文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大

古書を探す

「仁開一夫」の検索結果
1件

仁開ミサヲかじまやー

BOOKSじのん
 沖縄県宜野湾市真栄原
1,100
仁開一夫編、仁開一夫、1997/3、93頁、A5判
表紙ヤケ・見返しに書込み・後見返しに謹啓文(宮城信勇)貼付け 仁開(にかい)ミサヲは1902(明治35)年徳島県生まれ(旧姓・鎌田)。17歳の時に石垣島名蔵の開拓移民であった仁開家の長男・正一と結婚。正一は当初は八重山糖業株式会社に勤務する製糖家だったが、台風被害及び会社倒産により大正7、8年頃に名蔵から石垣に移住し小間物店を開業。その後呉服商を始め繁盛する。次女・貞子は、宮城信範と文(『八重山生活誌』の著者)夫妻の息子・宮城信勇(『八重山ことわざ事典』、『石垣方言辞典』の著者)と結婚。本書には20人の親類縁者が寄稿。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求

仁開ミサヲかじまやー

1,100
仁開一夫編 、仁開一夫 、1997/3 、93頁 、A5判
表紙ヤケ・見返しに書込み・後見返しに謹啓文(宮城信勇)貼付け 仁開(にかい)ミサヲは1902(明治35)年徳島県生まれ(旧姓・鎌田)。17歳の時に石垣島名蔵の開拓移民であった仁開家の長男・正一と結婚。正一は当初は八重山糖業株式会社に勤務する製糖家だったが、台風被害及び会社倒産により大正7、8年頃に名蔵から石垣に移住し小間物店を開業。その後呉服商を始め繁盛する。次女・貞子は、宮城信範と文(『八重山生活誌』の著者)夫妻の息子・宮城信勇(『八重山ことわざ事典』、『石垣方言辞典』の著者)と結婚。本書には20人の親類縁者が寄稿。

お探しの古書は見つかりましたか?

在庫検索から見つからなかった場合は、書誌(カタログ)からも検索できます。
お探しの古書が登録されていれば、在庫が無い本や条件に合わない本についても、こちらからリクエストを行うことができます。
書誌(カタログ)から探す

太平洋戦争終戦80年 - 戦後80年

日航ジャンボ機事故40年 - 航空機、事故、安全