大阪市北区天神橋
1,010
市島町、1987-3、9p 図版4p、26cm
はじめに
1. 調査に至る経過
久良部1号墳は、氷上郡市島町上垣字多々田155番地に所在する。
昭和60年9月、 春日町において近畿自動車道舞鶴線建設に伴う発掘調査に従事していた
種定は、当時市島中学生であった考古学愛好の青木和博氏 (市島町中竹田在住)と知り
合った。氏の話によれば市島町内に竪穴式石室で銅鏡をもつ古墳が存在するとのことで
あった。氏は市島町内の古墳についてはくまなく踏査している考古学ボーイであり、その
古墳の所在地も氏の通う中学校の裏山ということでかなりの信頼性があった。 また、 銅鏡
は氏が保管しているとのことであったため、 文化財の所定の手続きを行うよう説得すると
ともに、 現地の確認に向かった。 その古墳は数枚の天井石が剥がされており、石室も一部
露呈していた。 発見のいきさつは、氏の話によれば、 古墳が群集するこの地区でボーリン
グ棒を突いていると天井石にあたり、わずかに表土を取り現われた石を除去すると、石室
の中央に銅鏡らしいものがあったと言う。 それを取り上げ、 石室内を探ってみると鉄片や
土師器片も出土したらしい。 周辺には石室内の埋土らしき土が散乱していた。
9月27日、県教委・郡教委・町の3者が現地で協議を行い、 保存を前提とした確認調査
を実施すべく翌年度の国庫補助事業の申請を提出することを決め、 石室にはビニールシー
トを覆い、 応急措置を施した。
発掘調査は、昭和62年2月23日から3月18日までののべ12日間にわたって実施した。
表紙少ヤケ
グラシン紙包装にてお届け致します。
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1,010
、市島町 、1987-3 、9p 図版4p 、26cm
はじめに 1. 調査に至る経過 久良部1号墳は、氷上郡市島町上垣字多々田155番地に所在する。 昭和60年9月、 春日町において近畿自動車道舞鶴線建設に伴う発掘調査に従事していた 種定は、当時市島中学生であった考古学愛好の青木和博氏 (市島町中竹田在住)と知り 合った。氏の話によれば市島町内に竪穴式石室で銅鏡をもつ古墳が存在するとのことで あった。氏は市島町内の古墳についてはくまなく踏査している考古学ボーイであり、その 古墳の所在地も氏の通う中学校の裏山ということでかなりの信頼性があった。 また、 銅鏡 は氏が保管しているとのことであったため、 文化財の所定の手続きを行うよう説得すると ともに、 現地の確認に向かった。 その古墳は数枚の天井石が剥がされており、石室も一部 露呈していた。 発見のいきさつは、氏の話によれば、 古墳が群集するこの地区でボーリン グ棒を突いていると天井石にあたり、わずかに表土を取り現われた石を除去すると、石室 の中央に銅鏡らしいものがあったと言う。 それを取り上げ、 石室内を探ってみると鉄片や 土師器片も出土したらしい。 周辺には石室内の埋土らしき土が散乱していた。 9月27日、県教委・郡教委・町の3者が現地で協議を行い、 保存を前提とした確認調査 を実施すべく翌年度の国庫補助事業の申請を提出することを決め、 石室にはビニールシー トを覆い、 応急措置を施した。 発掘調査は、昭和62年2月23日から3月18日までののべ12日間にわたって実施した。 表紙少ヤケ グラシン紙包装にてお届け致します。

久良部1号墳 昭和61年度国庫補助事業緊急発掘調査報告書

ハナ書房
 大阪府大阪市北区天神橋
1,010
市島町、1987-3、9p 図版4p、26cm
はじめに
1. 調査に至る経過
久良部1号墳は、氷上郡市島町上垣字多々田155番地に所在する。
昭和60年9月、 春日町において近畿自動車道舞鶴線建設に伴う発掘調査に従事していた
種定は、当時市島中学生であった考古学愛好の青木和博氏 (市島町中竹田在住)と知り
合った。氏の話によれば市島町内に竪穴式石室で銅鏡をもつ古墳が存在するとのことで
あった。氏は市島町内の古墳についてはくまなく踏査している考古学ボーイであり、その
古墳の所在地も氏の通う中学校の裏山ということでかなりの信頼性があった。 また、 銅鏡
は氏が保管しているとのことであったため、 文化財の所定の手続きを行うよう説得すると
ともに、 現地の確認に向かった。 その古墳は数枚の天井石が剥がされており、石室も一部
露呈していた。 発見のいきさつは、氏の話によれば、 古墳が群集するこの地区でボーリン
グ棒を突いていると天井石にあたり、わずかに表土を取り現われた石を除去すると、石室
の中央に銅鏡らしいものがあったと言う。 それを取り上げ、 石室内を探ってみると鉄片や
土師器片も出土したらしい。 周辺には石室内の埋土らしき土が散乱していた。
9月27日、県教委・郡教委・町の3者が現地で協議を行い、 保存を前提とした確認調査
を実施すべく翌年度の国庫補助事業の申請を提出することを決め、 石室にはビニールシー
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発掘調査は、昭和62年2月23日から3月18日までののべ12日間にわたって実施した。
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、市島町 、1987-3 、9p 図版4p 、26cm
はじめに 1. 調査に至る経過 久良部1号墳は、氷上郡市島町上垣字多々田155番地に所在する。 昭和60年9月、 春日町において近畿自動車道舞鶴線建設に伴う発掘調査に従事していた 種定は、当時市島中学生であった考古学愛好の青木和博氏 (市島町中竹田在住)と知り 合った。氏の話によれば市島町内に竪穴式石室で銅鏡をもつ古墳が存在するとのことで あった。氏は市島町内の古墳についてはくまなく踏査している考古学ボーイであり、その 古墳の所在地も氏の通う中学校の裏山ということでかなりの信頼性があった。 また、 銅鏡 は氏が保管しているとのことであったため、 文化財の所定の手続きを行うよう説得すると ともに、 現地の確認に向かった。 その古墳は数枚の天井石が剥がされており、石室も一部 露呈していた。 発見のいきさつは、氏の話によれば、 古墳が群集するこの地区でボーリン グ棒を突いていると天井石にあたり、わずかに表土を取り現われた石を除去すると、石室 の中央に銅鏡らしいものがあったと言う。 それを取り上げ、 石室内を探ってみると鉄片や 土師器片も出土したらしい。 周辺には石室内の埋土らしき土が散乱していた。 9月27日、県教委・郡教委・町の3者が現地で協議を行い、 保存を前提とした確認調査 を実施すべく翌年度の国庫補助事業の申請を提出することを決め、 石室にはビニールシー トを覆い、 応急措置を施した。 発掘調査は、昭和62年2月23日から3月18日までののべ12日間にわたって実施した。 表紙少ヤケ グラシン紙包装にてお届け致します。

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