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「二・二六事件「栗原中尉」★栗原安秀自筆 書簡2通&葉書1枚一括 (三重県立津中学校・駒田義三郎宛)」の検索結果
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二・二六事件「栗原中尉」★栗原安秀自筆 書簡2通&葉書1枚一括 (三重県立津中学校・駒田義三郎宛)

月の輪書林
 東京都大田区東矢口
1,000,000
15歳★栗原安秀自筆、大正12年、大正14年
●宛先の駒田義三郎は、明治39年5月から大正14年3月まで三重県立津中学校で、国漢の教師をしていた。
●栗原安秀(1908年11月17日~1936年7月12日銃殺刑)は、大正10年から12年頃までの1年半ほど、三重県立津中学校に学んだ。関東大震災のあった大正12年に、父・栗原勇陸軍歩兵大佐の転勤にともない上京、私立名教中学校(代々幡町)に通うこととなった。

1、葉書(ペン12行★大正12年11月8日)
2、書簡(和紙巻紙毛筆36行★大正14年1月5日★封筒有)
    「学校ノ成績モ非常ニヨク相成今年ハ陸士ヲ受ケル積ニテ勉強致シ居リ候(中略)
     又今ハ四学年義組級長ヲツトメ居リ候」
3、書簡(和紙巻紙毛筆28行★大正14年3月4日★封筒有)
    「私も御かげで試験もすみ、且今回士官学校を合格致しました」

●駒田義三郎は、85歳になった昭和37年、ふと栗原安秀少年のことを思い出し、手元のノートにこう書き記した。
●「栗原安秀は、軍人志望前途有望の青年であった。士官学校卒業後も度々手紙をくれた。(中略)私に非常な信頼感をもって居たのだから私が上京した時に逢って話をしたらあんな過激な振舞はしなかったかも知れぬ。今想ふと残念だ」。
     
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二・二六事件「栗原中尉」★栗原安秀自筆 書簡2通&葉書1枚一括 (三重県立津中学校・駒田義三郎宛)

1,000,000
15歳★栗原安秀自筆 、大正12年、大正14年
●宛先の駒田義三郎は、明治39年5月から大正14年3月まで三重県立津中学校で、国漢の教師をしていた。 ●栗原安秀(1908年11月17日~1936年7月12日銃殺刑)は、大正10年から12年頃までの1年半ほど、三重県立津中学校に学んだ。関東大震災のあった大正12年に、父・栗原勇陸軍歩兵大佐の転勤にともない上京、私立名教中学校(代々幡町)に通うこととなった。 1、葉書(ペン12行★大正12年11月8日) 2、書簡(和紙巻紙毛筆36行★大正14年1月5日★封筒有)     「学校ノ成績モ非常ニヨク相成今年ハ陸士ヲ受ケル積ニテ勉強致シ居リ候(中略)      又今ハ四学年義組級長ヲツトメ居リ候」 3、書簡(和紙巻紙毛筆28行★大正14年3月4日★封筒有)     「私も御かげで試験もすみ、且今回士官学校を合格致しました」 ●駒田義三郎は、85歳になった昭和37年、ふと栗原安秀少年のことを思い出し、手元のノートにこう書き記した。 ●「栗原安秀は、軍人志望前途有望の青年であった。士官学校卒業後も度々手紙をくれた。(中略)私に非常な信頼感をもって居たのだから私が上京した時に逢って話をしたらあんな過激な振舞はしなかったかも知れぬ。今想ふと残念だ」。      

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